2
ストレス・マネジメント教育に関する研究 ~認知的コーピング理論の青年期の生徒への活用~ 者 茅根 指導教員 日下 裕弘 キーワード:ストレス・マネジメント教育、認知的コーピング、セルフトーク転換法、青年期 1. 緒言 現代社会はストレス社会と言われており、スト レスに対処すること、いわゆるストレスコーピン グが肝要である。学校教育においてもますます、 心の健康が重要視されている。学校教育の中で教 師が介入する方法としてストレス・マネジメント 教育があり、主に身体を使ったリラクゼーション 技法が採用されている。体育の「体ほぐしの運動」 がそのひとつである。学習指導要領の改訂で「体 ほぐしの運動」が重要視されてきているのは確か である。ところが、「認知的なストレス軽減」への 試みが乏しい。 本研究は、ストレス・マネジメント教育におけ る認知的コーピング理論の独自性と有用性を提示 し、それらを青年期の生徒に適用するための要点 を整理・考察することを目的としている。 2. ストレス・マネジメント教育 2-1 竹中 2) のストレス・マネジメント教育 竹中によれば、ストレス・マネジメント教育と は、ストレスに対する自己管理を効果的に行える ことを目的とした働きかけであり、ストレスの本 質を知り、自己の特性、ストレス耐性を理解し、 ストレスの成立を未然に防ぐ手段を習得させるこ とを目指した健康教育としている。 ストレス反応は個人のストレスに関与する諸特 性と刺激や経験との相対的な関係で生じるので、 個人のストレス関連諸特性(ストレス耐性)をあ らかじめ強化しておくことにより、ストレスをは ねのけることが可能になる(図 1)。 1 ストレス・マネジメント教育の役割 2-2 山中と富永 4) のストレス・マネジメント教育 山中らは、ストレス・マネジメント教育を、ス トレスに対する自己コントロールを効果的に行え るようになることを目的とした教育的なはたらき かけ、と定義しており、竹中の定義に対し、スト レス対処法を習得しても実際に生活の中でそれが 活用されなければ、予防としての効力は発揮され にくくなると指摘している。段階としては、「スト レスの概念を知る→自分のストレス反応に気づく →ストレス対処法を習得する→ストレス対処法を 活用する」という流れになる、活用に関しては図 2 のようなモデルになる。 2 ストレス・マネジメント教育モデル 2-3 ストレス・マネジメント教育の先行事例 4) 1) スウェーデンの例 スウェーデンは健康教育を非常に重視している 国であり、1994 年に発表された新スウェーデン高 等教育ガイドラインでは、ストレス・マネジメン ト教育が必修として課されている。 スウェーデン・エレブロ市のメルリンゲ小学校 では、自分専用のキャンピング・マットを教室の 中の好きな場所に敷いて、各自思い思いの姿勢で 漸進性弛緩法によるリラクセーションと、安心感 や自信を与える言語暗示を活用したテープを聴く。 2) アメリカの例 アメリカでは州単位で学習指導要領が異なる。 カンザス州の学校では、“feel good about me”(自分 を快適に感じよう)と呼ばれるストレス・マネジ メントカリキュラムが用意されている。プログラ ムの内容は、①ストレスの概念を理解する活動② ストレスによる身体の変化に気づく活動③リラク ゼーション技法の学習活動の 3 つである。 3) 日本の例 健康教育という観点からいち早くストレス・マ ネジメント教育に取り組んだのは竹中らであり、 それに触発されていくつかの地域で教育的実践が 試みられている。授業例としてはアメリカの内容 とさほど変わりはないが、彼らは小学校 3 年生 1 クラスで 3 週間に計 3 回の授業を行い、その授業 の前後で子どもの状態不安得点が低下することを 明らかにし、ストレス・マネジメント教育の必要 性と効果を指摘している。 3. コーピング理論 3-1 ラザルスとフォルクマン 5) のコーピング理論 ラザルスとフォルクマンは人がストレス刺激を 受けてからそれを対処する過程や適応に関する理 論的枠組みを図3のように示した。大まかな流れ として、「原因となる先行条件→媒介過程(プロセ ス)・時点・出来事との遭遇→短期的変化・直後の 変化→長期にわたる影響」という流れになる。

ストレス・マネジメント教育に関する研究 ~認知的 …sport.edu.ibaraki.ac.jp/semi/2011/24chinone.pdfストレス・マネジメント教育に関する研究 ~認知的コーピング理論の青年期の生徒への活用~

  • Upload
    others

  • View
    0

  • Download
    0

Embed Size (px)

Citation preview

Page 1: ストレス・マネジメント教育に関する研究 ~認知的 …sport.edu.ibaraki.ac.jp/semi/2011/24chinone.pdfストレス・マネジメント教育に関する研究 ~認知的コーピング理論の青年期の生徒への活用~

ストレス・マネジメント教育に関する研究

~認知的コーピング理論の青年期の生徒への活用~ 発 表 者 茅 根 直

指導教員 日下 裕弘 キーワード:ストレス・マネジメント教育、認知的コーピング、セルフトーク転換法、青年期

1. 緒言

現代社会はストレス社会と言われており、スト

レスに対処すること、いわゆるストレスコーピン

グが肝要である。学校教育においてもますます、

心の健康が重要視されている。学校教育の中で教

師が介入する方法としてストレス・マネジメント

教育があり、主に身体を使ったリラクゼーション

技法が採用されている。体育の「体ほぐしの運動」

がそのひとつである。学習指導要領の改訂で「体

ほぐしの運動」が重要視されてきているのは確か

である。ところが、「認知的なストレス軽減」への

試みが乏しい。

本研究は、ストレス・マネジメント教育におけ

る認知的コーピング理論の独自性と有用性を提示

し、それらを青年期の生徒に適用するための要点

を整理・考察することを目的としている。

2. ストレス・マネジメント教育

2-1 竹中 2)のストレス・マネジメント教育

竹中によれば、ストレス・マネジメント教育と

は、ストレスに対する自己管理を効果的に行える

ことを目的とした働きかけであり、ストレスの本

質を知り、自己の特性、ストレス耐性を理解し、

ストレスの成立を未然に防ぐ手段を習得させるこ

とを目指した健康教育としている。

ストレス反応は個人のストレスに関与する諸特

性と刺激や経験との相対的な関係で生じるので、

個人のストレス関連諸特性(ストレス耐性)をあ

らかじめ強化しておくことにより、ストレスをは

ねのけることが可能になる(図 1)。

図 1 ストレス・マネジメント教育の役割

2-2 山中と富永 4)のストレス・マネジメント教育

山中らは、ストレス・マネジメント教育を、ス

トレスに対する自己コントロールを効果的に行え

るようになることを目的とした教育的なはたらき

かけ、と定義しており、竹中の定義に対し、スト

レス対処法を習得しても実際に生活の中でそれが

活用されなければ、予防としての効力は発揮され

にくくなると指摘している。段階としては、「スト

レスの概念を知る→自分のストレス反応に気づく

→ストレス対処法を習得する→ストレス対処法を

活用する」という流れになる、活用に関しては図 2

のようなモデルになる。

図 2 ストレス・マネジメント教育モデル

2-3 ストレス・マネジメント教育の先行事例 4)

1) スウェーデンの例

スウェーデンは健康教育を非常に重視している

国であり、1994 年に発表された新スウェーデン高

等教育ガイドラインでは、ストレス・マネジメン

ト教育が必修として課されている。

スウェーデン・エレブロ市のメルリンゲ小学校

では、自分専用のキャンピング・マットを教室の

中の好きな場所に敷いて、各自思い思いの姿勢で

漸進性弛緩法によるリラクセーションと、安心感

や自信を与える言語暗示を活用したテープを聴く。

2) アメリカの例

アメリカでは州単位で学習指導要領が異なる。

カンザス州の学校では、“feel good about me”(自分

を快適に感じよう)と呼ばれるストレス・マネジ

メントカリキュラムが用意されている。プログラ

ムの内容は、①ストレスの概念を理解する活動②

ストレスによる身体の変化に気づく活動③リラク

ゼーション技法の学習活動の 3つである。

3) 日本の例

健康教育という観点からいち早くストレス・マ

ネジメント教育に取り組んだのは竹中らであり、

それに触発されていくつかの地域で教育的実践が

試みられている。授業例としてはアメリカの内容

とさほど変わりはないが、彼らは小学校 3 年生 1

クラスで 3 週間に計 3 回の授業を行い、その授業

の前後で子どもの状態不安得点が低下することを

明らかにし、ストレス・マネジメント教育の必要

性と効果を指摘している。

3. コーピング理論

3-1 ラザルスとフォルクマン 5)のコーピング理論

ラザルスとフォルクマンは人がストレス刺激を

受けてからそれを対処する過程や適応に関する理

論的枠組みを図3のように示した。大まかな流れ

として、「原因となる先行条件→媒介過程(プロセ

ス)・時点・出来事との遭遇→短期的変化・直後の

変化→長期にわたる影響」という流れになる。

Page 2: ストレス・マネジメント教育に関する研究 ~認知的 …sport.edu.ibaraki.ac.jp/semi/2011/24chinone.pdfストレス・マネジメント教育に関する研究 ~認知的コーピング理論の青年期の生徒への活用~

図 3 ストレス、対処と適応に関する理論的枠組み

3-2 島津 1)のコーピング理論

ラザルスのコーピング理論を簡略化したのが島

津のコーピング理論である。図 4 は、島津の心理

学的ストレスモデルの概要を示したものである。

ラザルス理論との差異は、評価と急性ストレス反

応とコーピングをサイクル化しているところであ

る。そのサイクルの中で、コーピングに失敗する

と慢性的なストレス反応がにじみ出てくる。

図 4 心理学的ストレスモデル

3-3 田中 3)の認知的コーピング術

田中はラザルス理論などを基にした発展的・具

体的なコーピング術を確立させ、実際に実生活で

使えるようなコーピング術を提案している。

その中で、最も田中が重視しているのが「セル

フトーク転換法」である。セルフトークとは、「自

分の心の中のひとりごと」のことをいい、ストレ

ス刺激を受けたときに心の中で自分自身につぶや

いていることのことをいう。人には、刺激を受け

た際に感じる評価のクセ(思い込みのクセ)があ

り、自分の思い込みのクセを知り、普段自分がど

のようなセルフトークをしているのかに気づくこ

とが大事である。そして、思い込みのクセからで

る「刺激に対するマイナスのセルフトーク」を転

換していくのが「セルフトーク転換法」なのであ

る。なぜなら、マイナスのセルフトークを無意識

にでも続けていると、そのこと自体が、思い込み

のクセをさらに増大させ、自分をストレスに追い

込んでしまうからである。セルフトーク転換法の

流れは①自分のセルフトークに気づく②書き出し

てみる③自分にマイナスなものを仕分けする④ネ

ガティブなものは良いものに変えていく、となる。

4. 考察

4-1 コーピング理論の要点~認知的側面を中心

に~

ラザルスのコーピング理論での要点は、コーピ

ングを「プロセス」として捉えることにある。そ

れは、「特定の条件であったり、様々な状況に応じ

て、時間の経過とともに変化していくもの」であ

り、「意識的」にコーピングと向き合い、そのプロ

セスを変えていくことにある。

島津のコーピング理論での要点は、評価と急性

ストレス反応とコーピングをサイクル化している

ところにある。評価をし、ストレスフルならコー

ピングを行い、再評価(フィードバック)をして

最終的に無関係、無害-肯定的関係に持っていこう

とする。(失敗してしまうと慢性的ストレスとして

にじみ出てしまう。)

田中のコーピング理論の要点は、「客観的に自分

を見つめ直すこと」であり、自分を知り、自分の

考え方や行動を見直し、変えていくきっかけとし

て「セルフトーク転換法」がある。

4-2 中学校における認知的コーピングの適用

認知的なコーピングを授業に適用する場合、保

健体育以外にも総合的な学習の時間や、学級活動

の時間、または道徳の時間に活用することも効果

的であると考える。ストレス・マネジメント教育

の概念の中に、田中の「セルフトーク転換法」を

土台にしたような授業を展開していくことが好ま

しい。しかし、思春期でもあり、多感でもある青

年期の生徒に自分のことを考えさせる難しさがあ

る。認知的なコーピングはすぐに結果が出ないほ

か、主体的に行わないと意味がない。いかに生徒

に興味を持たせ、主体的に取り組ませ、自分を客

観的にみることができるかが重要である。そのた

めに例えば、生徒たちが関心のある分かりやすい

トピックスとして著名なアスリートが行っている

わかりやすいコーピングの話を抜粋し紹介するこ

とにより、意欲をもたらすことが考えられる。そ

うして、早い時期から自分のことを見つめ、客観

的に問題と向き合う習慣を身につければ、ストレ

スを軽減するということ以外に、今後の人格形成

に関して有意な結果が望めるのではないか。それ

が、身体的なコーピングでは望めない認知的コー

ピングの独自性であり有用性である。

5. 今後の課題

生徒たちに合った「コーピング」のあり方を、

実践を通して探究していくことが、今後の大きな

課題である。

6.文献

1) 島津明人(2006):ストレスと健康の心理学 小

杉正太郎〔偏〕,朝倉書店,23-26

2) 竹中晃二(1997):子どものためのストレス・

マネジメント教育,北大路書房,2,37

3) 田中ウルヴェ京(2008):コーピングの教科書,

インデックスコミュニケーションズ,6-75

4) 山中寛・富永良喜(2000):動作とイメージに

よるストレスマネジメント教育 基礎編,北大

路書房,9-20

5) リチャード・S・ラザルス、スーザン・フォル

クマン(1991):ストレスの心理学 認知的評

価と対処の研究,実務教育出

版,33-39,155-159,308-311 ,他