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2008 年 7 月 14 日発行 青森県の地域活性化事例 ~「アウガ」にみる「ハコモノ」活性化の功罪 コンパクトシティ先進都市での「異変」~青森市「アウガ」 地元重視で成功~八戸市「八食センター」「みろく横丁」 伝統ゲームによるまちおこし~五所川原市「ゴニンカン」

~「アウガ」にみる「ハコモノ」活性化の功罪...2 1. コンパクトシティ先進都市での「異変」~青森市の「アウガ」 青森県は1980 年代後半から人口が減少し始め、21

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2008 年 7 月 14 日発行

青森県の地域活性化事例~「アウガ」にみる「ハコモノ」活性化の功罪

① コンパクトシティ先進都市での「異変」~青森市「アウガ」

② 地元重視で成功~八戸市「八食センター」「みろく横丁」

③ 伝統ゲームによるまちおこし~五所川原市「ゴニンカン」

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要 旨

青森県は北海道からの人や物の移動における「本州の玄関口」として長らく栄えてきた。

しかし海運や空運の発達や、食のグローバル化に伴う日本の食料基地としての北海道の

プレゼンスの低下などから、「本州の玄関口」としての青森県の役割も徐々に低下した。

また青森県の主要産業である第一次産業の衰退がそれに追い討ちをかけていった。この

ような背景から各種経済指標で下位を争うほど青森県の経済は低迷し、人口は 1985

年をピークに減少を続けている。この状況に対する危機感を受け、青森県では地域活性

化に向けたいくつかの興味深い試みがみられる。

青森市は青函連絡船とともに発達した街であるが、1988 年の青函連絡船の廃止の影

響は大きく、中心市街地の賑わいが急速に失われていった。危機感を感じた青森市では

全国に先駆けて「コンパクトシティ」を標榜し、活性化に努めている。その代表的な施

策が複合商業施設「アウガ」建設である。中心市街地に不足している若者と観光客向け

の施設として、年間約 600 万人を集客し、全国的に注目を集めている。しかし昨今、

そのアウガの経営危機が表面化した。集客数の多さがうまく売り上げに結びついていな

いからである。青森市の中心市街地では、アウガだけでなく、周辺の商業関係者が総力

をあげて、中心市街地全体を活性化させ、消費者の滞在時間を延ばし、客単価をあげて

いく必要がある。アウガを真似た地域活性化策が各地で散見されるが、ハード事業を生

かすためにはより一段と工夫を重ねていく必要があろう。

八戸市の事例は新幹線開通に伴う活性化である。地域活性化の起爆剤として、新幹線開

通に期待する地方の声は根強いものがあるが、実際に開通した後の変化をみると、新幹

線が地域にもたらすプラスの効果よりも、大都市部へ人や購買力が流出する「ストロー

効果」などのマイナスの効果が目立つところが多い。八戸市の魚市場「八食センター」

では地域住民に好まれる施設作りを優先している。今ではその地域住民のクチコミ効果

が地域外にも波及し、評判を聞いて首都圏からの観光客が押し寄せている。観光客はホ

ンモノ志向であり、地元で評判にもならないのでは利用されなくなってしまう。つまり、

地域活性化で目指すべきは地域住民にとって魅力的な財・サービスの開発であろう。

五所川原市は内陸部の豪雪地帯に立地し、以前は著名な観光施設もなかった。そのよう

な地域において、潜在的な地域資源の発掘は有効な策といえる。とりわけ五所川原市に

ある地域資源の中でもトランプゲーム「ナポレオン」の変形版といえる「ゴニンカン」

は異色である。トランプは賭け事の対象となりえたので、江戸時代は全国で禁止されて

いたが、五所川原市のある津軽藩では庶民の間でひそかに行なわれてきた。その結果、

津軽藩独自のルールが加味されたオリジナルのトランプゲーム「ゴニンカン」が生まれ

た。現在は、五所川原市にて任天堂の協力のもとで世界大会を開催し、全国のメディア

に取り上げられ、五所川原市の知名度を高めることに成功している。五所川原市ではこ

れ以外にも様々な試みが次々と行なわれており、地域づくりへの取り組みが住民に新た

な「気付き」をもたらし、「人づくり」につながりつつあるといえる。

〔政策調査部 岡田豊〕

本誌に関するお問い合わせは みずほ総合研究所株式会社 調査本部 電話(03)3591-1318 まで。

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1. コンパクトシティ先進都市での「異変」~青森市の「アウガ」 青森県は 1980 年代後半から人口が減少し始め、21 世紀に入っても、減少のスピードにそ

れほど衰えは見られない。少子化に加え、若者を中心とした転出が止まらないためである。

また有効求人倍率や一人あたりの所得が全国でも 1,2 位を争う低水準にとどまるなど、青森県

はあまり経済状態がよくない。このような社会環境を背景に、青森県は全国的にみても地域

活性化が強く切望されている地域といえよう。こうした中で、青森県ではいくつかの先駆的

な動きが見られる。 その一つが、青森市の「コンパクトシティ」構想である。現在、中心市街地活性化は新ま

ちづくり 3 法(2006 年施行)によって進められているが、新まちづくり 3 法の基礎理念は、

郊外の開発を抑えて中心市街地に都市機能を集約させる「コンパクトシティ」である。青森

市はその先進事例とされる。 青森市は青森県の県庁所在地で、人口約 30 万人の都市である。青森市がコンパクトシティ

を目指すようになった理由として、郊外における行政コストの減少をあげることができる。

青森市では 2000 年までの 30 年間に、約 13,000 人が市街地中心部から郊外に流出したが、そ

のために道路や下水道などのインフラを整備しなければならず、これに約 350 億円がかかっ

ている。また青森市は豪雪地帯であるため、毎年数十億円規模の除雪費用がかかるが、住宅

地が郊外に拡大したために除雪費用が膨らんでしまっていると、青森市はみている。 そこで青森市はコンパクトシティ化を進めることにした。域内を「インナー」、「ミッド」、

「アウター」の 3 ゾーンに分類し、インナーにあたる中心市街地に様々な都市機能を集約す

る一方、郊外に属するアウターでは新たな開発を行なわないこととした。 (1) カリスマによる中心市街地の環境整備 インナーの理想像は、歩くことを優先する「ウォーカブルタウン」と、中心市街地に居住地

を設ける「まちなか居住」である。この二つを実行するためにこれまで様々な施策が展開さ

れている。例えば、中心市街地の居住人口を増加させるため、駅前にケア付きの高齢者対応

マンションを完成させた。今では民間企業による中心市街地のマンション建設は増加してい

る。また青森駅前から新町商店街を貫く道路について、歩行者優先の観点から、車道を狭め

て歩道を広げた。さらに商店街の回遊性を高めるために、市が新町商店街内の空き地を買い

取り、「パサージュ広場」と呼ばれるオープンスペースを設けた。このオープンスペースは

商店街の裏側に抜ける空間を作ることで、賑わいをもたらす各種イベントのためのスペース

を設けるとともに、表通りから商店街の裏側の路地への回遊性を確保することを目的として

いる。またパサージュ広場には、中心市街地には少なかった、おしゃれな飲食店・ビジネス

ホテルが出店している。

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(左:青森駅前の新町商店街を貫く道路と歩道。12 mあった車道を 10 mに縮小して片側 2 車線

を 1 車線に減少させる一方で、片側 6 mあった歩道を両側とも 7 mに広げて、歩行者が歩きやす

いようにした。 右:青森駅前の高齢者対応マンション。なお本稿の画像は全て、筆者が撮影したもの)

(左上・右上:パサージュ広場の様子。「大戸屋」「エクセルシオールカフェ」といった、若者

向け著名飲食チェーン店も進出している。 左下・右下:パサージュ広場に隣接して新設されたホテル。リーズナブルな宿泊料のこのホテル

は、おしゃれな外観と内装が際立っている)

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このような施策推進において、中心市街地の商業関係のリーダー役として大きな役割を担っ

ているのが加藤博氏である。加藤氏は元大規模小売店の店長であり、「プロの目」からみた

商業分野における中心市街地活性化が期待されている。この加藤氏と青森市の関係者の熱意

と両者の連携により、中心市街地では先述のような様々な試みが一気に展開されるようにな

った。加藤氏はコンパクトシティ先進都市である青森市の地域活性化請負人として、一躍有

名になり、いまでは地域活性化のカリスマといわれるまでになっている。

(2) コンパクトシティのシンボル「アウガ」 この青森市の中心市街地活性化のシンボルともいえるのが、図書館、若年者向け衣料品店、

魚市場などが同居している駅前の複合施設「アウガ」である。再開発事業の結果、構想から

約 20 年を経て、2001 年にようやく開業した。全体は 54,505 ㎡で、うち店舗部分だけで 16,194㎡におよぶ巨大集客施設である。地下 1 階には市場が入居し、普通の市場のように早朝から

開店している。訪問した際は平日の夕刻であったが、かなり賑わっていた。また 1 階から 4階にかけては若者向けファッション店が並ぶ。中心市街地にはこれまで若者向け店舗が少な

かったので、若者に大人気のスポットとなっている。5 階から 9 階には男女共同参画プラザや

図書館が入っている。これらは公共施設の中心市街地集中という方針にしたがった配置であ

る。集会施設や図書館はそもそも若者の利用が少なくないうえ、若者の待ち合わせスペース

もあることから、訪問した際にはアウガ全体で若者を大勢見かけるなど、なかなか賑わって

いた。今では多いときで日に数万人、年間利用者数は 600 万人にのぼる活況ぶりである。

(左:アウガの外観。明るい色調が目立ち、若者向けの施設として賑わいをもたらしている。 右:アウガ地下の市場。飲食店が併設され、観光客に人気である)

青函連絡船があった頃は、青森駅から港にかけて多くの人々で混雑し、駅前に立地する新町

商店街はうるおっていたが、88 年の青函連絡船の廃止以降はそのあおりをうけ、急速に賑わ

いを失っていった。アウガはその賑わいを少しでも取り戻すべく、起爆剤として期待され、

現段階で賑わいを取り戻すことにはある程度成功しているといえる。

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(3) アウガの「経営危機」にみる青森市中心市街地の課題 青森市は行政コスト削減のためにコンパクトシティとなることを目指しており、その政策目

標は明確である。また全国的にもまちづくりのカリスマである加藤氏と組んで、特に商業環

境の整備では具体的な事業を大小様々に展開している。 そのような状況下で 2008 年 5 月に突如表面化したのがアウガの経営危機である。アウガを

経営するのは青森市が 36%出資する第三セクターであるが、当初の見込みよりも年間売上高

が半分程度にとどまったため元利返済が予想通りに進まず、長期の有利子負債の利払いが大

きく経営を圧迫し、このままなら破綻が免れない状態に陥っていた。青森市はこの事態を打

破すべく、事実上の公的資金を用いた救済スキームを 2008 年 5 月に発表した。アウガを運営

する第三セクターは、経営陣をそのままとし、債務を大幅に圧縮してもらったうえで、残っ

た債務についても超低利かつ 30 年を超える長期返済となった。 アウガは開業以来、集客数は増加基調にあり、その水準も予想を上回るものであったとされ

る。したがってアウガの経営危機は客単価の低さに起因しているといえる。アウガにおいて

集客と売り上げがうまく結びついていない背景としては、主要ターゲットである若者の、厳

しい雇用環境による購買力不足のほかに、アウガとその周辺商店との間に相乗効果があまり

みられないため、中心市街地全体として魅力があまり高まっていないことがあげられよう。

アウガは、郊外の大型ショッピングセンターで不足している若者向けファッション店や観光

客向け飲食店などを戦略的に誘致して、集客数では一定の成果をあげている。しかしアウガ

周辺の商店では人通りが減りつつあり、また売り上げも増えていないとされる。これは、目

の前を行き交う大勢の人を購買に結びつけるような、魅力ある店がアウガ周辺にあまり増え

ていないためであろう。そのため住民や観光客はアウガ内のお目当ての店や施設に行くだけ

にとどまり、周辺の店は素通りされてしまっている。 一方、郊外の大型ショッピングセンターは、長時間過ごせる空間作りにこだわり、他の店で

買い物したついでに隣の店でも買い物したり、食事や映画鑑賞のついでにお店で衣服を購入

したりするなどの「ついで消費」を誘発することで、客単価をあげることに成功している。

つまり郊外の大型ショッピングセンターはエリア全体として魅力を高めることで、消費者の

滞在時間を長引かせ、購買意欲を高めているといえる。一方、中心市街地では魅力的な施設

ができても、エリア全体として魅力が高まっているとはいえず、それゆえ消費者の滞在時間

があまり長くならず、購買意欲をうまく高めることができないのであろう。実際に中心市街

地の新町商店街に比べ、青森市郊外の大型ショッピングセンター「イトーヨーカドー青森店」

や「サンロード青森」は魅力的な空間を演出しており、かなり賑わっている。 青森市では今後も中心市街地でハコモノ事業を進める予定である。例えば、2010 年の新青

森駅への新幹線延伸に併せて、ねぶた展示などを行なう「文化観光交流施設」が約 60 億円で

中心市街地に整備される。中心市街地における集中的なハコモノ整備で賑わいを取り戻そう

としているのであるが、アウガをはじめとするハコモノだけでは限界があろう。せっかく整

備したハコモノを生かすためにも、ハコモノ周辺も含めて、中心市街地全体で商業的な魅力

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を高める努力、具体的には周辺の店それぞれがハコモノの集客力を生かすべく、魅力的な店

に変貌していくことがより一層望まれているといえよう。

(上記は共に青森市郊外の大型ショッピングセンター。中心市街地では人通りがあまり期待でき

ない平日昼間でも、郊外の大型ショッピングセンターは駐車場が埋まるほどの盛況ぶりである)

2. 地元重視で成功~八戸市「八食センター」「みろく横丁」 ここで取り上げる八戸市の事例は、新幹線開通を地域活性化に見事に生かしたものである。

新幹線建設については強く切望する地域が少なくないものの、それを地域活性化にうまく生

かした事例は少ない。それどころか、逆に大都市圏へ買い物に出かける住民が増加するなど、

高速交通網の開通により、かえって大都市圏に活力を奪われる「ストロー効果」がかなり見

られる。

(1) 新幹線延伸を生かした地域活性化を画策 八戸市は人口 20 万人強で、青森県では青森市、弘前市に次ぐ人口規模を誇る。青森市や弘

前市は旧津軽藩に属し、一方、八戸市は旧南部藩の中心都市であることから、文化・経済な

ど様々な側面で青森市・弘前市と八戸市は違う。例えば青森県といえば豪雪で知られるが、

太平洋側に属する八戸市は、冬の気温はかなり低いものの、青森市や弘前市に比べ雪が少な

いため、冬も外出しやすい。これは住民の行動に大きな影響を与えており、中心市街地の飲

食業は青森市や弘前市に比べ八戸市はかなり栄えており、いわゆる飲み屋街は全国でも有数

の激戦区として知られる。またスケートやアイスホッケーなど、氷上のスポーツが盛んであ

るなど、住民は冬も活動的である。 八戸市にとって大きな転機になったのが 2002 年の東北新幹線の八戸駅への延伸である。八

戸駅は長年切望されていた東北新幹線の終着駅となったことから、新幹線延伸を生かした地

域活性化が画策されることとなった。 新幹線による活性化といえば、大都市圏からの観光客誘致に期待がかけられる。八戸市で

も新幹線延伸の最大の効果は東京圏からの移動時間が短くなることで、東京圏からの観光客

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が大幅に増加すると考えられていた。また八戸市は終着駅となるため、途中駅に比べ知名度

が上がり、それがさらなる観光客増加に繋がるものと期待されており、そのため、地域活性

化策も基本的に観光客向けのものが多かった。例えば、八戸市で新幹線延伸関連の地域活性

化事業を担った「新幹線八戸駅開業事業実行委員会」では、東京でのキャンペーンイベント

など、事業の多くが観光客向けに行なわれたものであった。

(2) 地元で支持されることにこだわる こうした事業の中で異色を放っているのが「八食センター」(1980 年開業)の対応である。

八戸市は豊富な水揚げを誇る港町であり、住民は市街地の商店で海産物が手軽に手に入る。

そのため、全国的に生鮮品を扱う市場は飲食店関係者などのプロか、観光客向けに存在して

いる。しかし、市場関係者はそのような状況をもったいないと感じていた。地域住民にとっ

て新鮮な魚だけがお目当てではあまり魅力がない。日常の食事に必要な食材は多岐にわたる

ため、魚を買ったついでに様々な食材を購入できるようにすれば、幅広く地域住民の支持を

得られると考え、当時は全国でも珍しい郊外型総合市場として 1980 年に八食センターはオー

プンした。つまり八食センターの基本は元来、地域住民重視であった。

(八戸市のマップ。画像左下・新幹線の八戸駅と画像右上・八戸市の中心市街地とはバスで 30 分

ほどの距離にあり、その間に画像左上・八食センターがある)

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そのため、八食センターでは新幹線開通への対応も地域住民重視の延長線で考えた。地域

住民に相手にされないような施設では観光客相手の商売もうまくいくはずがない。地域住民

の支持の高まりが宣伝効果となって、域外でも知名度が高まり、結果的に域外からの観光客

も増えてくる。元来、新幹線の八戸駅は中心市街地からも魚市場からもかなりの距離があり、

観光客だけを当てにしてもリスクがある。そこで八食センターでは新鮮な食材をその場で食

べてもらうような飲食施設を作れば、地域住民に今まで以上に支持される可能性が高いと考

え、新幹線開業に浮かれず、地域住民に支持されるような飲食施設を開業することになった。 地域住民をターゲットにしていることが端的にわかるのが「価格」である。観光客向けの

飲食店といえば全国的にも価格が高いのが当たり前となっており、完全に地域住民向けの飲

食店とすみ分けている。しかしここでは、地域住民に支持されるには、地域住民を納得させ

る「価格」を設定する必要があった。魚市場で仕入れる安い食材を利用しているため、設定

されている価格は地域住民が普段利用する飲食店とそん色ないかそれ以下の価格のメニュー

が目立つ。なかには「食べ放題」メニューのように、圧倒的な低価格をウリにするものも少

なくない。 料理教室も地域住民に大人気だ。地域住民は若者を中心に料理を苦手とする人が増えてお

り、特に魚介類の消費が低迷する背景の一つには魚介類の調理の難しさがあろう。そこで八

食センターでは「八食料理道場」という、プロの料理人が魚介類をメインとした調理法を直

接指導する料理教室を頻繁に開催している。参加費は実際に作った料理を食べることを含め、

基本的に 1000~1500 円と格安で、観光客向けというより明らかに地域住民向けといえる1。

八食センターに出店しているお店はもとより、中心市街地の著名人気店に協力してもらい、

調理人を講師として派遣し、実際にお店で提供している料理のコツを惜しみなく披露しても

らうなど、なかなか凝った料理教室といえる。調理方法も多種多彩で、かつ食材も魚介類だ

けでない。パンや洋食なども扱うとともに、12 月にはケーキ、秋には松茸など、利用者のニ

ーズをうまく捉えた工夫が施されている。 また青森県随一の長さを誇る回転寿司店は地域住民に大人気だ。さらに新鮮な食材を自由

に加工して食べることができるように、市場で買った食材を客の要望どおりに加工する飲食

スペース「七厘村」を導入している。実際に七厘を用意し、市場で買った新鮮な食材をすぐ

に炭火焼にできるなど、自ら「調理」して食べることも楽しめるようになっている。 さらに魚市場にありがちな猥雑な雰囲気を廃し、清潔な場所でゆったりと食事や買い物が

楽しめるよう、施設内のスペースは贅沢に確保されている。屋内の「厨(くりあ)スタジア

ム」は 600 席も用意されているなど、飲食スペースも非常に多い。そのうえ小さな子供連れ

でも安心して食事や買い物ができるよう、すべり台などの遊具を設置し、小さな子供が遊ん

で楽しめる屋内スペースまでも併設している。こうした努力の結果、地域住民に圧倒的に支

持される大型集客施設に育った。

1 料理道場の拡張版として、八食センター以外で料理教室を行なう「出張料理道場」というサービスもある。

学校教育や地域住民のサークル活動などに活用されている。

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(左上:八食センター内の市場。閉店間際にも関わらず大勢の客でにぎわっていた。 右上:併設されているスーパーの内部。日用品が並ぶ。 左下:八食センターの厨(くりあ)スタジアムの外観。非常に清潔で、落ち着いて飲食できる。2階には子供向け施設が設けられている。 右下:外食店が集められたコーナー。八戸ラーメンなど郷土料理も楽しめる)

(左:「七厘村」の様子。手前テーブルには七厘が置けるようになっている。奥はロースター設

置済みのテーブル。 右:店内に記されている利用上の注意。市場で買った食材をその場で焼いて食べることができる。

バーベキューや炭火焼は自宅ではなかなかできないこともあって、地域住民に大人気)

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(3) 中心市街地の飲食店も地元客重視で活性化 このような八食センターの地域住民を主要なターゲットとする姿勢は、当初の狙い通り、

圧倒的な人気を誇る施設として、八戸市外へ評判が広がっていくこととなった。八食センタ

ーでは新幹線の終点である八戸駅と中心市街地を結ぶ新たなバス路線を開拓し、観光客が八

食センターと中心市街地をバスで容易に行き来できるようにした。その結果、青森市などの

津軽地方や、秋田県、岩手県などの隣県から多数の客を集め、それがさらに東京圏での評判

をよび、観光客を多数獲得することに成功した。今では東京圏からの日帰りツアーが人気と

なっている。この結果、「八食センター」は年間入場者数が 300 万人を超え、県内では圧倒

的な人気を誇る施設になった。 この地域住民重視は中心市街地の飲食店にもみられる。新幹線の八戸駅延伸効果を見越し、

新たな観光客獲得の目玉として整備された「みろく横丁」は、地域住民に利用してもらうこ

とを重視した施設である。屋台形式のお店中心なので、冬は観光客にとって寒すぎる。そこ

で「みろく横丁」は観光客だけに特化するのは危険と考え、地域住民が日頃利用しやすい店

を目指した。また「八戸ラーメン」や「せんべい汁」といった郷土料理を積極的に提供して、

地域住民に郷土料理の良さを理解してもらうことに努めた。

(左上:みろく横丁の入口。ライトアップされていて、非常に見映えがよい。 右上:横丁風になっており、路地の通りを面して小さな店舗がところ狭しと並ぶ。 左下:1店舗あたりの面積はかなり小さい。10 人も入れば満員になってしまう。 右下:リサイクル結果を記す貼紙。環境にやさしい外食を目指す)

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また飲食店の経営者には若手を多数登用し、みろく横丁を足がかりに飲食ビジネスの経営

者として巣立ってもらうチャレンジショップのような仕組みを導入した。ついで飲食店の残

飯を肥料に変えることで環境対策重視もアピールしている。さらに八戸駅~八食センター~

中心市街地を結ぶバス路線が安価に運行されるようになり、地域住民や観光客が八食センタ

ーとみろく横丁を回遊することが容易になった。このような様々な努力の結果、みろく横丁

は地域住民に徐々に浸透する一方で、観光客にとっても人気のスポットとなっている。 新幹線開通においては観光客だけに視線が向きがちな地域が多い中、今回取り上げた八戸

市の事例は地域住民対応を怠らないことが、結果的に観光客対策にもつながるということを

明らかにした、ベストプラクティスの一つだと思われる。京都市の中心市街地の大型商業施

設「新風館」でも見られる地域住民重視の姿勢は、特に一定規模の人口をもつ県庁所在地、

中核都市、政令指定都市などにとって、今後の地域活性化の重要なキーワードであることは

間違いない。 3. 伝統ゲームによるまちおこし~五所川原市の「ゴニンカン」

五所川原市は内陸部の豪雪地帯に立地し、以前は著名な観光施設もなかった。そのような

地域における活性化策の起爆剤として、地域資源の開発に加え、潜在的な地域資源の発掘は

有効な策といえる。五所川原市は現地で古くから行なわれてきたトランプゲーム「ゴニンカ

ン」という地域資源を利用してまちおこしに挑戦している。このようなゲームを使ったまち

おこしは非常に珍しい事例である。

(1) 「めぼしい資源のない」地域に「投じられた一石」 五所川原市は青森市から電車で1時間程度、弘前市から電車で 30 分程度の、内陸部の小都

市である。五所川原市の人口は 6 万人ほどで、東北に見られる典型的な小規模都市といえる。

地域資源に乏しく、主要産業は農業・漁業関連である。全国的な農業・漁業の不振から、五

所川原市も経済状況はかんばしくない。それに加え、五所川原市は全国有数の豪雪地帯であ

り、住民にとって冬季の生活そのものが非常に厳しい。そのため、住民の転出が止まらず、

人口は漸減傾向にある。 人口の少ない都市では、地域経済規模が小さいことから、地域活性化のためには、地域資

源を活用して域外からの観光客を確保したり、域外に産品を「輸出」するなど、域外の経済

力を利用した経済活性化を志向する地域が少なくない。しかしどの地域でも有力な地域資源

に恵まれているわけではない。地域資源に乏しく、人口の少ない都市の多くは、五所川原の

ように人口減少に悩まされていながらも、有効な手立てがないのが現状である。 このような現状に一石を投じたのが、後に観光カリスマに認定される角田氏である。地元2在

2 五所川原市は 2005 年に旧五所川原市(人口約 5 万人)、旧金木町(約 1 万 1 千人)、旧市浦村(約 3 千人)

が合併してできた。角田氏は旧金木町在住で、地域活性化を行なう集団「ラブリー金木」を地域住民の若手

とともに 87 年に結成し、地域活性化に長く携わることになった。なお、角田氏のこれまでの地域活性化の

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住の角田氏は同地域だけでなく、青森県には冬季の観光資源が乏しいことを問題視し、冬季

の自然の厳しさを地域住民にとってはなじみのものであるが、実体験したことがない域外の

住民にとっては目新しいものであると考え、観光資源として活用することを考えた。そこで

域外の住民に冬季の厳しい自然を実体験してもらうために、冬季の厳しい自然を代表する地

吹雪3が体験できるツアーを 88 年から開始した。このツアーはユニークな取り組みとして、

各種メディアで取り上げられ、全国的に著名になった。角田氏はその後も様々な企画に取り

組み、その影響もあって、旧金木町の観光客数は地吹雪ツアー開始前から比べて倍増してい

る。

(2) 伝統ゲームを地域資源として発掘 角田氏の取り組みは埋もれていた地域資源を発掘したものが多く、今回取り上げる「ゴニ

ンカン」4もその一種といえる。ゴニンカンはトランプを使ったゲーム「ナポレオン」5の変型

であるが、極めて異色な経緯をたどってこの地域に根付いた。江戸時代、トランプは賭け事

の対象となりえたので、全国で禁止されていた6が、五所川原市のある津軽藩では幕府の監視

の目が行き届かなかったことから、庶民の間で密かに行なわれてきた。その結果、津軽藩独

自のルールが加味されたオリジナルゲームのゴニンカンとなった。ゴニンカンは津軽地方で

は長らく地域住民に親しまれており、以前は正月などで人が集まれば必ず行なわれる伝統ゲ

ームであった。 ゴニンカンはこのように住民にとってはなじみ深いゲームであったが、それが域外で遊ば

れる機会の少ないものだとは、五所川原の住民はなかなか気付かなかったようである。進学

や就職などを契機に域外に転出して初めてゴニンカンの特殊性に気付く者が少なくない。つ

まりゴニンカンはその地域性が住民に理解されていない、埋もれた地域資源といえる。 しかし近年は核家族化が進み、世代を超えてゴニンカンを伝えることも少なくなった。若

年層を中心にゴニンカンを知らない住民が増加し、ゴニンカンの人口も徐々に減少していっ

た。そこで、貴重な地域資源を伝承し普及していくことと、埋もれた地域資源にスポットラ

イトをあてることで住民の郷土愛を醸成し、域外向けには五所川原の知名度を上げることを

取り組みについては、国土交通省の観光カリスマのサイトに詳しい。

3 農地のような平地が広がる降雪地域では風を遮る構造物が少ないため、地表の雪が強い風で舞って、視界が

失われてしまう現象がある。これを地吹雪という。歩くのはおろか、車での走行も危険な状況で、冬季の地

域住民の移動に大きな影響を与えている。 4 語源はゲームの人数である 5 人にちなんだ「5 人関係」にあるといわれる。なお同種のルールを用い、4 人

で行なうゲームとして、「ヨニンカン」もある。 5 「コントラクトブリッジ」(通称「ブリッジ」)のように「トリック」と呼ばれるミニゲームを繰り返す「ト

リッキングゲーム」の一種である。ナポレオン側とそれ以外にプレーヤーが分かれて、チームごとに成績を

競う。日本では、各地でオリジナルの「ローカルルール」がみられるほど、トリッキングゲームの中では地

域色の目立つゲームとなっている。なお海外にもナポレオンと同じ名前のカードゲームがあるが、ルールは

全く違い、日本のそれとは別種のものといえる。 6 禁止されたトランプに変わって全国的に普及したのは「花札」である。花札には札ごとに暗示的な数字の意

味があるが、札の表面上には明示的な数字がないので、トランプのような規制を免れたのである。なおゴニ

ンカン世界選手権を協賛している任天堂は「花札」の製造で創業している。

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狙い、五所川原商工会議所の若手グループがゴニンカンの世界選手権を開催することになっ

た。 事実上津軽地方でしか行なわれていないゲームであるから、世界選手権といえども世界中

から参加者が集まるわけではない。しかし任天堂を協賛企業とするなど、イベントとして真

面目に取り組んだ結果、地吹雪ツアーと同じく、非常にユニークな取り組みとして、各種メ

ディアでは大きく取り上げられている。今では五所川原市の冬のイベントとしてすっかり定

着している。

(左上:五所川原駅のゴニンカン世界大会のポスター。 右上:1000 人近くが集まる様子はまさに壮観である。また高齢者が多く、ゲームの大会でこれほ

ど高齢者が集まるのは世界的にも珍しいと思われる。 左下:任天堂はトランプカードの企業として始まったことからゴニンカンと縁が深く、賞品提供

などで、ゴニンカン世界大会を積極的に支援している。またゴニンカンでは段位制を採用してい

るが、任天堂会長の山内氏は「名誉名人」となっている。 右下:ゴニンカンの伝統を絶やさないために、近年は普及に力を入れるようになっている。お年

寄りからゴニンカンを教わる機会が少なくなりつつある若年者に対して、大会会場でインストラ

クションを行なっている)

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(3) 「気付き」に地域活性化策の本質あり 角田氏の取り組みから始まった「地域資源探し」は、五所川原においてゴニンカンだけに

とどまらず、様々な地域活性化策に生かされている。例えば、青森は青森市内のねぶた祭り

で最も有名であるが、五所川原市では青森以上に巨大な「立ちねぷた」を用いたねぷた祭り

が開催され、人気を博していた。しかし、高さ約 20 メートル、ビル一棟にも相当する「立ち

ねぷた」は、大正時代の電気の普及に伴う電線の増加で行進するのが難しくなり、姿を消し

ていた。94 年に五所川原市の市民劇団が試しに再建したところ、この「立ちねぷた」は「本

家」の青森市のねぶたよりも壮観であったため、市民有志によって「立ちねぷた復元の会」

が結成され、本格的に立ちねぷた祭りを再興することになった。98 年には 80 年ぶりに五所

川原にて立ちねぷた祭りが開始され、今では地元民にも観光客にも大人気の定番イベントと

なっている。 また最近の取り組みでは、「スコップ三味線」が興味深い。津軽地方は全国的な知名度を

誇る「津軽三味線」の中心地であるが、高度な技能を修得する必要があり、その奏者は少な

くなるばかりの伝統芸能であった。この伝統芸能をうまく生かそうと考えて生み出されたの

が「スコップ三味線」である。雪の多い津軽地方ならどの家庭にも常備されているスコップ

を三味線に、またこれもどの家庭でも常備されている「栓抜き」をばち代わりにして、津軽

三味線の定番曲を弾くマネをするものである。とあるスナックの客の余興のアイデアから始

まったこの風変わりな「楽器」は、珍しさとおもしろさが受けて、評判が評判を呼び、演奏

するスナックでは大勢の客を集めるようになった。またスコップ三味線は、若者の間で全国

的にはやった「エアギター」(ギターを弾くまねで楽しむ)に似た、誰でも簡単に「演奏」

できる楽しみがあるものだったので、奏者も徐々に増えていって、ついには 2007 年に「スコ

ップ三味線世界大会」を五所川原で開催するまでにいたった。この世界大会は会場にあふれ

んばかりの観客を集め、様々なメディアが取り上げ、大成功のうちに終わっている。 五所川原のこのような様々な地域活性化策は、カリスマと呼ばれる同一人物がすべてを担

っているのではなく、様々な仕掛け人が次々と現れているのが特徴といえる。地域を活性化

させるアイデアを出すのは「人」である以上、活性化される対象は経済や文化ではなく「人」

となる。「人」が活性化されれば、多くが地域活性化により関心を寄せ、知恵を絞ったり、

実際の運営に携わったりするようになる。つまり地域活性化で真に求められているのは、経

済社会環境が違う他地域の地域活性化策をなぞるよりも、多くの住民に地域活性化策に興味

をもってもらうといった「人」への波及効果、つまり「気付き」に重点を置いた施策であろ

う。つまり、いわゆる「わかもの、よそもの、ばかもの」のアイデアを積極的に生かすよう

な、一種のベンチャー支援的な要素が地域活性化に必要なのである。地域内で、創意工夫を

生かした自立的な活性化策が頻発することで、より多くの住民が様々な地域活性化策を「目

の当たり」にし、その結果、住民の中に「気付き」効果が波及して、地域全体として地域活

性化に向けたアイデアの芽が次から次へとあふれていくような好循環を生み出すことが望ま

しい。