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-1- 昔の人は、お化けの存在を信じていた! みなさん、お化けはいると思いますか?神様とか仏様はい ると思いますか?昔の人々は、私たちが想像する以上に、目 に見えない化け物やお化けの存在を信じていました。目に見 えない、それでも、人に何かしらの力を及ぼすもの…例えば、 気とかを、化け物の仕業だと信じました。 「化け物」や「お化け」の代表格が「鬼」です。 「おに」の語源は「おぬ」=「いない」=「目に見えない」とされています。目に見えないの に、明らかに人に害を及ぼすもの、その代表が「鬼」なのです。この「鬼」は、1000年以上 昔から人々を悩ませ続けました。 江戸時代には、中国から伝わった漢方の知識で、医師や薬が場しますが、それでも、祈祷に よる治はたくさん行われました。また、気の原因を「虫」とするものも多く、この虫をやっ つけることも治でした。「虫」と言っても昆虫ではありません。確かに「寄生虫」はいますが、 気の原因となる虫は、人々が目にしたことの無いものです。見えない虫です。「虫下し」という 薬を聞いたことはありませんか?あれも、もともと、体の中の虫を退治するために作られた薬で す。 「北枕は縁起が悪い」「しゃっくりが100回続くと死ぬ」とか「茶柱が立つと縁起が良い」等 というのも、昔から言われている迷信ですが、今も伝えられるほど、多くの人達が信じていたと 言うことです。 1,これは、「月待講(月待ち行事)」が行われていた証拠 昔の暦は、月の満ち欠けをもとに作られて いて、満ち欠けの仕方によって、行事が行わ れました。月の形により、その光の中にな る仏様が姿を現すとされました。仏様が姿を 現すのは、年1回の決まった日の月だけです。 村の中には、同じ仏様を信じる「講」とい う仲間があり、その仏様が姿を現す月の夜は、 仲間の家に集まり、お経を唱えて祈ったり、 食べたり飲んだりしてお祭りをしました。 「講」の人数は様々ですが、毎年、決まった 日に集まって「月待ち」の祭りをし、何年も 例えば… ある朝、目が覚めるとひどい頭痛がします。体の関節が痛く、体はだる く動くことができません。頭の方はものすごく熱を感じ、冷や汗をかいて いるのに、体の方は寒くて仕方有りません。食欲もなく、声も十分に出せ ません。「やばい!⻤にやられた。」「いや、⃝⃝のたたりかもしれない。」 「このまま放っておいたら、呪い殺されてしまう。」家の人が祈祷師を 呼んできて、神様に夜通し祈りを捧げました。するとどうでしょう。2日 後、随分らくになり、食事も取れるようになったのです。「きっと、神様 が祈りを聞いて治してくれたに違いない。」 こうして人々は、⻤や化け物を信じ、また、神様も信じるようになった のです。 ※誰も見たことがない鬼。この 姿には、ちゃんと理由がある のです。 二十三夜塔 二十六夜塔

昔の人は、お化けの存在を信じていた! · 現すのは、年1回の決まった日の月だけです。 村の中には、同じ仏様を信じる「講」とい う仲間があり、その仏様が姿を現す月の夜は、

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Page 1: 昔の人は、お化けの存在を信じていた! · 現すのは、年1回の決まった日の月だけです。 村の中には、同じ仏様を信じる「講」とい う仲間があり、その仏様が姿を現す月の夜は、

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昔の人は、お化けの存在を信じていた!

みなさん、お化けはいると思いますか?神様とか仏様はい

ると思いますか?昔の人々は、私たちが想像する以上に、目

に見えない化け物やお化けの存在を信じていました。目に見

えない、それでも、人に何かしらの力を及ぼすもの…例えば、

病気とかを、化け物の仕業だと信じました。

「化け物」や「お化け」の代表格が「鬼」です。

「おに」の語源は「おぬ」=「いない」=「目に見えない」とされています。目に見えないの

に、明らかに人に害を及ぼすもの、その代表が「鬼」なのです。この「鬼」は、1000年以上

昔から人々を悩ませ続けました。

江戸時代には、中国から伝わった漢方の知識で、医師や薬が登場しますが、それでも、祈祷に

よる治療はたくさん行われました。また、病気の原因を「虫」とするものも多く、この虫をやっ

つけることも治療でした。「虫」と言っても昆虫ではありません。確かに「寄生虫」はいますが、

病気の原因となる虫は、人々が目にしたことの無いものです。見えない虫です。「虫下し」という

薬を聞いたことはありませんか?あれも、もともと、体の中の虫を退治するために作られた薬で

す。

「北枕は縁起が悪い」「しゃっくりが100回続くと死ぬ」とか「茶柱が立つと縁起が良い」等

というのも、昔から言われている迷信ですが、今も伝えられるほど、多くの人達が信じていたと

言うことです。

1,これは、「月待講(月待ち行事)」が行われていた証拠昔の暦は、月の満ち欠けをもとに作られて

いて、満ち欠けの仕方によって、行事が行わ

れました。月の形により、その光の中に異な

る仏様が姿を現すとされました。仏様が姿を

現すのは、年1回の決まった日の月だけです。

村の中には、同じ仏様を信じる「講」とい

う仲間があり、その仏様が姿を現す月の夜は、

仲間の家に集まり、お経を唱えて祈ったり、

食べたり飲んだりしてお祭りをしました。

「講」の人数は様々ですが、毎年、決まった

日に集まって「月待ち」の祭りをし、何年も

例えば…ある朝、目が覚めるとひどい頭痛がします。体の関節が痛く、体はだる

く動くことができません。頭の方はものすごく熱を感じ、冷や汗をかいているのに、体の方は寒くて仕方有りません。食欲もなく、声も十分に出せません。「やばい!⻤にやられた。」「いや、⃝⃝のたたりかもしれない。」「このまま放っておいたら、呪い殺されてしまう。」家の人が祈祷師を

呼んできて、神様に夜通し祈りを捧げました。するとどうでしょう。2日後、随分らくになり、食事も取れるようになったのです。「きっと、神様が祈りを聞いて治してくれたに違いない。」こうして人々は、⻤や化け物を信じ、また、神様も信じるようになった

のです。

※誰も見たことがない鬼。この

姿には、ちゃんと理由がある

のです。

二十三夜塔 二十六夜塔

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かけて仲間の家をすべて回り終えたとき、祈念碑を建てました。それが「月待塔」です。

例えば、「二十三夜塔」は、11月23日の夜、「二十三夜講」のお祭りをし、何年もかけて講

の仲間の家すべてを回った記念として建てられた石碑です。

「十五夜」だけは、満月の日ということで、今も残っています。

2,道祖神…名も無き道ばたの神様・村の安全を守ってくれる神様として、村の入口、村の中の道沿

いに建てられました。道祖神があると、村の中に災いが入り込

まないと信じられました。

・また、旅人の道中の安全を守るために、道ばたにもあります。

・双体道祖神は、縁結び、子孫繁栄、家内安全などの意味が込め

られています。村の繁栄や幸

せな家庭環境を願って建てら

れたものと思われます。

※道祖神は「道ばたの神様」と

して祭られてきました。他の

石仏のように、特定の神様を

祭ったものではありません。

人々の願いを込めて作った物

と言えます。

3,馬頭観音…本来の意味よりも、安全と豊作を祈願した。「馬頭観音」も、「道祖神」と同じくらい、たくさん地域の中

に見られます。「馬頭観音」は、頭上に馬を抱き、怒りの形相を

しています。顔が馬の物もあります。いかなる悪をも打ち砕く

力を持ちます。

馬の形をしていることから、動物の無病息災を願う神ともさ

れています。道ばたにある「馬頭観音」は、人や物を運ぶ馬の

安全、道中の安全を願ったものです。

昔は、農業では牛や馬は大事な存在でした。そんな牛や馬の

【月と神様】

十三夜…旧暦9月13日 虚空蔵菩薩

十五夜…旧暦8月15日 大日如来、観音菩薩

十六夜…旧暦の毎月16日 阿弥陀如来

十七夜…旧暦8月17日 如意輪観音

十八夜…旧暦の1,5,9,11月の18日 如意輪観音

十九夜…旧暦の毎月19日 女性のための月待講 如意輪観音,

安産祈願

二十夜…旧暦の毎月20日 聖観音

二十二夜…二十三夜の前日 女性のための月待講 如意輪観音,

安産祈願

二十三夜…旧暦の11月23日 勢至菩薩

二十六夜…旧暦の毎月26日 愛染明王

五十里方面から登校する皆さん

は、見たことがあるはずです。石

屋さんの近くにあります。私達の

登下校の安全を見守ってくれてい

ます。

住良木方面の皆さんは見たことが

あるでしょう。双体の道祖神です。

皆さんの幸せを見守ってくれていま

す。

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健康を願ったものでもありますが、一番は、その先にある豊作を願ったものです。 道ばたにあ

る道中の安全祈願と、畑の近くにある豊作祈願の二通りの意味を持つと思

われます。

「馬頭観音」と文字で刻まれたものがたくさん有ります。

4,庚申塔…体の中に、虫がいると信じていた!「庚申塔」はたくさん見られますが、庚申の行事を知っている人は少なくなりました。

庚申(かのえさる)は、干支(かんし)で表した暦の中の1日です。難しく言うと干支と十二

支を組み合わせて表してあります。

とにかく、左のような順番で日にちを示していま

した。つまり、60日に1回まわってきます。1年

365日の中で、3回まわってくることになります。

庚申信仰は、どうやら陰陽道が元になっています。

1 2 3 4 5 6

甲子 乙丑 丙寅 丁卯 戊辰 己巳

7 8 9 10 11 12

庚午 辛未 壬申 癸酉 甲戌 乙亥

13 14 15 16 17 18

丙子 丁丑 戊寅 己卯 庚辰 辛巳

19 20 21 22 23 24

壬午 癸未 甲申 乙酉 丙戌 丁亥

25 26 27 28 29 30

戊子 己丑 庚寅 辛卯 壬辰 癸巳

31 32 33 34 35 36

甲午 乙未 丙申 丁酉 戊戌 己亥

37 38 39 40 41 42

庚子 辛丑 壬寅 癸卯 甲辰 乙巳

43 44 45 46 47 48

丙午 丁未 戊申 己酉 庚戌 辛亥

49 50 51 52 53 54

壬子 癸丑 甲寅 乙卯 丙辰 丁巳

55 56 57 58 59 60

戊午 己未 庚申 辛酉 壬戌 癸亥

住良木方面の皆さんは、毎日登下校で

見ています。ここには、14体の馬頭観

音があり、皆さんの安全を見守ってくれ

ています。

小学校入口の信号のそばです。見

えているのは「筆塚」ですが、ここ

に、5体の馬頭観音があり、皆さん

の安全を見守っています。

伊折の庚申塔 五十里の庚申塔

人間の体内には、三尸(さんし)という虫が3匹住ん

でいます。それぞれ、上尸、中尸、下尸と言います。

三尸の虫は、庚申の夜、体を抜け出し、天の神様のと

ころに行って、その人の悪事を伝えることが役割です。

三尸が伝えるのは、大きな悪事はもちろんですが、「嘘

をついた」「サボった」「親に逆らった」「虫を踏んで殺

した」等、ありとあらゆる悪いことを伝えます。悪い

ことの重大さによって、1つの悪事あたり、3日~3

00日寿命が縮まるとされました。例えば、「自学」で

サボったあなたは、国語ではここをやってない、数学

は答えを写していた、教科書の間にマンガを挟んで読

んでいた、お菓子をいつもより多く食べた…と1つず

つ報告されてしまいます。それは大変なことです。寿

命が何十年も縮んでしまいます。

三尸は、人に見られるのを嫌うため、人が見ている

と体から出てこられません。しかも、18回続けて出

られなければ、その後は体からでられなくなる、と言

われていました。なので、人々は何もしないで夜通し

見張り合ったのです。

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ですから、村の仲間が「庚申」の日に集まって、一晩中寝ないで、お

互いの三尸を見張り合いました。これを、60日に1回、1年で3回、

3年間で18回続けました。そして、3年間継続できたことを記念して

建てたのが、「庚申塔」「庚申塚」です。「庚申塔」があると言うことは、

その近くに住んでいた人たちが、3年間三尸の虫を見張り合った証です。

☆困ったときは、神や仏にすがります。多くの武将達も、神仏を頼っていました。多くの大名、将軍には、必ず、宗教界の相談役が

ついていました。困ったときは、神や仏の力を頼ったのです。以前登場した源頼朝は、戦の度

に、三島神社を参拝し、大山祇命(おおやまつみのみこと)に戦勝を祈願していましたね。

(1)豊臣秀吉だって本能寺の変で織田信長が倒れた後、明智光秀を倒すため、「中国大返し」言

われる猛スピードで岡山県の高松城から戻ってきたことは有名です。「織田信

長が討たれた。」という一報が入ると、秀吉の家臣、黒田官兵衛は「殿、天下

を取りなされ。」と言います。すると、秀吉は、「安国寺」の「恵瓊」(えけい)

和尚を訪ね、相談しています。おそらく、いつ、どこで戦えば良いかとか…

その結果、天下を取ることになりました。

(2)江戸時代を開いた徳川家康も。徳川家康には、「天海」和尚がついていて、いかなる時も天海に相談していました。

しかも、徳川家康だって、目に見えないものは恐かったのです。

紛れもなく、「南無阿弥陀仏」と刻まれています。

お堀の中ですから、人が見るために掘られたのでは

ありません。

南無

阿弥

陀仏

江戸城のお堀の中の石垣 一つの石に何か文字が書かれている

【問題】

徳川家康は、何かを恐れて、お経を刻

ませました。いったい、何を恐れたので

しょうか。

中国に伝わる三尸

下尸 中尸 上尸