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ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
ペーター・トラヴニー
ヴッパタール大学
13. Dezember 2014
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
宮崎映画の特徴:神話と技術的な近代精神とを引きあわせること
「もののけ姫」:神話と近代技術の相互排除神々は遁走し、死ぬ
ハイデッガーの「黒ノート」も同じ問題を扱うヘルダーリンによる詩作 vs.近代精神の「工作機構(Machenschaft)」
もう一度、何らかの仕方で「別様に始元すること」は可能か?
ハイデッガーは近代精神を押し留めることはできなかった
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
黒ノートの特徴ハイデッガーのどの著作とも異なる1930, 40年代のハイデッガーの思索の動機をはっきり示している存在史的思索のもつ反ユダヤ主義
いままでになかった問いの登場:ハイデッガーをどう読むべきか?
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
ハイデッガーをどう読むべきか?ハイデッガーの思索は反ユダヤ主義的か?もしそうなら、全体的にそうなのか、部分的なのか?違うなら、ユダヤに関する発言をどう取るべきか?
われわれは「新しいハイデッガー」への途上にある
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
ハイデッガーのテキストはわかりにくい
哲学者はだれでも独自のスタイルをもつ
「いかに読むべきか」という問いは当然?
だが、ハイデッガーの場合、そう問うべき特別の理由がある
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
どのように読むべきか、と問う特別の理由ハイデッガーは、自分の著作の読み方に干渉しようとしていた公開的な著作と秘教的著作の区別が重要
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
公開的な著作たとえば『存在と時間』特定の読者に対しての書物ではない
秘教的な著作たとえば『哲学への寄与論考』「将来する者たち」「若干の者ども」に向けて語る
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
本当の哲学は「公共性」(マスメディアなど)では不可能だという洞察
たしかに、空虚な話をするだけの公共的な哲学者はいる
どんな公的な対話も拒否する読者グループ「ハイデッゲリアン」の誕生
世界中にいる、こうした読者が問題
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
最も秘密的な著作:『黒ノート』読み手はハイデッガー自身思索はそこで、存在史的な内密性を形成秘教的な著作とはいえ、個人的な事柄を語るのではない
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
公開的な著作論証によって事実が示される
秘教的な著作論証ではない、読み手への直接的な語り掛け公開的な著作と違い、誘惑的なスタイルハイデッガーが求めているのは、批判的に距離を取った議論ではなく、聴従すること
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
ハイデッゲリアンによれば、ハイデッガー研究の出発点はハイデッガーの自己理解
ハイデッガーとの自己同一化→ ハイデッガーが反ユダヤ主義者であることは、考えられないハイデッガーが反ユダヤ主義者であるなら、ハイデッゲリアンも反ユダヤ主義者になってしまう……
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
ハイデッガーの思索はハイデッガー・ファンを生み出す愛は実際、解釈の前提・・・哲学者と付き合う根気を生むから憎しみは哲学するのに向いたパトスではない
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
ハイデッガー読みのアポリアハイデッガー読みとして、ハイデッガー・データベースになるのか?中立的な研究者として、ハイデッガーを表面的に扱うのか?
第三の選択肢:哲学的な読みかた
特定の哲学への愛と哲学一般への愛:思考の自由ハイデッゲリアンはこうした自由を知らない→哲学者ではない
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
哲学的な読みかた
特定の哲学への愛と哲学一般への愛:思考の自由
ハイデッガーの著作には、特に哲学的な読みが必要「ハイデッガーの自己解釈が全てのハイデッガー解釈の出発点である」という考えは間違い
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
どの程度ハイデガーは存在史的反ユダヤ主義なのか?
「ユダヤ」「反ユダヤ主義」はハイデガー哲学の文脈で何を意味するのか?
1 1930–40年代における、存在の歴史の思索の本質とは何か
2 ハイデガーのユダヤに関する言及は存在の歴史に基づいてのみ理解できるのか
その前に、ハイデガーのユダヤに関する言明そのものを知る必要がある
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
引用1
「だがユダヤ人組織が一時的に勢力を増していることは、西洋の形而上学が、とりわけそれが近代において展開してくる中で、これまでは空虚なものとみなされていた合理性や計算能力に対し、それらが蔓延していくための助走の場を提供したことに起因する。こうした合理性や計算能力はこのように形而上学を通じて、「精神」の内に何らかの居場所を手に入れたわけであるが、とはいえこれらは、隠された諸々の決定領域をそのつど自らの手でつかむことができないのである。将来の諸々の決断ならびに問いが根源的にまた始元的になればなるほど、一層、それらはこうした「人種」にとって近寄れないままにとどまる」(GA96, 67)
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
引用2
「帝国主義諸国の「利権」(つまり何らかの法律ないし掟に基づいた権限)の分配という意味でのイギリスとの協調という考えもまた、アメリカニズムとボルシェヴィズムの内部で(ということはつまり同時にまた世界ユダヤ人組織の内部で)イギリスがいま終焉に至らしめつつある歴史的な出来事の本質に契合するものではない。世界ユダヤ人組織の役割を問うことは人種的観点からの問いなどではない。それは、まったく何物にも制約されずにあらゆる存在者を存在から根扱ぎにすることを世界史的な「課題」として引き受けうるような人間存在(Menschentümlichkeit)の種類を形而上学〔との連関〕に鑑みて問うことなのである」(GA96, 121)
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
引用3
「世界ユダヤ人組織は、ドイツから立ち退かされた国外亡命者たちが彼らを指嗾していながら、いたるところでとらえどころがなく、またその勢力の展開にもかかわらず、いずこにおいても戦闘行為に関与せずともすむのである。これに対して〔/対抗するにあたって〕、我々〔ドイツ人〕には、自民族の最上の人々の最上の血を犠牲にすることしか残されていない」(GA96, 121)
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
1について
要約すると:a) ユダヤ人組織が「一時的に勢力を増す」につれて、その姿が私たちの視界に入ってくる
b) ユダヤ人組織の勢力増大は近代の形而上学と連関している。
c) 近代の形而上学にとって特徴的な「空虚な合理性と計算可能性」によって、ユダヤの「勢力の増強」は「計算高い才覚」と結び付いている。
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
1について (a)
近代の歴史は「力への意志」の歴史として具体化してきたそこではあらゆる存在者が作為、あるいは生産の観点からしか現れなくなる。「Die Macht derMachenschaft...」(GA96, 76)
「工作機構 (Machenschaft)と名づける←「総動員」(ユンガー)
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
1について (a)
「工作機構の力神を喪失していることさえも無に帰せしめること、〔現存在としての〕人間を〔理性的動物としての〕動物へと人間化すること(Vermenschung)、大地を利用しつくすこと、世界を算盤勘定に入れること (Verrechnung)-は最終的な状態に移行してしまった。〔いまや〕民族、国家、文化の相違といったものは、かろうじて表層にあらわれているにすぎない。いかなる措置を講じようが、工作機構を抑制し、阻止することは不可能である」
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
1について (a)
<神-人間-大地-世界>は、一切合切「工作機構の力」によって占拠されている
ハイデガーは、工作機構と世界大戦の勃発を関連づけていた
→ 近代の歴史は国家社会主義・ボルシェヴィズム・アメリカ主義に終わるハイデガーは世界大戦が工作機構の自滅になる可能性を考えていたが、それは実現しなかった
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
1について (b)
工作機構の自己展開としての近代形而上学(デカルト→ニーチェ)
近代において存在は主体の意志:意志への意志(ヘーゲル):力への意志(ニーチェ)という形をとる歴史の動きは「歴史的運命」人間の行為に従属するのではなく、近代の存在と存在了解の動向による
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
1について (c)
近代的思考は「空虚な合理性と計算可能性」が特徴的近代科学が数学を道具として、大地を荒廃させ、世界を計量していくデカルト:人間は「自然の主人であり所有者」であるとする
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
1について (c)
ハイデガーはユダヤ人組織を工作機構に組込む:「ことさらに計算高い才覚」ただし、学問や思考に「ドイツ的」「アーリア的」「ユダヤ的」などという区別はないし、不可能だとハイデガーは考えていた
だがそれは、ユダヤ人が「ことさらに」計算高いという言明と矛盾しない
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
1について (c)
「計算的思考」をユダヤ人組織に帰属させる見立てによってこそ、ハイデガーがユダヤ人組織を「工作機構の力」の一契機にすることが可能になる
近代技術の他の事例(国家社会主義など)と並んで、ユダヤ人組織は近代技術の代表とみなされている
ユダヤ人組織を歴史的に組み入れる構想全体が「存在の歴史」的であり、計算をユダヤ人組織に帰属させることが反ユダヤ主義であるならば、
「存在の歴史に基づく反ユダヤ主義」の問題に取り組まなければならない
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
2について
a) 「イギリス」がある「歴史的出来事」のなかで果たしている役割があり、その経過は「強調」によって変えられるものではない。
b) 「世界ユダヤの役割」に「イギリス」その他が関与しているのだが、それらは人種に基づくものではなく、「まったく何物にも制約されずにあらゆる存在者をその存在から根扱ぎにすることを世界史的な「課題」として引き受け」うるような「人間存在の種類を形而上学〔との連関〕に鑑みて問うこと」から生じる二つの言明は根本において結び付きがたい
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
2について (a)
ハイデッガーのイギリス嫌い:経済的に動機づけられた帝国的の実利主義だと思っている(ヒトラーも 1939年に、イギリスに対する蔑視と反ユダヤ主義をまぜこぜにした演説を行っている)
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
2について (b)
ハイデッガーの人種理解はヒトラーのような生物学主義的なものではない「世界ユダヤ」という一種の「形而上学」があることになる
「世界ユダヤ」:制約なくあらゆる存在者を存在から根こそぎにする人間性
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
2について (b)
ハイデッガーの全世界的な地勢図「イギリス」「アメリカニズム」「ボルシェヴィズム」……「つまり」世界ユダヤ人組織であると言われる
ドイツにとっての戦争敵国として現れているしかし、「ドイツ人」と「世界ユダヤ」の戦いは単なる戦争の勝ち負けではないとされる
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
2について (b)
世界ユダヤの代表する人間性:何物にも制約されずに、あらゆる存在者を存在から根こそぎにするということを、課題として引きうける端的な無制約性 ある意味での「自由」……
全世界的な地勢図だけではなく、思考においても世界ユダヤは拘束を受けない。それゆえ、あらゆる存在者を根こそぎにすることが可能
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
2について (b)
存在者を存在から根こそぎにすること
存在と存在者の関係である「存在論的差異」の破壊近代的主観は存在者のみを問題にする
たとえば、マルクスによるヘーゲル形而上学の転換精神は経済の付帯現象に成り下がるマルクス(唯物論者)は存在と存在者の関係を破壊する者、また国家社会主義の源泉とされる
→世界ユダヤは勢力の一つである以上に、惨事の根源であるとされる
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
2について (b)
存在者を存在から根こそぎにすること=「破壊の原理」を課題とする「世界ユダヤ」は何にも制約されない→場所の欠落=遍在。ハイデッガーによれば、「Weltlosigkeit」
1929/30冬学期:生命を持たない自然物はweltlosである
同じというのではないが、「世界との関わりがない」という類比?
あるいは:Weltlosigkeit→ Heimatlosigkeitでは、「故郷」の存在史的把握とは何か?
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
2について (b)
Heimatとは何か? 「故郷とは、住むことを準備する場所へと大地が出来事として性起することである。住むことは存在の到来を見守り、そしてこの到来を見守ること〔である真理〕(Wahr-heit)から初めて、神々と人間はたがいの出会いの領域を受け取ることになる」(GA73.1, 755)「故郷とは存在の真理の歴史的な場所であり、それは大地によって呼ばれ、受け取られ、大地の内に根付かせられ、その中へ匿われている」(Ebd.)
国家共同体や普通の意味での民族とは関係がない存在の真理の歴史的な場所である Ereignisの観点から語られている
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
2について (b)
Heimatとは何か?国家共同体や普通の意味での民族とは関係がない
故郷には場所の根付く「大地」が必要存在の真理 (Ereignis)とは、世界・故郷と大地の闘争の親密さ
故郷と大地とは、そのつどの歴史を明らかにする
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
2について (b)
Heimatとは何か?国家共同体や普通の意味での民族とは関係がない
故郷には場所の根付く「大地」が必要存在の真理 (Ereignis)とは、世界・故郷と大地の闘争の親密さ
故郷と大地とは、そのつどの歴史を明らかにする
存在者を存在から根こそぎにすることは、故郷喪失を助長する関係の破壊に必要な能力が「計算高い才覚」
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
Exkurs
Levinas „Heidegger, Gagarin und wir“ユダヤ教と、ハイデッガーの重大な違いをハイデッゲリアンに向けて解釈ハイデッガーのいう地勢的秩序について、ユダヤ人によるその破壊を是認している
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
Exkurs
場所と結びついていることは、人間を土着と異郷に引き裂くことを意味する→ 技術は場所にまつわる迷信よりも無害である。技術は我々をハイデッガー的な世界、場所についての迷信から解放する
一方、ガガーリンは我々がいかにして場所というものを捨て去ることができるかを示した
「「一時間ほど一人の人間があらゆる地平の外部にいた-彼のまわりにあるものはみな、天空であり、より厳密にいうならば、幾何学的な空間であった。一人の人間が絶対的な同質的空間の内にいたのである」」(Heidegger, Gagarin undwir, 175f.)
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
Exkurs
レヴィナスは、場所を均質な空間によって置き換えるためにユダヤ教を必要としている
ユダヤ教は「諸々の偶像を崇高化せずに、それらを破壊することを要求」したユダヤ教は「技術と同様に、宇宙を非神話化した」己の「抽象的な普遍性」によって、彼らは「諸々の想像や情熱」といったものを傷つけるが、「人間を、その顔がむき出しであることにおいて発見した」
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
Exkurs
レヴィナスとハイデッガーの不気味な一致レヴィナスはまた「破壊」について語っているハイデッガーも、普遍主義から生まれる工作機構の破壊が考えていた
レヴィナスは、ハイデッガーとは別の方向から、「普遍主義的な」ユダヤ人組織とハイデッガーとの対決を扱い、ユダヤ教 VSハイデッガーという二者択一の内へと書き入れている
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
Exkurs
身近な歴史的事実への存在史の応用:イデア論は戦闘機やラジオの大量生産への最初にして最大の一歩であった
大量生産されるものはある共通規格を必要とする→ プラトンのイデア論が「生産」の起源
それゆえ、マルクス主義もまたプラトニズムの一種
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
Exkurs
レヴィナスがヴォストーク一号について、ハイデッガーが戦闘機について語っているのは偶然だろうか?
どちらもハイデッガーによれば「破壊」のために役立つものであり、大地を去って普遍的な空間へと旅立つものユダヤ、プラトニズム、キリスト教はハイデッガーにとってすべて普遍主義の例
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
3について
「世界ユダヤ人組織は、ドイツから立ち退かされた国外亡命者たちが彼らを指嗾していながら、いたるところでとらえどころがなく、またその勢力の展開にもかかわらず、いずこにおいても戦闘行為に関与せずともすむのである。これに対して〔/対抗するにあたって〕、我々〔ドイツ人〕には、自民族の最上の人々の最上の血を犠牲にすることしか残されていない」解釈するためには、コンテクストを知らねばならない
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
3について
手記 3の題名:「惑星的戦争の三年目の初めに」
当時の状況を概括する 10の文章からなる (手記 3は 9つ目)
その前に、「Sofern...」と書かれている
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
3について「したがって史学的にのみ考えて歴史的に思索しないかぎり、また惑星主義〔という語〕を「史学的な」諸々の事件の枠組みを意味するものとしてせいぜいもっぱら地理学的に用いる代わりに、歴史の変転の内へ取り入れて考えるということを依然として行わない限り、つまり常に半分しか真実ではないがゆえに間違っているような「諸々の事実」ばかりを認めている限り、ひとは次の〔10の命題でなされるような〕断言を発したがるのである」
→「……限り」(sofern)は何を意味するか1 制限…帰結はハイデガーの真剣な意見ではない2 譲歩…帰結は「史学的な」「事実」に関心を持つものに向けて書かれている。自分の考えかたを放棄するように見えるが、それは別の考え方に歩み寄るため
ここでは「……限り」が容認の意味で書かれていると解するペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
3について
三つの主体a) 世界ユダヤ:「工作機構の力」を行使するb) 追い出された移住者:世界ユダヤ人組織を指嗾すると言われる
c) 我々。「自民族の最も優れた者の最も優れた知を犠牲とする」と言われる
「移住者」が誰であるかは明らかではないユダヤ人の難民?ドイツ人の国外亡命者?
世界ユダヤは「どこにおいても捉えどころがない」といわれる
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
3について
世界ユダヤ人組織は遍在しかつ捉えられないからこそ強力であるとくに、どこでも戦争行為に関与する必要がないから強力である、と言われる
→どのようにしてそれは可能なのか?
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
3について
ヴォルフガング・ベンツは『反ユダヤ主義とは何か』から:
「世界ユダヤ人組織」という概念がそもそも、『議定書』におけるい「ユダヤ人による世界陰謀」の作り話と関係している
『議定書』は反ユダヤ主義の絶対的な参照点としての性格」を備えている
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
3について
シオンの賢者の議定書「非ユダヤ国家が私たち [ユダヤ人]に歯向かおうとするならば、私たちはすぐさま、この国と一戦を交えるようにその近隣諸国をけしかけることができる。だがもしこうした近隣諸国が当該国と一緒になって私たちに対抗しようとする場合には、世界大戦を勃発させねばなるまい」
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
3について
『議定書』の作り話の罠にひっかかるのに、ハイデガーがそれを読んでいる必要は全くなかった
この作り話は国家社会主義によるプロパガンダを構成するものであったから
1939年 1月 30日に行われたヒトラーの演説でも:「かりに欧州内外の国際金融ユダヤ人組織が、諸民族をもういちど世界大戦のうちへと陥れることに成功しようものなら、その結果として生じるのは、地球全体のボルシェヴィズム(共産主義)化やユダヤ人組織の勝利などではなく、欧州におけるユダヤ人種の絶滅であろう」
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
3についてハイデガーの「世界ユダヤ人組織」についての発言の背景
ヒトラーの演説にかねてより注目していたヒトラーの発言は『議定書』に基づいて語り出されている
ハイデガーの憶測:「世界ユダヤ人組織」は国際的に活動する勢力になっている勢力は特定の姿(イギリス、アメリカ、ソ連)を隠れ蓑にするため、それそのものとして現れる必要はない
ハイデガーは世界ユダヤ人組織にドイツ民族の敵を見出している:「これに対抗するにあたって、我々〔ドイツ人〕には、自民族の最上の人々の最上の血を犠牲にすることしか残されていない」
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
普遍主義は近代のもつ性質近代的主観はあらゆる史学的な決定から自らを解放この主観は事実、「何物にも拘束されていない」……技術、資本、メディアのもつ全世界的な構造と結びついているがゆえに
近代の特質である構造の普遍性へと近代的主観が結びついているという想定することは、反ユダヤ主義的な諸々のステレオタイプの鳴り響きの一つのように聞こえる可能性がある
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
ルナン:「ユダヤ人組織は、過去にはとても役立ったのであるが、この組織は将来にもなお役立つだろう。この組織は、自由主義の、つまり近代精神の真なる原因となるに適しているだろう。ユダヤ人はみな自由主義的である […]。ユダヤ人はその本質からして自由主義的なのである。だがユダヤ人組織の諸々の敵、彼らをじっくり見るとそれだけで、こうした敵が一般に近代精神の敵であるということが見えてくる」
ユダヤ人組織が「近代」の一つの代表であるという
こうした観点からは、反ユダヤ主義者は反近代主義者
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
ハイデッガーは「近代(Moderne)」を使うとき、引用符に入れて使う……ここでは批判的な意味合い
「古代」・「中世」・「近世」のつぎに来る、積極的に規定する意味のある 4番目の時代というものがあるのかは、ハイデッガーによれば疑わしい
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
「世界ユダヤ人組織」はハイデッガーにとって1. 「世界を欠いていること」:ユダヤ人組織が生活および思考に関して全世界的に分散していること
2. 「第一の始元」に関する根源の喪失:ギリシア人との関係を欠いていることと、近世(Neuzeit)の「計算的思考」への融合との平行関係
3. 「破壊の原理」:「工作機構」と完全に同一視されうるということ
3つの意味はみな連関しつつ一つの意味の領域を形成する
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
「世界ユダヤ人組織」に与えられた意味の領域は、近代(Moderne)の時代的な意味にも属する:
近代的主観は、全世界的な資本の動きに妨害なく追従できるように、国家的ないし民族的な決定から解放されるイデオロギー的・政治的・宗教的・美的・道徳的決定が、全世界的に生を企投するという技術的、実際的な前提の背後に隠れているという考えから出発している
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
ハイデッガーは近代的主観をユダヤ人組織と取り違えていたのか? 否。
「存在の歴史に基づく反ユダヤ主義」を「存在の歴史に基づく反近代主義(アンチモダニズム)」へとずらすことは許されない
むしろユダヤ人組織を「近代精神」と同一視すること自体が反ユダヤ主義的
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代
とはいえ、「存在の歴史に基づく反ユダヤ主義」が「存在の歴史に基づく反近代主義」の諸動向を有しているという解釈は矛盾がない
両者の結びつきの影響は憂慮されるべき
今日において自由は、近代に特有な全世界規模の差異の消滅に対して距離を取ることの内にある
こうした自由はハイデッガーと共にばかり考えられるのではなく、ハイデガーに対抗する仕方でも考えられるべき
ペーター・トラヴニー ハイデッガー「世界ユダヤ人組織」と近代