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竹下英二・佐藤純之:二本松神社の祭礼囃子一亀谷町の「しゃんぎり」について一 49 二本松神社の祭礼囃子 一亀谷町の「しゃんぎり」について一 下藤 竹佐 1 福島県二本松市は10万石の城下町である。この 町の二本松神社の秋祭酌)は毎年10月4・5・6日 の3日間行なわれ,本町,亀谷町,竹田町,松岡 町,若宮町,根崎町,郭内町の7町がそれぞれ1 台の太鼓台に数百個の提灯を飾1),市内を練1)歩 き,華麗な祭礼囃子を奏する。豪華で,大規模な この祭りは,日本三大提灯祭上)の一つに数えられ, 「二本松提灯祭り」という名称で全国的に知られ ロユ ている。 この祭礼囃子に対する町民のエネルギーは計1) 知れないものがある。「字(あざ)意識」のことさ ら強い各町内は,9月のなかばともなると,練習 を始め競って技に磨きをかける。子どもたちの多 くは,もの心がつくかっかないかのうちからやが ては囃子方の一員になることが運命づけられてで もいるかのように周囲のおとなたちによってその 状況に追い込まれ,その中で「箸で茶碗を叩いて練 習する」といった自発的な子どもの営みが引き出 されていく家庭も少なくない。また,祭礼囃子の 推進にあたってその中核を担うのは,「差違」とい われる30才代前半までの青年たちである。彼らは, 「字」ごとに堅固な結束をもち,「若連」の一員で あることが若者としての誇1)であり,囃子方とし て活躍することが「字」を担うものとしての誉で あると考えている。同時に,彼らは子どもたちの めんどうを実によくみ,熱心に教育にあたる。祭 囃子に対する意識や積極性の強さに町内間の著し い差はみられない。子どもたちと「若連」を外側 から大きく深く包んでいるのが元「若連」の先輩 たちや町内会の人たちであり,こういつた世代間 の比較的強い結びつきの中で,太鼓台を引きまわ して市内を練ポ)歩く祭り囃子の活気はたいへんな ものである。酔いしれるうちに次第に意識の高揚 がはかられる「若連」の囃子方は,極めて速い速 度になっても決してそれからはみ出すことなく, 入り組んだりズムをなかば即興的に刻んでいく。 「若連」と子どもたちによる呼吸のぴったり合っ た囃子は,市民たちを激しい興奮の渦の中に巻き 込んでいく。 群馬県大間々町の山車囃子の場合は,伝承がと だえたり存続が危ぶまれている町内もあり,世代 間の交代を確実に行ない伝統を守り続けている町 こヨレ 内はわずか1つというから,今日において民俗芸 能,と童)わけ祭り囃子を継承していくことはたい へんむずかしいといえよう。その意味で,二本松 の場合は伝統が市民の結束と努力によセ)堅持され てきている数少ない祭礼囃子として注目されてよ いように思われる。 そこで本論では,昨夏からの現地調査と取材, そして昭和54年に二本松若連連合会によって企画・ 製作されたレコード(Toshiba SEL-7020-21 をもとに,亀谷町の囃子の1つ「しゃんぎり」に その対象を限定し,二本松の祭礼囃子を音楽的側 面から分析・考察することを意図し,本研究の端 緒としたい。 2 二本松神社の祭礼囃子について 福島大学教育学部音楽科学生 (1)祭礼囃子の沿革 いまからおよそ350年ほど前の寛永20年(1643 年)に,白河から二本松に移封された丹羽光重は, 従来お城山に鎮座していた安達氏の守護神八幡神 社と熊野神社の両社を,万治3年(1660年)に現 在の鎮座地栗ヶ棚に移し,二本松の総鎮寺と定め, 領民一般の自由参拝を許した。このころの祭典は, 広場前で舞台や離子等を奉納した程度だった,と いい伝えられているが,確かな証拠はない。光重 公はこの神社の祭りの奉納囃子として京都の「祇 園ばやしを採1)入れ,郷土豊かな調べとした」,と

二本松神社の祭礼囃子ir.lib.fukushima-u.ac.jp/.../fukuro/R000000887/5-237.pdf · 50 福島大学教育学部論集36号 これまで一般的にいい伝えられているが,二本松

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  • 竹下英二・佐藤純之:二本松神社の祭礼囃子一亀谷町の「しゃんぎり」について一 49

    二本松神社の祭礼囃子一亀谷町の「しゃんぎり」について一

    下藤

    竹佐

    英  二

        崇純  之

    1 は じ め に

     福島県二本松市は10万石の城下町である。この

    町の二本松神社の秋祭酌)は毎年10月4・5・6日

    の3日間行なわれ,本町,亀谷町,竹田町,松岡

    町,若宮町,根崎町,郭内町の7町がそれぞれ1

    台の太鼓台に数百個の提灯を飾1),市内を練1)歩

    き,華麗な祭礼囃子を奏する。豪華で,大規模な

    この祭りは,日本三大提灯祭上)の一つに数えられ,

    「二本松提灯祭り」という名称で全国的に知られ  ロユている。

     この祭礼囃子に対する町民のエネルギーは計1)

    知れないものがある。「字(あざ)意識」のことさ

    ら強い各町内は,9月のなかばともなると,練習

    を始め競って技に磨きをかける。子どもたちの多

    くは,もの心がつくかっかないかのうちからやが

    ては囃子方の一員になることが運命づけられてで

    もいるかのように周囲のおとなたちによってその

    状況に追い込まれ,その中で「箸で茶碗を叩いて練

    習する」といった自発的な子どもの営みが引き出            て ンされていく家庭も少なくない。また,祭礼囃子の

    推進にあたってその中核を担うのは,「差違」とい

    われる30才代前半までの青年たちである。彼らは,

    「字」ごとに堅固な結束をもち,「若連」の一員で

    あることが若者としての誇1)であり,囃子方とし

    て活躍することが「字」を担うものとしての誉で

    あると考えている。同時に,彼らは子どもたちの

    めんどうを実によくみ,熱心に教育にあたる。祭

    囃子に対する意識や積極性の強さに町内間の著し

    い差はみられない。子どもたちと「若連」を外側

    から大きく深く包んでいるのが元「若連」の先輩

    たちや町内会の人たちであり,こういつた世代間

    の比較的強い結びつきの中で,太鼓台を引きまわ

    して市内を練ポ)歩く祭り囃子の活気はたいへんな

    ものである。酔いしれるうちに次第に意識の高揚

    がはかられる「若連」の囃子方は,極めて速い速

    度になっても決してそれからはみ出すことなく,

    入り組んだりズムをなかば即興的に刻んでいく。

    「若連」と子どもたちによる呼吸のぴったり合っ

    た囃子は,市民たちを激しい興奮の渦の中に巻き

    込んでいく。

     群馬県大間々町の山車囃子の場合は,伝承がと

    だえたり存続が危ぶまれている町内もあり,世代

    間の交代を確実に行ない伝統を守り続けている町           こヨレ内はわずか1つというから,今日において民俗芸

    能,と童)わけ祭り囃子を継承していくことはたい

    へんむずかしいといえよう。その意味で,二本松

    の場合は伝統が市民の結束と努力によセ)堅持され

    てきている数少ない祭礼囃子として注目されてよ

    いように思われる。

                        ゆ そこで本論では,昨夏からの現地調査と取材,

    そして昭和54年に二本松若連連合会によって企画・

    製作されたレコード(Toshiba SEL-7020-21)

    をもとに,亀谷町の囃子の1つ「しゃんぎり」に

    その対象を限定し,二本松の祭礼囃子を音楽的側

    面から分析・考察することを意図し,本研究の端

    緒としたい。

    2 二本松神社の祭礼囃子について

    ※ 福島大学教育学部音楽科学生

    (1)祭礼囃子の沿革

     いまからおよそ350年ほど前の寛永20年(1643

    年)に,白河から二本松に移封された丹羽光重は,

    従来お城山に鎮座していた安達氏の守護神八幡神

    社と熊野神社の両社を,万治3年(1660年)に現

    在の鎮座地栗ヶ棚に移し,二本松の総鎮寺と定め,            く 領民一般の自由参拝を許した。このころの祭典は,

    広場前で舞台や離子等を奉納した程度だった,と

    いい伝えられているが,確かな証拠はない。光重

    公はこの神社の祭りの奉納囃子として京都の「祇                   て コ園ばやしを採1)入れ,郷土豊かな調べとした」,と

  • 50 福島大学教育学部論集36号

    これまで一般的にいい伝えられているが,二本松

    の祭礼囃子に関する民俗芸能史の研究家である相

    原達郎氏は,両者の曲名,楽器の構成,等の比較

    検討を行なった結果,そのような関係はみられな       くのいと指摘している。

     最初の二本松神社の祭礼囃子に関する記述が入

    っている『相生集』によると,寛文4年(1664年)

    の出来事として「……初めて神輿を渡し,神楽太

    鼓を打て,町々を押わたり……」ということが記      コ録されている。今日の全国各地の祭礼囃子や出雲

    流神楽にみられる「聖天(聖殿,正伝)」や「岡崎」

    といった曲が二本松の祭礼雛子にも存在しているのコ

    が,もしそれらが共通の先祖から生まれたものだ

    と考えることが可能なら,この記述の中に太鼓台

    が出来る以前からある古い素朴な祭りの姿を想起

    することが出来るし,逆に今日の神楽太鼓の響き

    の中に当時の祭礼雛子の様子を多少なりとも推量

    することができよう。寛政3年(1791年〉の「二

    本松藩月香留書』の中に出ている「御祭礼行列書

    上帖」の件りに,このころ現在の太鼓台の前身に

    あたるものが存在していたこと,囃子の編成は笛,

    鼓,太鼓から成り立ち,しかもどの町内も鼓の数

    がかなり多く重要な役割をもっていたこと,等が     くゆ                                ヤ

    書かれている。従って,当時の囃子は現在のよつ

    な威勢のよさとはかなり異なった感じのものと思

    われる。現在の大太鼓,小太鼓(締太鼓),鼓,篠

    笛,鉦(かね)から成りたつ囃子の形態になった

    のは幕末以降だと一般的にいわれているが,それ

    を証明する確固たる資料はいまのところない。し

    かし,天保2年(1831年)に本町見付に定舞台が

    でき本格的な歌舞伎の興行が行なわれはじめたと       いう記録がある。相原達郎氏は,「その定舞台の下

    では当然歌舞伎の下座音楽も奏されていたと思わ

    れるので,当時の祭り囃子もその影響を少なから

    ず受けていたと思われる。二本松の祭礼囃子の曲

    目のうち「豊囃子」以外の全ての曲目が歌舞伎の

    下座音楽にもあることは,そのことを裏づける何              のよりの認左である吐と述べている。また,締太鼓

    の奏法が類似していること,大太鼓の俘が長俘で

    あること,笛の運指が類似していること,等の点

    からみても,下座音楽との結びつきが強いと考えなければならな漂。更に,今日の,二本松の「提

    灯祭融)」(町の人たちはこの観光化された名称を必

    ずしも好まない。彼らは,あくまでも二本松神社

    の「祭礼囃子」だと言う)の「絢爛極まりない,

    1984-9

    華麗な祭典翌の様子や,見事な彫刻をほどこした

    金色さんぜんたる太鼓台を見て,恐らく「文化

    (1804~1818)・文政(1818~1830)の江戸文化爛

    熟期の影響伊を,直接間接受けていることは容易

    に想像がつくであろう。

     以上の考察から,二本松の祭囃子は,これまで

    少なくても三つの大きな様式的変化,つまり,①

    神楽太鼓の様式,②鼓中心の様式,③現在の様式,

    を経てきたことが理解できる。

    (2)祭礼囃子の概要

     およそ間口160cm,奥行230cm,高さ4mの4つ

    車で,箱棟や欄間等には彫刻をほどこし,金箔仕

    上がされた太鼓台の中には,大太鼓が1個,小太

    鼓3個,篠笛が2,3本,鉦が1個,場合によっ

    ては鼓が1個乗せられ演奏される(交替要因を入

    れると太鼓台に乗り込む人数はさらにふえる)。大

    太鼓は直径46cmから50cm,胴長54cmから62cm、小

    太鼓は胴の直径24cm,胴長15cmの通常の締太鼓,

    鼓は直径25cm,胴長40em,鉦は直径17cm前後の伏

    鉦,笛は7孔の篠笛である。大太鼓と笛は,各町

    内に在住する30才代前半までの青年たちによって

    構成され,祭り推進の原動力となっている「若連」

    のメンバーが,他の楽器は小学校上学年から中学                    ロ日枝までの男の子どもたちが,それぞれ担当する。

     現在まで伝承されている曲目には,「しゃぎ『)又

    はしゃんぎり」「若雛子」「角兵衛」「角兵衛くずし」

    「てんや」「てんやくずし」「祇園」「祇園くずし」「豊

    囃子」「一本囃子」「岡崎」「ショーテン」があるが,

    各町内はおよそ5,6曲のレパートリーをもってい

    る。因みに,相原氏は既に廃絶したもの,同名異

    曲,異名同曲,等を含め,各町内毎に分類してい

    るので上げておく。η(次頁参照)。

     表からわかるように,亀谷町の場合は,「しゃん

    ぎり」「祇園」「角兵衛」「角兵衛くずし」「豊囃子」「昇

    殿」の6曲が伝承されている。これらの曲目はい

    ずれも奏する時と場所が決っている。「しゃんぎり」

    は,最も威勢のよい囃子であ廿),雛子方にとって

    最も重要な演奏曲目である。「しゃんぎり」は,祭

    りの最初と最後に奏され,また,急ぐ時や坂を登

    る時,太鼓台の向きを変える時など,若連の志気

    を高める時に奏される。「祇園」は,神輿渡御にし

    たがって進むとき等,平担地にて奏される。「角兵

    衛」は,平垣地での流しの囃子であ融),「角兵衛く

    ずし」は,軽快な調子で,士気を高め雰囲気を盛

    り上げるのに効果があり,「角兵衛」と連続して奏

  • 竹下英二・佐藤純之:二本松神社の祭礼雛子一亀谷町の「しゃんぎり」について一 51

    プ名

        町  名

    Oルー @ 曲 名本町

    亀谷町

    竹田町

    松岡町

    根崎町

    若宮町郭内

    砂 切砂     切

    瘁@ 離  子

    O O ○ ○ ○ ○●

    角兵衛

    角  兵  衛

    p兵衛くずしト  ん  や

    トんやくずし

    ○ ○●

    O苧○●

    O苧○●

    キ  ザ  ミ △ △

    祇 園

    祇     園

    ケ     天

    O ○ ○2

    ○ ○ ●

    紙園くずし ●

    祇 園ュずし 祇園くずし △ ○

    通 り

    浴@子

    豊  離  子

    黶@本 雛 子

    ○ O ○ ○ ○3

    岡 崎 岡     崎 × × O × × ×馬 鹿

    」 子馬 鹿 離 子 △ △注4 △ ×

    聖 天 聖     天 × ○ △ △注2 ○ ○

    オシャト

    Eロウ

    オシャトウロウ

    iオオヤトロ)

    iシントウロウ)

    △ △ △ △ △ △ △

    十六節 十  六  節 △

    ○現在奏されている曲

    ●現在奏されている曲の中でも大正以降に作曲又は編曲さ

     れた曲

    △以前に奏されていた曲の中でその存在が確認できた曲

    ×以前に奏されていたとも言われているが確認ができない曲

    注1 松岡、若宮両町は「角兵衛」を「てんや」と呼ぶ、

    これは昔の口唱歌より曲名が転じたものである。

     天や 天や オテ天天 ~~

    注2 現在松岡町では「祇園」を「聖天」と呼んでおるが、

    宮詰の曲r聖天」が廃絶したため「祇園」を「聖天」と呼び

    替えて1曲にて2曲の役目をしている。

    注3 「通『)囃子」は「豊囃子」 「一本囃子」と呼ばれて

    いる。

    注4 現在太鼓の雛子のみ残っておるが後にこの囃子につ

    いての調査を記した。

    大太鼓のリズムパターン分類表(亀谷町)

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  • 1984-9福島大学教育学部論集36号52

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    ㎜「角」  「り」

    「角1  「り」    、

    「り」  「幅」  「り」  「り」           「物」 -り」 -恥」   -隔」 -り」   -再」 -り」   -物」 -り」

    「物」 「角」

    樒嘱〆マ韻嘱望 溜

    11N

    嫁翼

    ■溝

    掌理

    瑠 ヶ迷

    O緬命je盲ゆ,鯉

    一一一

  • 53竹下英二・佐藤純之:二本松神社の祭礼囃子一亀谷町の「しゃんぎ})」について

    -隔」   -り一」   -り」    -匂」     -軸」    -角」    -角」 -『」

    昌         ●●…「角」“一        .

    「暢」一「角1     …

    「り」               隔[              』“

    -隔」

    -り」

    -りIJ

    「り」

      -り」

    -り」-

    軸」

    -匂」

    -りlJ

    -物」

    -りト」

    -輔」

    -り」

    -り」

    -勉』

    -り」

       参

    -匂1」

    -り」     -り」    -軸」 -角IJ一    -匂一」 -角」    -勉』   -角IJ}

    「勢」

    「隔」「輪1

    「り」   「り       』p  匂」   「り[    』9  「り」  「り」

    -り」

     「り」

    -り[」

        参

    -角」

    -り」

    8「り[

     -物」

       も

    -匂」

    「り」

    -匂」

    -鱒1」

    -り」  -り一}」    -角」  -角」    -噸」 -角」    -角」  -噸IIJ

    「輔」

    「殉」「り一

    「軸」 「鱒」

    物[     』?        「り」    りし    き       .「物」

    -物」 -り」    -隔1」 -輔」   -隔』-角」   -軌IJ  -角1」

    「角」 「物1

    「再」

    「鴨1「り」

    「り」     ⊃カ

    -物」

    -り』

    1り

    Jも

    -物」

    -隔1』

    -り」

    -幡」

    -り」

    -隔』

        も

    -輪」

    -り」-匂」

    -物IJ

         「り」

    -り』-り」

    -勢1」

        Oo白

    -り」

    -り』 -物」   -り」   -り」   -輔」-匂」   -『』-匂」    -『」

    「り」

    「鱒」「輔」    )

    「り一

    「暢」

    -隔」

      0

    1匂』

        「暢」

    -角1」-り」

    -匂」

    -り」

    -軌』

    -角」

    -隔」 -匂』     -角1」コ 一り」   -匂」  -匂」    -角』 -角」

    「軌1し

    「勉1「り」    )

     「り一))

    匿  勉[     翰L               「り一

    「毎I」

    一 -角」   -向」    -向」  -向」    -向」  -角」    -角」  「角」

    「り一一「り」) )

    ))

    O卜    「りl」

    -り」

    -り」

    -り」

    -鱒」

    -り」

    -り』

    -隔」

         O卜

    -り』

    -り」

    -り」

    -軸」

    -り」

    -角」

    -匂』

    「匂」

    -り」

    -角」  -角」    -噌』  -軌』   -槻」   -軸」   -向』   -『」

    .       (,,■     )

    ) )

    -り」

    1

    -隔』

    -り」

    -り」

    -軸」

    -り』

    -物1』

    -角」    - 了    -舛』   -『」   -『」   -角」   -『』   -軌1』

           ……「匂」“       ㎜

           “、「り」…  ㍉ノ

    …)

    -角」    -角」    -角1」↓   -角」   -角」   ]角」   -鯛」    -角」

            己  「輔」 .)

     一 1) 1

    OO

    -勢」

    -り」

    -匂」

    -り」

    -物IJ

    OO

    -り」

    -再」

    -り」

    -物」

    -り』

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    -りJ

    -匂」

    -り」

    -匂」

    -鱒」

    -角」   -角」   -舛」   -『」     -角』   -『J   -鯛」     -角」

    「動   「暢」   隔[       「物」

    -り』

    -匂」

    -り」

        「暢」

    -軸」  -り」

    -り」

    -り』

    「物」

      -り』

    -軸』

    -軸」

    -噌」

    -『」

    -『」

    -角」

    -角』

    -噌』

    1

    「り一

    ,甲帰’「隔」

    ,●,.「物」

    1

    「り」

    Oの

  • 984-9福島大学教育学部論集36号54

    -り」

    -隔』

    「り’」 「り[

    「りI」 「り[

    「り一」

    勉[

    隔上 「師

          りし      「り」  

    「物」 「り」

                 oゆ需ゆ幻月ゆご釦罫}“世運e慕 、判}《・喰皿垢’マ。り寸

                               oゆ居物蘇尋・載皿蛋ノマ}刊“瑚

                              。面’)》」埋観劇H噺P岳鯛GM山

      

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    Bゆ二》い£暴}令「「(『姑 「月砧4k【一e=

                                    「り一

       。ゆ二》」埋蝦2の .虞蜘嚇車鄭口へ「}飛「黒目e螺距曝e{翼}e』

                            「り一

                 (回N)」↑<↑H↑(回N)エ↑国↑」↑口↑

                             的畢            一嶺       一叢

    O↑(回N)」↑(回N)国↑(回N)」↑O↑O↑(回N)属↑<↑H↑=↑

                                             斜轍

    譲((-『ONOトー一国のO』一二uoO↑「課串鎧冨馨燦かO禍くψ中判魯寒帯U』 如魔壱

    .Nケ

    .一ウ

    .oっ崇

    .N崇

    .一崇

    」↑O↑

    、O↑国

    」↑O↑O↑(回N)」↑(回N)国↑(回N)」↑ロ↑O↑(回N)」↑<↑エ↑国

    -り」      -り      一り 』      -隔」    -軸」

    「動1

    「り」

    「匂1「動1

    -角』  -軸」    -軸」   -角」    -ql」 -角』    -角」 -『」

    「働1

    「隔」「隔1

    ))

    ⊃N↓

    -動』

    -り」

    -匂」

    -り」

    -勉1』

    -匂』

    -り」

    -軌」O

    -角」  -匂」    -鯛」  -鯛IIJ    -角IIJ -角」    -角」  -軌1}」

    ))

            参      軌L-匂「」 -匂      -り」 -鴨』   -り』 -隔・1」

    -り」-勉1」

       匂1)

    「旬1し

    「隔」

    「り   「匂-  勉[

    -り」

    -暢」

    -匂」

    -り」

    -り」

    -勉1」

    -隔IJ

    -勢」

    -りIJ

    -り」

    -物」

    「1幅」

    -り」

     匂1

    1り」 -

    り一」

    -噸」   -鯛」    -勉Iーコ 一角」    -『」   -一角」    -軸」 -軸」

    「隔」

     「り」)

    「り一

         「りl          o=  鯵」「隔」  「り  「ち11り』  -り一」」   -輪-1」 -暢       -匂    -り」    -匂」  -匂IIJ

    「角し

    「り」

    「鮪」

    「軌」

    「軌」

    「物」

    「勢」

    「りl」

    「隔1

    「軌1

    「軸1

    「軌l」

    L

    「匂1                                   8一 -り      一り」    -り   一り』    -隔」 -り」    -り」  -匂」

    「匂」   「勢1 「物1   「り」 「匂」   「暢1 「り」            )

    -暢」む

  • 竹下英二・佐藤純之二二本松神社の祭礼雛子一亀谷町の「しゃんぎり」について一 55

    される。「豊囃子」は,哀調こもる笛の音色が特色

    で,亀谷坂と呼ばれる坂を緩やかに下る時に奏さ

    れる。そして,「昇殿」は,7台の太鼓台が二本松                    し の神社の前に結集し,神輿を迎えるときに奏される。

    3 亀谷町の「しゃぎり」の音楽的考察

    (1)太鼓のリズムパターンとその機能

     二本松祭礼囃子のリズムに関しては,私共の知              くゆる限りでは採譜例がほとんどなく,「しゃぎり」の

    大太鼓のリズムについても見あたらない。

     私共は,大太鼓のリズムを研究するにあたって,

    まず口唱歌と浮さばきを調べた。そして,9種類

    のリズムパターンに分類し,囃子における機能や

    パターン連結の規則性について調べてみた。

     リズムを調べていくにあたって最も重要なもの

    は,口唱歌と檸さばきである。口唱歌は,囃子の

    練習に用いられることからわかるように,リズム

    の特徴を音声によってわかセ)やすく表現したもの

    である。また,標さばきは,腕の運動機能の面か

    らの分析において最も重要なものである。これら

    の理由で,私共は,口唱歌と檸さばきをリズム研

    究のよりどころとした。

     「しゃぎり」においては,小太鼓と鉦は一つの

    リズムパターンを繰形)返すのみであり,大太鼓は

    多数のリズムパターンを即興的に繰り出している。

     以下,詳しく述べることにする。

     (イ)小太鼓

     小太鼓奏者は一つのリズムパターンのみを繰り

    返しているが,これは,「しゃぎ1)」においては最

    も基本的なリズムである。口唱歌はいろいろある

    が,「タンコターラ」がよく使われているようである。リズムの記譜については,相原氏は,β月

                       ぜ  ゆという記譜をしたが,私共は研究の結果,万』「下

    という記譜をすることにした。「タンコターラ」の

    音節数からみると,リズム比は2:1:2:1で

    あるように思われる。が,囃子の練習においては

    「コ」と「ラ」の部分が少しうしろにのびて,「タ

    ンコーターラー」のようになっており,このリズ

    ム比は1:1:1:1であるように思われる。事

    実,若連へ取材した結果,彼らは1:1:1:1

    のリズム意識を持っていることがわかった。しか

    し,私共の判断によると,その音価は,1:1:

    1:1よりははるかに2:1:2:1に近いことがわかった。リズム比を限定できないのは,演奏

    のテンポによってリズム比が変化しているためで

    ある。

     具体的に言うと,テンポがおそい場合,とりわ

    け演奏開始時は,1:1:1:1のリズム比に近いが,テンポがはやくなるにつれて「コ」と「ラ」

    の後ろの部分が短かくなってきて,2:1:2:

    1に近くなっていく,ということである。これは,

    前述のレコードや,私共が行ったライブ録音によ

    って判明したことである。私共は,音価に即した

    採譜を試みたが,演奏開始時の数小節が1:1:

    1:1に近いのみで,大太鼓と鉦が加わる4小節

    目あたりではすでに2:1:2:1に変化してお1),以後はこの状態が続いているため,便宣上リ

    ズム比を2:1:2:1に統一した。 次に,浮さばきについて述べる。「タンコターラ」

    のうち,「タン」と「ター」は右手で,「コ」と「ラ」

    は左手で奏す。つま1)は左右交互になっている。

    右手は上下運動を繰り返すが,左手は,上下運動

    に前後運動が加わっている。「タン」・「コ」・「ター」

    の部分,つまりは第1打・第2打・第3打は,同

    じ浮さばきであり,俘をふりおろす高さが同じで

    ある。これは,これらの音量が等しいことをも意

    味している。「コ」を打ちおえた左手は素早く手前

    に引かれ,右手による第3打の後,すくい上げる

    ような浮さばきで第4打が奏される。このため,

    他の3打と比較すると音量が小さい。このような

    浮さばきは,子どもたちにとっては非常に難しい

    ものである。しかも.小太鼓奏者三名は,俘をふ

    1)あげる高さをそろえなければならない。このた

    め,小太鼓奏者は常に自分の隣の奏者に気を配っ

    ている。「しゃぎ1)」の演奏を始めるときは,横一

    列に並んだ小太鼓奏者のうち,まず,一番右側の者跡r乍と打ち,その直後には中央にいる者が

    加わ1),その次には一番左側の者が加わる。計12

    打で小太鼓3台が出揃うと,13打目には大太鼓が

    加わる,というやり方をするが,このときの小太

    鼓の演奏は非常に難かしい。というのは,俘さば

    きとともに,テンポをも合わせなければならない

    からである。小太鼓の第一奏者のテンポがはやす

    ぎると,第二奏者はそれに合わせにくい。そのた

    め,演奏開始時は中庸以下のテンポであることが

    多いようである。

     私共は,このような演奏の始め方は,小太鼓奏

    者3名が同時に打ち始めてテンポが不揃いになる

    ことを避ける上でも,また,音量が次第に増えて

  • 56 福島大学教育学部論集36号

    いくことによって盛り上がりの感じを出すという

    点でも,極めて有効な奏法であると思う。   かへ (・)鉦

     鉦のリズムは,小太鼓のリズムとほぼ同じであ

    る。第4打が他の3打と同じ強さで打たれる点だ

    けが異なっている。中庸のテンポにおいては,右

    手に持った木づちで鉦の中央部を打つ。よ1)はや

    いテンポになると,上記のような奏法では間に合

    わなくなる。そこで,鉦の裏側を使い,木づちを

    上下に打ち続ける。(第1・3打は下方に,第2・

    4打は上方に打つ)次にその略図を示す。

    略 図

    鵬㌃[}野[}

     鉦は,演奏しやすいためか,囃子練習において

    もとりたてて指導を受けることはなく,子供たち

    は気軽に鉦を打ち,楽しんでいる。彼らは時おり

    「チャンカチャンカ」という口唱歌を使っている。

     (・9大太鼓

     大太鼓のリズムパターンには,様々なものがあ

    る。囃子の演奏においては,大太鼓奏者はリズム

    パターンを即興的に繰り出し,つなぎあわせてい

    る。私共は,このリズムパターンの連結に何らか

    の規則性がないだろうか,ということに関心を持

    ち,調査した。その結果,リズムパターンによっ

    て囃子における機能が異なっているということが

    わか毛),また,1リズムパターンの連結の規則性を

    見いだすことができた。

     私共の研究はまず,リズムパターンを分類する

    ことから始まった。具体的には,若連の人や元若

    連の人から実際に受けた囃子の指導を通して,あ

    るいはレコードや過去の演奏のライブ録音をもと

    に,特徴的なリズムパターンを9種類に分類した

    (リズムパターン分類表は3頁参照のこと)。

    1984-9

     これらのパターンにあてはまらない演奏例もみ

    られるが,これは,9種類のリズムパターンのい

    ずれかの変形として容易に説明できるものと思わ

    れる。以下,各リズムパターンについて,浮さば

    き,囃子における機能,リズムパターン連結の規

    則性等について述べていく。

     1)リズムパターンA このパターンの最小単位は「ダン」4打である。

     これは,囃子の指導を受けた際に明らかになっ

    たものである。しかし,実際の演奏においては,

    打数が増える場合がほとんどである。右手のみで

    奏されるこのリズムパターンは,他のリズムパタ

    ーンと比較すると,演奏が極めて容易であり,亀

    谷町元若連の菅野芳守氏は,「次のリズムパターン

    を繰り出すまでの『時間かせぎ』の機能を持って

    いる」と述べている。また,囃子のテンポを変え

    る働きを持っていると思われる。大太鼓奏者は,

    自分の意図したテンポを小太鼓奏者に要求し,テ

    ンポを次第にはやめたりおそくした1)する。小太

    鼓が自分の意図したテンポになるまでこのリズム

    は打ち続けられる。このような性質から,「ダン」

    の打数がまちまちであることがうなずけると思う。

     レコードの演奏例では,Aの打たれた部分が3

    ヶ所あるが,13打・13打・12打(演奏順)となっ

    ている。ここで,奇数個の打数が存在することが

    わかるが,これについては,リズムパターンBの

    項で詳述する。リズムパターン連結については,

    2つの特徴がみられる。ひとつは,Aの直後にF

    がくる確率が高いということである。レコードの

    演奏例では,Aが3回打たれたその直後のリズム

    パターンはすべてFである。この連結については,

    リズムパターンFの項で述べる。もうひとつの特

    徴は,リズムパターン1の直後にAがくる確率が

    高いということである。この連結については,リ

    ズムパターン1の項で述べる。

     2)リズムパターンB            A このリズムの最小単位はザ4回であるが,リズ

    ムパターンAと同様,実際は打数が増えている。

    「しゃぎ1)」演奏の始め方については,(イ)小太鼓

    の項で述べたが,大太鼓はBのリズムで演奏を始

    める。檸は,大太鼓からあま1)離されずに打たれ

    るが,クレッシェンドするにしたがって次第に離

    れていくようである。囃子の盛1)上がりという点

    からは,他のリズムパターンと比較すると,クレ

    ッシェンドするのに最も有効なリズムパターンで

  • 竹下英二・佐藤純之:二本松神社の祭礼囃子一亀谷町の「しゃんぎり」について一 57

    あることがわかる。リズムパターン連結について

    は,Bの直後にG・G’・Hのいずれかがくる確率

    は極めて高いと思われる。レコードの演奏例では,

    Bの直後にH・σ・ nH(演奏順)となっている。Bは,Aと同様,」♪が奇数個打たれることが

                  ヨある。レコードの演奏例では,アァの個数は7・5・

    8個(演奏順)となっている。このようなことが

    おこる理由としては,時間かせぎをした1)(Aの

    場合),クレッシェンドすることに集中した圭)する

     (Bの場合)結果として,Cを除いた他のリズム

    のようなリズム意識,つまりは,小太鼓のリズム                    {に合った4打でひとかたまりの意識を失い,ザつ

    ま1)2打でひとかたま1)の意識をもつためと思わ

    れる。私共が囃子の指導を受けた際も,このよう

    に感じられた。Bのこのような性質により,Aと

    同様,このリズムパターンの直後には,大太鼓が

    第1・2打と意識しているとき小太鼓は第3・4

    打と意識している状態が時折存在する。このよう

    な,意識のずれている状態は,レコードやライブ

    録音を聴いても不自然とは思われない。これは,

    小太鼓の第1打と第3打が同じ音量で奏されてい

    るためだと思われる。ずれた状態を合った状態に

    する,あるいは逆に,合った状態をずれた状態に

    するのは,次に述べるCのリズムのみである。

     3)リズムパターンC

     口唱歌は「ダダスッコダン」といい,明らかに

    3拍をひとまとめに意識している。A~1のリズ

    ムパターンの中で,このような意識をしているの

    はCのリズムのみである。このリズムは,後述す

    るEやFのリズムとは対称的に,反復されないこ

    とがほとんどである。レコードの演奏例において

    は,4回のうちそのすべてが一度のみの演奏であ

    るし,過去の演奏について,私共が聴いた限りで

    は,反復されたことはない。リズムパターン連結

    については,Cの直後にはDがくる確率が極めて

    高いと思われる。それは,口唱歌が「ダダスッコ

    ダンダダスッコスッコダン」と続けて口ずさまれ

    ることが多いことからもうなずける。レコードの

    演奏例では,4回のうちすべて,Dが後続してい

    る。だが,まれではあるが,Cの直後にFがくる

    演奏例が囃子練習の際に聴かれたこともあった。

     連結においてもう一つの特徴がある。それは,

    Cの直前にあるリズムパターンがFである確率が

    極めて高いということである。レコードの演奏例

    では,Cが4回打たれたが,その直前はすべてF

    である。何故,Cの直後がD,あるいは直前がF

    であるといった連結がなされているかということ

    については,私共は未だ確固たる証明をするまで

    には到っていない。檸さばきの面から考えてみて,

    Cの最後の一打を右手で強く打ちおろした後,D

    のリズムの第一打をまたもや右手で打ちおろすと

    いつのは,腕の運動機能としてはなかなか難しい

    ものだと思われる。というのは,前述したように,

     「しゃぎり」は最も威勢のよい囃子であり,テン

    ポがはやいため,Cを打ち終えた後,Dの最初の

    一打が出遅れやすいのではないか,と考えられる

    からである。Cの直後に,同じ右手で第1打を打

    つことを避けることのできるリズムパターンが一

    つだけある。Fのリズムである。私共は,腕の運

    動機能からすれば,CからFへの連結のほうが演

    奏しやすく,自然であると考えたのだが,実際の

    囃子演奏においてはCからDへの連結しかなされ

    ていないようである。私共は,大太鼓奏者のリズ

    ム意識について様々な角度からの分析を試みては

    いるが,よくわからない点が多い。

     4)リズムパターンD

     Cの直後にDが繰り出される可能性が高いとい

    っことについては3)で述べた。リズムパターン

    連結においては,もう一つの特徴があるが,それ

    は,Dの直後にはFのリズムが繰り出される確率

    が極めて高いということである。レコードの演奏

    例では,Dが4回打たれたその直後はすべてFの

    リズムが繰1)出されている。これは,Dの最後の

    1打が強く打ち込まれるため,後続するリズムの

    第1打が入れにくくなり,第1打がない,つまり

    は休符である唯一のリズムFが後続するという,

    運動機能上の説明で充分理解できた。

     5)リズムパターンE

     このリズムは.楽譜上にあらわすとDのリズム

    に似ているが,檸さばきがかな1)異なっており,

    性質も異なっている。Eは,2回繰セ)返されるの

    が特徴である。1回目の最後の1打は,両手で俘

    を打ちおろした後,すぐに両手を上にもどし,2

    回目の演奏に移る。2回目の最後の一打は,両手

    で打ちおろしたまま止める。このため,リズムパ

    ターンDの項でも述べたのと同様,Eの直後にF

    がくる確率は極めて高いと思われる。レコードの

    演奏例では,Eが2回打たれたその直後はいずれ

    もFが繰り出されている。

     ここで注意しなければならないのは,Eの直後

  • 58 福島大学教育学部論集36号

    にFがくる可能性は極めて高いが,Fの直前はE

    である可能性が極めて高いとはいえないことであ

    る。レコードの演奏例では,Fの直前には,A・

    D・E・D・A・D・E・D・B・A(演奏順)となっている。

     リズムパターン連結のもう一つの特徴は,Eの

    直前はFである確率が高いということである。レ

    コードの演奏例においては,Eが2回打たれたそ

    の直前はいずれもFである。

     6)リズムパターンF 5)で示したように,Fの直前には多くのリズ

    ムが打たれている。言い方を換えれば,Fのリズ

    ムは,これらの多くのリズムの直後にあらわれう

    るということである。何故このようになっている

    かということについては,悸さばきによってある

    程度の説明がつく。前述したように,他のリズム

    パターンが第1打を繰り出している部分は,Fに

    おいては休符となっている。そして,ほとんど同

    時に打たれる第1・2打は,檸を大太鼓に押しあ

    てるような打ち方をする。この奏法は,第1打を

    強打する他のリズムとは異なり,檸をふりあげる

    必要がない。そのため,非常に繰り出しやすく,

    多くのリズムの直後にあらわれうることが理解で

    きる。Fの直後にくるリズムは,レコードの演奏

    例では,C・E・C・B・C・E・C・B(2回)(演奏順)となっている。これらのうちBについ

    ては,譜例において説明してある。

     7)IlズムパターンGおよびG’

     レコードの演奏ではG’が使われているが,私共

    が囃子の指導を受けた際はGのほうが多かった。

    そのため,Gを基本的なリズムパターンとし,G’

    をその変形であると考えた。リズムパターン連結

    については,直前にはB,直後にはHがくる確率

    が高いと思われる。B,Hの各項で述べてある。

     8)リズムパターンH

     このリズムは,前述したA・Bと同様,打数が

    まちまちである。基本的には譜例で示したものが

    打たれているが,様々な変形がなされることが多

    い。レコードの演奏例においても,最後の1打が ず下下に変形され,繰り返されたりしている。リズ

    ムパターンの連結については,GおよびG’の直後

    にHがくる確率が極めて高いと思われる。レコー

    ドの演奏例は一つしかないが,ライブ録音等では,

    私共が聴いた限1)では,GおよびG’の直後にH以

    外のリズムが打たれた演奏を聴いたことがない。

    1984-9

     このリズムは,囃子における機能としては,G

    およびG’において少なかった打数を増やし,囃子

    を盛り上げる効果があると思われる。

     9)リズムパターン1 太鼓のリズムパターンのうちで最も演奏が難し

    いのはこのリズムであろうと私共は考えたのだが,

    大太鼓奏者たちは実に簡単そうにこのリズムを打

    っている。リズムパターン連結については,まず,

    1の直前はHである確率が極めて高いと思われる。

    レコードの演奏例では、1の直前は,2回のうち

    いずれもHである。ライブ録音等においても,私

    共の聴いた限りでは,H以外のリズムが1の直前

    にあったという演奏例はない。

     Hと1との関係については,5)においてEと

    Fについて述べたことと同様のことがいえると思

    われる。というのは,1の直前はHである確率は

    極めて高いが,.Hの直後は1がくる確率は必ずし

    も高いというわけではないのである。レコードの

    演奏例では,Hの直後にはA・1・1(演奏順)

    がきており,Aとの連結もありうることがわかる。

    また,囃子の練習の際には,Hの直後にFがくる

    演奏例も聴かれた。

     次に,1の直後にくるリズムであるが,これは

    Aのリズムである確率が高いと思われる。レコー

    ドの演奏例では,2回のうちいずれもAが後続し

    ている。腕の運動機能から考えてみると,1もA

    も右手のみで奏されており,連結が容易である。

     また,リズムの性質から考えてみると,演奏の

    難しい1のリズムを繰り出した後は,比較的演奏

    しやすいリズムがくるものと思われる。というの

    は,もしこのような作用がなかったら,特にはや

    いテンポのときなどそうだろうが,大太鼓のリズ

    ムが小太鼓のリズムとずれてしまった虻),大太鼓

    の演奏が止まってしまった1)するであろうからで

    ある。不安定になりやすい1のリズムの直後に,

    実に安定した,しかも時間かせぎの機能を持つA

    のリズムを打つということは,大太鼓奏者にとっ

    て最も演奏しやすい連結のしかたなのである。

     以上,小太鼓・鉦・大太鼓のリズムと,大太鼓

    のリズムパターンの連結の規則性について,分析

    結果を記した。これによって,若連の大太鼓奏者

    たちが即興的に打っているリズムパターンの連結

    のしかたに,多くの規則性があることがわかった。

  • 竹下英二・佐藤純之:二本松神社の祭礼囃子一亀谷町の「しゃんぎり」について一 59

    (2)笛の特色と旋律の分析

     二本松の祭礼囃子では7孔6本調子の篠笛が用

    いられている(松岡町の「豊囃子」のときだけは           の7孔3本調子を用いるが)。亀谷町の笛の運指で特

    記すべきことは,他町の場合歌口からいちばん遠

    い第1孔がいつも開かれているのに対して,いつ

    も閉じられていることである。これは,阿部氏の

    笛の分類による「Aρ系統」,つまり歌口からいち

    ばん近い第7孔が紙栓または紙封でふさがれ,第

    1孔と第4孔がいつも指で閉られている奏法に近し3』しかし亀谷町の場合は,第7孔は紙栓または

    紙封でふさがれているのではなく指でふさぐので

    あ1),第4孔と第7孔は開かれる場合もある(前

    者はE、音とB音,後者はA音とB音と半分閉じるA3音)。

     先述したように「しゃんぎり」は,人寄せ,飾

    1)っけ,跡片付け,昇り坂,曲がる時などに奏さ

    れるため,その役割上音楽は切れ目なく連続して

    いなければならない。従って,全体の流れは緊張

    と弛緩をくり返して進むけれど,この曲を大きく

    いくつかの部分に分けることは本来無理である。

    また,それを’ キいている人も一つの連続した音楽

    としか把握できないであろう。

     しかし,笛の旋律を分析してみると,一定の秩

    序・分節があることがわかる。各旋律の構成音を

    順次高い方から並べてみると,次の通「)になる。

    ⇔り1・1・節目一    1イ116小節目~  1切38小節目~ ω73小節目

    接合音 ,,

        接合音               接合音

    これを参照しながら,全体をみてみると,まず冒

    頭の15小節目までの旋律は,B A G Fの4つの音

    で成り立っている。ここまでの旋律はいわばこの

    曲の基調ともいうべきもので,亀谷町の「しゃん

    ぎり」の旋律様式の特色ともなっている。これは,

    B A G E、の進行であれば典型的な都節音階の一

    部と見なすことができるであろう。しかし,この

    旋律にはE3のかわ1)にFが入っている。このよ

    うな進行は祭り囃子には特別に珍しいことではな

    い。例えば,群馬県の大間々町の祇園祭の「サン

    テコ」の場合にも,

     19,1、節目力・ら1潤コ日 り

    といった進行(論者が比較しやすいようにするた

    めに,原譜を1音下げて記譜)が見られ魂亀谷

    町の場合に注目すべきことは,B A GのあとE、

    へ移るのではなくFに移ることによ1),このFを

    テコにしてそれまでの音階を全体的に1音下げて    ネAs G F D Cからなる都節音階に転調しているこ

    とである。その際,もし完全な都節の音階となる

    ためにはDはDesとならなければならない。しか

    し,篠笛のD音はDesに近い微分音であり,全体

    の流れの中ではDesに聞こえても不自然ではない。

    以上のように,およそ16小節目を境にしてその前

    と後とはFを接合音として1音下に転調している

    と判断することが可能であろう。同様なことが次

    にも行なわれ,38小節目位を境にしてはヒめの高

    さに戻っているが,この場合音階に含まれない音

    を媒介にすることなく円滑に転調している。さら

    に,およそ73小節目からはCを接合音として1音

    低い調,即ち(イ)と同じ調に転調している。なお,

    43小節目からは☆2(6頁)のように奏される

    ときがあるが,この時の笛の旋律は,B A G Es

    Dの上にさらにDが加わり典型的な都節の音階に

    よって形成されている(実際にはEsは出てこな

    いが,明らかに都節の旋律線を描いている)。

     これまでの考察によって,亀谷町の「しゃんぎ

    り」における笛の旋律は,基本的には都節のテト

    ラコルドより成りたち,しかも,そこに含まれな

    い音の介在によって(それは,意識的に形成され

    たものなのか,無意識的に形成されたものなのか,

    また笛の機能や運指によるものなのか,を明らか

    にしていくのは今後の課題である),その音を契機

    にして1音低い調に転調し,その次にもとの調に

    戻るといったことが,祭1)囃子の進行に従って,

    くり返されているということがわかった。

    4 お わ り に

     二本松の祭礼雛子は,市民ぐるみで民間伝承を

    継承していこうとする意識が強く,しかも各町内

    の「字意識」が強く結束が堅いために,各町内の

    個別性を維持しつつ,祭囃子全体を堅持,発展さ

    せており,他の地方に比べて比較的変質や衰退の

    度合いが少ないと思われる。二本松神社に祭られ

    ている神への奉仕の一環として祭囃子が行なわれ

    ているのだ,という囃子方の意識が,著しい囃子

    の改変にブレーキをかけていると同時に,「字意識」

    の強さが,他町に対する対抗意識として現われ,

    彼らは各町の独自性を守り続けているからである。

  • 60 福島大学教育学部論集36号

    古老たちが昔の囃子と現在のものとは異なってい

    ると少なからず発言しているが9それにしても他

    の地方のものに比べると遙かに伝統がしっかり保

    持されているといえよう。

     音楽的な分析にあたってみても,亀谷町の「し

    ゃんぎ1)」の場合,小太鼓はその打法から必然的

    に出てくる強弱の複雑なリズムをもち,大太鼓は

    それぞれの機能をもつ数々のリズムパターンを,

    かなりのスピードの中でも決して逸脱することな

    く瞬間的に選択し,即興的につないでいくという,

    かなり難しい技術の展開がみられ,笛も転調をく

    り返しつつ微妙な旋律線を描いていて,かな1)高

    度な構造をもった音楽が継承されているといっこ

    とになる。

     しかし,相原氏は小太鼓のリズムの考察,即ち

    「……二本松近辺の祭礼囃子を聞くと,ドンコド

    ンコの連打の根崎のリズムがほとんどで,筆者は

    この強弱の無い,二本松で「ネザキブチ」と称す,

    一番単調なりズムが二本松の古い「シャギリ」の

    形であったように思えてならない司という点,か

    ら推論して,亀谷町の4つ目が弱くなる囃子(7

    頁参照)を,他町の囃子の系統から逸脱している

    ものとして,主流からはずしている㌢もし,この

    推論が正しいとしたら,その意味では,亀谷町の

    「しゃんぎり」は,独創性に豊んでいると考える

    べきなのか,それとも二本松神社の祭礼囃子の一

    般的な様式から逸脱していると考えるべきなのか,

    のどちらかの評価がくだされることになろう。そ

    して,その答えは,今後,亀谷町の「しゃんぎり」

    と他の曲目との係わり,そこで他町内の「しゃん

    ぎり(しゃぎ1)〉」との係わ1),さらには二本松の

    祭1)囃子の全体構造を明らかにしていくことによ

    り,おのずと出てくるであろう。

     私どもの今後の研究はそういった方向に進んで

    いくが,その目ざすところは,亀谷町の囃子の全

    ぼうを明らかにすることに止まるのではなく,二

    本松神社の祭礼囃子の全体構造を音楽的に明らか

    にすることである,ことはいうまでもない。

     本論の終りにあたって,二本松の民俗芸能史お

    よび民俗文化史の研究者相原達郎氏には多くのご

    教示をいただき,ご親切にもたくさんの資料を拝

    見させていただいた。また,亀谷町の安斉賢一若

    連会長はじめ若連の皆様には貴重なお話をうかが

    うことができたし,同町の菅野芳守氏には私ども

    に亀谷町の雛子の奏法等についていろいろご指示

    1984-9

    をいただいた。さらに,広く福島県の民俗芸能を

    研究されている懸田弘訓氏の有益なご研究が直接,

    間接に励ましとなった。その他多くの人たちのご

    支援があったことを記して,以上の皆様に深謝い

    たしたい。

    (なお,本論は,1984年6月16日㈹に宮城教育大

    学で行なわれた「第15回音楽学会東北・北海道支

    部大会」て慰どもが発表した草稿をもとにして,

    筆をとったものである。執筆にあたっては,1,

    2,3の(2},4を竹下が,3の(1)を佐藤が分担し

    た。3の(1)は,本論の主要な部分の1つでもあセ),

    15回余にわたり両者により協議がくり返され,そ

    の結果をまとめたものである。)

    〔注〕

    (1)二本松教育委員会「二本松市の提燈祭り」

     (「にほんまつの民俗芸能 二本松市文化財調査報

     告書第2集」 1977)73~74頁。

    (2) 「若連」は囃子が叩けない子どもが練習にきて

     も拒まないことにしているが,練習の全日程が終

     了したあと特級,1級,2級,3級と格付けされ

     そのリストが町内に貼り出されることもあむ),子

     どもたちは厳しい練習に耐えてがんばるし,親た

     ちも幼いころから祭り囃子の練習を経験してきた

     ことをごく自然な形で子どもたちに伝えていくと

     いうケースも少なくない,という(1983年11月26

     日,二本松福祉会館での,亀谷若連の安斉賢一,

     佐々木一,佐野龍夫の諸氏の取材から)。

    (3)長沢利明「山車囃子における打楽器奏法につい

     て一群馬県大間々町祇園祭の調査報告一」 (「東洋音楽研究 第46号』 東洋音楽学会,1981)

     169~167頁。

    (4〕因に,この野外調査は,竹下が「音楽科教育法」

     の3年生の学生を対象に行なった民俗芸能の教材

     化の指導,実践が契機となって生まれたものであ

     り,その結果学生たちの強い関心と熱心な学習に

     よって一定の成果を引き出すことができたが,こ

     の点についての実践報告は別の機会に筆をとるこ

     とにしたい。

    (5) 「相生集』巻の11(「岩磐史料叢書中巻』歴史図

     書社,1971,所収)216頁。

    (6)福島県二本松観光協会「二本松の提灯祭」,祭

     りばやしの項。

    (7)相原達郎「二本松における祭礼囃子の源流(そ

  • 竹下英二・佐藤純之:二本松神社の祭礼鷹子一亀谷町の「しゃんぎり」について一 61

     の二)」(「福島の民俗」10号,福島県民俗学会,19

     82)37~46頁。

     の三)」(「福島の民俗」11号,福島県民俗学会,19

     83)50頁。

    (1① 「二本松市史 第6巻 近世皿 資料編4」(二

     本松市,1982)381~382頁。

    01)(1①所収(380頁)の「田間日誌抄」。

    (12)1984年4月26日㈲ 相原氏宅における取材から。

    (13)(7)の38-40頁。

    (14)(6)の,その歴史の項。

    (m(14)に同じ。

    (161(1)の74~75頁。

    (1の(7)の32~33頁。相原氏の指示により「シャトウ

    (8)〔5)の217頁。

    (9)相原達郎「二本松における祭礼囃子の源流(そ

    (18)(1)の76頁。また,レコードの解説文(「二本松

     ちょうちんまつり 祭禮囃子集』(Toshiba SEL

     -7020-21)二本松若連連合会 1979)。

    (1田(7)の57頁,および相原達郎「二本松における祭

     礼囃子の源流(その一)」(『福島の民俗」9号,福

     島県民俗学会,1981)61頁と「福島県の民俗音楽

     (民俗芸能篇)」福島県教育委員会発行,1978)450

     ~452頁に採譜例がみられる。

    ⑳ (7)の39頁。

    ⑳ 阿部達「南部藩山伏神楽の使用楽器と奏法の系

     統一笛を中心に一」(「東洋音楽研究41・42号」

     東洋音楽学会,1977,所収)39~50頁。

    伽)(3)の163頁。

    (23)(7)の51頁。

    ¢4)(7)の52頁。

    ロウ」の項を修正して転載した。

  • 62 福島大学教育学部論集36号 1984-9

    A Study in Nihonmatsu Festival Music

    The Shangiri as performed by the Kamegai players

    Eiji TAKESHITA Yoshiyuki SATO

     This is a paper about festival music at the Nihonmatsu Shrine,1㏄ated close to the center of

    Nihonmatsu City,Fukushima Prefecture.The festivahs held o興the4th、5th,6th,of October

    eve四y㎝.Themusicasphyedby㎝en記mble,consistsofoneO磁。(bigd㎜),theeκ磁。(small dnms with heads attached to cylinders with two cords),two or three Sh∫初δμ8(open

    flutes),one7奪㎎κ痂(long snare d㎜beaten with the hand),and one幽πε(small gong)、

     Ensembles of players come from severl chonai(districts)and each ensemdle uses five or six

    kinds of melody.One of these is the Shangih,the most important and vigorous music in their

    repertoire.

     In the case of the Shangiri as played by the Kamegai ensemble,the music of the small drums

    c・nsistentlyiteratesap飢icu1肛rhyt㎞炉劫(RRL・HRHLH・)・Theplayer・fthebig

    drum improvises combinations of some rhythm pattems,i.e.

    炉妙妙ゆゆψ妙」・」ゆ」ゆ」ゆ㎜d…n・Open且ute melodies are f㎜damentally made of the follwing pentatonic scale called Miyakobushi

                     (o=nuclear tone).From somewhere on the progression these meloφes are

                     played one tone lower,then retuned to the starting pitch.The same thing

    is repeated mostly by changing key through conjunct notes