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Rcf canpan

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イノベーション東北 / RCF復興支援チーム

矢本 真丈

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  飲食店チェーンのグローバル化を加速させるため、フランス

に拠点を移し 、現地法人社長として着任。その3年後、彼が妻

の故郷・釜石で見たのは、あまりに変わり果てた光景だった。

一念発起で脱サラし 、作ったのは地域では活用されることの

なかった“雑魚”と“ワインの搾りカス”を使ったブイヤベース

スープ。初めてなのにどこか懐かしいスープの味は東京のウェ

ブマーケターの心も動かし・・・ 三陸いりや水産・ 宮崎洋之社

長と、彼を巡る人々の物語、第1章。

「 帰国し 、妻の実家がある釜石を訪ねることができたのは、

震災から約1カ月後。ネット やテレビで見ていたのと 、現実に

全身で感じるのとは、全くの別ものでした。妻の生家の前には

巨大な船が乗り上げており 、あちらこちらにヘドロが付き、す

えた臭いがする。自衛隊の車が行き交い、宿泊させていただ

いた寺の長い廊下には延 と々亡くなった方の遺骨が並んでい

た。着いてから、ほんの僅かな時間でもう 、『 帰ってこよう 』と

決めていました。『 日本人として、戻ってこなきゃダメだろう 』と

しか思えなかった」。

  三陸いりや水産・ 宮崎洋之社長が当時、夫婦で暮らしてい

たのはフランス・パリ 。勤め先の飲食チェーンの欧州展開に先

鞭をつけるべく 2008年に単身で乗り込み、和食店の開店に従

事。2011年の震災時には多店舗展開に向け、用地選定などを

していました。

「 フランスのテレビや新聞でも東日本大震災の様子はトップ

ニュースとして扱われていましたが、釜石の状況は殆ど取り上

げられていなかったのです。当然、電話もつながらず、ひたす

らネット を検索しました。3日目にGoogle Earthで妻の家のあ

たりに黒い大きな影のようなものが見えて、『 こんなものあっ

たっけ?』と 。拡大してみたら大きなクレーン船が乗り上げて

いて、家は跡形もなかった。あとはもう家族が生きているかど

うかだけだ、と、必死にGoogleパーソンファインダーなどを見

続けて・・・ 」( 宮崎氏)。

幸い、ほどなくして義父母ともに無事と分かり 、先行して妻だ

けが釜石に。「 帰りの飛行機の中で機内テレビに映る故郷の

惨状を見た彼女はとにかく 泣きどおしだったようで、あまりに

心配に思えたのでしょう 。CAの皆さんが声をかけてく ださっ

たようで、機内からありったけの毛布や歯ブラシなどを集め

て『 クルー一同からです、持っていってく ださい』と 」( 同)。

  その後、数週間を経て宮崎氏も帰国したが、その際はまだ、

「 お見舞いに行く 」という気持ちが強かったという 。けれどそ

の気持ちは、実際に現地に降り立った瞬間に、100%変わり

“自分事”になった。「 妻にも相談していません。当たり前のよう

に『 戻ろう 』と決めただけです」( 同)。会社からすると 、あまり

に突然の辞職。「 勝手をしたと思います。でも、自分の気持ち

を抑えられなかったのです」。

  諸々の手続きを終え、宮崎氏が帰国できたのは季節も変わっ

た2011年7月のことだった。多くの食堂が津波に流されたことを

踏まえ、経験のある飲食業を興すことも検討したが、最終的に

は、義父が経営していた水産工場を再興することに決めた。

「 帰ってこよう 」「 戻ってこなきゃダメ 」

としか思えなかった

ネット やテレビで見ていたのと、

現実に全身で感じるのとは、

全くの別ものでした。

サポーター インタビュー

個人サポーター

スキルを活かして変化をおこそう 2013年11月現在

東北のビジネス復興支援に参加していただく サポーターを募集しています。

東北に住んでいなく ても参加できます。東北に関わってみませんか?

川村ト モエさん

川村ト モエ

コピーライター/コンサルタント

コマースデザイン株式会社

EC 業界で、商品コンセプト立案やキャッチコピーなど「 売れないオリ

ジナル商品」の立て直しを行っている。中小規模の店に対し 、わかり

やすいコンサルティングを提供しつつ、講演や寄稿も行う 。「 商品のウ

リ 」を明確にした商品プロデュースとページ制作のノウハウをもって、

「 売れる商品ページ」の作り方、考え方のコンサルティングを地元企

業に実施。一時的な代行ではなく 、自走のための支援を行っている。

h ttp ://w w w .com m erce-design .net/

野口愼一

様々な業種のホームページに関わ

り 、複数におよぶ業種での就労経験

をベースに、ホームページだけでない広い視野での

サポート を展開。 単純に「 誰かのためになりたい」と

いう気持ちから。そして今一番助けを必要としている

地域が東北だろうと考え、このプロジェクト への参加

小松雅直

株式会社スタビライザー  代表

気仙沼生まれ気仙沼育ち。東京在

住。 震災後、故郷の変わり果てた様

子を見て継続的な復興には雇用が欠かせないと痛

感。 約10年W ebマーケティングに従事していること

から『 成功する満足する笑顔になるW eb戦略室』とし

て 気仙沼にて会社設立。 W ebサイト を利用し、売上

小楠あゆみ

代表

震災後に東京から現地に入り 、小中

高生を対象にした自習室を作った。震災の影響によ

る授業の遅れや、住まいを失い、狭い仮設住宅で勉

強する場所のとれない子らの多いことに問題意識を

持ち、最初は避難所の一角や近くのホテルを間借り

藤吉和男

料理ブロガー

料理ブロガー「 筋肉料理人」、料理研

究家、レシピ本著者、ボランティア活

動等様々な活動の傍ら、簡単で美味しい魚料理、簡

単レシピの作り方をブログ、G+、YouTu b e等を使っ

て紹介している。日常的に多数の方向けに情報発信

を行っているので、どうすれば沢山の人に興味を持っ

西田健太

W ebデザイナー

KORKO

高知県生まれ、神奈川県育ち。2012

年10月に、岩手県釜石市に移住。 プログラマーやSE

の経験後、デザイナーに転職。その後、フリーとなり

システム開発、デザイン、W EB制作を行ってきた。現

在は、これまでの経験を活かし 、地元企業・ 団体の

松島宏佑

一般社団法人ふらっとーほく代表

1986 年生まれ。宮城県白石市出身。

大学卒業後、まちづくり最先端の島、

島根県隠岐郡海士町へ移住。( 株)巡の環で働く 。東

日本大震災を機に( 社)ふらっとーほく 設立。「 わたり

グリーンベルトプロジェクト 」事務局長も勤める。海

士町の( 株)巡の環で学んだ、「 よそものとして地域へ

赤澤清孝

N PO法人石巻復興支援ネット ー

ワーク副代表理事/N PO法人ユー

スビジョ ン 代表/N PO法人

常務理事

1995 年、阪神・淡路大震災を契機に学生有志できょ

うと学生ボランティアセンター( 現・ ユースビジョ ン)

を設立。東日本大震災発生後は「 つなプロ」事務局長

藤川智雄

宮城県商工会連合会エキスパートバ

ンク登録専門家

宮城県仙台市出身。現在、宮城県商工会連合会エキ

スパート バンク登録専門家として、小規模企業者等

へ指導・助言を行う立場で活動をしています。311 直

後、国際感覚に優れ東北の知財を広く 知らしめる事

佐藤健

絆プロジェクト三陸 理事長

さとう整体療術院 院長

明治大学 社会イノベーショ ン・ デザ

イン研究所 客員研究員

特定非営利活動法人 絆プロジェクト三陸

岩手県大船渡市出身。「 被災地で被災者が立ち上げ

た団体だからこそ地元ニーズを的確に拾い上げるこ

桝澤信好

システムエンジニア

LiFE STYLE Lab .

岩手県釜石市出身。「 小さなことでも

良いので行動してみる。きっと何かに繋がる」という

思いで、HackForIw ateなど、IT スキルを活かした支

援活動に参加してきた。現在は、盛岡に在住しなが

ら、「 点を線でつなげる」「 出来る事から行動」、更に

SU PPORTER / IN N OVATION TOH OKU IN N OVATION TOH OKU / SUPPORTER

2013年11月現在企業・ 団体サポーター

東北でビジネスの復興やコミ ュニティ 再生に取り組んでいる事業者・ 団体の

皆様を募集しています。あなたのチャレンジを教えてく ださい。

KDDIJim do & KDDI

ウェブコミュニケーションズYahoo! JAPAN

READYFOR? 福島県特定非営利活動法人

エティック一般社団法人東の食の会

公益社団法人

助けあいジャパン

XXXXX XXXXX XXXXX XXXXX

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Page 4: Rcf canpan

3県9地域、12名のコーディネーター

宮城

福島

岩手

Page 5: Rcf canpan

  飲食店チェーンのグローバル化を加速させるため、フランス

に拠点を移し 、現地法人社長として着任。その3年後、彼が妻

の故郷・ 釜石で見たのは、あまりに変わり果てた光景だった。

一念発起で脱サラし 、作ったのは地域では活用されることの

なかった“雑魚”と “ワインの搾りカス”を使ったブイヤベース

スープ。初めてなのにどこか懐かしいスープの味は東京のウェ

ブマーケターの心も動かし・・・ 三陸いりや水産・ 宮崎洋之社

長と、彼を巡る人々の物語、第1章。

「 帰国し 、妻の実家がある釜石を訪ねることができたのは、

震災から約1カ月後。ネット やテレビで見ていたのと 、現実に

全身で感じるのとは、全くの別ものでした。妻の生家の前には

巨大な船が乗り上げており 、あちらこちらにヘドロが付き、す

えた臭いがする。自衛隊の車が行き交い、宿泊させていただ

いた寺の長い廊下には延 と々亡くなった方の遺骨が並んでい

た。着いてから、ほんの僅かな時間でもう 、『 帰ってこよう 』と

決めていました。『 日本人として、戻ってこなきゃダメだろう 』と

しか思えなかった」。

  三陸いりや水産・ 宮崎洋之社長が当時、夫婦で暮らしてい

たのはフランス・パリ 。勤め先の飲食チェーンの欧州展開に先

鞭をつけるべく 2008年に単身で乗り込み、和食店の開店に従

事。2011年の震災時には多店舗展開に向け、用地選定などを

していました。

「 フランスのテレビや新聞でも東日本大震災の様子はトップ

ニュースとして扱われていましたが、釜石の状況は殆ど取り上

げられていなかったのです。当然、電話もつながらず、ひたす

らネット を検索しました。3日目にGoogle Earthで妻の家のあ

たりに黒い大きな影のようなものが見えて、『 こんなものあっ

たっけ?』と 。拡大してみたら大きなクレーン船が乗り上げて

いて、家は跡形もなかった。あとはもう家族が生きているかど

うかだけだ、と 、必死にGoogleパーソンファインダーなどを見

続けて・・・ 」( 宮崎氏)。

幸い、ほどなくして義父母ともに無事と分かり 、先行して妻だ

けが釜石に。「 帰りの飛行機の中で機内テレビに映る故郷の

惨状を見た彼女はとにかく 泣きどおしだったようで、あまりに

心配に思えたのでしょう 。CAの皆さんが声をかけてく ださっ

たようで、機内からありったけの毛布や歯ブラシなどを集め

て『 クルー一同からです、持っていってく ださい』と 」( 同)。

  その後、数週間を経て宮崎氏も帰国したが、その際はまだ、

「 お見舞いに行く 」という気持ちが強かったという 。けれどそ

の気持ちは、実際に現地に降り立った瞬間に、10 0%変わり

“自分事”になった。「 妻にも相談していません。当たり前のよう

に『 戻ろう 』と決めただけです」( 同)。会社からすると 、あまり

に突然の辞職。「 勝手をしたと思います。でも 、自分の気持ち

を抑えられなかったのです」。

  諸々の手続きを終え、宮崎氏が帰国できたのは季節も変わっ

た2011年7月のことだった。多くの食堂が津波に流されたことを

踏まえ、経験のある飲食業を興すことも検討したが、最終的に

は、義父が経営していた水産工場を再興することに決めた。

「 帰ってこよう 」「 戻ってこなきゃダメ 」

としか思えなかった

ネット やテレビで見ていたのと、

現実に全身で感じるのとは、

全くの別ものでした。

サポーター インタビュー

個人サポーター

スキルを活かして変化をおこそう 20 13年11月現在

東北のビジネス復興支援に参加していただく サポーターを募集しています。

東北に住んでいなく ても参加できます。東北に関わってみませんか?

川村ト モエさん

川村ト モエ

コピーライター/コンサルタント

コマースデザイン株式会社

EC 業界で、商品コンセプト立案やキャッチコピーなど「 売れないオリ

ジナル商品」の立て直しを行っている。中小規模の店に対し 、わかり

やすいコンサルティングを提供しつつ、講演や寄稿も行う 。「 商品のウ

リ 」を明確にした商品プロデュースとページ制作のノウハウをもって、

「 売れる商品ページ」の作り方、考え方のコンサルティングを地元企

業に実施。一時的な代行ではなく 、自走のための支援を行っている。

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野口愼一

様々な業種のホームページに関わ

り 、複数におよぶ業種での就労経験

をベースに、ホームページだけでない広い視野での

サポート を展開。 単純に「 誰かのためになりたい」と

いう気持ちから。そして今一番助けを必要としている

地域が東北だろうと考え、このプロジェクト への参加

小松雅直

株式会社スタビライザー  代表

気仙沼生まれ気仙沼育ち。東京在

住。 震災後、故郷の変わり果てた様

子を見て継続的な復興には雇用が欠かせないと痛

感。 約10年W ebマーケティングに従事していること

から『 成功する満足する笑顔になるW eb戦略室』とし

て 気仙沼にて会社設立。 W ebサイト を利用し 、売上

小楠あゆみ

代表

震災後に東京から現地に入り 、小中

高生を対象にした自習室を作った。震災の影響によ

る授業の遅れや、住まいを失い、狭い仮設住宅で勉

強する場所のとれない子らの多いことに問題意識を

持ち、最初は避難所の一角や近くのホテルを間借り

藤吉和男

料理ブロガー

料理ブロガー「 筋肉料理人」、料理研

究家、レシピ本著者、ボランティア活

動等様々な活動の傍ら、簡単で美味しい魚料理、簡

単レシピの作り方をブログ、G+、YouTu b e等を使っ

て紹介している。日常的に多数の方向けに情報発信

を行っているので、どうすれば沢山の人に興味を持っ

西田健太

W ebデザイナー

KORKO

高知県生まれ、神奈川県育ち。2012

年10月に、岩手県釜石市に移住。 プログラマーやSE

の経験後、デザイナーに転職。その後、フリーとなり

システム開発、デザイン、W EB制作を行ってきた。現

在は、これまでの経験を活かし 、地元企業・ 団体の

松島宏佑

一般社団法人ふらっとーほく 代表

1986 年生まれ。宮城県白石市出身。

大学卒業後、まちづくり最先端の島、

島根県隠岐郡海士町へ移住。( 株)巡の環で働く 。東

日本大震災を機に( 社)ふらっとーほく 設立。「 わたり

グリーンベルトプロジェクト 」事務局長も勤める。海

士町の( 株)巡の環で学んだ、「 よそものとして地域へ

赤澤清孝

N PO法人石巻復興支援ネット ー

ワーク副代表理事/N PO法人ユー

スビジョ ン 代表/N PO法人

常務理事

1995 年、阪神・ 淡路大震災を契機に学生有志できょ

うと学生ボランティアセンター( 現・ ユースビジョ ン)

を設立。東日本大震災発生後は「 つなプロ」事務局長

藤川智雄

宮城県商工会連合会エキスパートバ

ンク登録専門家

宮城県仙台市出身。現在、宮城県商工会連合会エキ

スパート バンク登録専門家として、小規模企業者等

へ指導・ 助言を行う立場で活動をしています。311 直

後、国際感覚に優れ東北の知財を広く 知らしめる事

佐藤健

絆プロジェクト 三陸 理事長

さとう整体療術院 院長

明治大学 社会イノベーショ ン・ デザ

イン研究所 客員研究員

特定非営利活動法人 絆プロジェクト 三陸

岩手県大船渡市出身。「 被災地で被災者が立ち上げ

た団体だからこそ地元ニーズを的確に拾い上げるこ

桝澤信好

システムエンジニア

LiFE STYLE Lab .

岩手県釜石市出身。「 小さなことでも

良いので行動してみる。きっと何かに繋がる」という

思いで、HackForIw ateなど、IT スキルを活かした支

援活動に参加してきた。現在は、盛岡に在住しなが

ら 、「 点を線でつなげる」「 出来る事から行動」、更に

SU PPO RTER / IN N OVATION TO H OKU IN N O VATIO N TOH O KU / SU PPO RTER

2013年11月現在企業・ 団体サポーター

東北でビジネスの復興やコミ ュニティ 再生に取り組んでいる事業者・ 団体の

皆様を募集しています。あなたのチャレンジを教えてく ださい。

KDDIJim d o & KDDI

ウェブコミュニケーションズYah oo ! JAPAN

READYFOR? 福島県特定非営利活動法人

エティック一般社団法人東の食の会

公益社団法人

助けあいジャパン

XXXXX XXXXX XXXXX XXXXX

8 9

  飲食店チェーンのグローバル化を加速させるため、フランス

に拠点を移し 、現地法人社長として着任。その3年後、彼が妻

の故郷・釜石で見たのは、あまりに変わり果てた光景だった。

一念発起で脱サラし 、作ったのは地域では活用されることの

なかった“雑魚”と“ワインの搾りカス”を使ったブイヤベース

スープ。初めてなのにどこか懐かしいスープの味は東京のウェ

ブマーケターの心も動かし・・・ 三陸いりや水産・ 宮崎洋之社

長と、彼を巡る人々の物語、第1章。

「 帰国し 、妻の実家がある釜石を訪ねることができたのは、

震災から約1カ月後。ネット やテレビで見ていたのと 、現実に

全身で感じるのとは、全くの別ものでした。妻の生家の前には

巨大な船が乗り上げており 、あちらこちらにヘドロが付き、す

えた臭いがする。自衛隊の車が行き交い、宿泊させていただ

いた寺の長い廊下には延 と々亡くなった方の遺骨が並んでい

た。着いてから、ほんの僅かな時間でもう 、『 帰ってこよう 』と

決めていました。『 日本人として、戻ってこなきゃダメだろう 』と

しか思えなかった」。

  三陸いりや水産・ 宮崎洋之社長が当時、夫婦で暮らしてい

たのはフランス・パリ 。勤め先の飲食チェーンの欧州展開に先

鞭をつけるべく 2008年に単身で乗り込み、和食店の開店に従

事。2011年の震災時には多店舗展開に向け、用地選定などを

していました。

「 フランスのテレビや新聞でも東日本大震災の様子はトップ

ニュースとして扱われていましたが、釜石の状況は殆ど取り上

げられていなかったのです。当然、電話もつながらず、ひたす

らネット を検索しました。3日目にGoogle Earthで妻の家のあ

たりに黒い大きな影のようなものが見えて、『 こんなものあっ

たっけ?』と 。拡大してみたら大きなクレーン船が乗り上げて

いて、家は跡形もなかった。あとはもう家族が生きているかど

うかだけだ、と、必死にGoogleパーソンファインダーなどを見

続けて・・・ 」( 宮崎氏)。

幸い、ほどなくして義父母ともに無事と分かり 、先行して妻だ

けが釜石に。「 帰りの飛行機の中で機内テレビに映る故郷の

惨状を見た彼女はとにかく 泣きどおしだったようで、あまりに

心配に思えたのでしょう 。CAの皆さんが声をかけてく ださっ

たようで、機内からありったけの毛布や歯ブラシなどを集め

て『 クルー一同からです、持っていってく ださい』と 」( 同)。

  その後、数週間を経て宮崎氏も帰国したが、その際はまだ、

「 お見舞いに行く 」という気持ちが強かったという 。けれどそ

の気持ちは、実際に現地に降り立った瞬間に、100%変わり

“自分事”になった。「 妻にも相談していません。当たり前のよう

に『 戻ろう 』と決めただけです」( 同)。会社からすると 、あまり

に突然の辞職。「 勝手をしたと思います。でも、自分の気持ち

を抑えられなかったのです」。

  諸々の手続きを終え、宮崎氏が帰国できたのは季節も変わっ

た2011年7月のことだった。多くの食堂が津波に流されたことを

踏まえ、経験のある飲食業を興すことも検討したが、最終的に

は、義父が経営していた水産工場を再興することに決めた。

「 帰ってこよう 」「 戻ってこなきゃダメ 」

としか思えなかった

ネット やテレビで見ていたのと、

現実に全身で感じるのとは、

全くの別ものでした。

サポーター インタビュー

個人サポーター

スキルを活かして変化をおこそう 2013年11月現在

東北のビジネス復興支援に参加していただく サポーターを募集しています。

東北に住んでいなく ても参加できます。東北に関わってみませんか?

川村ト モエさん

川村ト モエ

コピーライター/コンサルタント

コマースデザイン株式会社

EC 業界で、商品コンセプト立案やキャッチコピーなど「 売れないオリ

ジナル商品」の立て直しを行っている。中小規模の店に対し 、わかり

やすいコンサルティングを提供しつつ、講演や寄稿も行う 。「 商品のウ

リ 」を明確にした商品プロデュースとページ制作のノウハウをもって、

「 売れる商品ページ」の作り方、考え方のコンサルティングを地元企

業に実施。一時的な代行ではなく 、自走のための支援を行っている。

h ttp ://w w w .com m erce-design .net/

野口愼一

様々な業種のホームページに関わ

り 、複数におよぶ業種での就労経験

をベースに、ホームページだけでない広い視野での

サポート を展開。 単純に「 誰かのためになりたい」と

いう気持ちから。そして今一番助けを必要としている

地域が東北だろうと考え、このプロジェクト への参加

小松雅直

株式会社スタビライザー  代表

気仙沼生まれ気仙沼育ち。東京在

住。 震災後、故郷の変わり果てた様

子を見て継続的な復興には雇用が欠かせないと痛

感。 約10年W ebマーケティングに従事していること

から『 成功する満足する笑顔になるW eb戦略室』とし

て 気仙沼にて会社設立。 W ebサイト を利用し、売上

小楠あゆみ

代表

震災後に東京から現地に入り 、小中

高生を対象にした自習室を作った。震災の影響によ

る授業の遅れや、住まいを失い、狭い仮設住宅で勉

強する場所のとれない子らの多いことに問題意識を

持ち、最初は避難所の一角や近くのホテルを間借り

藤吉和男

料理ブロガー

料理ブロガー「 筋肉料理人」、料理研

究家、レシピ本著者、ボランティア活

動等様々な活動の傍ら、簡単で美味しい魚料理、簡

単レシピの作り方をブログ、G+、YouTu b e等を使っ

て紹介している。日常的に多数の方向けに情報発信

を行っているので、どうすれば沢山の人に興味を持っ

西田健太

W ebデザイナー

KORKO

高知県生まれ、神奈川県育ち。2012

年10月に、岩手県釜石市に移住。 プログラマーやSE

の経験後、デザイナーに転職。その後、フリーとなり

システム開発、デザイン、W EB制作を行ってきた。現

在は、これまでの経験を活かし 、地元企業・ 団体の

松島宏佑

一般社団法人ふらっとーほく代表

1986 年生まれ。宮城県白石市出身。

大学卒業後、まちづくり最先端の島、

島根県隠岐郡海士町へ移住。( 株)巡の環で働く 。東

日本大震災を機に( 社)ふらっとーほく 設立。「 わたり

グリーンベルトプロジェクト 」事務局長も勤める。海

士町の( 株)巡の環で学んだ、「 よそものとして地域へ

赤澤清孝

N PO法人石巻復興支援ネット ー

ワーク副代表理事/N PO法人ユー

スビジョ ン 代表/N PO法人

常務理事

1995 年、阪神・淡路大震災を契機に学生有志できょ

うと学生ボランティアセンター( 現・ ユースビジョ ン)

を設立。東日本大震災発生後は「 つなプロ」事務局長

藤川智雄

宮城県商工会連合会エキスパートバ

ンク登録専門家

宮城県仙台市出身。現在、宮城県商工会連合会エキ

スパート バンク登録専門家として、小規模企業者等

へ指導・助言を行う立場で活動をしています。311 直

後、国際感覚に優れ東北の知財を広く 知らしめる事

佐藤健

絆プロジェクト三陸 理事長

さとう整体療術院 院長

明治大学 社会イノベーショ ン・ デザ

イン研究所 客員研究員

特定非営利活動法人 絆プロジェクト三陸

岩手県大船渡市出身。「 被災地で被災者が立ち上げ

た団体だからこそ地元ニーズを的確に拾い上げるこ

桝澤信好

システムエンジニア

LiFE STYLE Lab .

岩手県釜石市出身。「 小さなことでも

良いので行動してみる。きっと何かに繋がる」という

思いで、HackForIw ateなど、IT スキルを活かした支

援活動に参加してきた。現在は、盛岡に在住しなが

ら、「 点を線でつなげる」「 出来る事から行動」、更に

SU PPORTER / IN N OVATION TOH OKU IN N OVATION TOH OKU / SUPPORTER

2013年11月現在企業・ 団体サポーター

東北でビジネスの復興やコミ ュニティ 再生に取り組んでいる事業者・ 団体の

皆様を募集しています。あなたのチャレンジを教えてく ださい。

KDDIJim do & KDDI

ウェブコミュニケーションズYahoo! JAPAN

READYFOR? 福島県特定非営利活動法人

エティック一般社団法人東の食の会

公益社団法人

助けあいジャパン

XXXXX XXXXX XXXXX XXXXX

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9つの企業・団体サポーター

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  飲食店チェーンのグローバル化を加速させるため、フランス

に拠点を移し 、現地法人社長として着任。その3年後、彼が妻

の故郷・ 釜石で見たのは、あまりに変わり果てた光景だった。

一念発起で脱サラし 、作ったのは地域では活用されることの

なかった“雑魚”と“ワインの搾りカス”を使ったブイヤベース

スープ。初めてなのにどこか懐かしいスープの味は東京のウェ

ブマーケターの心も動かし・・・ 三陸いりや水産・ 宮崎洋之社

長と、彼を巡る人々の物語、第1章。

「 帰国し 、妻の実家がある釜石を訪ねることができたのは、

震災から約1カ月後。ネット やテレビで見ていたのと 、現実に

全身で感じるのとは、全くの別ものでした。妻の生家の前には

巨大な船が乗り上げており 、あちらこちらにヘドロが付き、す

えた臭いがする。自衛隊の車が行き交い、宿泊させていただ

いた寺の長い廊下には延 と々亡くなった方の遺骨が並んでい

た。着いてから、ほんの僅かな時間でもう 、『 帰ってこよう 』と

決めていました。『 日本人として、戻ってこなきゃダメだろう 』と

しか思えなかった」。

  三陸いりや水産・ 宮崎洋之社長が当時、夫婦で暮らしてい

たのはフランス・パリ 。勤め先の飲食チェーンの欧州展開に先

鞭をつけるべく 2008年に単身で乗り込み、和食店の開店に従

事。2011年の震災時には多店舗展開に向け、用地選定などを

していました。

「 フランスのテレビや新聞でも東日本大震災の様子はトップ

ニュースとして扱われていましたが、釜石の状況は殆ど取り上

げられていなかったのです。当然、電話もつながらず、ひたす

らネット を検索しました。3日目にGoogle Ear thで妻の家のあ

たりに黒い大きな影のようなものが見えて、『 こんなものあっ

たっけ?』と 。拡大してみたら大きなクレーン船が乗り上げて

いて、家は跡形もなかった。あとはもう家族が生きているかど

うかだけだ、と 、必死にGoogleパーソンファインダーなどを見

続けて・・・ 」( 宮崎氏)。

幸い、ほどなくして義父母ともに無事と分かり 、先行して妻だ

けが釜石に。「 帰りの飛行機の中で機内テレビに映る故郷の

惨状を見た彼女はとにかく 泣きどおしだったようで、あまりに

心配に思えたのでしょう 。CAの皆さんが声をかけてく ださっ

たようで、機内からありったけの毛布や歯ブラシなどを集め

て『 クルー一同からです、持っていってく ださい』と 」( 同)。

  その後、数週間を経て宮崎氏も帰国したが、その際はまだ、

「 お見舞いに行く 」という気持ちが強かったという 。けれどそ

の気持ちは、実際に現地に降り立った瞬間に、100%変わり

“自分事”になった。「 妻にも相談していません。当たり前のよう

に『 戻ろう 』と決めただけです」( 同)。会社からすると 、あまり

に突然の辞職。「 勝手をしたと思います。でも、自分の気持ち

を抑えられなかったのです」。

  諸々の手続きを終え、宮崎氏が帰国できたのは季節も変わっ

た2011年7月のことだった。多くの食堂が津波に流されたことを

踏まえ、経験のある飲食業を興すことも検討したが、最終的に

は、義父が経営していた水産工場を再興することに決めた。

「 帰ってこよう 」「 戻ってこなきゃダメ 」

としか思えなかった

ネット やテレビで見ていたのと、

現実に全身で感じるのとは、

全くの別ものでした。

サポーター インタビュー

個人サポーター

スキルを活かして変化をおこそう 2013年11月現在

東北のビジネス復興支援に参加していただく サポーターを募集しています。

東北に住んでいなく ても参加できます。東北に関わってみませんか?

川村ト モエさん

川村ト モエ

コピーライター/コンサルタント

コマースデザイン株式会社

EC 業界で、商品コンセプト立案やキャッチコピーなど「 売れないオリ

ジナル商品」の立て直しを行っている。中小規模の店に対し、わかり

やすいコンサルティングを提供しつつ、講演や寄稿も行う 。「 商品のウ

リ 」を明確にした商品プロデュースとページ制作のノウハウをもって、

「 売れる商品ページ」の作り方、考え方のコンサルティングを地元企

業に実施。一時的な代行ではなく 、自走のための支援を行っている。

h ttp ://w w w.com m erce-design .net/

野口愼一

様々な業種のホームページに関わ

り 、複数におよぶ業種での就労経験

をベースに、ホームページだけでない広い視野での

サポート を展開。 単純に「 誰かのためになりたい」と

いう気持ちから。そして今一番助けを必要としている

地域が東北だろうと考え、このプロジェクト への参加

小松雅直

株式会社スタビライザー  代表

気仙沼生まれ気仙沼育ち。東京在

住。 震災後、故郷の変わり果てた様

子を見て継続的な復興には雇用が欠かせないと痛

感。 約10年W ebマーケティングに従事していること

から『 成功する満足する笑顔になるW eb戦略室』とし

て 気仙沼にて会社設立。 W ebサイト を利用し 、売上

小楠あゆみ

代表

震災後に東京から現地に入り 、小中

高生を対象にした自習室を作った。震災の影響によ

る授業の遅れや、住まいを失い、狭い仮設住宅で勉

強する場所のとれない子らの多いことに問題意識を

持ち、最初は避難所の一角や近く のホテルを間借り

藤吉和男

料理ブロガー

料理ブロガー「 筋肉料理人」、料理研

究家、レシピ本著者、ボランティア活

動等様々な活動の傍ら、簡単で美味しい魚料理、簡

単レシピの作り方をブログ、G+、Yo uTu b e等を使っ

て紹介している。日常的に多数の方向けに情報発信

を行っているので、どうすれば沢山の人に興味を持っ

西田健太

W ebデザイナー

KORKO

高知県生まれ、神奈川県育ち。2012

年10月に、岩手県釜石市に移住。 プログラマーやSE

の経験後、デザイナーに転職。その後、フリーとなり

システム開発、デザイン、W EB制作を行ってきた。現

在は、これまでの経験を活かし 、地元企業・ 団体の

松島宏佑

一般社団法人ふらっとーほく代表

1986 年生まれ。宮城県白石市出身。

大学卒業後、まちづくり最先端の島、

島根県隠岐郡海士町へ移住。( 株)巡の環で働く 。東

日本大震災を機に( 社)ふらっとーほく 設立。「 わたり

グリーンベルトプロジェクト 」事務局長も勤める。海

士町の( 株)巡の環で学んだ、「 よそものとして地域へ

赤澤清孝

N PO法人石巻復興支援ネット ー

ワーク副代表理事/N PO法人ユー

スビジョ ン 代表/N PO法人

常務理事

1995 年、阪神・淡路大震災を契機に学生有志できょ

うと学生ボランティアセンター( 現・ ユースビジョ ン)

を設立。東日本大震災発生後は「 つなプロ」事務局長

藤川智雄

宮城県商工会連合会エキスパートバ

ンク登録専門家

宮城県仙台市出身。現在、宮城県商工会連合会エキ

スパート バンク登録専門家として、小規模企業者等

へ指導・助言を行う立場で活動をしています。311 直

後、国際感覚に優れ東北の知財を広く 知らしめる事

佐藤健

絆プロジェクト 三陸 理事長

さとう整体療術院 院長

明治大学 社会イノベーショ ン・ デザ

イン研究所 客員研究員

特定非営利活動法人 絆プロジェクト三陸

岩手県大船渡市出身。「 被災地で被災者が立ち上げ

た団体だからこそ地元ニーズを的確に拾い上げるこ

桝澤信好

システムエンジニア

LiFE STYLE Lab .

岩手県釜石市出身。「 小さなことでも

良いので行動してみる。きっと何かに繋がる」という

思いで、HackFor Iw ateなど、IT スキルを活かした支

援活動に参加してきた。現在は、盛岡に在住しなが

ら、「 点を線でつなげる」「 出来る事から行動」、更に

SU PPORTER / IN N OVATION TOH OKU IN N OVATION TOH OKU / SU PPORTER

2013年11月現在企業・ 団体サポーター

東北でビジネスの復興やコミ ュニティ 再生に取り組んでいる事業者・ 団体の

皆様を募集しています。あなたのチャレンジを教えてく ださい。

KDDIJim do & KDDI

ウェブコミュニケーションズYahoo ! JAPAN

READYFOR? 福島県特定非営利活動法人

エティック一般社団法人東の食の会

公益社団法人

助けあいジャパン

XXXXX XXXXX XXXXX XXXXX

8 9

80名以上、多様な専門性(マーケター、経営コンサル、Webディレクター、料理研究家等)

Page 7: Rcf canpan

Squareレジの導入、初のB2C対応

EC事業の為の商品開発

  飲食店チェーンのグローバル化を加速させるため、フランス

に拠点を移し 、現地法人社長として着任。その3年後、彼が妻

の故郷・釜石で見たのは、あまりに変わり果てた光景だった。

一念発起で脱サラし 、作ったのは地域では活用されることの

なかった“雑魚”と“ワインの搾りカス”を使ったブイヤベース

スープ。初めてなのにどこか懐かしいスープの味は東京のウェ

ブマーケターの心も動かし・・・ 三陸いりや水産・ 宮崎洋之社

長と、彼を巡る人々の物語、第1章。

「 帰国し 、妻の実家がある釜石を訪ねることができたのは、

震災から約1カ月後。ネット やテレビで見ていたのと 、現実に

全身で感じるのとは、全くの別ものでした。妻の生家の前には

巨大な船が乗り上げており 、あちらこちらにヘドロが付き、す

えた臭いがする。自衛隊の車が行き交い、宿泊させていただ

いた寺の長い廊下には延 と々亡くなった方の遺骨が並んでい

た。着いてから、ほんの僅かな時間でもう 、『 帰ってこよう 』と

決めていました。『 日本人として、戻ってこなきゃダメだろう 』と

しか思えなかった」。

  三陸いりや水産・ 宮崎洋之社長が当時、夫婦で暮らしてい

たのはフランス・パリ 。勤め先の飲食チェーンの欧州展開に先

鞭をつけるべく 2008年に単身で乗り込み、和食店の開店に従

事。2011年の震災時には多店舗展開に向け、用地選定などを

していました。

「 フランスのテレビや新聞でも東日本大震災の様子はトップ

ニュースとして扱われていましたが、釜石の状況は殆ど取り上

げられていなかったのです。当然、電話もつながらず、ひたす

らネット を検索しました。3日目にGoogle Earthで妻の家のあ

たりに黒い大きな影のようなものが見えて、『 こんなものあっ

たっけ?』と 。拡大してみたら大きなクレーン船が乗り上げて

いて、家は跡形もなかった。あとはもう家族が生きているかど

うかだけだ、と、必死にGoogleパーソンファインダーなどを見

続けて・・・ 」( 宮崎氏)。

幸い、ほどなくして義父母ともに無事と分かり 、先行して妻だ

けが釜石に。「 帰りの飛行機の中で機内テレビに映る故郷の

惨状を見た彼女はとにかく 泣きどおしだったようで、あまりに

心配に思えたのでしょう 。CAの皆さんが声をかけてく ださっ

たようで、機内からありったけの毛布や歯ブラシなどを集め

て『 クルー一同からです、持っていってく ださい』と 」( 同)。

  その後、数週間を経て宮崎氏も帰国したが、その際はまだ、

「 お見舞いに行く 」という気持ちが強かったという 。けれどそ

の気持ちは、実際に現地に降り立った瞬間に、100%変わり

“自分事”になった。「 妻にも相談していません。当たり前のよう

に『 戻ろう 』と決めただけです」( 同)。会社からすると 、あまり

に突然の辞職。「 勝手をしたと思います。でも、自分の気持ち

を抑えられなかったのです」。

  諸々の手続きを終え、宮崎氏が帰国できたのは季節も変わっ

た2011年7月のことだった。多くの食堂が津波に流されたことを

踏まえ、経験のある飲食業を興すことも検討したが、最終的に

は、義父が経営していた水産工場を再興することに決めた。

「 帰ってこよう 」「 戻ってこなきゃダメ 」

としか思えなかった

ネット やテレビで見ていたのと、

現実に全身で感じるのとは、

全くの別ものでした。

サポーター インタビュー

個人サポーター

スキルを活かして変化をおこそう 2013年11月現在

東北のビジネス復興支援に参加していただく サポーターを募集しています。

東北に住んでいなく ても参加できます。東北に関わってみませんか?

川村ト モエさん

川村ト モエ

コピーライター/コンサルタント

コマースデザイン株式会社

EC 業界で、商品コンセプト立案やキャッチコピーなど「 売れないオリ

ジナル商品」の立て直しを行っている。中小規模の店に対し 、わかり

やすいコンサルティングを提供しつつ、講演や寄稿も行う 。「 商品のウ

リ 」を明確にした商品プロデュースとページ制作のノウハウをもって、

「 売れる商品ページ」の作り方、考え方のコンサルティングを地元企

業に実施。一時的な代行ではなく 、自走のための支援を行っている。

h ttp ://w w w .com m erce-design .net/

野口愼一

様々な業種のホームページに関わ

り 、複数におよぶ業種での就労経験

をベースに、ホームページだけでない広い視野での

サポート を展開。 単純に「 誰かのためになりたい」と

いう気持ちから。そして今一番助けを必要としている

地域が東北だろうと考え、このプロジェクト への参加

小松雅直

株式会社スタビライザー  代表

気仙沼生まれ気仙沼育ち。東京在

住。 震災後、故郷の変わり果てた様

子を見て継続的な復興には雇用が欠かせないと痛

感。 約10年W ebマーケティングに従事していること

から『 成功する満足する笑顔になるW eb戦略室』とし

て 気仙沼にて会社設立。 W ebサイト を利用し、売上

小楠あゆみ

代表

震災後に東京から現地に入り 、小中

高生を対象にした自習室を作った。震災の影響によ

る授業の遅れや、住まいを失い、狭い仮設住宅で勉

強する場所のとれない子らの多いことに問題意識を

持ち、最初は避難所の一角や近くのホテルを間借り

藤吉和男

料理ブロガー

料理ブロガー「 筋肉料理人」、料理研

究家、レシピ本著者、ボランティア活

動等様々な活動の傍ら、簡単で美味しい魚料理、簡

単レシピの作り方をブログ、G+、YouTu b e等を使っ

て紹介している。日常的に多数の方向けに情報発信

を行っているので、どうすれば沢山の人に興味を持っ

西田健太

W ebデザイナー

KORKO

高知県生まれ、神奈川県育ち。2012

年10月に、岩手県釜石市に移住。 プログラマーやSE

の経験後、デザイナーに転職。その後、フリーとなり

システム開発、デザイン、W EB制作を行ってきた。現

在は、これまでの経験を活かし 、地元企業・ 団体の

松島宏佑

一般社団法人ふらっとーほく代表

1986 年生まれ。宮城県白石市出身。

大学卒業後、まちづくり最先端の島、

島根県隠岐郡海士町へ移住。( 株)巡の環で働く 。東

日本大震災を機に( 社)ふらっとーほく 設立。「 わたり

グリーンベルトプロジェクト 」事務局長も勤める。海

士町の( 株)巡の環で学んだ、「 よそものとして地域へ

赤澤清孝

N PO法人石巻復興支援ネット ー

ワーク副代表理事/N PO法人ユー

スビジョ ン 代表/N PO法人

常務理事

1995 年、阪神・淡路大震災を契機に学生有志できょ

うと学生ボランティアセンター( 現・ ユースビジョ ン)

を設立。東日本大震災発生後は「 つなプロ」事務局長

藤川智雄

宮城県商工会連合会エキスパートバ

ンク登録専門家

宮城県仙台市出身。現在、宮城県商工会連合会エキ

スパート バンク登録専門家として、小規模企業者等

へ指導・助言を行う立場で活動をしています。311 直

後、国際感覚に優れ東北の知財を広く 知らしめる事

佐藤健

絆プロジェクト三陸 理事長

さとう整体療術院 院長

明治大学 社会イノベーショ ン・ デザ

イン研究所 客員研究員

特定非営利活動法人 絆プロジェクト三陸

岩手県大船渡市出身。「 被災地で被災者が立ち上げ

た団体だからこそ地元ニーズを的確に拾い上げるこ

桝澤信好

システムエンジニア

LiFE STYLE Lab .

岩手県釜石市出身。「 小さなことでも

良いので行動してみる。きっと何かに繋がる」という

思いで、HackForIw ateなど、IT スキルを活かした支

援活動に参加してきた。現在は、盛岡に在住しなが

ら、「 点を線でつなげる」「 出来る事から行動」、更に

SU PPORTER / IN N OVATION TOH OKU IN N OVATION TOH OKU / SUPPORTER

2013年11月現在企業・ 団体サポーター

東北でビジネスの復興やコミ ュニティ 再生に取り組んでいる事業者・ 団体の

皆様を募集しています。あなたのチャレンジを教えてく ださい。

KDDIJim do & KDDI

ウェブコミュニケーションズYahoo! JAPAN

READYFOR? 福島県特定非営利活動法人

エティック一般社団法人東の食の会

公益社団法人

助けあいジャパン

XXXXX XXXXX XXXXX XXXXX

8 9

  飲食店チェーンのグローバル化を加速させるため、フランス

に拠点を移し 、現地法人社長として着任。その3年後、彼が妻

の故郷・ 釜石で見たのは、あまりに変わり果てた光景だった。

一念発起で脱サラし 、作ったのは地域では活用されることの

なかった“雑魚”と“ワインの搾りカス”を使ったブイヤベース

スープ。初めてなのにどこか懐かしいスープの味は東京のウェ

ブマーケターの心も動かし・・・ 三陸いりや水産・ 宮崎洋之社

長と、彼を巡る人々の物語、第1章。

「 帰国し 、妻の実家がある釜石を訪ねることができたのは、

震災から約1カ月後。ネット やテレビで見ていたのと 、現実に

全身で感じるのとは、全くの別ものでした。妻の生家の前には

巨大な船が乗り上げており 、あちらこちらにヘドロが付き、す

えた臭いがする。自衛隊の車が行き交い、宿泊させていただ

いた寺の長い廊下には延 と々亡くなった方の遺骨が並んでい

た。着いてから、ほんの僅かな時間でもう 、『 帰ってこよう 』と

決めていました。『 日本人として、戻ってこなきゃダメだろう 』と

しか思えなかった」。

  三陸いりや水産・ 宮崎洋之社長が当時、夫婦で暮らしてい

たのはフランス・パリ 。勤め先の飲食チェーンの欧州展開に先

鞭をつけるべく 2008年に単身で乗り込み、和食店の開店に従

事。2011年の震災時には多店舗展開に向け、用地選定などを

していました。

「 フランスのテレビや新聞でも東日本大震災の様子はトップ

ニュースとして扱われていましたが、釜石の状況は殆ど取り上

げられていなかったのです。当然、電話もつながらず、ひたす

らネット を検索しました。3日目にGoogle Ear thで妻の家のあ

たりに黒い大きな影のようなものが見えて、『 こんなものあっ

たっけ?』と 。拡大してみたら大きなクレーン船が乗り上げて

いて、家は跡形もなかった。あとはもう家族が生きているかど

うかだけだ、と 、必死にGoogleパーソンファインダーなどを見

続けて・・・ 」( 宮崎氏)。

幸い、ほどなくして義父母ともに無事と分かり 、先行して妻だ

けが釜石に。「 帰りの飛行機の中で機内テレビに映る故郷の

惨状を見た彼女はとにかく 泣きどおしだったようで、あまりに

心配に思えたのでしょう 。CAの皆さんが声をかけてく ださっ

たようで、機内からありったけの毛布や歯ブラシなどを集め

て『 クルー一同からです、持っていってく ださい』と 」( 同)。

  その後、数週間を経て宮崎氏も帰国したが、その際はまだ、

「 お見舞いに行く 」という気持ちが強かったという 。けれどそ

の気持ちは、実際に現地に降り立った瞬間に、100%変わり

“自分事”になった。「 妻にも相談していません。当たり前のよう

に『 戻ろう 』と決めただけです」( 同)。会社からすると 、あまり

に突然の辞職。「 勝手をしたと思います。でも、自分の気持ち

を抑えられなかったのです」。

  諸々の手続きを終え、宮崎氏が帰国できたのは季節も変わっ

た2011年7月のことだった。多くの食堂が津波に流されたことを

踏まえ、経験のある飲食業を興すことも検討したが、最終的に

は、義父が経営していた水産工場を再興することに決めた。

「 帰ってこよう 」「 戻ってこなきゃダメ 」

としか思えなかった

ネット やテレビで見ていたのと、

現実に全身で感じるのとは、

全くの別ものでした。

サポーター インタビュー

個人サポーター

スキルを活かして変化をおこそう 2013年11月現在

東北のビジネス復興支援に参加していただく サポーターを募集しています。

東北に住んでいなく ても参加できます。東北に関わってみませんか?

川村ト モエさん

川村ト モエ

コピーライター/コンサルタント

コマースデザイン株式会社

EC 業界で、商品コンセプト立案やキャッチコピーなど「 売れないオリ

ジナル商品」の立て直しを行っている。中小規模の店に対し、わかり

やすいコンサルティングを提供しつつ、講演や寄稿も行う 。「 商品のウ

リ 」を明確にした商品プロデュースとページ制作のノウハウをもって、

「 売れる商品ページ」の作り方、考え方のコンサルティングを地元企

業に実施。一時的な代行ではなく 、自走のための支援を行っている。

h ttp ://w w w.com m erce-design .net/

野口愼一

様々な業種のホームページに関わ

り 、複数におよぶ業種での就労経験

をベースに、ホームページだけでない広い視野での

サポート を展開。 単純に「 誰かのためになりたい」と

いう気持ちから。そして今一番助けを必要としている

地域が東北だろうと考え、このプロジェクト への参加

小松雅直

株式会社スタビライザー  代表

気仙沼生まれ気仙沼育ち。東京在

住。 震災後、故郷の変わり果てた様

子を見て継続的な復興には雇用が欠かせないと痛

感。 約10年W ebマーケティングに従事していること

から『 成功する満足する笑顔になるW eb戦略室』とし

て 気仙沼にて会社設立。 W ebサイト を利用し 、売上

小楠あゆみ

代表

震災後に東京から現地に入り 、小中

高生を対象にした自習室を作った。震災の影響によ

る授業の遅れや、住まいを失い、狭い仮設住宅で勉

強する場所のとれない子らの多いことに問題意識を

持ち、最初は避難所の一角や近く のホテルを間借り

藤吉和男

料理ブロガー

料理ブロガー「 筋肉料理人」、料理研

究家、レシピ本著者、ボランティア活

動等様々な活動の傍ら、簡単で美味しい魚料理、簡

単レシピの作り方をブログ、G+、Yo uTu b e等を使っ

て紹介している。日常的に多数の方向けに情報発信

を行っているので、どうすれば沢山の人に興味を持っ

西田健太

W ebデザイナー

KORKO

高知県生まれ、神奈川県育ち。2012

年10月に、岩手県釜石市に移住。 プログラマーやSE

の経験後、デザイナーに転職。その後、フリーとなり

システム開発、デザイン、W EB制作を行ってきた。現

在は、これまでの経験を活かし 、地元企業・ 団体の

松島宏佑

一般社団法人ふらっとーほく代表

1986 年生まれ。宮城県白石市出身。

大学卒業後、まちづくり最先端の島、

島根県隠岐郡海士町へ移住。( 株)巡の環で働く 。東

日本大震災を機に( 社)ふらっとーほく 設立。「 わたり

グリーンベルトプロジェクト 」事務局長も勤める。海

士町の( 株)巡の環で学んだ、「 よそものとして地域へ

赤澤清孝

N PO法人石巻復興支援ネット ー

ワーク副代表理事/N PO法人ユー

スビジョ ン 代表/N PO法人

常務理事

1995 年、阪神・淡路大震災を契機に学生有志できょ

うと学生ボランティアセンター( 現・ ユースビジョ ン)

を設立。東日本大震災発生後は「 つなプロ」事務局長

藤川智雄

宮城県商工会連合会エキスパートバ

ンク登録専門家

宮城県仙台市出身。現在、宮城県商工会連合会エキ

スパート バンク登録専門家として、小規模企業者等

へ指導・助言を行う立場で活動をしています。311 直

後、国際感覚に優れ東北の知財を広く 知らしめる事

佐藤健

絆プロジェクト 三陸 理事長

さとう整体療術院 院長

明治大学 社会イノベーショ ン・ デザ

イン研究所 客員研究員

特定非営利活動法人 絆プロジェクト三陸

岩手県大船渡市出身。「 被災地で被災者が立ち上げ

た団体だからこそ地元ニーズを的確に拾い上げるこ

桝澤信好

システムエンジニア

LiFE STYLE Lab .

岩手県釜石市出身。「 小さなことでも

良いので行動してみる。きっと何かに繋がる」という

思いで、HackFor Iw ateなど、IT スキルを活かした支

援活動に参加してきた。現在は、盛岡に在住しなが

ら、「 点を線でつなげる」「 出来る事から行動」、更に

SU PPORTER / IN N OVATION TOH OKU IN N OVATION TOH OKU / SU PPORTER

2013年11月現在企業・ 団体サポーター

東北でビジネスの復興やコミ ュニティ 再生に取り組んでいる事業者・ 団体の

皆様を募集しています。あなたのチャレンジを教えてく ださい。

KDDIJim do & KDDI

ウェブコミュニケーションズYahoo ! JAPAN

READYFOR? 福島県特定非営利活動法人

エティック一般社団法人東の食の会

公益社団法人

助けあいジャパン

XXXXX XXXXX XXXXX XXXXX

8 9

石巻の梱包屋の転身新製品・アプリの開発

本業を活かす新事業の立ち上げアプリ開発

Page 8: Rcf canpan

クラウドファンディングによる開発費用ファンディング

有名ブロガーサポーターレシピ開発と情報発信

  飲食店チェーンのグローバル化を加速させるため、フランス

に拠点を移し 、現地法人社長として着任。その3年後、彼が妻

の故郷・釜石で見たのは、あまりに変わり果てた光景だった。

一念発起で脱サラし 、作ったのは地域では活用されることの

なかった“雑魚”と“ワインの搾りカス”を使ったブイヤベース

スープ。初めてなのにどこか懐かしいスープの味は東京のウェ

ブマーケターの心も動かし・・・ 三陸いりや水産・ 宮崎洋之社

長と、彼を巡る人々の物語、第1章。

「 帰国し 、妻の実家がある釜石を訪ねることができたのは、

震災から約1カ月後。ネット やテレビで見ていたのと 、現実に

全身で感じるのとは、全くの別ものでした。妻の生家の前には

巨大な船が乗り上げており 、あちらこちらにヘドロが付き、す

えた臭いがする。自衛隊の車が行き交い、宿泊させていただ

いた寺の長い廊下には延 と々亡くなった方の遺骨が並んでい

た。着いてから、ほんの僅かな時間でもう 、『 帰ってこよう 』と

決めていました。『 日本人として、戻ってこなきゃダメだろう 』と

しか思えなかった」。

  三陸いりや水産・ 宮崎洋之社長が当時、夫婦で暮らしてい

たのはフランス・パリ 。勤め先の飲食チェーンの欧州展開に先

鞭をつけるべく 2008年に単身で乗り込み、和食店の開店に従

事。2011年の震災時には多店舗展開に向け、用地選定などを

していました。

「 フランスのテレビや新聞でも東日本大震災の様子はトップ

ニュースとして扱われていましたが、釜石の状況は殆ど取り上

げられていなかったのです。当然、電話もつながらず、ひたす

らネット を検索しました。3日目にGoogle Earthで妻の家のあ

たりに黒い大きな影のようなものが見えて、『 こんなものあっ

たっけ?』と 。拡大してみたら大きなクレーン船が乗り上げて

いて、家は跡形もなかった。あとはもう家族が生きているかど

うかだけだ、と、必死にGoogleパーソンファインダーなどを見

続けて・・・ 」( 宮崎氏)。

幸い、ほどなくして義父母ともに無事と分かり 、先行して妻だ

けが釜石に。「 帰りの飛行機の中で機内テレビに映る故郷の

惨状を見た彼女はとにかく 泣きどおしだったようで、あまりに

心配に思えたのでしょう 。CAの皆さんが声をかけてく ださっ

たようで、機内からありったけの毛布や歯ブラシなどを集め

て『 クルー一同からです、持っていってく ださい』と 」( 同)。

  その後、数週間を経て宮崎氏も帰国したが、その際はまだ、

「 お見舞いに行く 」という気持ちが強かったという 。けれどそ

の気持ちは、実際に現地に降り立った瞬間に、100%変わり

“自分事”になった。「 妻にも相談していません。当たり前のよう

に『 戻ろう 』と決めただけです」( 同)。会社からすると 、あまり

に突然の辞職。「 勝手をしたと思います。でも、自分の気持ち

を抑えられなかったのです」。

  諸々の手続きを終え、宮崎氏が帰国できたのは季節も変わっ

た2011年7月のことだった。多くの食堂が津波に流されたことを

踏まえ、経験のある飲食業を興すことも検討したが、最終的に

は、義父が経営していた水産工場を再興することに決めた。

「 帰ってこよう 」「 戻ってこなきゃダメ 」

としか思えなかった

ネット やテレビで見ていたのと、

現実に全身で感じるのとは、

全くの別ものでした。

サポーター インタビュー

個人サポーター

スキルを活かして変化をおこそう 2013年11月現在

東北のビジネス復興支援に参加していただく サポーターを募集しています。

東北に住んでいなく ても参加できます。東北に関わってみませんか?

川村ト モエさん

川村ト モエ

コピーライター/コンサルタント

コマースデザイン株式会社

EC 業界で、商品コンセプト立案やキャッチコピーなど「 売れないオリ

ジナル商品」の立て直しを行っている。中小規模の店に対し 、わかり

やすいコンサルティングを提供しつつ、講演や寄稿も行う 。「 商品のウ

リ 」を明確にした商品プロデュースとページ制作のノウハウをもって、

「 売れる商品ページ」の作り方、考え方のコンサルティングを地元企

業に実施。一時的な代行ではなく 、自走のための支援を行っている。

h ttp ://w w w .com m erce-design .net/

野口愼一

様々な業種のホームページに関わ

り 、複数におよぶ業種での就労経験

をベースに、ホームページだけでない広い視野での

サポート を展開。 単純に「 誰かのためになりたい」と

いう気持ちから。そして今一番助けを必要としている

地域が東北だろうと考え、このプロジェクト への参加

小松雅直

株式会社スタビライザー  代表

気仙沼生まれ気仙沼育ち。東京在

住。 震災後、故郷の変わり果てた様

子を見て継続的な復興には雇用が欠かせないと痛

感。 約10年W ebマーケティングに従事していること

から『 成功する満足する笑顔になるW eb戦略室』とし

て 気仙沼にて会社設立。 W ebサイト を利用し、売上

小楠あゆみ

代表

震災後に東京から現地に入り 、小中

高生を対象にした自習室を作った。震災の影響によ

る授業の遅れや、住まいを失い、狭い仮設住宅で勉

強する場所のとれない子らの多いことに問題意識を

持ち、最初は避難所の一角や近くのホテルを間借り

藤吉和男

料理ブロガー

料理ブロガー「 筋肉料理人」、料理研

究家、レシピ本著者、ボランティア活

動等様々な活動の傍ら、簡単で美味しい魚料理、簡

単レシピの作り方をブログ、G+、YouTu b e等を使っ

て紹介している。日常的に多数の方向けに情報発信

を行っているので、どうすれば沢山の人に興味を持っ

西田健太

W ebデザイナー

KORKO

高知県生まれ、神奈川県育ち。2012

年10月に、岩手県釜石市に移住。 プログラマーやSE

の経験後、デザイナーに転職。その後、フリーとなり

システム開発、デザイン、W EB制作を行ってきた。現

在は、これまでの経験を活かし 、地元企業・ 団体の

松島宏佑

一般社団法人ふらっとーほく代表

1986 年生まれ。宮城県白石市出身。

大学卒業後、まちづくり最先端の島、

島根県隠岐郡海士町へ移住。( 株)巡の環で働く 。東

日本大震災を機に( 社)ふらっとーほく 設立。「 わたり

グリーンベルトプロジェクト 」事務局長も勤める。海

士町の( 株)巡の環で学んだ、「 よそものとして地域へ

赤澤清孝

N PO法人石巻復興支援ネット ー

ワーク副代表理事/N PO法人ユー

スビジョ ン 代表/N PO法人

常務理事

1995 年、阪神・淡路大震災を契機に学生有志できょ

うと学生ボランティアセンター( 現・ ユースビジョ ン)

を設立。東日本大震災発生後は「 つなプロ」事務局長

藤川智雄

宮城県商工会連合会エキスパートバ

ンク登録専門家

宮城県仙台市出身。現在、宮城県商工会連合会エキ

スパート バンク登録専門家として、小規模企業者等

へ指導・助言を行う立場で活動をしています。311 直

後、国際感覚に優れ東北の知財を広く 知らしめる事

佐藤健

絆プロジェクト三陸 理事長

さとう整体療術院 院長

明治大学 社会イノベーショ ン・ デザ

イン研究所 客員研究員

特定非営利活動法人 絆プロジェクト三陸

岩手県大船渡市出身。「 被災地で被災者が立ち上げ

た団体だからこそ地元ニーズを的確に拾い上げるこ

桝澤信好

システムエンジニア

LiFE STYLE Lab .

岩手県釜石市出身。「 小さなことでも

良いので行動してみる。きっと何かに繋がる」という

思いで、HackForIw ateなど、IT スキルを活かした支

援活動に参加してきた。現在は、盛岡に在住しなが

ら、「 点を線でつなげる」「 出来る事から行動」、更に

SU PPORTER / IN N OVATION TOH OKU IN N OVATION TOH OKU / SUPPORTER

2013年11月現在企業・ 団体サポーター

東北でビジネスの復興やコミ ュニティ 再生に取り組んでいる事業者・ 団体の

皆様を募集しています。あなたのチャレンジを教えてく ださい。

KDDIJim do & KDDI

ウェブコミュニケーションズYahoo! JAPAN

READYFOR? 福島県特定非営利活動法人

エティック一般社団法人東の食の会

公益社団法人

助けあいジャパン

XXXXX XXXXX XXXXX XXXXX

8 9

  飲食店チェーンのグローバル化を加速させるため、フランス

に拠点を移し 、現地法人社長として着任。その3年後、彼が妻

の故郷・ 釜石で見たのは、あまりに変わり果てた光景だった。

一念発起で脱サラし 、作ったのは地域では活用されることの

なかった“雑魚”と“ワインの搾りカス”を使ったブイヤベース

スープ。初めてなのにどこか懐かしいスープの味は東京のウェ

ブマーケターの心も動かし・・・ 三陸いりや水産・ 宮崎洋之社

長と、彼を巡る人々の物語、第1章。

「 帰国し 、妻の実家がある釜石を訪ねることができたのは、

震災から約1カ月後。ネット やテレビで見ていたのと 、現実に

全身で感じるのとは、全くの別ものでした。妻の生家の前には

巨大な船が乗り上げており 、あちらこちらにヘドロが付き、す

えた臭いがする。自衛隊の車が行き交い、宿泊させていただ

いた寺の長い廊下には延 と々亡くなった方の遺骨が並んでい

た。着いてから、ほんの僅かな時間でもう 、『 帰ってこよう 』と

決めていました。『 日本人として、戻ってこなきゃダメだろう 』と

しか思えなかった」。

  三陸いりや水産・ 宮崎洋之社長が当時、夫婦で暮らしてい

たのはフランス・パリ 。勤め先の飲食チェーンの欧州展開に先

鞭をつけるべく 2008年に単身で乗り込み、和食店の開店に従

事。2011年の震災時には多店舗展開に向け、用地選定などを

していました。

「 フランスのテレビや新聞でも東日本大震災の様子はトップ

ニュースとして扱われていましたが、釜石の状況は殆ど取り上

げられていなかったのです。当然、電話もつながらず、ひたす

らネット を検索しました。3日目にGoogle Ear thで妻の家のあ

たりに黒い大きな影のようなものが見えて、『 こんなものあっ

たっけ?』と 。拡大してみたら大きなクレーン船が乗り上げて

いて、家は跡形もなかった。あとはもう家族が生きているかど

うかだけだ、と 、必死にGoogleパーソンファインダーなどを見

続けて・・・ 」( 宮崎氏)。

幸い、ほどなくして義父母ともに無事と分かり 、先行して妻だ

けが釜石に。「 帰りの飛行機の中で機内テレビに映る故郷の

惨状を見た彼女はとにかく 泣きどおしだったようで、あまりに

心配に思えたのでしょう 。CAの皆さんが声をかけてく ださっ

たようで、機内からありったけの毛布や歯ブラシなどを集め

て『 クルー一同からです、持っていってく ださい』と 」( 同)。

  その後、数週間を経て宮崎氏も帰国したが、その際はまだ、

「 お見舞いに行く 」という気持ちが強かったという 。けれどそ

の気持ちは、実際に現地に降り立った瞬間に、100%変わり

“自分事”になった。「 妻にも相談していません。当たり前のよう

に『 戻ろう 』と決めただけです」( 同)。会社からすると 、あまり

に突然の辞職。「 勝手をしたと思います。でも、自分の気持ち

を抑えられなかったのです」。

  諸々の手続きを終え、宮崎氏が帰国できたのは季節も変わっ

た2011年7月のことだった。多くの食堂が津波に流されたことを

踏まえ、経験のある飲食業を興すことも検討したが、最終的に

は、義父が経営していた水産工場を再興することに決めた。

「 帰ってこよう 」「 戻ってこなきゃダメ 」

としか思えなかった

ネット やテレビで見ていたのと、

現実に全身で感じるのとは、

全くの別ものでした。

サポーター インタビュー

個人サポーター

スキルを活かして変化をおこそう 2013年11月現在

東北のビジネス復興支援に参加していただく サポーターを募集しています。

東北に住んでいなく ても参加できます。東北に関わってみませんか?

川村ト モエさん

川村ト モエ

コピーライター/コンサルタント

コマースデザイン株式会社

EC 業界で、商品コンセプト立案やキャッチコピーなど「 売れないオリ

ジナル商品」の立て直しを行っている。中小規模の店に対し、わかり

やすいコンサルティングを提供しつつ、講演や寄稿も行う 。「 商品のウ

リ 」を明確にした商品プロデュースとページ制作のノウハウをもって、

「 売れる商品ページ」の作り方、考え方のコンサルティングを地元企

業に実施。一時的な代行ではなく 、自走のための支援を行っている。

h ttp ://w w w.com m erce-design .net/

野口愼一

様々な業種のホームページに関わ

り 、複数におよぶ業種での就労経験

をベースに、ホームページだけでない広い視野での

サポート を展開。 単純に「 誰かのためになりたい」と

いう気持ちから。そして今一番助けを必要としている

地域が東北だろうと考え、このプロジェクト への参加

小松雅直

株式会社スタビライザー  代表

気仙沼生まれ気仙沼育ち。東京在

住。 震災後、故郷の変わり果てた様

子を見て継続的な復興には雇用が欠かせないと痛

感。 約10年W ebマーケティングに従事していること

から『 成功する満足する笑顔になるW eb戦略室』とし

て 気仙沼にて会社設立。 W ebサイト を利用し 、売上

小楠あゆみ

代表

震災後に東京から現地に入り 、小中

高生を対象にした自習室を作った。震災の影響によ

る授業の遅れや、住まいを失い、狭い仮設住宅で勉

強する場所のとれない子らの多いことに問題意識を

持ち、最初は避難所の一角や近く のホテルを間借り

藤吉和男

料理ブロガー

料理ブロガー「 筋肉料理人」、料理研

究家、レシピ本著者、ボランティア活

動等様々な活動の傍ら、簡単で美味しい魚料理、簡

単レシピの作り方をブログ、G+、Yo uTu b e等を使っ

て紹介している。日常的に多数の方向けに情報発信

を行っているので、どうすれば沢山の人に興味を持っ

西田健太

W ebデザイナー

KORKO

高知県生まれ、神奈川県育ち。2012

年10月に、岩手県釜石市に移住。 プログラマーやSE

の経験後、デザイナーに転職。その後、フリーとなり

システム開発、デザイン、W EB制作を行ってきた。現

在は、これまでの経験を活かし 、地元企業・ 団体の

松島宏佑

一般社団法人ふらっとーほく代表

1986 年生まれ。宮城県白石市出身。

大学卒業後、まちづくり最先端の島、

島根県隠岐郡海士町へ移住。( 株)巡の環で働く 。東

日本大震災を機に( 社)ふらっとーほく 設立。「 わたり

グリーンベルトプロジェクト 」事務局長も勤める。海

士町の( 株)巡の環で学んだ、「 よそものとして地域へ

赤澤清孝

N PO法人石巻復興支援ネット ー

ワーク副代表理事/N PO法人ユー

スビジョ ン 代表/N PO法人

常務理事

1995 年、阪神・淡路大震災を契機に学生有志できょ

うと学生ボランティアセンター( 現・ ユースビジョ ン)

を設立。東日本大震災発生後は「 つなプロ」事務局長

藤川智雄

宮城県商工会連合会エキスパートバ

ンク登録専門家

宮城県仙台市出身。現在、宮城県商工会連合会エキ

スパート バンク登録専門家として、小規模企業者等

へ指導・助言を行う立場で活動をしています。311 直

後、国際感覚に優れ東北の知財を広く 知らしめる事

佐藤健

絆プロジェクト 三陸 理事長

さとう整体療術院 院長

明治大学 社会イノベーショ ン・ デザ

イン研究所 客員研究員

特定非営利活動法人 絆プロジェクト三陸

岩手県大船渡市出身。「 被災地で被災者が立ち上げ

た団体だからこそ地元ニーズを的確に拾い上げるこ

桝澤信好

システムエンジニア

LiFE STYLE Lab .

岩手県釜石市出身。「 小さなことでも

良いので行動してみる。きっと何かに繋がる」という

思いで、HackFor Iw ateなど、IT スキルを活かした支

援活動に参加してきた。現在は、盛岡に在住しなが

ら、「 点を線でつなげる」「 出来る事から行動」、更に

SU PPORTER / IN N OVATION TOH OKU IN N OVATION TOH OKU / SU PPORTER

2013年11月現在企業・ 団体サポーター

東北でビジネスの復興やコミ ュニティ 再生に取り組んでいる事業者・ 団体の

皆様を募集しています。あなたのチャレンジを教えてく ださい。

KDDIJim do & KDDI

ウェブコミュニケーションズYahoo ! JAPAN

READYFOR? 福島県特定非営利活動法人

エティック一般社団法人東の食の会

公益社団法人

助けあいジャパン

XXXXX XXXXX XXXXX XXXXX

8 9

気仙沼の女子高生×i.club“なまり節ラー油”を製品化

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What can we do for you…

とのマッチング

マッチング=ソリューションのプラットフォーム

  飲食店チェーンのグローバル化を加速させるため、フランス

に拠点を移し 、現地法人社長として着任。その3年後、彼が妻

の故郷・釜石で見たのは、あまりに変わり果てた光景だった。

一念発起で脱サラし 、作ったのは地域では活用されることの

なかった“雑魚”と“ワインの搾りカス”を使ったブイヤベース

スープ。初めてなのにどこか懐かしいスープの味は東京のウェ

ブマーケターの心も動かし・・・ 三陸いりや水産・ 宮崎洋之社

長と、彼を巡る人々の物語、第1章。

「 帰国し 、妻の実家がある釜石を訪ねることができたのは、

震災から約1カ月後。ネット やテレビで見ていたのと 、現実に

全身で感じるのとは、全くの別ものでした。妻の生家の前には

巨大な船が乗り上げており 、あちらこちらにヘドロが付き、す

えた臭いがする。自衛隊の車が行き交い、宿泊させていただ

いた寺の長い廊下には延 と々亡くなった方の遺骨が並んでい

た。着いてから、ほんの僅かな時間でもう 、『 帰ってこよう 』と

決めていました。『 日本人として、戻ってこなきゃダメだろう 』と

しか思えなかった」。

  三陸いりや水産・ 宮崎洋之社長が当時、夫婦で暮らしてい

たのはフランス・パリ 。勤め先の飲食チェーンの欧州展開に先

鞭をつけるべく 2008年に単身で乗り込み、和食店の開店に従

事。2011年の震災時には多店舗展開に向け、用地選定などを

していました。

「 フランスのテレビや新聞でも東日本大震災の様子はトップ

ニュースとして扱われていましたが、釜石の状況は殆ど取り上

げられていなかったのです。当然、電話もつながらず、ひたす

らネット を検索しました。3日目にGoogle Earthで妻の家のあ

たりに黒い大きな影のようなものが見えて、『 こんなものあっ

たっけ?』と 。拡大してみたら大きなクレーン船が乗り上げて

いて、家は跡形もなかった。あとはもう家族が生きているかど

うかだけだ、と、必死にGoogleパーソンファインダーなどを見

続けて・・・ 」( 宮崎氏)。

幸い、ほどなくして義父母ともに無事と分かり 、先行して妻だ

けが釜石に。「 帰りの飛行機の中で機内テレビに映る故郷の

惨状を見た彼女はとにかく 泣きどおしだったようで、あまりに

心配に思えたのでしょう 。CAの皆さんが声をかけてく ださっ

たようで、機内からありったけの毛布や歯ブラシなどを集め

て『 クルー一同からです、持っていってく ださい』と 」( 同)。

  その後、数週間を経て宮崎氏も帰国したが、その際はまだ、

「 お見舞いに行く 」という気持ちが強かったという 。けれどそ

の気持ちは、実際に現地に降り立った瞬間に、100%変わり

“自分事”になった。「 妻にも相談していません。当たり前のよう

に『 戻ろう 』と決めただけです」( 同)。会社からすると 、あまり

に突然の辞職。「 勝手をしたと思います。でも、自分の気持ち

を抑えられなかったのです」。

  諸々の手続きを終え、宮崎氏が帰国できたのは季節も変わっ

た2011年7月のことだった。多くの食堂が津波に流されたことを

踏まえ、経験のある飲食業を興すことも検討したが、最終的に

は、義父が経営していた水産工場を再興することに決めた。

「 帰ってこよう 」「 戻ってこなきゃダメ 」

としか思えなかった

ネット やテレビで見ていたのと、

現実に全身で感じるのとは、

全くの別ものでした。

サポーター インタビュー

個人サポーター

スキルを活かして変化をおこそう 2013年11月現在

東北のビジネス復興支援に参加していただく サポーターを募集しています。

東北に住んでいなく ても参加できます。東北に関わってみませんか?

川村ト モエさん

川村ト モエ

コピーライター/コンサルタント

コマースデザイン株式会社

EC 業界で、商品コンセプト立案やキャッチコピーなど「 売れないオリ

ジナル商品」の立て直しを行っている。中小規模の店に対し 、わかり

やすいコンサルティングを提供しつつ、講演や寄稿も行う 。「 商品のウ

リ 」を明確にした商品プロデュースとページ制作のノウハウをもって、

「 売れる商品ページ」の作り方、考え方のコンサルティングを地元企

業に実施。一時的な代行ではなく 、自走のための支援を行っている。

h ttp ://w w w .com m erce-design .net/

野口愼一

様々な業種のホームページに関わ

り 、複数におよぶ業種での就労経験

をベースに、ホームページだけでない広い視野での

サポート を展開。 単純に「 誰かのためになりたい」と

いう気持ちから。そして今一番助けを必要としている

地域が東北だろうと考え、このプロジェクト への参加

小松雅直

株式会社スタビライザー  代表

気仙沼生まれ気仙沼育ち。東京在

住。 震災後、故郷の変わり果てた様

子を見て継続的な復興には雇用が欠かせないと痛

感。 約10年W ebマーケティングに従事していること

から『 成功する満足する笑顔になるW eb戦略室』とし

て 気仙沼にて会社設立。 W ebサイト を利用し、売上

小楠あゆみ

代表

震災後に東京から現地に入り 、小中

高生を対象にした自習室を作った。震災の影響によ

る授業の遅れや、住まいを失い、狭い仮設住宅で勉

強する場所のとれない子らの多いことに問題意識を

持ち、最初は避難所の一角や近くのホテルを間借り

藤吉和男

料理ブロガー

料理ブロガー「 筋肉料理人」、料理研

究家、レシピ本著者、ボランティア活

動等様々な活動の傍ら、簡単で美味しい魚料理、簡

単レシピの作り方をブログ、G+、YouTu b e等を使っ

て紹介している。日常的に多数の方向けに情報発信

を行っているので、どうすれば沢山の人に興味を持っ

西田健太

W ebデザイナー

KORKO

高知県生まれ、神奈川県育ち。2012

年10月に、岩手県釜石市に移住。 プログラマーやSE

の経験後、デザイナーに転職。その後、フリーとなり

システム開発、デザイン、W EB制作を行ってきた。現

在は、これまでの経験を活かし 、地元企業・ 団体の

松島宏佑

一般社団法人ふらっとーほく代表

1986 年生まれ。宮城県白石市出身。

大学卒業後、まちづくり最先端の島、

島根県隠岐郡海士町へ移住。( 株)巡の環で働く 。東

日本大震災を機に( 社)ふらっとーほく 設立。「 わたり

グリーンベルトプロジェクト 」事務局長も勤める。海

士町の( 株)巡の環で学んだ、「 よそものとして地域へ

赤澤清孝

N PO法人石巻復興支援ネット ー

ワーク副代表理事/N PO法人ユー

スビジョ ン 代表/N PO法人

常務理事

1995 年、阪神・淡路大震災を契機に学生有志できょ

うと学生ボランティアセンター( 現・ ユースビジョ ン)

を設立。東日本大震災発生後は「 つなプロ」事務局長

藤川智雄

宮城県商工会連合会エキスパートバ

ンク登録専門家

宮城県仙台市出身。現在、宮城県商工会連合会エキ

スパート バンク登録専門家として、小規模企業者等

へ指導・助言を行う立場で活動をしています。311 直

後、国際感覚に優れ東北の知財を広く 知らしめる事

佐藤健

絆プロジェクト三陸 理事長

さとう整体療術院 院長

明治大学 社会イノベーショ ン・ デザ

イン研究所 客員研究員

特定非営利活動法人 絆プロジェクト三陸

岩手県大船渡市出身。「 被災地で被災者が立ち上げ

た団体だからこそ地元ニーズを的確に拾い上げるこ

桝澤信好

システムエンジニア

LiFE STYLE Lab .

岩手県釜石市出身。「 小さなことでも

良いので行動してみる。きっと何かに繋がる」という

思いで、HackForIw ateなど、IT スキルを活かした支

援活動に参加してきた。現在は、盛岡に在住しなが

ら、「 点を線でつなげる」「 出来る事から行動」、更に

SU PPORTER / IN N OVATION TOH OKU IN N OVATION TOH OKU / SUPPORTER

2013年11月現在企業・ 団体サポーター

東北でビジネスの復興やコミ ュニティ 再生に取り組んでいる事業者・ 団体の

皆様を募集しています。あなたのチャレンジを教えてく ださい。

KDDIJim do & KDDI

ウェブコミュニケーションズYahoo! JAPAN

READYFOR? 福島県特定非営利活動法人

エティック一般社団法人東の食の会

公益社団法人

助けあいジャパン

XXXXX XXXXX XXXXX XXXXX

8 9

  飲食店チェーンのグローバル化を加速させるため、フランス

に拠点を移し 、現地法人社長として着任。その3年後、彼が妻

の故郷・ 釜石で見たのは、あまりに変わり果てた光景だった。

一念発起で脱サラし 、作ったのは地域では活用されることの

なかった“雑魚”と“ワインの搾りカス”を使ったブイヤベース

スープ。初めてなのにどこか懐かしいスープの味は東京のウェ

ブマーケターの心も動かし・・・ 三陸いりや水産・ 宮崎洋之社

長と、彼を巡る人々の物語、第1章。

「 帰国し 、妻の実家がある釜石を訪ねることができたのは、

震災から約1カ月後。ネット やテレビで見ていたのと 、現実に

全身で感じるのとは、全くの別ものでした。妻の生家の前には

巨大な船が乗り上げており 、あちらこちらにヘドロが付き、す

えた臭いがする。自衛隊の車が行き交い、宿泊させていただ

いた寺の長い廊下には延 と々亡くなった方の遺骨が並んでい

た。着いてから、ほんの僅かな時間でもう 、『 帰ってこよう 』と

決めていました。『 日本人として、戻ってこなきゃダメだろう 』と

しか思えなかった」。

  三陸いりや水産・ 宮崎洋之社長が当時、夫婦で暮らしてい

たのはフランス・パリ 。勤め先の飲食チェーンの欧州展開に先

鞭をつけるべく 2008年に単身で乗り込み、和食店の開店に従

事。2011年の震災時には多店舗展開に向け、用地選定などを

していました。

「 フランスのテレビや新聞でも東日本大震災の様子はトップ

ニュースとして扱われていましたが、釜石の状況は殆ど取り上

げられていなかったのです。当然、電話もつながらず、ひたす

らネット を検索しました。3日目にGoogle Ear thで妻の家のあ

たりに黒い大きな影のようなものが見えて、『 こんなものあっ

たっけ?』と 。拡大してみたら大きなクレーン船が乗り上げて

いて、家は跡形もなかった。あとはもう家族が生きているかど

うかだけだ、と 、必死にGoogleパーソンファインダーなどを見

続けて・・・ 」( 宮崎氏)。

幸い、ほどなくして義父母ともに無事と分かり 、先行して妻だ

けが釜石に。「 帰りの飛行機の中で機内テレビに映る故郷の

惨状を見た彼女はとにかく 泣きどおしだったようで、あまりに

心配に思えたのでしょう 。CAの皆さんが声をかけてく ださっ

たようで、機内からありったけの毛布や歯ブラシなどを集め

て『 クルー一同からです、持っていってく ださい』と 」( 同)。

  その後、数週間を経て宮崎氏も帰国したが、その際はまだ、

「 お見舞いに行く 」という気持ちが強かったという 。けれどそ

の気持ちは、実際に現地に降り立った瞬間に、100%変わり

“自分事”になった。「 妻にも相談していません。当たり前のよう

に『 戻ろう 』と決めただけです」( 同)。会社からすると 、あまり

に突然の辞職。「 勝手をしたと思います。でも、自分の気持ち

を抑えられなかったのです」。

  諸々の手続きを終え、宮崎氏が帰国できたのは季節も変わっ

た2011年7月のことだった。多くの食堂が津波に流されたことを

踏まえ、経験のある飲食業を興すことも検討したが、最終的に

は、義父が経営していた水産工場を再興することに決めた。

「 帰ってこよう 」「 戻ってこなきゃダメ 」

としか思えなかった

ネット やテレビで見ていたのと、

現実に全身で感じるのとは、

全くの別ものでした。

サポーター インタビュー

個人サポーター

スキルを活かして変化をおこそう 2013年11月現在

東北のビジネス復興支援に参加していただく サポーターを募集しています。

東北に住んでいなく ても参加できます。東北に関わってみませんか?

川村ト モエさん

川村ト モエ

コピーライター/コンサルタント

コマースデザイン株式会社

EC 業界で、商品コンセプト立案やキャッチコピーなど「 売れないオリ

ジナル商品」の立て直しを行っている。中小規模の店に対し、わかり

やすいコンサルティングを提供しつつ、講演や寄稿も行う 。「 商品のウ

リ 」を明確にした商品プロデュースとページ制作のノウハウをもって、

「 売れる商品ページ」の作り方、考え方のコンサルティングを地元企

業に実施。一時的な代行ではなく 、自走のための支援を行っている。

h ttp ://w w w.com m erce-design .net/

野口愼一

様々な業種のホームページに関わ

り 、複数におよぶ業種での就労経験

をベースに、ホームページだけでない広い視野での

サポート を展開。 単純に「 誰かのためになりたい」と

いう気持ちから。そして今一番助けを必要としている

地域が東北だろうと考え、このプロジェクト への参加

小松雅直

株式会社スタビライザー  代表

気仙沼生まれ気仙沼育ち。東京在

住。 震災後、故郷の変わり果てた様

子を見て継続的な復興には雇用が欠かせないと痛

感。 約10年W ebマーケティングに従事していること

から『 成功する満足する笑顔になるW eb戦略室』とし

て 気仙沼にて会社設立。 W ebサイト を利用し 、売上

小楠あゆみ

代表

震災後に東京から現地に入り 、小中

高生を対象にした自習室を作った。震災の影響によ

る授業の遅れや、住まいを失い、狭い仮設住宅で勉

強する場所のとれない子らの多いことに問題意識を

持ち、最初は避難所の一角や近く のホテルを間借り

藤吉和男

料理ブロガー

料理ブロガー「 筋肉料理人」、料理研

究家、レシピ本著者、ボランティア活

動等様々な活動の傍ら、簡単で美味しい魚料理、簡

単レシピの作り方をブログ、G+、Yo uTu b e等を使っ

て紹介している。日常的に多数の方向けに情報発信

を行っているので、どうすれば沢山の人に興味を持っ

西田健太

W ebデザイナー

KORKO

高知県生まれ、神奈川県育ち。2012

年10月に、岩手県釜石市に移住。 プログラマーやSE

の経験後、デザイナーに転職。その後、フリーとなり

システム開発、デザイン、W EB制作を行ってきた。現

在は、これまでの経験を活かし 、地元企業・ 団体の

松島宏佑

一般社団法人ふらっとーほく代表

1986 年生まれ。宮城県白石市出身。

大学卒業後、まちづくり最先端の島、

島根県隠岐郡海士町へ移住。( 株)巡の環で働く 。東

日本大震災を機に( 社)ふらっとーほく 設立。「 わたり

グリーンベルトプロジェクト 」事務局長も勤める。海

士町の( 株)巡の環で学んだ、「 よそものとして地域へ

赤澤清孝

N PO法人石巻復興支援ネット ー

ワーク副代表理事/N PO法人ユー

スビジョ ン 代表/N PO法人

常務理事

1995 年、阪神・淡路大震災を契機に学生有志できょ

うと学生ボランティアセンター( 現・ ユースビジョ ン)

を設立。東日本大震災発生後は「 つなプロ」事務局長

藤川智雄

宮城県商工会連合会エキスパートバ

ンク登録専門家

宮城県仙台市出身。現在、宮城県商工会連合会エキ

スパート バンク登録専門家として、小規模企業者等

へ指導・助言を行う立場で活動をしています。311 直

後、国際感覚に優れ東北の知財を広く 知らしめる事

佐藤健

絆プロジェクト 三陸 理事長

さとう整体療術院 院長

明治大学 社会イノベーショ ン・ デザ

イン研究所 客員研究員

特定非営利活動法人 絆プロジェクト三陸

岩手県大船渡市出身。「 被災地で被災者が立ち上げ

た団体だからこそ地元ニーズを的確に拾い上げるこ

桝澤信好

システムエンジニア

LiFE STYLE Lab .

岩手県釜石市出身。「 小さなことでも

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思いで、HackFor Iw ateなど、IT スキルを活かした支

援活動に参加してきた。現在は、盛岡に在住しなが

ら、「 点を線でつなげる」「 出来る事から行動」、更に

SU PPORTER / IN N OVATION TOH OKU IN N OVATION TOH OKU / SU PPORTER

2013年11月現在企業・ 団体サポーター

東北でビジネスの復興やコミ ュニティ 再生に取り組んでいる事業者・ 団体の

皆様を募集しています。あなたのチャレンジを教えてく ださい。

KDDIJim do & KDDI

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エティック一般社団法人東の食の会

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