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研究情報子ども社会研究6号./owTzalqfCh"dS奴の,Vol.6,June,2000:12'I26 「学力問題」へのアプローチ 階層とマイノリティの視点から 原田彰 1.はじめに 最近の学力低下をめく、る議論は、国際比較学力調査の良好な結果に満足してきた日本の社 会に、久し振りに「学力問題」への関心を呼び覚ましたという点で、きわめて注目すべきも のである。小中学生のみならず大学生の学力の低下が指摘され、大学入試のあり方や初等中 等教育の内容・方法が問い直されている。一方、これまでの教育政策(たとえば学習指導要領 の改訂)の点検やこれからの教育改革のあり方(たとえば「生きる力」や「総合的な学習の時間」 など)の検討を、十分なデータにもとづく学力の実態把握なしに行っていることが、批判の 対象となっている。 筆者も、学力に焦点を当てた教育政策の点検と教育改革の議論が必要であり、そのために は、学力の実態を示すデータが不可欠である、と考える。しかし、その場合、これらのデー タは、階層的不平等とマイノリテイ差別の視点から学力をとらえる、という側面を含むもの でなければならないだろう。いろいろな調査研究によれば、日本の社会は、根強い中流意識 の広がりにもかかわらず、現実には階層化された社会である(今日その傾向は一層強まりつつあ る)と同時に、種々のマイノリテイ(たとえば被差別部落、アイヌ、在日韓国・朝鮮人、ニュー・ カマーなど)を含む社会でもある。そして親の職業や学歴などで示される階層とマイノリテ イ・グループとが、教育達成(学歴取得)に影響を与える要因であり続けていることは、否定 できないように思われる。 本稿では、このような視点を強調することによって、子ども社会と大人社会をつなぐ、接点 に位置づけられる「学力問題」について考えてみたい。階層化された大人社会を生きていく うえで、子ども時代に身につける「学校的ハビトウス」(宮島喬,藤田英典、1991)にもとづく 学力のありようが、どのような意味を持つかについては、つねに検討することが必要なので はなかろうか。 なお、ここでいう「学力」とは、すでに1960年代に出されていた教育学者の定義によれば、 「成果が計測可能なように組織された教育内容を、学習して到達した能力」(勝田守一、1962, p.24.)であり、「測定された学業達成(academicachievement)」と言い換えてもよい。とくに、 その基礎的な部分は、何を基礎と考えるかは時代や社会によって異なり、一定の社会の中で も議論が分かれることがあるとしても、「基礎学力」として重視される。もちろん、「測定可 能でない能力はどうなるのか」とか、「知識だけでなく、問題解決能力が必要だ」とか、「学 (はらだ。あきら広島大学) 120

「学力問題」へのアプローチ...必要があることは、日本の被差別部落の低学力問題(=低い学業達成lowacademicachievementの 問題)を見れば明らかであろう。部落差別がマイノリテイ差別であることは、いうまでもな

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Page 1: 「学力問題」へのアプローチ...必要があることは、日本の被差別部落の低学力問題(=低い学業達成lowacademicachievementの 問題)を見れば明らかであろう。部落差別がマイノリテイ差別であることは、いうまでもな

研究情報子ども社会研究6号./owTzalqfCh"dS奴の,Vol.6,June,2000:12'I26

「学力問題」へのアプローチ

階層とマイノリティの視点から

原田彰

1.はじめに

最近の学力低下をめく、る議論は、国際比較学力調査の良好な結果に満足してきた日本の社

会に、久し振りに「学力問題」への関心を呼び覚ましたという点で、きわめて注目すべきも

のである。小中学生のみならず大学生の学力の低下が指摘され、大学入試のあり方や初等中

等教育の内容・方法が問い直されている。一方、これまでの教育政策(たとえば学習指導要領

の改訂)の点検やこれからの教育改革のあり方(たとえば「生きる力」や「総合的な学習の時間」

など)の検討を、十分なデータにもとづく学力の実態把握なしに行っていることが、批判の

対象となっている。

筆者も、学力に焦点を当てた教育政策の点検と教育改革の議論が必要であり、そのために

は、学力の実態を示すデータが不可欠である、と考える。しかし、その場合、これらのデー

タは、階層的不平等とマイノリテイ差別の視点から学力をとらえる、という側面を含むもの

でなければならないだろう。いろいろな調査研究によれば、日本の社会は、根強い中流意識

の広がりにもかかわらず、現実には階層化された社会である(今日その傾向は一層強まりつつあ

る)と同時に、種々のマイノリテイ(たとえば被差別部落、アイヌ、在日韓国・朝鮮人、ニュー・

カマーなど)を含む社会でもある。そして親の職業や学歴などで示される階層とマイノリテ

イ・グループとが、教育達成(学歴取得)に影響を与える要因であり続けていることは、否定

できないように思われる。

本稿では、このような視点を強調することによって、子ども社会と大人社会をつなぐ、接点

に位置づけられる「学力問題」について考えてみたい。階層化された大人社会を生きていく

うえで、子ども時代に身につける「学校的ハビトウス」(宮島喬,藤田英典、1991)にもとづく

学力のありようが、どのような意味を持つかについては、つねに検討することが必要なので

はなかろうか。

なお、ここでいう「学力」とは、すでに1960年代に出されていた教育学者の定義によれば、

「成果が計測可能なように組織された教育内容を、学習して到達した能力」(勝田守一、1962,

p.24.)であり、「測定された学業達成(academicachievement)」と言い換えてもよい。とくに、

その基礎的な部分は、何を基礎と考えるかは時代や社会によって異なり、一定の社会の中で

も議論が分かれることがあるとしても、「基礎学力」として重視される。もちろん、「測定可

能でない能力はどうなるのか」とか、「知識だけでなく、問題解決能力が必要だ」とか、「学

(はらだ。あきら広島大学)

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「学力問題」へのアプローチ:原田

力だけでなく、生きる力が大事だ」といった議論は、つねにつきまとうものである。しかし、

最初の確実な立脚点は、やはり上記の意味での「学力」に求められるべきであろう。このこ

とは、決してそれらの議論を無視してよいということではない。知識の有無を測定するだけ

でなく、思考力や問題解決能力を測定するためのテストを工夫したり、意欲や態度について

も観察・評定することができる調査方法の開発が必要であることは、いうまでもない。

2.階層的不平等とマイノリティ差別

かつて教育社会学者Corwin(1965)は、アメリカ社会の階層構造分析のために、次のよう

なモデルを提案した。図は、アメリカにおける社会階層をモザイク状に表示(例示)したも

のである。水平線は、職業・収入・威信などによって分けられる通常の階層区分(上の上、上

の下、中の上、中の下、下の上、下の下)である。ピラミッド(ABC)の外側の点線は通常の社

会システムの外部にある地位を示す(上流階層の犯罪者、教師の権力的地位、ビート族など)。ピ

ラミッドの内側の点線(垂直線)は、各社会階層のメンバーのエスニック・グループの背景

を表わす。こうしたエスニックな背景は、階層システムを上昇すると消失する場合もあれば、

カースト的禁制によってあるレベル以上には階層的に上昇できない要因となる場合もある。

個人や集団は、経済的地位、威信、社会的権力の相対的配置によって位置づけられる。図の

中の教師の威信はその経済的地位よりも高く、その権力は通常の社会の外部に描かれる。ま

た図の三角形の大きさは、地位の一貫性の度合を表わす。たとえば医師の場合、小さな三角たとえば医師の場合、小さな三角

形は高い水準の地位一貫性

を示す。さらに図から視覚

的にはとらえられないが、

職業とエスニック・グルー

プとの交差によって、たと

えば南部の黒人の教師とニ

ュー.イングランドの私立

学校の教師とが区別され

る。

この教育社会学のテキス

トは、公民権法成立(1964)

直後に出版された35年も前

のものであり、今日から見

ると、問題を含んでいるか

もしれない。しかし、少な

くとも、水平線で区分され

る通常のタテの階層と垂直

線で区分されるエスニシテ

ィにもとづくヨコの階層と

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子ども社会研究6号

の区別は、今なお有効な分析枠組みを提供しているように思われる。ここでは、前者を階層

的不平等、後者をマイノリティ差別ととらえたい。ただし、マイノリテイについては、今日

では、エスニシテイだけでなく、ジェンダー、社会的身分、障害者などを考慮する必要があ

る。なお、階層的不平等を階級差別と見なすこともできるが、この点は保留しておきたい。

またマイノリテイ差別については、「複合差別」(上野千鶴子,1996)に目を向けることも必要

であろう。さらに、「機会の平等」と「結果の平等」についても論じる必要があるが、ここ

では、「機会の不平等」の現実の分析と「結果の不平等」の正当性の問題がきわめて重要で

あることを指摘するにとどめておきたい。

学力問題を社会階層の視点から考えようとするとき、上述のタテとヨコの区分を考慮する

必要があることは、日本の被差別部落の低学力問題(=低い学業達成lowacademicachievementの

問題)を見れば明らかであろう。部落差別がマイノリテイ差別であることは、いうまでもな

い。同和対策審議会答申(1965)は、「同和問題は、日本民族、日本国民のなかの身分的差別

をうける少数集団の問題である。」と定義し、「劣悪な生活環境、特殊で低位の職業構成、平

均値の数倍にのぼる高率の生活保護率、きわだって低い教育文化水準など同和地区の特徴と

して指摘される諸現象は、すべて差別の具象化である。」という見方を提起した。さらに同

答申は、実態調査にもとづいて、「学校教育における児童生徒の学業の不振」を指摘し、具

体的方策の一つとして「学力向上措置」を挙げた。こうした特別措置と、アメリカの公民権

法にもとづくマイノリテイに対するアファーマテイブ・アクションとは、具体的施策ではか

なり異なるとはいえ、その精神において共通の性格を持っていた。またこの法的措置を実現

するうえで、部落解放運動と黒人解放運動が大きな役割を果たした点でも、共通性が見出さ

れる。これら2つの運動や対策による低学力克服のための取り組みの成果と問題点について

比較検討することは、それ自体、重要なテーマであろう。

日本の被差別部落の場合、今日、上述のような実態的差別はかなり解消されてきたことが

指摘される一方、部落コミュニティ内部の階層分化が起こっているともいわれる。それは、

水平線で区分されるタテの階層から見た被差別部落の人々のありようを視野に入れる必要性

を示すものであるかもしれない。しかし、マイノリティとしての部落コミュニティ固有の文

化が、タテの階層文化に解消してしまうことができない側面を持つこともまた、否定できな

いであろう。被差別部落の人々の中にタテの階層の上位に位置づけられる人がいるとしても、

その人は個人としてそのように見られるのではなく、ソトからは一括して部落の人と見なさ

れてきたのである。ちなみに、被差別部落を「カーストライク・マイノリテイ」(Ogbu,1978,

鍋島祥郎、1993)としてとらえる見解もある。長年にわたる差別によって形成されたカースト

バリアーは、部落コミュニティ内部の共同体的性格を保持するとともに、タテの階層文化に

還元できない固有の文化を生み出してきたと考えられる。こうした部落コミュニティの中の

子どもへのアプローチには、独自の視点が必要となるのではなかろうか。アイヌ、在日韓

国.朝鮮人、ニュー・カマーなどについても、それぞれ独自の視点からのアプローチが必要

であることは、いうまでもないであろう。

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「学力問題」へのアプローチ:原田

3.マイノリティの学力問題一被差別部落の場合一

日本における種々のマイノリテイの学業達成や教育達成を明らかにした研究は、決して多

くはない。その中で、被差別部落(同和地区)に関しては、例外的に少数の研究者たちによっ

て、低い教育達成や低学力が問題にされてきた。もちろん、昭和40年代以降の同和対策によ

って、学力向上を促す要因が生まれてきたことも否定できないが、依然として学力格差が存

在し続けていることも事実である。

ここでは、被差別部落の児童・生徒の低学力の要因をめぐる議論の概略を見ることにしよ

う。昭和40年頃までは、不就学・長欠への取り組みの中で、経済的要因に目が向けられるこ

とが多かった。「差別と貧困の同居」(同対審答申)がもたらす学習環境の不備が低学力を生ん

でいる、という見方である。その後、「特殊で低位な職業構成」(同対審答申)などによって特

徴づけられる閉ざされた機会構造が同和地区の子どもの教育機会を奪ってきた、という歴史

性を帯びた事実に目が向けられるようになる。しかし、実際には、直接目に見える「家庭に

おける生活習慣の乱れ、生活規律の欠如、セルフ・コントロールのなさ、しつけの不在、親

の教育関心の低さ」や「閉鎖的な生活圏の中での言葉づかいの荒さ、コミュニケーション能

力の低さ、幼児期の絵本の読み聞かせなどの欠如、書き言葉を使う習慣の欠如」などが問題

にされることが多かった。たしかに、これらの事柄はきわめて目につきやすいのであるが、

こうした見方が、「部落は低位である」とか「部落の文化には欠陥がある」という、部落外

の人(とりわけ教師など)が部落を低位に見るまなざしとなる恐れも指摘され、「欠陥文化仮

説」や「文化剥奪論」をのりこえる方向が求められてきた。この点では、ラベリング理論

(「教師が否定的に反応しがちな生徒層は、下層階級やマイノリテイ・グループに偏る傾向がある」など

と指摘した)が果たした役割も無視できないであろう。

今日、もっとも注目されるのは、「学校文化」と「部落の文化」が不連続であるとする

「文化的不連続説」である。この考え方自体は、日本では、たとえば、Bernstein(1971)の言

語コード論などによって早くから知られていたが、もともとイギリスの「労働者階級文化」

と「学校文化」の不連続を問題にしたものであり、長い間、被差別部落の低学力問題に適用

されることはなかった。今津孝次郎(1991)は、この「文化的不連続説」に立ち、、調査結果

にもとづいて、「部落」サブカルチャーの特徴として、①家庭へのコミットメント(部落の子

どもは学校よりも家庭を暖かい居場所と感じ、学校によって期待される生活にはコミットしにくい)、

②現状肯定性(「今を生きる」という現在志向が強く、将来のことはあまり気にしない)、③親和性

(愛他主義の傾向。業績達成主義によって貫徹される今日の学校の成績をめぐる競争とは並存しがたい文

化)を挙げ、これらが「差別のなかで閉ざされてきた貧しい生活を余儀なくされてきた過去

の歴史を抜きにして考えることはできない」と指摘するとともに、このような「部落」サブ

カルチャーが急激に変化しつつある状況にも目を向けている。

低学力の要因を何に求めるかについては、池田寛(1987)が指摘するように、「①不平等な

機会構造」と「②同和地区の文化」という2つの立場があるが、志水宏吉(1991)は両者が

因果的に関連していることを強調している。

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子と曇も社会研究6号

また、最近の被差別部落の変化について、とくに学力問題との関連で注目されるのは、①

学力の二極分化(一部の成績上位層と高い比率の下位層に分かれる傾向)、②地区の子どもの自分

専用のテレビ、ビデオなどの所有率が地区外よりも高いこと、③地区の子どものテレビ視聴

時間が相対的に長く勉強時間が短いこと、などである。①については、親の職業.学歴など

から見た階層分化が進んでいることが推測されるが、”については、遅れて「豊かな社会」

に参入した被差別部落が、消費社会のマイナスの波を直接受けやすいことが指摘されている。

ところで、苅谷間ll彦(1997)は、同和地区の子どもの学力データの再分析をもとに、「地

区一地区外の違いが学力に及ぼす影響」と「親の職業.学歴などの階層差が学力に及ぼす影

響」を区別し、後者が無視できない強さを持つことを指摘した。そのうえで、これまでの日

本では、一方では、部落差別による学力格差を特別の不平等問題として取り上げ、地区の子

どもの家庭的背景が学力に与える影響を問題にしながら、他方では、学力差にもとづく子ど

もの序列化を「差別」と見なすことによって、実際に学力格差を生み出す要因となっている

家庭的背景(親の職業や学歴など)に目を向けることをタブー視する、という「不平等」をめ

ぐるダブル・スタンダードがつくられてきた、と論じた。この問題提起は、筆者が関心を持

つ「階層的不平等とマイノリテイ差別」の問題を考えるとき、きわめて興味深い視点を与え

てくれるように思われる。しかし、筆者は、マイノリテイとしての部落コミュニティに焦点

を当てた研究が一層深められるべきであり、こうした「マイノリティ差別」研究は「階層的

不平等」研究に解消されてはならない、と考える。この点からすれば、(コミュニティの外に広

がる多様な部落民のあり方を無視することはできないが)属地的に定義されセグリゲーテツド.コ

ミュニティとして存在する被差別部落という「地域」にまずは注目すべきだ、という鍋島祥

郎(1997)の指摘は、重要なのではなかろうか。

とはいえ、日本の教育界では、家庭的背景に目を向けることをタブー視する傾向は、依然

として強い。教育現場では子どものプライバシーを擁護すべきであるが、しかし、社会の階

層化が教育や学力に与える影響を正視することなしには、学力格差をのりこえるための取り

組みが始まらないことも、たしかであろう。

4.おわりに

ある被差別部落の父親が次のように語ったことがある。「気がかりなことは、その時々の

「子どもの学力」によって親の気持ちが左右されている現実に出会うことです。その時々の

「学力遅滞」を指摘されることによって、あらかじめ「親としてのあきらめ」『子どもたちが

遅れを取り戻すことへの断念」が用意きれてしまうことを実感します。」だが、父親はさら

に言う。「同和対策事業が収束の方向にある今日、住民個々の「自らの手による獲得」の実

現が求められます。もちろん、私たちの力量不足は否めず、教育行政、現場の協力を頂くこ

との継続が必要かとは考えます。私たちの側にとっては「学校に依存する」ことからの脱却、

教育現場からは「学校が請け負う、または家庭に突き返す」ことからの脱却が必要かと思い

ます。問題解決に向かって「協同jする仕組みが語られることを願っています。」こうした

願いに応えるための研究のあり方が求められている。

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「学力問題」へのアプローチ:原田

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『学校文化一深層へのパースペクティブ』、東信堂

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(18)解放教育研究所編(1992)『解放教育』No291.(特集.いま学力問題で何が大切か)、明治図書.

(19)鍋島祥郎(I993)「『部落』マイノリテイと教育達成-J.Uオグブの人類学的アプローチを手がか

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(21)苅谷剛彦(1995)「大衆教育社会のゆくえ』、中央公論新社.

(22)鐘ケ江晴彦(1995)「同和教育と人権」、「教育学研究』第62号、第3号.

(23)高田-宏(1996)「学力実態調査とこれからの学力保障」、部落解放研究所編『地域の教育改革と学

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(24)原田彰、村沢昌崇(1996)「学力問題へのアプローチ(1)-同和地区の家庭環境に着目して」、『広島

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(25)志水宏吉(I996)「学校=同化と排除の文化装置一被差別部落民の経験から」岩波講座・現代社会

学12『こどもと教育の社会学』、岩波書店.

(26)上野千鶴子(1996)「複合差別論」、岩波講座・現代社会学15『差別と共生の社会学j、岩波言店.

(27)原田彰、白松賢(1997)「学力問題へのアプローチ(2)-同和地区生徒の低学力要因の検討」、『広

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子ども社会研究6号

島大学教育学部紀要』第一部(教育学)第46号.

(28)原田彰、西本祐輝(1997)「学力問題へのアプローチ(3)-学級文化の学力への影響に着目して」、

『広島大学教育学部紀要』第一部(教育学)第46号.

(29)苅谷剛彦(1997)「教育における不平等とく差別〉-不平等問題のダブルスタンダードと『能力主

義的差別』」、シリーズ解放教育の争点①「解放教育のアイデンテイテイ』、明治図書

(30)鍋島祥郎(1997)「あたりまえとしての学力保障」、同上書所収.

(31)米川英樹(1998)「生活・学習理解度調査から」、シリーズ解放教育の争点④『解放の学力とエンパ

ワーメント』、明治図書

(32)広島大学教育社会学研究室(2000)「成人の知識・能力に関する調査研究(1)-学歴との関連に着

目して」、『教育社会学研究年報』第3号、広島大学教育学部教育社会学研究室

(33)日本教育社会学会編(2000)『知と権力のしくみを探る」、新曜社(刊行予定)

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