朝のこない夜はない...— 5 — 但たん 行 ぎょう 礼らい 拝はい 日にち 蓮れん 聖 しょう 人にん は「お釈 しゃ 迦 か さまの教 おし えは人

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  • 山首 

    鈴木正修

    朝のこない夜はない

    仏ぶっ性しょうを拝おがみましょう

     

    人ひとの良よいところを

      

    見みつけて

       

    ほめましょう

  • — 5 —

      

    但たん行ぎょう礼らい拝はい  

     

     

    日にち蓮れん聖しょう人にんは「お釈しゃ迦かさまの教おしえは人ひとの振ふ

    る舞まいにある」と言いわれました。その元もとに

    あるのが「常じょう不ふ軽きょう菩ぼ薩さつ」の行おこないです。

     

    常じょう不ふ軽きょう菩ぼ薩さつは会あう人ひと毎ごとに手てを合あわせ、

    「私わたくしはあなたを軽かろんじません。あなたは将しょう

    来らい、菩ぼ薩さつ道どうを行ぎょうじて仏ほとけとなる人ひとだから、私わたくし

    はあなたを敬うやまいます」と言いって歩あるかれまし

    た。いきなりそう言いわれた人ひとはびっくりし

    て、中なかには怒おこる人ひともいました。極きょく端たんな人ひとは、

    石いしを投なげつけてきました。それでも常じょう不ふ軽きょう

    菩ぼ薩さつは「あなたは必かならず仏ほとけになる人ひとです」と

    拝おがむことを止やめませんでした。

      

    人ひとの良よい部ぶ分ぶんだけを見みる  

     

     

    アメリカに、次つぎのようなお話はなしがあります。

    紫し雲うん荘そうという修しゅう養よう団だん体たいの代だい表ひょうだった、橋はし本もと

    徹てつ馬まさんが書かいておられます。

     

    アメリカのある刑けい務む所しょに十九歳さいの凶きょう悪あく犯はん

    が入はいってきました。刑けい務む所しょではどんな凶きょう悪あく

    犯はんにも必かならず教きょう戒かい師しがつきますが、この少しょう年ねん

    についた教きょう戒かい師しの神しん父ぷさんが話はなしをしようと

    したら、少しょう年ねんは最さい初しょ「俺おれは天てん国ごくの案あん内ない人にんの

    話はなしなんか聞きかない。だまされないぞ。向むこ

    常じょう不ふ軽きょう菩ぼ薩さつのこと

  • — 6 —

    うに行いけ」と言いって聞きこうとしませんでし

    た。

     

    それから七年ねん後ご、その神しん父ぷさんの「教きょう戒かい

    師し生せい活かつ二十五年ねん」というお祝いわいの式しき典てんがその

    刑けい務む所しょであり、驚おどろいたことにかつての少しょう年ねん

    が出しゅっ席せきしてスピーチをしました。

    「自じ分ぶんは神しん父ぷさんのおかげで生うまれ変かわり

    ました。自じ分ぶんはろくでもない人にん間げんだと思おもっ

    ていましたが、神しん父ぷさんが『君きみの良よい所ところば

    かりが私わたくしには見みえる。君きみは素す晴ばらしい人にん間げんだ』

    と会あうたびに言いって下くださったのです」

     

    つまり“その気きになった”ということで

    す。神しん父ぷさんによって“自じ分ぶんには良よい所ところが

    ある。いい人にん間げんなんだ”と刷すり込こまれたの

    です。

     

    少しょう年ねんはこの時とき、結けっ婚こんして子こどもが出で来き、

    空くう軍ぐんに入にゅう隊たいして戦せん功こうを納おさめ、世せ間けんの人ひとから

    尊そん敬けいされるような人にん間げんになっていました。

    それも全ぜん部ぶ、「神しん父ぷさんのおかげ」と言いい、

    「神しん父ぷさんが、私わたくしには良よい所ところがたくさんあ

    ると言いって下くださったおかげで、私わたくしは刑けい務む所しょ

    を出でてから何なんの引ひけ目めも感かんじずに頑がん張ばれま

    した。そして普ふ通つうの人ひと以い上じょうに幸しあわせに、また

    世せ間けんの尊そん敬けいを集あつめられるような人にん間げんになれ

    ました。『二度どと帰かえってきたくない刑けい務む所しょ』

    に今きょ

    う日帰かえってきたのも、神しん父ぷさんのために

    スピーチをしたいがために他ほかなりません」

    とお礼れいを述のべたのです。

     

    橋はし本もとさんの話はなしによると、一いっ般ぱんの刑けい務む所しょは

    再さい犯はん・累るい犯はんと言いって、一度ど出でても戻もどってく

  • — 7 —

    る人ひとが多おおいと言いいます。ところがその刑けい務む

    所しょでは、この神しん父ぷさんのおかげで八割わり近ちかい

    人ひとが戻もどって来くることなく、七割わり近ちかい人ひとが普ふ

    通つうの人ひと以い上じょうに成せい功こうしたと言いいます。その実じっ

    績せきを見みて橋はし本もとさんは「人にん間げんの善ぜんなる部ぶ分ぶん、

    仏ぶっ性しょうを拝おがむことが大だい事じである。そうしてゆ

    けば必かならず立たち直なおる、と信しんじきることが大だい事じ

    だ」と言いわれています。

     

    大だい体たいの人ひとは「刑けい務む所しょに入はいるような人にん間げんは

    悪わるいやつだ。悪わるいやつはなかなか良よくなら

    ない」と思おもっています。そう思おもってそうい

    うことを言いうので、言いわれた人ひとも「自じ分ぶんは

    悪わるい人にん間げんなんだ」と刷すり込こまれ、「矯きょう正せいす

    ることは出で来きない」と思おもい込こんでしまいま

    す。刑けい務む所しょを出でても悪わるい刷すり込こみのままな

    ので「また自じ分ぶんはやってしまうかな。世せ間けん

    の人ひとは自じ分ぶんのことをそう見みているに違ちがいな

    い」となって、また罪つみを犯おかしてしまうので

    す。そうならないために、人ひとの良よい部ぶ分ぶんを

    見みて拝おがむことが大だい事じになるのです。これは、

    常じょう不ふ軽きょう菩ぼ薩さつの精せい神しんと同おなじです。

      

    ホ・オポノポノ  

     

     

    今いまから八、九年ねん前まえハワイの秘ひ法ほう「ホ・オ

    ポノポノ」というのが流は行やりました。

     

    ハワイ州しゅう立りつ病びょう院いんの「触しょく法ほう精せい神しん障しょう害がい者しゃ病びょう棟とう」

    の担たん当とうをしておられた精せい神しん医い学がく者しゃのヒュー

    レンという方かたが広ひろめられたのです。

     

    触しょく法ほう精せい神しん障しょう害がい者しゃ病びょう棟とうとは、犯はん罪ざいを犯おかした

    けれども精せい神しん障しょう害がいによって不ふ起き訴そになった

  • — 8 —

    人ひとが収しゅう容ようされている病びょう棟とうのことです。その

    病びょう棟とうは非ひ常じょうに荒あれていて、看かん護ご師しも医い者しゃも

    怖こわくてなかなか近ちか寄よれませんでした。いつ

    後うしろから襲おそわれるかわからないので、いつ

    も壁かべを背せにして歩あるいていたそうです。担たん当とう

    になると仮け病びょうを使つかって休やすむお医い者しゃさん、看かん

    護ご師しさんも多おおかったそうです。実じっ際さいに収しゅう容よう

    者しゃに危き害がいを加くわえられた人ひとも大おお勢ぜいいました。

    そこにヒューレン医い師しは配はい属ぞくされたのです

    が、それ以い来らい、病びょう棟とうの雰ふん囲い気きがだんだん変か

    わっていったと言いいます。まず、収しゅう容ようされ

    ている人ひと達たちが乱らん暴ぼうをしなくなったのです。

    それから病びょう棟とう全ぜん体たいが落おち着ついてきて、お医い

    者しゃさんも看かん護ご師しさんも休やすまなくなり、つい

    には退たい院いん出で来きる人ひとも出でてきました。ヒュー

    レン医い師しのいた五年ねん間かんでほとんどの人ひとが良よ

    くなって退たい院いんし、結けっ局きょくその病びょう棟とうは必ひつ要ようなく

    なり、閉へい鎖さになったそうです。

     

    そこでヒューレン医い師しはいったい何なにをし

    たのか、が話わ題だいになりました。

     

    ヒューレン医い師しは「私わたくしがしたのは入にゅう院いん患かん

    者じゃ達たちのカルテを見みて、拝おがんだだけです。写しゃ

    真しんとプロフィールを見みて、ある言こと葉ばをつぶ

    やいて拝おがんだのです」と言いわれました。不ふ

    思し議ぎなことですがそれだけで良よくなったと

    いうのです。

     

    その言こと葉ばは「愛あいしています」という言こと葉ば

    です。

     

    常じょう不ふ軽きょう菩ぼ薩さつも、教きょう戒かい師しをされていた神しん父ぷ

    さんもヒューレン医い師しも、「人にん間げんは拝おがむだ

  • — 9 —

    けで良よくなる。相あい手ての良よいところだけを見み

    て、そこを拝おがむ。それだけでその良よい部ぶ分ぶん

    が現あらわれてくる」ということを教おしえてくれ

    ています。

     

    人ひとの仏ぶっ性しょう、良よい部ぶ分ぶんを一いっ生しょう懸けん命めい拝おがみ、引ひ

    き出だすには、言こと葉ばが必ひつ要ようです。その言こと葉ばに

    よって人にん間げんは変かわります。親おやから子こどもへ

    の言こと葉ばとか、学がっ校こうの先せん生せいから生せい徒とへの言こと葉ば

    によって変かわることはよくあります。

      

    言こと葉ばの力ちから  

     

     

    こんな話はなしがあります。アメリカのある学がっ

    校こうで、理り科かの授じゅ業ぎょう中ちゅうに実じっ験けんに使つかっていたマ

    ウスが逃にげ出だしました。みんなで一いっ生しょう懸けん命めい

    探さがしましたが見みつかりませんでした。先せん生せい

    は何なんとか見みつけようと、「これだけ探さがして

    発はっ見けん出で来きないなら、あとはスティーブ・モ

    リスくんにお願ねがいするしかない」と言いいま

    した。それも自じ信しんたっぷりに言いったのです。

     

    すると途と端たんに「なんであいつに探さがせるん

    だ」とみんながざわざわし始はじめ、一ひと

    り人の生せい

    徒とが「モリスくんには無む理りですよ」と言いい

    ました。モリスくんは目めが見みえないのです。

    すると先せん生せいが「確たしかにモリスくんは目めが不ふ

    自じ由ゆうです。だからモリスくんには無む理りだと

    みんな思おもうかも知しれません。でも先せん生せいは知し

    っています。モリスくんは目めは不ふ自じ由ゆうでも、

    神かみ様さまから素す晴ばらしい能のう力りょくをもらっています。

    それは聴ちょう力りょくです。それを活いかせば必かならずマウ

    スを見みつけてくれると先せん生せいは信しんじています。

  • — 10 —

    モリスくんお願ねがい出で来きますか」と言いいまし

    た。するとモリスくんは「わかりました」

    と言いって耳みみをすませ、マウスの鳴なき声こえを聞き

    きつけてすぐに見みつけたそうです。

     

    モリスくんはその日ひの日にっ記きに「僕ぼくは生うま

    れ変かわった。先せん生せいは僕ぼくの耳みみを『神かみさまがく

    れた耳みみ』と言いって褒ほめてくれた。僕ぼくはそれ

    まで目めが不ふ自じ由ゆうなことを心こころの中なかで重おも荷にに感かん

    じていた。でも、先せん生せいが耳みみを褒ほめてくれた

    ことで、僕ぼくには大おおきな自じ信しんがついた」と書か

    いたそうです。

     

    マウス事じ件けんから時ときが経たって、モリスくん

    はその「神かみの耳みみ」を活いかし、音おん楽がくの道みちに進すす

    みました。そして“スティービー・ワンダ

    ー”となったのです。先せん生せいのひと言ことによっ

    て大だい音おん楽がく家かが誕たん生じょうしたというお話はなしです。

     

    逆ぎゃくの話はなしもあります。ある高こう校こう生せいが交こう通つう事じ

    故こで頭あたまを怪け我がして、意い識しき不ふ明めいの重じゅう体たいになり

    ました。それでも家か族ぞくはあきらめず「戻もどっ

    て来こい。戻もどって来こい」と二十四時じ間かん、耳みみ元もと

    で言いい続つづけました。お医い者しゃさんに「刺し激げきを

    加くわえるといい」と言いわれたので、一いっ生しょう懸けん命めい

    手てをさすったり、顔かおをなでたりもしました。

    その甲か斐いあって、一か月げつ過すぎた頃ころ、体からだがピ

    クッと動うごきました。それに自じ信しんがついて、

    家か族ぞくがより一層そう、声こえをかけたり、さすった

    りしたところ、二か月げつたって意い識しきが回かい復ふくし

    ました。それから、右みぎ半はん身しんが動うごくようにな

    りました。右う脳のうが特とくに傷きずついていたので、

    左ひだり半はん身しんは動うごかないだろうと言いわれていまし

  • — 11 —

    たが、その左ひだり半はん身しんまでが正せい常じょうに動うごくように

    なりました。二年ねん後ごには高こう校こうに復ふく学がくも出で来き

    ました。奇き跡せきでした。

     

    ところが復ふく学がくした後あとに一ひと

    り人の教きょう師しが「と

    ても頑がん張ばっているようだけれども、右う脳のうの

    大たい半はんに傷きずがついてしまっているから、いく

    ら頑がん張ばっても限げん界かいがあるだろう。君きみのよう

    なハンディを背せ負おった生せい徒とが通かよう学がっ校こうがあ

    るから紹しょう介かいしようか」と言いったのです。先せん

    生せいは善ぜん意いで言いったのかもしれません。しか

    し、その生せい徒とは「右う脳のうに傷きず」「ハンディ」

    という言こと葉ばにすごくショックを受うけ、家いえに

    帰かえってから左ひだり半はん身しんがまったく動うごかなくなっ

    てしまいました“心こころない教きょう師しの一言こと”で、

    いくらリハビリをしても動うごかなくなってし

    まったのです。

      

    母はは親おやの愛あい  

     

     

    神こう津づカンナさんが講こう演えんですばらしい話はなしを

    してみえます。

     

    生うまれつき耳みみたぶが片かた方ほう無ない男おとこの子こがい

    ました。クラスメイトがこの子こをからかい、

    いじめました。しかしその子こは非ひ常じょうに強つよく

    て、からかわれてもいじめられても平へい気きで、

    逆ぎゃくに相あい手てをやり込こめてしまうぐらいでした。

    担たん任にんの女じょ性せい教きょう師しが“なんでこの子こはこんな

    に強つよいのだろう”と不ふ思し議ぎに思おもい、本ほん人にんに

    聞きいてみました。するとその子こは「僕ぼくは他た

    人にんに何なにを言いわれてもぜんぜん気きにならない

    んです。落おち込こむこともありません。なぜ

  • — 12 —

    なら、お母かあさんが小ちいさい頃ころから『お前まえの耳みみ

    はへんちくりんだけれども、お母かあさんは世せ

    界かい一その耳みみが大だい好すきだよ』と言いって、いつ

    も耳みみにキスをしてくれたのです。僕ぼくはお母かあ

    さんが褒ほめてくれるから、他ほかの人ひとに何なにを言い

    われても平へい気きなんです」と言いったというこ

    とです。

      

    仏ぶっ性しょうへの働はたらきかけ  

     

     

    言こと葉ばが大だい事じなのです。ホ・オポノポノの

    ヒューレン医い師しは障しょう害がい者しゃの写しゃ真しんとプロフィ

    ールを見みて「愛あいしています」とカルテに向む

    かい、語かたりかけました。それだけで、言いわ

    れた障しょう害がい者しゃが変かわっていったように、言こと葉ば

    は本ほん当とうにすごい力ちからを持もっています。特とくに相あい

    手ての内ない面めんの仏ぶっ性しょうに働はたらきかけるつもりで、相あい

    手てをほめ、力ちからづける言こと葉ばを使つかってゆくなら

    ば、人にん間げん関かん係けいはより良よくなるに違ちがいありま

    せん。