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論文弘前大学経済研究第 26 I17 2003 ll 30「労働の二重性」論の経済学的意味 「労働の二重性」論をめぐる論点と課題 I 「労働の二重性」論の二つの視点 (I) 「労働の二重性」論の視点 (2) 「形態二内容j把握の視点 (3) 「質+量J 把握の視点 「労働の二重性」をめぐる論点と課題 「労働の二重性」は,し、かなる意味での二重性 で,それが何故「経済学の理解にとって決定的 な跳躍点」 l )なのだろうか。支配的理解によれ ば,商品,資本,資本の生産過程.等々の経済 的範時が自然、と人間との関係と人間と人間との 関係との二重物, しかも対立的統一物,矛盾物 である根源が「労働の二重性Jにあるから,と いうことであろう 。例えば.次の引用①は経済 的範時の二重性との関連を,②は経済的範時の 矛盾が「労働の二重性J の矛盾にあるという理 解を示している。 ①「史的唯物論の立場の資本主義的経済の研 究への具体的適用として最も基本的なものは, 社会的生産過程を.一面では,人聞が自然に働 きかけて財を生産 ・再生産する過程,労働過程 としてとらえ,他面では.歴史的独自的な生産 関係が生産・再生産される過程,社会的経済的 I )『資本論』第 l 部第 l 章大月全集版原典56 ぺージ。 以下.『資本論』からの引用個所は KI1/56 ]のように表 記する。引用文中の()書き 付 された傍点は断りがな い限 りすべて引用者による。 II. 商品論における「労働の二重性j論との論理構 A 1 (1) 商品論の対象世界 (2) 貨幣生成と「労働の二重性J III. 「労働の二重性」論の現代的意義 過程としてとらえる方法であった。」「この《二 重の過程》としての把握こそ『資本論』の全体 系を貫通する基本的な視角である。すなわち, まず商品分析における,商品の二重形態(使用 価値と価値)一一この商品に表わされる労働の二 重性(具体的有用労働と抽象的人間労働) .一一 ついで、商品の生産過程における,『労働過程』と 『価値形成過程』,一一資本主義的生産過程におけ る『労働過程』と『価値増殖過程』ー 一 ・J [林 1971/23-24]2) ②「一商品に内在する使用価値と価値の矛盾 が,商品と 貨幣の外的対立として現われるので あるが,この矛盾は同一労働の二側面たる具体 的・有用的労働と抽象的・人間的労働の矛盾の 物的表現にほかな らな い。」[吉村 1966/33] 確かに,商品の二重性すなわち使用価値と価 値とのこ重性の根拠は「労働の二重性」にあり, 商品の二重性は,資本や資本の生産過程等々の 二重性として展開される 。だが,諸範鴎展開の 端緒範時は商品であって ( 『資本論』第 l 部官頭 叙述を見よ),「労働の二重性」で、はない。実際, 2 )引用文献は.末尾に一括して掲載し本文での引用箇 所の表記は,著者名。発表年.引用頁のみ掲げる。

「労働の二重性」論の経済学的意味human.cc.hirosaki-u.ac.jp/economics/pdf/treatise/26/...「労働の二重性j論の経済学的意味 ①「生産活動の規定性,

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〔論文〕 弘前大学経済研究第 26号 I 17頁 2003年 ll月30日

「労働の二重性」論の経済学的意味

序 「労働の二重性」論をめぐる論点と課題

I 「労働の二重性」論の二つの視点

(I) 「労働の二重性」論の視点

(2) 「形態二内容j把握の視点

(3) 「質+量J把握の視点

序 「労働の二重性」をめぐる論点と課題

「労働の二重性」は,し、かなる意味での二重性

で,それが何故「経済学の理解にとって決定的

な跳躍点」 l)なのだろうか。支配的理解によれ

ば,商品,資本,資本の生産過程.等々の経済

的範時が自然、と人間との関係と人間と人間との

関係との二重物, しかも対立的統一物,矛盾物

である根源が「労働の二重性Jにあるから,と

いうことであろう。例えば.次の引用①は経済

的範時の二重性との関連を,②は経済的範時の

矛盾が「労働の二重性Jの矛盾にあるという理

解を示している。

①「史的唯物論の立場の資本主義的経済の研

究への具体的適用として最も基本的なものは,

社会的生産過程を.一面では,人聞が自然に働

きかけて財を生産 ・再生産する過程,労働過程

としてとらえ,他面では.歴史的独自的な生産

関係が生産 ・再生産される過程,社会的経済的

I)『資本論』第 l部第 l章大月全集版原典56ぺージ。

以下.『資本論』からの引用個所は [KI1/56]のように表

記する。引用文中の()書き 付された傍点は断りがな

い限りすべて引用者による。

II. 商品論における 「労働の二重性j論との論理構、Aユ1旦

(1) 商品論の対象世界

(2) 貨幣生成と「労働の二重性J論

III. 「労働の二重性」論の現代的意義

過程としてと らえる方法であった。」「この 《二

重の過程》としての把握こそ『資本論』の全体

系を貫通する基本的な視角である。すなわち,

まず商品分析における,商品の二重形態(使用

価値と価値)一一この商品に表わされる労働の二

重性(具体的有用労働と抽象的人間労働).一一

ついで、商品の生産過程における,『労働過程』と

『価値形成過程』,一一資本主義的生産過程におけ

る『労働過程』と『価値増殖過程』ー 一 ・J[林

1971/23-24]2)

②「一商品に内在する使用価値と価値の矛盾

が,商品と貨幣の外的対立として現われるので

あるが,この矛盾は同一労働の二側面たる具体

的・有用的労働と抽象的 ・人間的労働の矛盾の

物的表現にほかならない。」[吉村 1966/33]

確かに,商品の二重性すなわち使用価値と価

値とのこ重性の根拠は「労働の二重性」にあり,

商品の二重性は,資本や資本の生産過程等々の

二重性として展開される。だが,諸範鴎展開の

端緒範時は商品であって (『資本論』第 l部官頭

叙述を見よ),「労働の二重性」で、はない。実際,

2)引用文献は.末尾に一括して掲載し本文での引用箇所の表記は,著者名。発表年.引用頁のみ掲げる。

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資本理論を商品論の展開として捉え,商品論の

枠組みで捉えることはあっても,「労働の二重

性」論の展開として捉え.その枠組みで捉える

ことは殆どない。その限り,「労働の二重性」論

の意味は,商品論や使用価値と価値との関係の

うちに吸収されて,それ自身が「経済学の理解

にとって決定的な跳躍点」である意味は,希薄

と言わざるを得ない。

さらに,「労働の二重性」と経済的範障の二重

性や矛盾との関係も,自明とは言えない。「労働

の二重性」 論争,とくに抽象的人間労働論争に

見られるように,「労働の二重性」が労働jの属性

と解される限り,経済的範時の二重性とは整合

しないし,たんなる労働の属性から, 二面的だ

からと言って,対立や矛盾を引き出すことはで

きないからである。そのような「労働の二重性」

が経済的範鴎の矛盾の根拠になりえないこと

は,かつて超歴史説に立つ見田石介氏が,

zwieschuliichtigの語源的解釈によって証明し

た通りである[見回 1963/7377]。

この不整合のー表現が,抽象的人間労働の歴

史性 ・非歴史性をめぐる論争だったと言うこと

もできる。「労働の二重性」を労働の属性と解す

る限り,抽象的人間労働を非歴史的と解する外

はない。経済的範時との整合性を重視すれば,

歴史的としなければならない。次のような主張

は,後者の立場を語って余すところがない。

「抽象的 ・人間的労働は,むしろ,人間的労働

の疎外態である。そ して,そのような人間性の

疎外としての労働の性格が,商品生産社会で特

別の社会的役割を果たすのである。そういう労

働の人間疎外的性格が,社会主義社会でもか

えって一層発展するということになると,はな

はだ困ったことといわねばならない。したがっ

て,抽象的 ・人間的労働は商品社会の固有の範

時とみなすべきである。」[吉村 1966/33]

このように,「労働の二重性J論は,それと「労

働の属性」としての具体的有用労働と抽象的人

間労働との区別と関連という問題に直面してき

2

た。問題の錯綜性は,抽象的人間労働論争に象

徴される。論争は,具体的有用労働が自明のも

のと見なされたので抽象的人間労働論に収数

し,それと労働力の生理学的支出,価値実体労

働,機械制大工業のもとで形成される一般的・

抽象的労働,共同的社会において抽象的労働が

果す役割,等々との関連をめぐる錯綜した議論

と山なす文献を生み出したが,論争そのものは

行き詰まって久しい。

本稿の課題は,「労働の二重性j論の経済学的

意味を, それが存在する商品論 (以下,主とし

て『資本論』第 l部第 l~ 2章を商品論と言う)

の主題と理論的性格との関連のもとで解くこと

にある。「労働の二重性」論に焦"~を当てて商品

論を読み解くことにあると言ってもよい。抽象

的労働論をめぐる論争点にも本稿の課題に関わ

る限りでふれるが,抽象的労働,価値実体労働

をめぐる『資本論』の叙述の「資本論学」的解

釈は,本稿の課題でない。

本稿は,次の論点を骨格として展開される。

まず「労働の二重性」または具体的有用労働と

抽象的人間労働とを把握する視点が二重である

ことを明らかにしこの二つの視点の意味を商

品論の枠組みとの関連で解明する。次いで\二

つの把握の関一連を商品論の主題に位置付けるこ

とによって,それらの重ね合いのなかから「労

働の二重性」論展開の論理構造とその経済学的

意味とを明らかにする。

I. 「労働の二重性」論のふたつの視点

(1)「労働の二重性」論の視点

「労働の二重性」または抽象的人間労働と具体

的有用労働とに関わる『資本論』の叙述を分析

すると,それらが,一方では労働力の支出とそ

の形態という関係で, 他方では量と質という関

係で把握されていることが分かる。例えば,次

の叙述では,労働力の支出とその形態との関係

で把握されている。

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「労働の二重性j論の経済学的意味

①「生産活動の規定性, したがってまた労働の

有用的性格を無視するとすれば,労働に残る

ものは,それが人間の労働力の支出であると

いうことである。裁縫と織布とは,質的に違っ

た生産活動であるとはいえ,両方とも人間の

脳や筋肉や神経や手などの生産的支出であ

り,この意味で両方とも人間労働である。それ

らは,ただ,人間の労働力を支出するための二

つの違った形態でしかない。」[KI.1/58-9]

②「いろいろな有用労働または生産活動がどん

なに違っていようとも,それらが人間有機体

の諸機能だということ,また.このような機

能は,その内容や形態がどうあろうと,どれ

も本質的には人間の脳や神経や筋肉や感覚器

官などの支出だということは,生理学上の真

理...,・ 0・・ 0である。」[KI.1/85]

③「ロビンソンは ーいろいろな種類の有用労

働をしなければならない。・・ー・彼の生産的諸

機能はいろいろ違ってはいるが,彼は,それ

らの諸機能が同じロビンソンのいろいろな活

動形態でしかなく, したがって人間労働のい

ろいろな仕方でしかないということを知って

いる。J[KI.2/91]

他方,次の叙述では,質と量との関係として

把握されている。

④「使用価値としては,諸商品は,なによりも

まず,いろいろに違った質であるが,交換価

値としては,諸商品はただいろいろに違った

量でしかありえない。J[KI.1/60]

⑤「商品に含まれている労働は,使用価値との

関連ではただ質的にのみ認められるとすれ

ば,価値量との関連ではー ーただ量的にのみ

認められる。」[KI.1/5960]

@「価値量の規定の根底にあるもの,すなわち

前述の(労働力の一一引用者)支出の継続時間,

または労働の量について言えば,この量は感

覚的にも労働の質とは区別されうるものであ

る。」[KI.1/85]

⑦「価値形成過程を労働過程と比べてみれば,

一3

後者は,使用価値を生産する有用労働によっ

て成り立っている。運動はここでは質的に,

その特殊な仕方において,目的と内容とに

よって考察される。同じ労働過程が価値形

成過程ではただその量的な面だけによって現

われる。」[KI.5/209]

③「古典派経済学は,価値となって現われる労

働を1 その生産物の使用価値となって現われ

るかぎりでの労働から,どこでも明文と明瞭

な意識をもっては区別していない。古典派経

済学は,もちろん実際には区別している。と

いうのは,それは労働をあるときには量的に,

他のときには質的に,考察しているからであ

る。」[KI.1/94]

前者は,「生理学上の真理」という表現やロ ビ

ンソン ・クルーソ一物語に象徴されるように,

労働存在の普遍なあり方について述べているよ

うに見える。後者は,つねに使用価値と価値と

の関連で叙述されている。「労働の二重性j論理

解の第一歩は,これらの把握が,通説が無自覚

に取り扱ってきたように同じ視点からの把握な

のか,それともふたつの視点からの把握なのか,

を明らかにすることにある。

抽象的人間労働について見れば,上記引用の

限りでは,それは。いずれの視点でも具体的有

用労働から労働の形態規定性を捨象した 「人間

労働力の支出」を意味している3)。

これに対して,具体的有用労働把握の視点は,

明らかに異なっている。 前者では,具体的有用

労働は,形態規定された労働力の支出と把握さ

れている。したがって,具体的有用労働は,労

働の一側面ではなく,包括的な労働として,労

働の現実的存在として把握されていることにな

る。これに対して,後者では,具体的有用労働

は,商品の二要因,使用価値と価値,並存の関

係にあるそれらのうち使用価値に関わる限りで

言われている。言い換えれば,商品を生産する

労働の一側面,労働の具体的有用的側面として

把握されている。

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具体的有用労働を把握するこれらの視点が異

なることは,下の図からも分かる。これらが同

じ視点からの把握であれば,「形態、土石内容」に対

応すべき質 ・量の関係は,内容は質,形態は量

であるから,「形態三内容Jに対するのは「量三

質」であるが,そうなっていない。「形態ミ内容」

に対置されているのは「質+量」である。形態

としての具体的有用労働が質であり,それから

内容としての抽象的人間労働が量として抽象さ

れるというような関係はあり得ないから,「形態

ミ内容」把握と「質+量」把握とは,異なる視点

からの,ふたつの把握と見なければならない。

具体的有用労働一一抽象一一+抽象的人間労働

(形 態) (内容)

(質) (量)

」一一一労働の二重性一一」

具体的有用労働と抽象的人間労働との関係

は,一方では「形態三内容 ・労働力の支出Jとし

て 他方では「質+量」として把握されている。

「労働の二重性」に「謎」[正木 1977/30]がある

とすれば,それは,具体的有用労働と抽象的人

間労働を把握する視点が二重だというところに

3)さらに,次の叙述一一

⑨「すべての労働は。一面では。生理学的意味での人間の

労働力の支出であって,この同等な人間労働または抽象的

人間労働という属性においてそれは商品価値を形成する。」

[KJ.1/61]

⑪ 「価値の実体は,支出された労働力一労働,といって

もこの労働力の特殊な有用的性格にはかかわりのない労働

一一以外のなにものでもないしまたつねにそれ以外のなに

ものでもない。」 [KJI 19/474]

⑪「抽象的な労働であるのは上着のなかに含まれている

労働の特定の有用な具体的な性格からは抽象されているからであり,人間労働であるのは。労働がここではただ人間

労働力一般の支出としてのみ物を言うからである。」(KI初版,国民文庫版 135頁)

抽象的人間労働と 「人間労働力の支出Jまたは 「生理学的

労働」との関連は白 「労働の二重性J論の中心論点であった。

本稿の課題はそこにないが この論点に対して,われわれ

は,価値実体は分析的 ・還元的に抽象的人間労働であり,抽

象的人間労働は分析的 ・還元的に人間労働力の支出である,

と理解している。抽象的人間労働を「労働力の支出Jと関わりがないカテゴリ ーとする主張は言語外として。それらを区

別するか否かに拘わらず,「人間労働力の支出Jであること

なしに抽象的人間労働ではありえない。

ある。「労働の二重性J論がし、かなる意味で 「経

済学理解の決定的跳躍点である」のかを解く鍵

は,「労働の二重性j把握の視点の二重であるこ

とを踏まえて,それぞれの把握の視点の違いを

明らかにし,ふたつの把握が互いにどのような

関連にあるのか,それが 「労働の二重性」にど

のような意味を与えるものなのかを解明するこ

とにある4)。

(2)「形態ミ内容J把握の視点

抽象的人間労働と具体的有用労働とを労働力

の支出とその形態と して把握する視点を.便宜

的に「形態ミ内容」 把握と表記すれば,その特徴

は,具体的有用労働が,労働の一側面でなく,

労働の現実存在,包括的な労働と して把握され

ている点にある。人間労働力の支出とその形態

という関係で把握されている抽象的人間労働と

具体的有用労働との関係は 「生理学上の真理J

という表現によって,その関係の普遍的である

ことが示されている。実際,労働の形態や内容

4)『資本論』では具体的有用労働が! 一方で包括的な労

働として.他方で労働の一面として把握されていることが。

必ずしも理解されていない。そのことが。 「労働の二重性」

論をめぐって。次のような相反する解釈や批判を生み出し

てきた。

一例は正木八郎氏で\氏は。第5章第 l節の「労働過程」

論が「合目的的な活動そのもの」「なんら分割の必要のない1

包括的な現実(過程的に進行しつつある活動)」 を取り扱っ

ていること,そこでは「厳格なまでにその内容に抽象的人間

労働という規定が与えられていないという事実」,「労働の

二重性のカテゴリーにまったく 言及していないという事

実J[正木 1977/39,29,40]を指摘した。この指摘は注目され

るべきものだがl 氏が,これらの事実から導き出したのは1

対槻念である具体的有用労働または「労働の二重性Jのカテ

ゴリ ーを労働過程の労働に対応させるならば,「これら二つ

の事実の関連は永遠のく謎>として残らざるをえないJ(向上 30)としてl 「労働の二重性」の対概念的把握を排除す

ることだった。

佐藤公俊氏も正木氏同様に1 労働過程論ではマルクスが

抽象的人間労働に言及していないと見るが.氏は正木氏と

は逆に,「はたしてω 『労働過程』は『有用労働』だけから 『成

り立って』いるといいきれるの かJと疑問を投げか

け. 正木氏とは逆に対概念的「労働の二重性」の適用を主張

する立場から「マルクスの『労働』概念に 根本的な難

点」[佐藤 1981/45]を見出している。正木氏の「謎」も1 佐藤氏の 「難点」も, 具体的有用労働

を対概念的な労働の一面とのみ解しそれを 「労働過程」論

に機械的に当てi荻めようとするところから生じている。

- 4 ー

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「労働の二重性j論の経済学的意味

がどんなに違っていようと,それが行われる時

代や社会がどうであろうと,労働が 「本質的に

は人間の脳や神経や筋肉や感覚器官などの支出

だということjは,普遍的な事実であろう。だ

から,「形態三内容J把握の視点は,労働をその

普遍的な面から把握する視点ということにな

る。とはいえ,「形態ロ内容」 把握が,具体的有

用労働と抽象的人間労働との関係をたんに 「生

理学上の真理jという視点から捉えたものでな

いことは,ロビンソン ・クルーソーの労働にた

とえられている次の叙述が示している。

「ロビンソンは’ いろいろな種類の有用

労働をしなければならない0 . ー彼の生産的

諸機能はいろいろ違ってはいるが,彼は,そ

れらの諸機能が同じロビンソンのいろいろな

活動形態でしかなく, したがって人間労働の

いろいろな仕方でしかないということを知っ

ている。必要そのものに迫られて,彼は自分

の時間を精確に自分のいろいろな機能のあい

だに配分するようになる。・ ・・ロビンソン

と彼の自製の富をなしている諸物とのあいだ

のいっさいの関係ー のうちには価値のす

べての本質的な規定が含まれている。」

[Kl.1/90-1 J

「ロビンソンと彼の自製の富をなしている諸

物とのあいだ、のいっさいの関係」とは,富をな

している諸物が,ロビンソンが彼の必要を充た

すためにいろいろに配分した労働の所産である

という関係のことであろう。そして,この関係

のうちに「価値のすべての本質的な規定が含ま

れている」というのは,富=労働生産物の実体

が労働だということだけでなく ,社会はその必

要を充たすために労働をいろいろな部面に適切

に配分しなければならないという関係が示され

ているからであり,商品生産のもとでその配分

を規制するのが価値(価値法則)だからと理解

される。

ロビンソン ・クルーソーの例示が語っている

ように,具体的有用労働と抽象的人間労働とを

「形態二内容」で把握する視点とは,社会的分業

によって編成されている商品生産の諸部門への

労働・労働力配分の視点である。実際,『資本論』

は, 価値の実体をなす労働について,社会的総

労働の視点から次のように述べている。

「諸価値の実体をなしている労働は,同じ人

間労働であり,同 じ人間労働力の支出である。

商品世界の諸価値となって現われる社会の総

労働力は,無数の個別的労働力から成ってい

るのであるが,ここでは一つの同じ人間労働

力とみなされるのである。」[Kl.1/53-4]

社会の総労働力は,千差万別の,文字通り無

数の個別的な労働力から成っている。それを「一

つの同じ人間労働力とみなされる」と言う理由

は後に明らかにすることとして,ここでこの叙

述が注目されるのは,それが,商品生産が分業

によって編制されることを見据えているからで

ある。すなわち,分業によって編制される商品

生産の諸部門は, さまざまな具体的有用労働か

らなるが,生産部門間の労働力移動の流動性を

資本の実存条件とする資本制生産様式のもとで

は,具体的有用労働は労働力の支出の諸形態と

把握されることが,ここに示されているからで

ある。具体的有用労働と抽象的人間労働とが,

総じて言えば商品論が,このような視点から論

じられていることを示す叙述は,ロ ビンソンの

例示に限られない。商品論を彩るのは, 一商品

論や商品の個別的交換論,流通論よりも遥かに

多く社会的分業論であり,社会的総労働論なの

である。

商品論の対象世界が商品交換の背後に社会的

総労働=社会的生産の有機的編制を見据えてい

るのは,商品論の,さらに言えば『資本論』の

課題にもとづいている。それが何であるかを商

品論との関わりで示しているのは,『資本論』第

l部初版刊行後に,マルクスがクーゲjレマンへ

あてた有名な手紙の一節である。

「それぞれの欲望の量に応じる生産物の量

に社会的総労働のそれぞれ一定の割合を配分

- 5 ー

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することの必要は,社会的生産の確定された

形態によってなくなるものではなく,ただそ

の現われ方を変えるだけのことというのも自

明のところです。自然、の諸法則というものは

なくすことができないものです。歴史的にさ

まざまな状態のなかで変わり得るのは,それ

らの法則が貫徹されていく形態だけなので

す。そして社会的労働の連関が個々人の労働

生産物の私的交換をその特徴としているよう

な社会状態で,この労働の一定の割合が貫徹

される形態こそが.これらの生産物の交換価

値にほかならないのです。価値法則がどのよ

うに貫徹されていくかを逐一明らかにするこ

とこそ,科学なのです。J[マルクス 1973/454]

社会的労働の連関が個々人の労働生産物の私

的交換をその特徴としているような社会状態

で\社会的労働の連闘がどのように貫かれてい

くのか,それを逐一明らかにすることが課題だ

と述べている。商品論が社会的分業とその総体

を見据えているのは,この課題にもとづくから

であり,それを分析視点として示すのが,「形態

土石内容」の視点である。

商品論の対象世界が,たんに商品の個別的な

流通過程でなく,このような意味での交換過程

であることは,『資本論』のものではないが,例

えば次の叙述に示されている。

「交換価値が単純な出発点として表面に現わ

れ,単純流通のかたちで分解する交換過程は,

それが単純な交換過程として, しかし全生産と

全消費とを包括する社会的物質代謝として現わ

れるためには,ブルジョア的生産の全体系が前

提されている,ということである。J[マルクス

1984/118]

(3)「質+量」把握の視点

「形態ミ内容j把握に対して具体的有用労働

と抽象的人間労働とを 「質+量」という関係で

把握する視点は,いかなるものなのか。

この把握が,労働存在の2側面を表わすもの

6

で、ないこと,労働それ自体から生じるものでな

いことは,明らかである。労働存在の 2側面で

あれば,質の規定が初めにあり,それからその

質の量的存在として量の規定がある。ところが,

量としての抽象的人間労働の質的規定は具体的

有用労働でないし,質としての具体的有用労働

の量的規定は抽象的人間労働でない。したがっ

て,質としての具体的有用労働と量としての抽

象的人間労働とは, 自己を質量とする規定性を

{也にもっていることになる。

具体的有用労働と抽象的人間労働を質 ・量と

する規定は,なにか。注目すべきことは,この

「質+量」把握がつねに使用価値と価値とに関連

させて言われていることである。使用価値は,

商品の質的規定であり, 価値は量的規定である。

ここから,具体的有用労働と抽象的人間労働と

を「質+量」という関係で把握する視点が,商

品の使用価値と価値とに関わる限りでの質と量

であり,その限りで,具体的有用労働と抽象的

人間労働とが対概念として, 二面的または二重

的なものとして把握されていることが分かる。

「質+量」把握の視点の何であるかは,次の叙

述に示されている。

「商品に含まれている労働は,使用価値との関

連ではただ質的にのみ認められるとすれば,価

値量との関連では ーただ量的にのみ認められ

るのである。前のほうの場合には労働のどのよ

うにしてとどんな[dasWie und Was]が問題

なのであり,あとのほうの場合には労働のどれ

だけ[Wieviel]が,すなわちその継続時間が,

問題なのである。」 [KI.1/60]

商品に含まれる労働として,「どのようにして

とどんなが問題」である労働は,具体的有用労

働の面である。とはいえ,ここで問題にされて

いる質が,具体的有用労働でありさえすれば質

だという意味で言われているのでないことは,

それが「使用価値との関連で」 言われているこ

とに示されている。商品を生産する労働は,社

会的分業を充足すべき労働であり,その使用価

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「労働の二重性」論の経済学的意味

値は,「他人のための使用価値,社会的使用価値」

[Kl.1/55]であるから,具体的有用労働は,それ

が社会的必要を充たすという限りで商品を生産

する労働の質なのである。したがって,具体的

有用労働が,商品の使用価値との関連で表現し

ている質とは,社会的な欲望を充足するのに必

要な労働,社会的必要労働という競定性という

ことになる。

「いろいろに違った使用価値または商品体の

総体のうちには, e ....有用労働の総体一一社会

的分業が現われている。社会的分業は商品生産

の存在条件である。J「商品生産者の社会では,

独立生産者の私事として互いに独立に営まれる

いろいろな有用労働のこのよう な質的な相違

が,一つの多岐的体制に,すなわち社会的分業

に,発展するのである。」[KI.1/56-7]

質としての使用価値に対して, 価値は,量の

違いのみが意味を持つ純粋に量的な存在であ

り,価値を形成する労働も,純粋に量的な存在

であるが,それが何の量なのかを示す質がなけ

ればならない。量としての抽象的労働が存在の

前提にしている質は,なにか。通説は,それを

労働の抽象性に見出す。だが,労働の抽象性は,

たんに労働の属性にすぎない。価値は,商品を

生産する労働と労働との関係,商品生産者たち

の労働の社会的な同等性という関係なのであ

る。通説に対して,『資本論』は次のように述べ

ている。

「ある使用価値の価値量を規定するものは,

ただ社会的に必要な労働の量,すなわち,そ

の使用価値の生産に社会的に必要な労働時間

だけである。」「社会的に必要な労働時間とは,

現存の社会的に正常な生産条件ι労働の熟

練および強度の社会的平均度とをもって,な

んらかの使用価値を生産するために必要な労

働時間である。」[Kl.1/53-4)J 通説は,抽象的労働そのものを価値実体と見

倣すのに対応して,この叙述を価値の量のみに

関わる規定と解釈する。われわれの読解によれ

7

ば,それは,抽象的労働が量と把握されうる質

を明らかにしている。前記叙述のすぐ前では「怠

惰または不熟練であればあるほど-••• それだ

け価値が大きい」ということにはならないとさ

れているし「価値に対象化される労働は,社会

的平均質の労働であり, したがって平均的な労

働力の発現である」 [KI.11/341],「価値であるか

ぎりでは… 対象化されている一定量の社会

的平均労働を表わしているだけである」

[Kl.4/184-5]と繰返し強調されている。抽象的

労働でありさえすれば価値実体であるというこ

とでも,抽象性という属性によって価値実体で

あるということでもなく,現存の社会的な技術

的条件によって規定された質を有する労働だか

ら,その継続時間が,社会的必要労働量として

価値量として通用するというのである5)。

さらに,前記叙述は,価値量の規定を 「使用

価値を生産するために」社会的に必要な労働量

に求めている。ここに言う使用価値が,社会的

欲望の充足に必要な使用価値,社会的使用価値

であることは,言うまでもない。したがって,

価値実体労働であるためには,なによ りもまず,

社会的欲望の充足という意味での社会的必要労

働でなければならないと述べていることにな

る。それも当然で\商品を生産する労働は,社

5)高木彰氏は社会的平均労働力でさえあれば,その支出である抽象的労働は,生産手段の条件が社会的に平均的

であるか否かに関わりなく価値実体であると主張されている。[高木 1987.第 l:章参照]価値実体は.労働力ではなく

労働である。労働力が社会的平均労働力であっても守その支

出=労働が社会的平均的であるかどうかは生産手段の条件に規定される。このことだけからも, 氏の主張には無理があ

ると言わざるを得ない。氏がこのように無理な主張をする

のは!『資本論』の論理主義的解釈にもとづいている。氏は!平均労働力の物理的投下時間だけで価値量を規定しなければ,個別的労働時間の平均化運動によって価値量を規定しなければならず。そのためには価値形態論や交換過程論,競争論を価値規定に先だって論じなければならないという

「循環論Jに陥る。と言う。氏の主張には,眼前の事実として現われる結果を分析するという『資本論』の方法を「循環論」と見なす認識も垣間見える。それはともあれ.ここには現実整合的に『資本論』を読むことよりも。論理主義的・方法主義的問題を優先させる「資本論学Jや「資本論解釈学」がある。

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会的分業の一環であるかぎりで社会的必要労働

として価値を形成する労働たりうるのである。

「商品に支出された労働は社会的に有用な

形態で支出されていなければならない。言い

かえれば,その労働は社会的分業の一環とし

て実証されなければならない。」 [KI.3/121]

ここから,「商品に支出された人間労働は,た

だ他人にとって有用な形態で支出されているか

ぎりでしか,数にはいらなしリ [KI.2/100-1]と

いう意味と理由が理解される。ある商品を生産

する有用労働は社会的必要労働だとしても,社

会的な必要量以上の生産に投下された労働は社

会的必要労働ではない。社会が必要としている

使用価値の必要量を生産するのに技術的に必要

な労働が価値を形成する労働であり,その支出

量が価値量を規定する。

価値量が,技術的必要のみで規定されるので

はなく,前提に社会的欲望量があるということ

は,具体的有用労働に対する抽象的人間労働の

関係からも言える。抽象的人間労働は,具体的

有用労働から労働の目的規定性を取り去った概

念なのだから,抽象的人間労働は,具体的有用

労働の存在を前提し,その枠内にしか存在しな

い。この関係は,商品生産の基底を成す社会的

分業を見据えるところから把握されたものだっ

た。実際,社会的分業の編制は,質としての使

用価値と 3 それを生産するあれこれの労働,質

としての具体的有用労働の存在に表現される。

そして,いろいろな欲望の体系に対応する有用

労働の投入量を表わすのが,抽象的人間労働な

のである。

だから,どのような労働が価値形成労働であ

り,その支出量が価値量を規定するのかという

問題の全体が使用価値を形成する具体的有用労

働を前提としていること,論理的に言えば,具

体的有用労働論の枠内にあることが分かる。と

いうのは,労働生産物が商品という社会的存在

であるかどうかは,社会的分業の一環であるか

どうかに掛っており,それは,なによりもまず

社会的使用価値であるかどうかに掛っているか

らである。

商品を生産する労働の (

「社会的必要労働としての二重性」L

具体的有用労働(質)→使用価値 1立 口

抽象的人間労働(量)→価 値 j間 口 口

「労働の豊度を増大させ,したがって労働の

与える使用価値の量を増大させるような生産

力の変動は,それが使用価値総量の生産に必

要な労働時間の総計を短縮する場合には,こ

の増大した使用価値総量の価値量を減少させ

るのである。逆の場合も同様である。」[KI.l/

61]「ある商品がその市場価値どおりに売ら

れるためには,すなわちそれに含まれている

社会的必要労働に比例して売られるために

は,との商品種類の総量に振り向けられる社

会的労働の総量が,との商品にたいする社会

的欲望すなわち支払能力ある社会的欲望の量

に対応していなければならない。J[K

ill.10/202]

「労働の二重性Jが,「社会的必要労働として

の二重性」であることは,商品生産の基底が社

会的分業であるということにもとづく。社会的

分業の編制は,質としての使用価値と,それを

生産するあれこれの労働,質としての具体的有

用労働の存在に表現される。そして,いろいろ

な欲望の体系に対応する有用労働の投入量を表

わすのが,抽象的人間労働である。

「いろいろな生産部面は絶えず互いに均衡を

保とうとしている。というのは, 一方では,商

品生産者はそれぞれある一つの使用価値を生産

しなければならず,つまりある一つの特殊な社

会的欲望を満足させなければならないが,これ

らの欲望の大きさは量的に違っていて. 一つの

内的な紐帯がいろいろな欲望量を結び合わせて

一つの必然発生的な体系にするからであり,ま

た他方では,社会が自分の処分しうる労働時間

の全体のうちからどれだけをそれぞれの特殊な

商品種類の生産に支出しうるかを,商品の価値

~ 8 ー

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「労働の二重性J論の経済学的意味

法則が決定するからである。J[KI.12/377]

以上からJ商品を生産する労働の二重性」が,

「使用価値+価値Jという商品の対概念的な2側

面に対応して「質+量」で把握されるのは.社

会的分業を担う労働の質と量が,商品生産関係

の物的担い手である商品との関連で問題にされ

ているためであることが分る。すなわち,商品

を生産する労働が,商品の 2側面,使用価値と

価値とに対応して質を生産する労働の側面と

量を生産する労働の側面とに二重化するのであ

る。言い換えれば,労働を二重化させるのは,

商品を生産する対立的社会関係,社会的分業と

私的所有であり,それだから,「商晶表わされる

『労働の二重性』」(第 l章第2節の表題)なので

ある。

商品を生産する諸労働の関係が,社会的分業

と私的所有とが,包括的な労働を二重化させる。

「労働の二重性」は,たんに労働の属性を表わす

範曙なのではなく,商品を生産する労働の 「社

会的必要労働の二重性Jを表わす範時,このよ

うな意味で経済的範崎である。

商品論が分析しているのは,社会的分業を充

足すべき社会的生産物たる商品とそれを生産す

る労働であり,それが。社会的必要労働の質と

量の規定においてv 具体的有用労働と抽象的人

間労働とを「労働の二重性」として把握してい

る。したがって具体的有用労働を質とし抽

象的人間労働を量とする規定とは,社会的必要

労働であり,「労働の二重性」が,「商品を生産

する労働の社会的必要労働としての二重性jと

して把握されていることが明らかになった。

使用価値に対して価値をこのように把握する

視点が,具体的有用労働の存在のうちに社会的

分業を見据えた 「形態=実体」把握に外ならな

い。具体的有用労働と抽象的人間労働とを「質

+量」として把握する分析が,そして価値実体

労働とその量の分析が,「形態三内容」把握とい

う枠組みのなかで分析されていることが分か

る。「形態ロ内容」把握の視点こそは,商品論展

~ 9

開の基本的枠組みであり,そのなかで 「質+量」

論が,「労働の二重性」論が,展開されている。

商品との関連で「労働の二重性」を論じる意

味を,その「質+量」把握から「形態二実体」把

握との関連のもとに明らかにすることは,これ

まで全く問題にされなかった。「労働の二重性」

論が,専ら抽象的人間労働論に収数させられて

きたためである。具体的有用労働との関連では,

具体的有用労働から抽象された概念なのか,具

体的有用労働との対概念的関係なのかB という

仕方で提起はされたが,関心は抽象的人間労働

の概念規定に置かれていた。その結果,社会的

必要労働という規定が,抽象的労働のみに関わ

る規定ではなく,具体的有用労働にも関わる規

定であること,それどころか,後者の社会的必

要労働の枠内に前者が存在することが,看過さ

れてきた。そのために, 「労働の二重性J論が専

ら抽象的人間労働論に収数させられただけでな

く,商品論展開にと っての,したがってまた『資

本論』の分析にとっての 「労働の二重性」論の

基軸的意味が希薄化されることになった。

「形態二内容」把握の枠組みのなかでの 「質+

量」 視点による「労働の二重性」論の展開が,

いかなる意味で「経済学理解の決定的な跳躍点」

であるのか。それを明らかにするためには,商

品論の論理構造に「形態口実体j把握と「質+量」

把握とを位置づけなければならない。

II.商品論における「労働の二重性J論の

論理構造

(1) 商品論の対象世界

商品論で「労働の二重性」がふたつの視点か

ら論じられている意味,それが 「経済学理解の

跳躍点jである理由を明らかにするためには,

商品論の対象世界が,資本主義的生産様式を包

み込む表層,資本主義的生産分析の総体的な枠

組みであることを明らかにする必要がある。

商品論の対象世界について,われわれは以前

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に検討した[高橋 1995/6-10]。われわれは,商

品論の対象世界が資本主義生産様式の表面とし

ての交換過程であると理解する点で支配的見解

に属するが,たんなる「表面」とは見ない。わ

れわれは,商品論の対象世界が,資本主義生産

様式の表面という眼前の事実を受け取り,そこ

から出発することによって,この表面の背後に

ある資本主義的生産様式の全体を見据えている

と理解している。言い換えれば,この表面は,

文字通りの表面ではなく,資本主義的生産様式

を包み込む表層と理解している。かく解するこ

とによって,商品論は,この表層に包み込まれ

ている抽象的な世界が商品論の対象世界二分析

対象であると理解している。

商品論の対象世界の理解の差異は,冒頭商品

の理解の差異に基づく。支配的見解は,商品論

の対象を個々の商品または一商品と解する。そ

の論拠は,言うまでもなく『資本論』の冒頭叙

述にある。それは,「一つ一つの商品は,資本主

義社会の富の Elementalformとして現われる」

[KI.1/49]から商品の分析から始めると述べて

いる。大量生産を旨とする資本主義社会の富の

Elementalformが個 の々商品なのかどうかをさ

て措けば,個々の商品も,資本主義社会の富の

Elementalformではあろう。そのように解する

ことは,もうひとつの通説的理解,その対象世

界を商品の姿態変換の過程,流通過程とする解

釈と整合する。流通過程では,商品は個々の商

品として存在するからである。こう して,商品

論の対象世界を,資本主義的生産の表層である

商品の流通過程を解し,分析対象を一商品と解

すことになる。だが,商品論が,商品の流通過

程または姿態変換の過程を論じているとすれ

ば,それはたかだか「第3章貨幣または商品流

通」を指すにすぎないことは,その表題からさ

え明らかである7)。

しかるに,官頭叙述は,「一つ一つの商品は,

その富の基本形態として現われる」と述べる前

に,「資本主義的生産様式が支配的に行なわれて

JO

いる社会の富は, 一つの『巨大な商品の集り』

として現われる」 [KI.1/49]と述べている。つ

まり,分析される商品が, 一商品であり,同時

に商品集合であると述べている。そして,それ

らの関係は,「その総体が資本の生産物をなして

いる個々 の商品」[Kill.14/249]という叙述にも

示されている。だから,商品論は.一方でー商

品を分析し他方で「巨大な商品集合」=商品

総体を分析しているということになる。そうだ

とすると,問題は,なぜ,このように「ふたつの」

分析視点を必要とするのかという理由と,その

ような同時的分析が可能である理由,それらの

関係を論理的 ・方法的に説明することにある。

商品論の分析対象は,「一つ一つの商品Jでな

く,「一つの『巨大な商品集合J」である。しか

し,「巨大な商品集合」と言ってもf この商品集

合が,どんな商品からなっているかということ

は,明らかでない。それを明らかにするために

は,商品の使用価値そのもの.それらの区別,

靴であるか上着であるかとか,生産手段である

か生活手段であるかというような使用価値の区

別を明らかにする必要がある。それは,商品論

の対象世界の内部に分け入って,商品の使用価

値の区別に表現される社会的分業の編制そのも

のを取り扱うこと,商品生産諸部門への労働配

分等々を論じることを意味する。そのような課

題は,商品論に属さない。

だから,商品論に登場する商品は,商品とし

て規定されているだけの商品,どれをとっても

同じ商品,どれでもよい商品である。「個々の商

品は,ここでは一般に,その商品種類の平均見

本とみなされる。」[KI.1/54]とは言え, その商

品種類も,ここでは取り扱われない。したがっ

7)商品論で分析される商品をー商品とする通説的理解には。『資本論』の方法理解の問題がある。『資本論』の方法を。個別的なものから全体的なものへ,単純なものから複雑

なものへ.抽象的なものから具体的なものへ。本質からその諸形態への展開を特徴とする発生的.弁証法的方法である。

という方法理解の問題については[高橋 1995]を参照されたい。

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「労働の二重性」論の経済学的意味

て,この「巨大な商品集合」は.どんなに巨大

であっても「一つ」と見なす外はない「商品集

合」である。「一つの『巨大な商品集合』」と把

握される理由である。かくして,商品論は,そ

の対象を「商品総体=一商品」として把握し,

商品総体において一商品を, 一商品において商

品総体を分析する。

「一つの『巨大な商品集合』」をこのように理

解するならば,そこから商品論の対象世界が資

本主義的生産様式の表層であることの意味とそ

の分析方法とが浮び上がってくる。すなわち,

「商品総体→一商品」という分析視角,商品総体

を一商品として分析する視角のうちには,商品

の流通過程を資本主義的生産様式の表層として

分析する視角が示されている。これに対して

「一商品→商品総体」,商品総体を抽象的な総体,

内的な区別が見られていない総体として分析す

る視角には,社会的分業によって編制された商

品生産の諸部門の全体を見据えるだけでなく,

これによって商品論の対象世界が,これから分

析されるべき資本主義的生産様式の総体,分析

の枠組みとして把握されている。商品論の分析

対象が,一商品でもあり総商品でもある抽象的

な商品である「商品総体=ー商品」であること

が, 一方で商品の表層的な交換関係を分析し

同時に社会的な物質代謝過程としての社会的分

業を見据えた交換過程を分析することを可能に

する。

とはいえ,一商品分析は商品総体を前提して

いる。商品論の課題の一つは,商品の二重性の

分析,使用価値ととりわけ価値規定の分析であ

るが,個々の商品は,その商品種類に対する社

会的欲望の総量に対する可除分量に応じて使用

価値であり価値であるにすぎなし、から,「巨大な

商品集合」として現われる社会的欲望の総量が,

個々 の商品の商品であるか否かを規定する。「巨

大な商品集合」であることに先立って個々の商

品の商品性格を規定することはできないのであ

る。

商品論の分析対象は,「一つの『巨大な商品集

合』」をなす商品世界である。これが,『資本論』

全体の分析の枠組みを成す。この枠組みの基底

は,社会的分業である。とはいえ,商品論では,

どのような使用価値を生産する労働が社会的必

要労働であるかというようなことは問題になら

ない。社会的分業の編制は,生産部門間の関係

を論じる再生産論や『資本論』第3部に属する

問題であって商品論では,ただ社会的分業が

総体として, その内的な区別が見られてい

ないかぎりでは抽象的な総体として前提されて

いるにすぎなし、からである。それだから,この

枠組みは,社会的分業を見据えているが,それ

は,「巨大な商品集合」が一つの抽象的総体であ

るのに対応して,ただその全体が抽象的に,内

的な区別なしで見据えられるに止まる。価値実

体労働を社会的分業を形成する社会的総労働と

の関連で論じて,千差万別の,無数の個別的労

働力から成る社会的総労働力が, 「ここでは一つ

の同じ人間労働力とみなされる」[KI.1/53]とい

うのも,「一つの『巨大な商品集合』jとして現

われる商品世界に対応させる観点からだけ理解

することができる。

かくして,商品論の対象は,社会的分業によっ

て編制された社会的な物質代謝過程を媒介する

商品の運動であり,商品の運動に媒介された社

会的物質代謝過程であり,このような意味での

交換過程である。

この表層は,商品の運動が生みだす仮象性に

満ちた「表面」でもあるが, しかしたんなる

「表面」なのではなく,資本の全運動がそのもと

に包み込まれている表層である。この表層を直

接的に形成するのは。私的所有者 ・私的生産者

たちの私的な,個別的な行為である。だが,こ

れらの私的で個別的な行為は,社会的な「るつ

ぼJ=社会的物質代謝過程のなかに投げ込まれ

ることによって社会的に総括される。だから,

商品論の対象世界は二重に現われる。直接的に

はそれらは私的所有者たちの個別的な私的な交

l

l

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換過程であるが,このような個別的 ・私的な運

動に媒介されて社会的な物質代謝としての過程

が,この過程に規定される労働の社会的性格が

貫徹する。社会的労働が,直接的には私的労働

として現れる。この対立が, 一方で生きた労働

の関係を対象化された労働の関係すなわち商品

と商品との関係に転化し,他方で労働の二面性

を範時としての「労働の二重性」に転化する。

それゆえ,商品論は,「労働の二重性J論を軸に

私的労働と社会的労働との対立を商品に内在す

る使用価値と価値との矛盾として把握し,さら

に商品世界の商品と貨幣とへの分裂として表出

させるのである。

(2) 貨幣生成と「労働の二重性」論

「形態二内容J把握の枠組みのなかでの「質+

量」視点による「労働の二重性J論の展開を,

商品論の対象世界の分析に位置付けること,そ

れによって,「労働の二重性」がし1かなる意味で

「経済学理解の決定的な跳躍点」であるのかを明

らかにすることが課題である。

「労働の二重性」は,社会的分業論の視点から,

社会的必要労働の「質+量jとして把握されて

いた。具体的有用労働と抽象的人間労働とは,

商品に表わされる社会的に必要な労働,社会的

労働の質と量を形成する労働として,いずれも

社会的労働である。ところが,『資本論』では,

抽象的労働のみが社会的労働,社会的に同等な

労働とされ,これに対応して具体的有用労働は

私的労働とされており,下の図式に示されるよ

うにわれわれが明らかにしたことと整合しな

し、。

労働をめぐるふたつの視点とそれらが商品論

の展開に持つ意味を解くカギは,この不整合を

商品論の展開に沿って整序することにある。そ

して,そのための端緒は,『資本論』の展開がそ

うであるように, 「交換関係による抽象」にあ

る。商品論は,次のように述べている。

①「諸商品の交換関係を特徴づけているもの

は,まさに諸商品の使用価値の捨象なのであ

る。」[Kl.1/50]

②「労働生産物は,それらの交換のなかでは

じめてそれらの感覚的に違った使用対象性から

分離された社会的に同等な価値対象性を受け取

るのである。」[Kl.1/87]

③「相互に全くちがっている労働の同等性は

… それらを人間労働力の支出としての,人間

労働一般としての共通な性格に還元するばあい

に,はじめて成立しうるのであって,ただ交換

だけが, この上なく多様な労働生産物を同等の

立場で相互に対面させることによって,こうし

た還元を行なうのである。」(フランス語版『資

本論』第 l部,江夏・上杉訳 49ぺージ法政大学

出版局 1979年)

商品を生産する労働をめぐるふたつの視点に

即して言えば,「交換関係による抽象Jは「形態

ミ内容」の視点である。『資本論』が,商品の交

換関係のなかから価値実体を抽象しているとい

う事実に注目したのは,古くはイ ・jレービン

[Jレーピン/1993]であり,近年では正木・頭川両

氏である[正木 1975・1977][頭川 1979・1980・

1984]。確かに,“交換関係による抽象”に注目

することによって明らかにされた諸論点は,「労

働の二重性」に関わる問題の解明にと って重要

な指摘になり得るものである。すなわち,「労働

の二重性したがって抽象的人間労働のカテゴ

リーは,けっして現実に進行しつつある労働過

程での人間労働から直接的に与えられるもので

はなしリ[正木 1977/40]という指摘,対象化さ

れた労働から抽象される「労働の二重性Jは生

具体的有用労働=質 1 f私的労働一旦 i社会的必要労働の二重性→×← i

抽象的人間労働 旦 J L社会的労働

つ,b

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「労働の二重性j論の経済学的意味

きた労働Jに内属していないという,生きた労働

と対象化された労働との区別,等々は,われわ

れが「形態・実体」把握と「質+量J把握との

区別と関連として整序したように,「労働の二重

性jや抽象的人間労働をめぐる問題を整理する

のに必要な視点を与える。

しかし 「交換関係による抽象」論の意味を抽

象的人間労働論やその歴史性・非歴史性問題に

見出すならば,「交換関係による抽象j論の意味

を媛小化することになる。と言うのは,そこで

は,商品を生産する労働の関係が,たんに労働

の属性の問題に還元されてしまっているからで

ある。それは,貨幣が金だからといって金を貨

幣にする関係から金だけを取り出して,金は歴

史的か非歴史的かと論争するようなものであ

る。われわれが問題にしている「労働の二重性」

は,たんに労働が具体的有用労働と抽象的人間

労働という属性を持っているということではな

く,商品を生産する労働の,社会的労働として

の関係なのである8)。

「交換関係による抽象j論の意味を理解する第

一歩は,交換関係によって抽象されるものが何

であるかの理解にある。『資本論』は,それを「使

用価値の捨象」と明確に述べている。商品から

使用価値を捨象すれば,残るのは価値以外にな

い。したがって,「交換関係による抽象」論は,

さしあたり,「交換関係を特徴づけるものは,諸

商品の価値の析出である」と述べていることに

なる。そうだとすれば,「諸商品の価値の析出」

の意味を交換関係のなかで明らかにすること

が,「交換関係による抽象」論の意味を理解する

第二歩になる。

「商品の交換関係による諸商品の価値の析出」

が,なによりもまず「商品の二つの要因」と題

される第 l節での商品の二重性格の析出,使用

価値と価値の把握を意味していることは,説明

8)正木・頭川氏らの「労働の二重性」論については [高橋 1987]参照。

するまでもない。しかしそれだけでない。 「交

換関係による抽象」論は,商品のこの二重性格

を担保する「労働の二重性」の析出を課題とす

る第2節を媒介にして,第3節以降にも展開さ

れている。そして,第3節以降の分析の課題が

商品からの貨幣生成にあることは,周知のこと

である。

貨幣生成は,商品の,商品と貨幣とへの二重

化である。この二重化が,まさに「諸商品の使

用価値の捨象」として,「諸商品の交換関係を特

徴づけ 一 る」ものとして展開されているの

であるが,貨幣生成と「労働の二重性」との関

係は,貨幣生成論の展開に示されている。

第3節「価値形態」論は, 価値表現の「し、か

にしてJを明らかにすることによって,貨幣生

成を価値概念の展開として解明している。当面

の論点との関わりで言えば,価値形態論で解明

されていることは,次の諸点である。諸商品の

交換関係のなかで\諸商品の価値が l商品の使

用価値によって表現されること,これによって,

諸商品はそれ自身の使用価値のみを表現するも

のとして現われ, I商品の使用価値と価値とが

諸商品の交換関係のうちに相対的価値形態に立

つ商品と等価形態に立つ商品との関係として,

外的かっ対立的に表現されること,が解明され

る。こうして,貨幣が諸商品の一般的等価形態

であることとその独自性が明らかにされる。す

なわち,等価形態では,第 lに使用価値がその

反対物の価値の現象形態となっていること,第

2に具体的労働がその反対物である抽象的人間

労働の現象形態となっていること,第3に私的

労働がその反対物の形態すなわち直接的に社会

的な形態にある労働になること,である。

かくして,価値形態論は,商品を生産する労

働の,商品=私的労働と貨幣=社会的労働とへ

の二重化を見通すことを可能にするが.交換関

係による使用価値の捨象または価値の析出は,

なお第4節以降に残された課題である。と言う

のは,現実の交換関係は商品の交換関係である

っd

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が,価値形態論は価値の展開のみを取り扱って

いるだけだからである。

第3節に対して第4節と第2章とは,商品

を使用価値と価値とを取り扱う。第4節では,

社会的分業によって編制されている商品生産を

見据えて,商品の交換過程の課題が,商品の「二

重の社会的性格」の実証にあることが示される。

すなわち,一方では使用価値が社会的欲望の充

足に必要な使用価値として社会的分業の一環で

あることを実証しなければならず,他方では,

異なる諸労働の同等性という社会的性格,価値

であることを実証しなければならないことが示

される。続く第2章では,周知のように,商品

の使用価値と価値とに表わされる「二重の社会

的性格Jの実証が互いに対立し合うこと,この

対立が,価値形態論で明らかにしたように,商

品の商品と貨幣との二重化によって.商品に内

在する矛盾の「解決jすなわち矛盾の運動形態

が明らかにされる。

商品論の課題に対する「労働の二重性」論の

展開構造を図示すれば,下図のようになる。

到達点は,商品の商品と貨幣とへの二重化で

ある。それは,「内的には独立していないものの

外的な独立化」[Kl.3/128]であり商品論の対

象世界の「商品と貨幣」とへの対立的分裂を意

味している。第 l編が「商品と貨幣」と表題さ

れる理由に外ならない。表題は,第 l編で「商

品と貨幣jが取り扱われるということでなく,

第 l編の主題が,商品論の対象である総体な商

品世界の 「商品と貨幣」とへの対立的分裂の把

握にあることを意味している。

商品世界のこの分裂論が,「労働の二重性」論

によって展開されている。注目すべきことは,

商品論における 「労働の二重性J論の全分析が,

「形態・実体J把握の枠組みのなかで展開されて

いるという事実である。社会的分業論を見据え

る「形態・実体J把握こそは,商品論の課題が

展開されるべき枠組みを与えるものだった。こ

の枠組みのなかで\「質+量」視点で把握される

「労働の二重性」論が商品の商品と貨幣とへの二

重化として展開されるのが,貨幣生成論,商品

世界の分裂論なのである。

この分裂が語るものは,商品に刻印された商

品生産様式の基本矛盾,社会的労働と私的労働

との対立であり,その外化である。しかも,そ

こでは,この対立が転倒的に表出される。商品

を生産する労働の質である具体的労働が私的労

働となり,量である抽象的労働が社会的労働に

転倒する。貨幣(抽象的労働)が労働の社会的

形態となり,有用な具体的労働が私的労働に庭

められる。

商品の,商品と貨幣とへの対立的分裂.この

分裂による社会的労働の二重性の転倒的分裂,

一一これが,資本主義的生産様式の一切を包み込

む枠組みとなる。事実,商品論以降の『資本論』

の全展開は,商品と貨幣との対立を軸とするこ

商品論の課題に対する 「労働の二重性」論の展開

第 l節商品を生産する労働 ↓

=包括的な、具体的労働4ー〒ー+抽象的人間労働(量)、I 〉社会的必要労働の二重性 ←第2節」唱ー具体的有用労働(質)ノ I

I f第3節

商品の、商品と貨幣とへの二重化く第4節t '-第 2章

私的労働=具体的有用労働~·・私的労働と社会的労働とへの二重化司抽象的労働=社会的労働

- 14ー

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「労働の二重性j論の経済学的意味

の対立的世界の内的展開である。だから,商品

の商品と貨幣とへの転倒的な対立的分裂こそ

は,「商品に表わされる労働の二重性jが「経済

学の理解にとって決定的な跳躍点である」意味

に外ならない。

皿.「労働の二重性」論の現代的意義

「労働の二重性j論が「経済学理解の跳躍点J

であるのは,商品,資本,資本の生産過程,等々

の経済的範時が自然と人間との関係と人間と人

間との関係との二重物,しかも対立的統一物,

矛盾物である根拠が 「労働の二重性」にあると

いう ことではなかった。価値に表わされる抽象

的労働が社会的存在であり,使用価値に表わさ

れる具体的有用労働が私的存在であるという転

倒と,商品の商品と貨幣とへの分裂,この転倒

と分裂のもとでの商品 ・貨幣そして資本の運動

の根源が「商品を生産する労働の二重性」にあ

る, ということにタ十ならなヵ、った9)。

批判的経済学にとっての 「労働の二重性」論

の意味をこのように読み解くならば,それが現

代資本主義経済の批判的理解にと って依然、とし

9)「労働の二重性」を「労働の二面性」としてでなく I

商品を生産する労働の対立的な社会的性格として把握しこのような社会的性格,社会関係が経済的範鴎のうちに表

現されると理解することによってだけ,次の論述に見出さ

れるように「労働の二重性」と経済的範時との関連が正しく

理解される。商品の矛盾が商品と貨幣との対立を生み出す

ことは言うまでもないが ただし商品の矛盾の指摘に止まっているところに当時の問題認識の限界が認められる。「古典派経済学は 価値を形成する労働と使用価値

を形成する労働との対立的な関係を明らかにすることがで

きずI 商品を生産する労働の二重の性格を把鐙することができなかったのである。だからまたかれらは価値と使用価

値との間の対立的な関係を明らかにすることができず.商品の矛盾を把握することができなかったのである。」[久留問 1965/122]

「マルクスは本来的には社会的労働であるものが直接的には私的労働として営まれるということに由来する社会的

労働と私的労働との矛盾を 商品生産のいわば基本的矛盾としてとらえそしてこの社会的労働と私的労働との矛盾が。抽象的労働と具体的有用労働とのあいだに二者分裂的 ・対立的関係を生ぜしめ それが商品に内在する価値と使用価値とのあいだの矛盾に結実するということを論定したのである。」[吉原 1966/42-3]

て有効であることに気付く 。「労働の二重性J論

とこれに基礎を置く商品論を現代経済の批判的

理解のカギとして具体的に展開することは本稿

の課題ではないが, 「労働の二重性」論や商品論

の検討を重ねてきたのは,それらのうちに現代

経済の批判的理解のカギを見出そうとするため

であった。現代資本主義経済の批判的理解,批

判的現代経済学は,「労働の二重性J論に直接の

基礎を置いてはいないし,商品の商品と貨幣と

への対立的分裂さえ,この対立を現実化し展開

するのが資本の価値増殖運動であるのだから,

商品編の理論次元では,なお抽象的対立に過ぎ

ない。そうではあるが, 「労働の二重性」論の範

時的意味が明らかになったいま,それが現代経

済の批判的理解のカギとなる基本的な視点が何

であるかを示すことはできる。というのは,現

代経済ほど, 労働や商品と貨幣とからなる市場

経済のあり方が問われている時代もないからで

ある。

現代経済の主体は,商品の疎外態である貨幣

であり資本である。「カジノ資本主義」[S.スト

レンジ 1988,1999]と呼ばれるように,マネー・

ゲーム化した現代経済は,商品の疎外態を極限

まで運動させることで\市場経済とも呼ばれる

商品世界の内的な矛盾句反社会的な対立的性格

をだれの眼にも見えるものにしている。偏在す

る“カネ余り”によってもたらされているマ

ネー ・ゲームは,社会的労働の結晶であるはず

の貨幣の社会性の喪失を意味する。貨幣は,自

己の存在根拠さえ抽象化しつつあるということ

もできる。それは,私的存在たる商品に対して

貨幣を社会的権威とする市場経済の確固たる構

図の動揺であり貨幣主体,貨幣の自己増殖に

純化した現代資本主義経済がそれが成立ってい

る根幹を問われるに至っていると言うことでも

ある。

近年の貨幣論への関心を, いわゆる電子マ

ネーの普及に結ひ9つけるのは皮相であろう。そ

れは,一方でマネー ・ゲーム化した現代経済が

Fhυ ー

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生み出しているとすれば,他方では例えば“地

域通貨” に象徴される市場経済のあり方に対す

る関心がもたらしていると見られる。一方は,

自己増殖する貨幣として自己の存在根拠さえ抽

象化しつつある資本化された貨幣への関心で、あ

り, 他方は社会的労働の結晶としての貨幣への

関心である。貨幣をめぐる関心の両極には,社

会的労働の二重性,「質+量」が商品と貨幣とに

対立的に分裂していても,それらの交換がなお

社会的労働の交換を内実とする段階と貨幣増

殖 ・資本増殖を自己目的化した段階との対立が

認められる。

貨幣をめぐる両極の関心は, 社会的必要労働

の質量を対立的に外化させる商品を生産する

「労働の二重性」の問題顕在化を意味する。

資本化された貨幣への関心は,社会的労働へ

の関心すなわち具体的有用労働への関,心を衰微

させる。労働がたかだか関心を持たれるのは,

利潤や賃金,所得をもたらすものとしての抽象

的な, 量と しての労働にすぎない。しかも,利

潤や賃金のために労働することが,直接的には

私的目的の労働が,「社会的労働jとして現れる。

まさに,「特殊な具体労働がー ー抽象的一般的労

働として ー認められる」[Kl.3/128]。だから,

手段としての社会的に有用な具体労働は,どう

でもよいもの,必要悪となる。食品の安全を無

視した企業犯罪は,その典型である。

抽象的な富による社会の支配は, 多面的 ・多

様なものを効率化を妨げる障害として排除す

る。人間,働くこと,地域,社会, 自然、の多面

性 ・多様性が失われるとともに,それらの活

力 ・生命力もまた衰微する。現代の資本主義企

業を脅かす働くことへの無関心と依存症候群。

地域社会の崩壊,社会力の衰退,地球規模の環

境問題。

資本化された貨幣の支配が,それ自体の存在

根拠をさえ抽象化し,抽象化された貨幣と資本

とに適合させて人間や地域.社会,自然、を,世

界を造り変えようとする。それは,具体性や有

16

用性,それらを支える多面性や多様性を存在根

拠とする人間や地域,社会自然と衝突する。

この衝突の顕在化が,現代の経済社会の特徴の

ひとつをなす。 企業活動でしかない私的な 「社

会的生活」からの離脱と個人的な私的生活の「社

会化」 への関心,抽象的な労働への無関心の一

方で“職人”のような働くことすなわち社会的

有用労働への関心の復活,地域輿し“地域通貨”

やコミュニティ・ビジネスに象徴されるまちづ

くり,地域の歴史や文化など個性を活かした地

域輿しへの関心,等々。それらに共通している

ことは, 目標を市場経済システムによって実現

しようとしていることで、あるIO)。といっても,

関心は,社会的役割や労働における質 ・量の分

離でなく,質 ・量双方にある。言い換えれば,

商品と貨幣とへ転倒的・対立的に分離された「労

働の二重性」ではなく,社会的役割を担う「質

+量」として把握されべきそれである。

現代ほど資本化した貨幣が,労働や商品と貨

幣とからなる市場経済の根底が,生活レベjレか

ら問われている時代はない。それに応える理論

が「労働の二重性j論や商品の商品と貨幣との

分裂論から直ちに導き出させる訳でないが,商

品と貨幣との対立として表われる市場経済の矛

盾の現実の展開を資本に委ねた意味を含めて,

現代市場経済の根底が問われているゆえに, 「労

働の二重性」 論とそれが批判的経済学理解の跳

躍点である意味を探求するととが求められてい

るように思われる。

引用文献

林 直道『史的唯物論と経済学』上,大月書店, 1971

10)そのような社会的潮流を受けるものとして。市場経済

の存在を前提する「社会経済学J[大野 1998]があり「市

場社会」論[佐伯 ・松原 2002]がある。

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「労働の二重性」論の経済学的意味

久留間鮫造『増補新版恐慌論研究』大月書店. 1965年

K.マルクス『マルクス ・エンゲルス全集』第32巻,大

月書店,1973年

Kマルクス『経済学批判要綱』(『資本論草稿集』①大

月書店. 1981年)

Kマルクス『経済学批判原初稿』 (『資本論草稿集』③

大月書店, 1984年)

正木八郎「商品論と抽象的人間労働J(『現代思想』1975

年12月臨時増刊号所載)

正木八郎「抽象的人間労働と経済学批判一一『資本論』

第 l部第5章の検討を中心に」『名城商学』第27巻第

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見回石介『資本論の方法』弘文堂新社1963年。後に『見

田石介著作集』第4巻,大月書店1977年に収録

大野節夫『社会経済学』大月書店,1998年

イ・ルービン (竹永進訳)『マルクス価値論概説』法政

大学出版局 1993年

高木彰『市場価値論の研究』御茶の水書房 1987年

高橋秀直「『抽象的人間労働二歴史的範崎』説の検討」

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高橋秀直「分析的方法における古典派とマルクス」『弘

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- 17

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Sストレンジ (小林薬治訳)『カジノ資本主義 国際金

融恐慌の政治経済学』岩波書店,1988年

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1980年

頭川博 「価値形成労働の概念 労働価値論の発端

命題の理論的分析j『一橋論叢』第84巻第2号 1980

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