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Shahid) Para30-Complete... · Web view聖クルアーンが30部に分かれています。それの1/30は一つのジュズやパーラと言われています。これはその最後のパーラ第30

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人類の幸せのために天から下さった神の導きの一番正確な分かり安い

邦訳と解説

日本の歴史で初めて

聖クルアーンの分かりやすい邦訳と解説

翻訳者と解説者

元在日パキスタン人協会会長 フセイーン ハーン

(東大修士)

Translation with Explanations

By

HUSSAIN KHAN, M. A. (Tokyo)

聖クルアーンの最後の第30ジュズと言う部分の

邦訳と解説

はじめに

聖クルアーンが30部に分かれています。それの1/30は一つのジュズやパーラと言われています。これはその最後のパーラ第30部の全ての37章の邦訳と解説です。これの最後のいくつかの章がイスラーム教等の皆さんが暗記して毎日の5回の礼拝に読誦しているのです。だからこの邦訳と同時にそれの説明も解説の形で出しているのです。それで毎日礼拝の時そういう章がよく理解した上に読誦することが出来るのです。またこのいろいろな解説でイスラ-ム教の全ての基本的な概念が良く分かるようになっています。

邦訳の中身について

 サウヂアラビア (さうぢあらびあ)から世界一 (せかいいち)のイスラ (いすら)ーム (む)学者 (がくしゃ)としてファエサル (ふぁえさる)賞 (しょう)を受 (う)け取 (と)ったパキスタン (ぱきすたん)の権威のある有名 (ゆうめい)な故 (こ)サイッヤド・アブルアーラ (あぶるあーら)・マウドヂ (まうどぢ)先生 (せんせい)が6 (6)冊 (さつ)でだしている解説 (かいせつ)に基づいて (もとづいて)この邦訳 (ほうやく)しているのです。約 (やく)30や40年前 (40ねんまえ)に私 (わたし)は、パキスタン (ぱきすたん)のラーホル (らーほる)市 (し)で日本 (にほん)からその先生 (せんせい)に挨拶 (あいさつ)に行った (いった)時 (とき)に、彼 (かれ)の世界 (せかい)のいろいろな言葉 (ことば)で翻訳 (ほんやく)されていて、トルコ (とるこ)でもパキスタン (ぱきすたん)よりよく売られて (うられて)いる6冊 (6さつ)のタフヒームル (たふひーむる)・クルアーン (くるあーん)の邦訳 (ほうやく)をその先生 (せんせい)から頼まれた (たのまれた)、いや、任命 (にんめい)された。その邦訳 (ほうやく)は私 (わたし)が、今 (いま)も死 (し)に近い (ちかい)年 (とし)になってからやり始め (やりはじめ)ているのです。

 故 (こ)マウヅヂ先生が解説 (かいせつ)なしで一冊 (いっさつ)だけにまとめた翻訳 (ほんやく)に基づいた (もとづいた)邦訳 (ほうやく)がしているのです。解説 (かいせつ)の代わり (かわり)にブラケット (ぶらけっと)の中 (ちゅう)に短く (みじかく)説明 (せつめい)のつもりでいろいろな言葉 (ことば)を入れて (いれて)各節 (かくせつ)が良く (よく)分かる (わかる)ようにしているのです。ブラケット (ぶらけっと)にある言葉 (ことば)は聖 (せい)クルアーン (くるあーん)の本文 (ほんぶん)のことばではありません。

 邦訳 (ほうやく)とその内容 (ないよう)の詳しい (くわしい)解説 (かいせつ)を聖 (せい)クルアーン (くるあーん)に基づいて (もとづいて)イスラーム (いすらーむ)教 (きょう)の基本的 (きほんてき)な教え (おしえ)と考え方 (かんがえかた)の詳しい (くわしい)説明 (せつめい)をしているのです。

故マウヅヂ (ゆえまうづぢ)先生 (せんせい)は、聖 (せい)クラアーン (くらあーん)のあらゆる言語 (げんご)であるような各節 (かくせつ)の別々 (べつべつ)の翻訳 (ほんやく)をしていないのです。一つ (ひとつ)の章 (しょう)のすべての節 (せつ)をいくつかのパラグラフ (ぱらぐらふ)に分けて (わけて)、かくパラグラフ (ぱらぐらふ)に一つ (ひとつ)の考え (かんがえ)やアイデアー (あいであー)として翻訳 (ほんやく)しているのです。この邦訳 (ほうやく)もそのパターン (ぱたーん)でやって、聖 (せい)クルアーン (くるあーん)の内容 (ないよう)をもっとわかりやすくしているのです。

聖 (せい)クルアーン (くるあーん)の影響力 (えいきょうりょく)に対して

 “聖 (せい)クラアーン (くらあーん)のサイドライン (さいどらいん)ではいくつかの箇所 (かしょ)でサジダ (さじだ)という言葉 (ことば)を書かれています。聖 (せい)クラア (くらあ)ーン (ん)を読誦 (どくしょう)しているときにそういう箇所 (かしょ)まできた場合 (ばあい)は5回の礼拝 (れいはい)の時 (とき)頭を下げて (さげて)ひたいを大地 (だいち)までもっていく動作 (どうさ)のことがサジダ (さじだ)といって、同じく (おなじく)サジダ (さじだ)の動作 (どうさ)がするべきことが定められて (さだめられて)います。その偉大 (いだい)な御方 (おかた)から授けられた (さずけられた)元 (もと)の言葉 (ことば)を理解 (りかい)した上 (うえ)にそのまま読誦 (どくしょう)しているときそういう箇所 (かしょ)まできたときには、なんとなく人間 (にんげん)の心 (こころ)や気持ち (きもち)が神 (かみ)の前 (まえ)に頭 (あたま)を下げて (さげて)主 (しゅ)のことを褒め称える (ほめたたえる)ようになります。

 信者 (しんじゃ)ではないメッカ (めっか)の方々 (かたがた)が信者 (しんじゃ)を強力 (きょうりょく)に迫害 (はくがい)していた時期 (じき)に、一度 (いちど)聖 (せい)クルアーン (くるあーん)をめずらしく、たまたま、聞いて (きいて)いるときに無意識 (むいしき)にサジダ (さじだ)をしてしまった。その時 (とき)預言者 (よげんしゃ)モハッマド (もはっまど)(pbuh)は彼 (かれ)に初めて (はじめて)啓示 (けいじ)されていた第53章 (だい53しょう)星 (ほし)(アン (あん).ナジャム (なじゃむ))を読誦 (どくしょう)していたのです。無信者 (むしんじゃ)のサジダ (さじだ)の噂 (うわさ)を聞いて (きいて)無信者 (むしんじゃ)が改宗 (かいしゅう)してイスラーム (いすらーむ)教 (きょう)に入った (はいった)だろうと思って (おもって)、迫害 (はくがい)されて遠い (とおい)アフリカ (あふりか)の国 (くに)へ逃げて (にげて)いた信者 (しんじゃ)の一つ (ひとつ)の団体 (だんたい)がメッカ (めっか)へ戻って (もどって)きました。が無信者 (むしんじゃ)が自分 (じぶん)たちのいきなりやったサジダ (さじだ)の行為 (こうい)に気 (き)がついて、自分自身 (じぶんじしん)もびっくりしてそのサジダ (さじだ)のことが無信者 (むしんじゃ)として信者 (しんじゃ)と同じ (おなじ)行為 (こうい)するのは自分 (じぶん)たちの間違い (まちがい)だったといって自分 (じぶん)たちの改宗 (かいしゅう)のことを否定 (ひてい)した。けれども無信者 (むしんじゃ)も聖 (せい)クルアーン (くるあーん)の偉大 (いだい)な御方 (おかた)の元 (もと)の言葉 (ことば)を理解 (りかい)したときは、どれほど彼ら (かれら)の心 (こころ)も動いて (うごいて)しまうのか、ということは、この出来事 (できごと)で良く分かります (わかります)。だから信者 (しんじゃ)たちも聖 (せい)クルアーン (くるあーん)の読誦 (どくしょう)をしながらそういう箇所 (かしょ)まできたら自然 (しぜん)と、なんとなく、神 (かみ)の前 (まえ)に頭 (あたま)を下げて (さげて)サジダ (さじだ)する気持ち (きもち)になりますし、またそうするように定められて (さだめられて)いることもあるのです。

 またそういう出来事 (できごと)で聖 (せい)クルアーン (くるあーん)の言葉 (ことば)を理解 (りかい)した上 (うえ)に読誦 (どくしょう)した方がどれほど人間 (にんげん)の心 (こころ)を動かすか、それでどれほど人間 (にんげん)の心 (こころ)が安らぎ (やすらぎ)を感じる (かんじる)のかを図りきれない (はかりきれない)のです。

 東京 (とうきょう)でサウヂアラビア (さうぢあらびあ)の無料でアラビア語 (あらびあご)を教える (おしえる)六本木 (ろっぽんぎ)方面 (ほうめん)にある学院 (がくいん)で一人女 (ひとりおんな)の学生 (がくせい)さんがお医者 (おいしゃ)さんたちから一か月 (いっかげつ)以内 (いない)に癌 (がん)で死ぬ (しぬ)だろうと判断 (はんだん)された。お医者 (おいしゃ)さんたちにもどうにも出来ない (できない)と言われて (いわれて)、彼女 (かのじょ)は仕方 (しかた)がなく、信者 (しんじゃ)でもないのに、アラビア語 (あらびあご)も分からない (わからない)のに、その学院 (がくいん)から聖クラアーン (くらあーん)の録音 (ろくおん)されたCD (CD)を借りて (かりて)朝 (あさ)から晩 (ばん)まで毎日 (まいにち)その聖 (せい)クルアーン (くるあーん)の内容 (ないよう)を、分からなくて (わからなくて)も、聞いて (きいて)いた。彼女 (かのじょ)が一か月 (いっかげつ)たってからまた同じ (おなじ)お医者 (おいしゃ)さんたちに見て (みて)貰ったら (もらったら)、その判断 (はんだん)で癌 (がん)の証拠 (しょうこ)が全部 (ぜんぶ)消えて (きえて)いる、という結論 (けつろん)だった。この出来事 (できごと)で理解 (りかい)しなくても人類 (じんるい)の主 (しゅ)アッラー (あっらー)の聖 (せい)クルアーン (くるあーん)の形 (かたち)である元 (もと)の言葉 (ことば)の強力 (きょうりょく)な影響力 (えいきょうりょく)があらわれているのです。

 内容が分かった上に聖 (せい)クラアーン (くらあーん)を読誦 (どくしょう)した場合 (ばあい)は、そういう人類 (じんるい)の主 (しゅ)から授けられた (さずけられた)元 (もと)の言葉 (ことば)の影響力 (えいきょうりょく)が何倍 (なんばい)にもなって、現世 (げんせい)でも来世でも、人間 (にんげん)の幸せ (しあわせ)に繋がる (つながる)と思いません (おもいません)か?

 そういう聖 (せい)クルアーン (くるあーん)の理解 (りかい)を進める (すすめる)気持ち (きもち)でこの邦訳 (ほうやく)とそれの説明 (せつめい)を提供 (ていきょう)しているのです。(フセイーン (ふせいーん) ハーン (はーん)、東大修士)

Translation and detailed explanations

of para (juz) 30 of holy quran

聖クルアーンの最後の第30ジュズと言う部分の

邦訳と解説

78. Surah An Naba (The News)

78 (78). 消息 (しょうそく) (アン (あん)・ナバア (なばあ)) 

(解説:Explanations)

名前:第2節にある言葉「アン・ンバア」をこの章の名前にしている。その言葉の意味は消息や知らせである。この章の内容とテーマも審判の日と来世の知らせである。

啓示された時期:これもこの前と後の章と同じくメッカ初期で啓示されたものです。

内容とテーマ: これの内容も前の章と同じく、審判の日と来世の存在の確信と、そこで全人類の結末に対しての警告のことである。

現代の人々と同じくメッカの市民にも一番信じがたい信条は復活されて来世の永久の住まいのことだった。だからこの章みたいなメッカ初期で啓示された全ての章で何回も来世の存在に対して断言している。

 そういうことを固く信じない場合は人間が道徳の立派な水準まで登ることができない。人間社会から犯罪も減らないし、平等と平和な、正義に基づいた暮らしも出来ない。来世で罰せられて、永久に地獄で焼かれることが信じるようになれば、現世で立派な社会も、政治も、経済も可能になります。

 イスラームは自分の私生活のためだけではなくて、社会全体の向上を目指している宗教です。教会へ行って神の名を唱えたり、礼拝をしたりだけでは信者として義務を終わらない。社会、政治、経済、国家法律、人間関係、家族の面倒見のようなあらゆるすべての場面の改善によって平和な、正義に基づいた社会と国家を創るのがイスラーム教のねらいです。

 けれでも、そういう理想的な話が来世と審判の日を信じいないと先に進むようちがない。

 だからこの章でいろいろな角度から審判の日と来世を信じるようなことを立証している。メッカ市で来世のことを不可能と思って、それを信じないで、どこの町でも笑われていた。現代社会や無心者の国でも同じ来世を拒否する考えが多い。その笑い話や疑問に対して、アッラーは第1節から第16節まで、下記のとおり答えています。人々が信じても、信じなくても、真実は変わらないで、この世がいずれか滅びろして、審判の日と来世が起こるのは間違いない、ということです。

 ある学者の見方では、死んでからのことが誰もわからないからこそ、来世があるだろうの過程で動いた方が得です。万が一もし来世がなかったら何も損することがない。そういう過程で生活しない人は、もし審判の日と来世があった場合は、永久に地獄に焼かれる運命になる。そのときになってから、取り返しがつかない、ということです。

 これに対して聖クルアーンの見方が、次のとおりであす:

 「 [ ([)1 (1)- (-)5 (5)]: (]:)  どういう事 (こと)に対して (たいして), かれらはお互い (おたがい)に尋ね合って (たずねあって)いるのか。彼ら (かれら)はその重大 (じゅうだい)な知らせ (しらせ)(審判 (しんぱん)の日 (ひ)の事 (こと))に対して (たいして)お互い (おたがい)の感想 (かんそう)や意見 (いけん)の相違 (そうい)を討論 (とうろん)しているのか?いや,かれらはやがて知ろう (しろう).いや,いや,断じて (だんじて)かれらはやがて知る (しる)であろう。

[6 (6)- (-)10 (10)]: (]:) (人間 (にんげん)の暮らし (くらし)のために)われは大地 (だいち)を,平ら (たいら)なフロア (ふろあ)のようにしなかったか。また山々 (やまやま)を,(その大地 (だいち)に)くぎみたいに打った (うった)ではないか。われはあなたがたを両性 (りょうせい)に創り (つくり),また休息 (きゅうそく)のため,あなたがたの睡眠 (すいみん)を定め、また夜 (よる)を(そのため)暗く (くらく)した。

[ ([)11 (11)- (-)16 (16)]: (]:) 昼 (ひる)を生計 (せいけい)の手段 (しゅだん)として定めた (さだめた)。またわれは、あなたがたの上 (うえ)に強健 (きょうけん)な7 (7)層 (そう)(の天 (てん))を打ち建て (うちたて),輝やかしい (かがやかしい)燃える (もえる)ランプ (らんぷ)のような者 (もの)(太陽 (たいよう))を創った (つくった)。われは雲 (くも)から絶え間 (たえま)なく、豊か (ゆたか)に雨 (あめ)を降らせ (ふらせ),それによって,殻物 (こくむつ)や野菜 (やさい)や,様々 (さまざま)な木 (き)の茂った (しげった)園を出来るようにしたではないか?」

 人間の豊かな暮らしと幸せな生活のためにアッラーは上記のあらゆる恵みを与えておいて、その人間にこの恵みをどういうふうに使ったかの清算して貰うのがおかしなのか?来世がなかったら善い人が報いも貰えないし、悪い人たちが罰せられることもなくなる。これが神の正義に違反することではないか?

 どこの会社の社長も給料を挙げて自分の社員の生活を支えているのに、その社員が社長から与えられた仕事をどれほどこなしたかのことを聞くのが当たり前のことです。アッラーは人間に現世で幸せな生活ができるように何でも揃えた。だから来世でそれの報酬を決める為に人間の現世での所業を清算するのも当たり前のことではないですか?

 このことが第17から第20節まで聖クルアーンでこういうふうに書いてある:

 「[17-20]:  誠 (まこと)に裁き (さばき)の日 (ひ)は定められて (さだめられて)いて,その日 (ひ),ラッパ (らっぱ)が吹かれる (ふかれる)とあなたがたは群 (むれ)をなしてよみがえって 出て (でて)来る (くる)。天 (てん)は開かれて (ひらかれて)数々 (かずかず)の門 (もん)(あらゆる災難 (さいなん)が天から (てんから)降りて (おりて)来る (くる)為 (ため)にすべての門 (もん)が空いて (あいて)いるような感じ (かんじ))となり,山々 (やまやま)は移されて (うつされて)錯覚 (さっかく)(砂漠 (さばく)の砂 (すな))になる。」

 また第21から第30節まで来世で人間の所業に基づいて報いと罰のことをこういうふうに知らせている:

 「[21-30]: 誠 (まこと)に地獄 (じごく)は,待ち伏せ (まちぶせ)の場 (ば)であり,(神 (かみ)に対して (たいして))犯行てき (はんこうてき)な者 (もの)の最終 (さいしゅう)の住居 (じゅうきょ)で,かれらは何時 (いつ)までもその中 (なか)に住む (すむ)であろう。そこで涼しさ (すずしさ)も味わえず (あじわえず),(どんな)飲める (のめる)味 (あじ)の飲物 (のみもの)もない,煮えたぎる (にえたぎる)湯 (ゆ)と膿 (うみ)の外 (ほか)には。(これはかれらのため)ふさわしい報奨 (ほうしょう)である。誠 (まこと)にかれらは,(自分 (じぶん)の行い (おこない)に対する (たいする))清算 (せいさん)されるだろうと思って (おもって)もなかった。またかれらは、われから啓示 (けいじ)されたものは嘘 (うそ)であると言った (いった)、またそれを強く (つよく)拒否 (きょひ)した。われは一切 (いっさい)のこと,(人間 (にんげん)の行い (おこない)すべて)一件 (いっけん)一件 (いっけん)のことが全部あわせて、またそれを数えて (かぞえて)天 (てん)の書 (しょ)に記録 (きろく)しているのである。だからあなたがたは(自分 (じぶん)の行い (おこない)の結果 (けっか)を)味わえ (あじわえ)。われは懲罰 (ちょうばつ)いがいに増加 (ぞうか)するのはなんでもないのである。」

 そのあとも同じテーマの続きは第31から終わりの第40まである。

78. Surah An Naba (The News)

78 (78). 消息 (しょうそく) (アン (あん)・ナバア (なばあ)) 

(翻訳: Translation)

“慈悲 (じひ)深い (ぶかい),何回 (なんかい)も何回 (なんかい)も無限 (むげん)に慈悲 (じひ)を下さる (くださる)アッラー (あっらー)の御名 (みな)において(始めます (はじめます))。”

[ ([)1 (1)- (-)5 (5)]: (]:)  どういう事 (こと)に対して (たいして), かれらはお互い (おたがい)に尋ね合って (たずねあって)いるのか。彼ら (かれら)はその重大 (じゅうだい)な知らせ (しらせ)(審判 (しんぱん)の日 (ひ)の事 (こと))に対して (たいして)お互い (おたがい)の感想 (かんそう)や意見 (いけん)の相違 (そうい)を討論 (とうろん)しているのか?いや,かれらはやがて知ろう (しろう).いや,いや,断じて (だんじて)かれらはやがて知る (しる)であろう。

[6 (6)- (-)10 (10)]: (]:) (人間 (にんげん)の暮らし (くらし)のために)われは大地 (だいち)を,平ら (たいら)なフロア (ふろあ)のようにしなかったか。また山々 (やまやま)を,(その大地 (だいち)に)くぎみたいに打った (うった)ではないか。われはあなたがたを両性 (りょうせい)に創り (つくり),また休息 (きゅうそく)のため,あなたがたの睡眠 (すいみん)を定め、また夜 (よる)を(そのため)暗く (くらく)した。

[ ([)11 (11)- (-)16 (16)]: (]:) 昼 (ひる)を生計 (せいけい)の手段 (しゅだん)として定めた (さだめた)。またわれは、あなたがたの上 (うえ)に強健 (きょうけん)な7 (7)層 (そう)(の天 (てん))を打ち建て (うちたて),輝やかしい (かがやかしい)燃える (もえる)ランプ (らんぷ)のような者 (もの)(太陽 (たいよう))を創った (つくった)。われは雲 (くも)から絶え間 (たえま)なく、豊か (ゆたか)に雨 (あめ)を降らせ (ふらせ),それによって,殻物 (こくむつ)や野菜 (やさい)や,様々 (さまざま)な木 (き)の茂った (しげった)園を出来るようにしたではないか?

[17-20]:  誠 (まこと)に裁き (さばき)の日 (ひ)は定められて (さだめられて)いて,その日 (ひ),ラッパ (らっぱ)が吹かれる (ふかれる)とあなたがたは群 (むれ)をなしてよみがえって出て (でて)来る (くる)。天 (てん)は開かれて (ひらかれて)数々 (かずかず)の門 (もん)(あらゆる災難 (さいなん)が天から (てんから)降りて (おりて)来る (くる)為 (ため)にすべての門 (もん)が空いて (あいて)いるような感じ (かんじ))となり,山々 (やまやま)は移されて (うつされて)錯覚 (さっかく)(砂漠 (さばく)の砂 (すな))になる。

[21-30]: 誠 (まこと)に地獄 (じごく)は,待ち伏せ (まちぶせ)の場 (ば)であり,(神 (かみ)に対して (たいして))犯行てき (はんこうてき)な者 (もの)の最終 (さいしゅう)の住居 (じゅうきょ)で,かれらは何時 (いつ)までもその中 (なか)に住む (すむ)であろう。そこで涼しさ (すずしさ)も味わえず (あじわえず),(どんな)飲める (のめる)味 (あじ)の飲物 (のみもの)もない,煮えたぎる (にえたぎる)湯 (ゆ)と膿 (うみ)の外 (ほか)には。(これはかれらのため)ふさわしい報奨 (ほうしょう)である。誠 (まこと)にかれらは,(自分 (じぶん)の行い (おこない)に対する (たいする))清算 (せいさん)されるだろうと思って (おもって)もなかった。またかれらは、われから啓示 (けいじ)されたものは嘘 (うそ)であると言った (いった)、またそれを強く (つよく)拒否 (きょひ)した。われは一切 (いっさい)のこと,(人間 (にんげん)の行い (おこない)すべて)一件 (いっけん)一件 (いっけん)のことが全部あわせて、またそれを数えて (かぞえて)天 (てん)の書 (しょ)に記録 (きろく)しているのである。だからあなたがたは(自分 (じぶん)の行い (おこない)の結果 (けっか)を)味わえ (あじわえ)。われは懲罰 (ちょうばつ)いがいに増加 (ぞうか)するのはなんでもないのである。

[31-37]: 誠 (まこと)に主 (しゅ)を畏れる (おそれる)者 (もの)には,成功者 (せいこうしゃ)としての住居 (じゅうきょ)の場所(楽園 (らくえん))がある。緑 (みどり)の園 (えん)や,ブドウ (ぶどう)園 (えん)と同じ (おなじ)年頃 (としごろ)の乙女 (おとめ)たち,またなみなみと容量 (ようりょう)までいっぱいに溢れて (あふれて)いる(酒 (さけ)や美味 (おい)し飲み物 (のみもの)の)コップ (こっぷ)。そこでは嫌 (いや)な話やつまらぬ話 (はなし)や偽り (いつわり)の話 (はなし)を聞かない (きかない)。これらはあなたの主 (しゅ)からの報奨 (ほうしょう),賜物 (たまもの)の決算 (けっさん)である。天 (てん)と地 (ち),そしてその間 (あいだ)の凡て (すべて)のものの主 (しゅ),慈悲 (じひ)深き (ふかき)御方 (おかた)(からの賜物 (たまもの)であり),誰 (だれ)もかれに語りかける (かたりかける)ことは出来ない (できない)。

[38-39]:  聖霊 (せいれい)と天使 (てんし)たちが,整列 (せいれつ)して立つ (たつ)(審判 (しんぱん)の)日 (ひ),慈悲 (じひ)深き (ふかき)御方 (おかた)からの許可 (きょか)がない限り (かぎり)誰 (だれ)も何 (なに)も語る (かたる)ことが出来ない (できない)のです。(許可 (きょか)が出れば (でれば))正し (ただし)ことを語る (かたる)ことが可能 (かのう)になるのです。こういう真実 (しんじつ)の日 (ひ)の実現 (じつげん)がまちがいないのです。だから誰 (だれ)でも望む (のぞむ)者 (もの)は,(自分 (じぶん)の生命 (せいめい)の旅行 (りょこう)の目的地 (もくてきち)が)主 (しゅ)の方 (ほう)へ戻る (もどる)ことにしたほうがいいのです。

[40]: 誠 (まこと)にわれは,あなたがたにもう既 (すで)に近く (ちかく)なってきている懲罰 (ちょうばつ)に対して (たいして)警告 (けいこく)しているのです。その日 (ひ),人 (ひと)は,自分 (じぶん)の両方 (りょうほう)の手 (て)が前 (まえ)もって送った (おくった)行い (おこない)(所業 (しょぎょう))のことが全部 (ぜんぶ)自分 (じぶん)の目 (め)で確かめる (たしかめる)のであろう。不信者 (ふしんしゃ)は,「ああ,情けない (なさけない),私 (わたし)が塵 (ちり)であったならば(良かった (よかった)な)。」と言う (いう)であろう。

79. Surah Naziat (Those Who Tear Out)

79. 引き離す (ひきはなす)もの (アン・ナーズィアート) 

(解説)

名前:この章の一番初めの言葉がこれの名前にしている。

啓示された時期:これもこの前の章「78」と同じく、メッカ初期の時期でけいじされている。

内容とテーマ: この章のテーマには、審判の日と来世の存在のことを断言している。それと同時に神「アッラー」から定められた預言者のメッセージを拒否した場合は、どういう結末になるのか、それの警告している。

この章の第一から第五節までは、一番初めに人間の死のことを詳しく描いている。それは、神(アッラー)の命令を従って、天使たちが、人間の魂をどういうふうに体から離すのか、先に天使たちのこの役名のことを誓って、その話を描いている。「荒々しく (あらあらしく)(体 (からだ)に)深く (ふかく)入って (はいって)強い (つよい)力 (ちから)で引っ張って (ひっぱって)(罪深い (つみぶかい)者 (もの)の魂 (たましい)を)引き離す (ひきはなす)(天使 (てんし)たち)において(誓う (ちかう)),また優しく (やさしく)(信仰 (しんこう)深い (ふかい)者 (しゃ)の魂 (たましい)を)引き出す (ひきだす)もの(天使 (てんし)たち)において、(神 (かみ)の使い (つかい)として)世の中 (よのなか)に,泳でいる(天使 (てんし)たち)において、(自分 (じぶん)に与えられた (あたえられた)義務 (ぎむ)を一所懸命 (いっしょけんめい)に果たす (はたす)為 (ため)に)先 (さき)を争って (あらそって)前進 (ぜんしん)するもの(天使 (てんし)たち)において,また(主 (しゅ)の命令 (めいれい)道理 (どうり)にすべての)事 (こと)を処理 (しょり)するもの(天使 (てんし)たち)において(誓う (ちかう))。」(第一から第五までの節)

 神の命令によって、体から今日無理矢理でに簡単にできる。今日神の命令を間もなく従っていると同じく、また同じ天使たちが明日も神(アッラー)の命令をすぐ実行して、死んだ人間を蘇ることも簡単にできる。

 また今日は、天使たちが神(アッラー)の命令によって、宇宙とその中の全てのことを管理しているのと同じく、明日は、その宇宙とその中の全てを壊して、新しい世界を存在させることもすぐできる。その来世で人間の所業を清算するのが、神と天使たちの動きでどうして不可能と思うのですか?

 そのあと第六から第十四節までには、来世で人間の復活のことが、あなたたちが思っているほど神にそんなに難しいことではない、ということを教えている。一つの刺激でこの世の中の全部を滅びて終わりになる。また次の刺激で来世が存在になって、人類の皆さんが復活されるのです。その日に罪深い人が怖がっていて、善行を残した人たちがすごく喜ぶのです。

(第六から第十四)「その日 (ひ)(第一のラッパ (らっぱ)で),震動 (しんどう)が猛烈 (もうれつ)な衝撃 (しょうげき)を与え (あたえ),またそれに続けて (つづけて)次 (つぎ)のラッパ (らっぱ)も吹かれる (ふかれる)、その日 (ひ)には若干 (じゃっかん)の心 (こころ)が大変 (たいへん)に怖くて (こわくて)震える (ふるえる)し、また目 (め)が畏怖 (いふ)の念 (ねん)を起こす (おこす)であろう。

かれらは言う (いう)、「わたしたちは初め (はじめ)(生前 (せいぜん))の状態 (じょうたい)に,本当 (ほんとう)に戻される (もどされる)のでしょうか。何 (なん)と,わたしたちは中身 (なかみ)のない、腐った (くさった)骨 (ほね)になっていても?」。「その場合 (ばあい)(復活 (ふっかつ)のことが自分 (じぶん)たちに対して (たいして)大変 (たいへん)な),喪失感 (そうしつかん)で悲嘆 (ひたん)に暮れる (くれる)ことになるでしょう。(またよみがえることは),只一声 (ただひとこえ)の叫び (さけび)である。見よ (みよ),かれらは急 (きゅう)に目覚めて (めざめて)(地上 (ちじょう)に)現われる (あらわれる)でしょう。」(第六から第十四節)

それから第十五から第二十六までの節で、預言者モーゼと紀元前1358年ごろのエジプトのファラオの話がある。それで預言者のメッセージを聞かないからファラオが滅びさせた。

 歴史上でどの預言者のメッセージでも神を信じて善い人間社会を創れということです。それを聞かない国民や国家が歴史上で没落されてしまう。その例の一つはファラオの落下である。

 「ムーサー (むーさー)(預言者 (よげんしゃ))の物語 (ものがたり)が,あなたに届いた (とどいた)のか。主 (しゅ)がトワー (とわー)の神聖 (しんせい)な谷 (たに)で彼 (かれ)に大声 (おおごえ)をあげた時 (とき)を思い起せ (おもいおこせ)。あなたはフィルアウン (ふぃるあうん)(王)の許 (もと)に行け (いけ)、きっとかれは反抗的 (はんこうてき)になっている。そしてかれに言って (いって)やれ『あなたは(罪 (つみ)から)清められたい (きよめられたい)のか。わたしはあなたを,主 (しゅ)の御許 (みもと)に導く (みちびく)。それであなたは(主 (しゅ)のことを)畏れる (おそれる)ようになるだろう。』ムーサー (むーさー)は偉大 (いだい)な印 (いん)をかれに示した (しめした)。だがかれ(フィルアウン (ふぃるあうん)王)はそれを拒否 (きょひ)して、その話 (はなし)に従わなかった (したがわなかった)。背 (せ)を向けて (むけて)いろいろな悪い (わるい)策略 (さくりゃく)をたくらんで去った (さった)。かれ(フィルアウン (ふぃるあうん))は,(自分 (じぶん)の国 (くに)の民族 (みんぞく)を)集め (あつめ)宣言 (せんげん)した、「わたしはあなたがたの主 (しゅ),至 (し)高者 (こうしゃ)である。」それでアッラー (あっらー)は彼 (かれ)を,来世 (らいせ)と現世 (げんせい)で懲罰 (ちょうばつ)を加える (くわえる)ために捕まえた (つかまえた)。誠 (まこと)にこの中 (なか)には(主 (しゅ)を)畏れる (おそれる)者 (もの)への一つ (ひとつ)の教訓 (きょうくん)がある。」(第十五から第二十六までの節)

 このことが起こったのはやく三千年前でした。けれども三千年たってから二十一世紀の今までのあいだでも毎年、今のイスラエル国家を含めて、昔からユダヤ教等これをEXODUSと言って、記念日として休みをとって、神に感謝の日として扱っている。それは、彼らがこの日に神のことと預言者モーゼのことを拒否していたファラオを滅ぼして、彼の支配下から脱出できたからです。

 THE CREATOR OF UNIMAGINABLY BIG UNIVERSE STRUCTURE IS ALLAH ALONE.

THIS WAS INFORMED TO HUMANITY BY THE GREAT CREATOR, ALLAH, IN THE HOLY QURAN 1500 YEARS AGO

宇宙の大規模構造の創造者はアッラーのみである

そのあと第二十七から第三十三節までには来世とそこで永久に生きるということの話を立証されている。一番初めに第二十七節にこういう質問をしている。

[27] Are13 you (O men,) harder to create, or is the heaven?(14) (79~27)

「主 (しゅ)には、)あなたがたを創る (つくる)こと(と復活 (ふっかつ)させること)がうち建てられた (たてられた)空 (そら)と宇宙 (うちゅう)(の創造 (そうぞう))よ ())り難しい (むずかしい)と思う (おもう)のか? (解説14)」(マウヅヂ先生のタフヒムル・クルアーンから)

14Here, creation implies the recreation of men, and the heaven the entire firmament which contains countless stars and planets, and innumerable solar systems and galaxies. means to say: "You think that your resurrection after death is something extremely improbable and you express wonder saying: `How is it possible that when our very bones will have decayed and become rotten the scattered particles of our bodies will be reassembled and made living once again?' But have you ever also considered whether the great universe is harder to create or your own re-creation in the form in which you were created in the first instance? The God Who created you in the first instance cannot be powerless to create you once again." This same argument for life after death has been given at several places in the Qur'an. For example, in Surah Ya Sin it has been said: "Is not He Who created the heavens and the earth able to create the like of them (again)? Why not, when He is the skillful Creator." (v. 81) And in Surah Al-Mu'min it was said: "Surely the creation of the heavens and the earth is a greater task than the creation of man, but most people do not know. (v. 57)  {from Tafheemul Quran by Maulana Maududi}

解説14:人間は自分が死んでちりになってからまた同じ体で蘇るのが無理だと思っている。今の聖クルアーンの節と同じような意味の節も別のところにある。これらの節で、アッラーは無限の銀河系と太陽系と惑星を創っている。そういう力のある全能の神に人間を復活させる力もあるではないか、ということです。

(マウヅヂ先生のタフヒムル・クルアーンから)

 アッラーはどれほど大規模の宇宙を創ったのか、それが下記の百科事典ヴィキペデイアに乗せられている科学的な情報からある程度わかります。

そういう大規模の宇宙の創造を出来た全能の神(アッラー)は、人間の創造と彼の復活のことを出来ないのか?

宇宙の大規模構造

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現代宇宙論

宇宙 · ビッグバン宇宙の年齢宇宙の年表宇宙の終焉

[表示]初期の宇宙

インフレーション · 原子核合成GWB · 宇宙ニュートリノ背景宇宙マイクロ波背景放射

[表示]膨張する宇宙

赤方偏移 · ハッブルの法則空間の測定膨張フリードマン方程式FLRW計量

[表示]構造形成

宇宙の形構造形成再電離銀河の形成と進化大規模構造銀河フィラメント

[表示]成分

Λ-CDMモデルダークエネルギー · 暗黒物質

[表示]年表

宇宙論の年表膨張する宇宙の未来

[表示]観測

観測的宇宙論2dF · SDSSCOBE · BOOMERanG · WMAP · プランク

[表示]科学者

アイザック・ニュートン · アインシュタイン · ホーキング · フリードマン · ルメートル · ハッブル · ペンジアス · ウィルソン · ガモフ · ディッケ · ゼルドビッチ · マザー · ルービン · スムート · その他

表・話・編・歴

宇宙の大規模構造(うちゅうのだいきぼこうぞう、large‐scale structure of the cosmos)は、宇宙の中で銀河の分布が示す巨大な泡のような構造である。宇宙の泡構造と呼ばれることもある。

目次

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· 1 形状

· 2 観測

· 3 成因

· 4 脚注

· 5 関連項目

· 6 外部リンク

形状

銀河は数百から数千集まって銀河群、銀河団を形成している。この銀河群や銀河団が更に集まって超銀河団を形成しているが、この超銀河団は平面状の壁のような分布を示している[1]。この巨大な壁をグレートウォールあるいは銀河フィラメントと呼ぶ。

1980年代になって、1枚の銀河フィラメントと他の銀河フィラメントとの間には光を発する天体がほとんど無い領域があることが明らかになった。これを超空洞(ボイド)と呼び、その直径は1億光年を超える。

宇宙の大規模構造は銀河フィラメントと超空洞が複雑に入り組んだ構造であるが、これはあたかも石鹸を泡立てたときにできる、幾重にも積み重なった泡のような構造である。つまり、泡の膜面たる銀河フィラメントには銀河が存在し、泡の中の空洞たる超空洞には銀河がほとんど存在しない。

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左から地球、太陽系、太陽の隣人たち、銀河系、局部銀河群、おとめ座超銀河団、近隣の超銀河団、観測可能な宇宙

観測

グレートウォールの発見をもたらした CfA赤方偏移サーベイ以降、観測技術の発展に伴ってより遠方の銀河をより大量に観測する大規模な銀河サーベイ観測が行なわれるようになっている。その代表例として、 スローン・デジタル・スカイサーベイ(SDSS)や2dF銀河赤方偏移サーベイなどがある。

なお、銀河までの距離をその赤方偏移のみに基づいて測ると、大規模構造が実際とはいくらか異なって観測されることがある。

例えば、銀河団の後ろにある銀河はその銀河団に向かって引き寄せられるため、多少(その銀河団が存在しない場合に比べて)青方偏移して見える。一方、銀河団の手前にある銀河は多少赤方偏移して見える。このような効果を補正せずに赤方偏移を使うと、銀河団の周囲に存在する銀河は実際よりも押しつぶされた分布をしているように見える。 また、既に銀河団内部に落ち込んだ銀河に対してはこれと逆の現象がおきる。

銀河団内の銀河は銀河団中心に対してランダムな速度分散を持つため、各銀河の赤方偏移は銀河団自身の値を中心に広がりを持った分布になる。この赤方偏移を銀河までの距離として使うと、銀河団は視線方向に長く引き伸ばされて見える。

これはまるで銀河分布が観測者(地球)の方向を指差しているようにも見えることから Finger of God 効果として知られている。」

最近になってやっと解明された宇宙に関する10の謎

2015年01月13日 ι コメント(72) ι 知る ι 自然・廃墟・宇宙 ι #

 宇宙の端っこについて考えて眠れなくなったことはないだろうか?それほど宇宙は無限であり、底が見えない世界なのである。嫌なことがあっても宇宙の広さを考えれば、微粒

子レベルのささいなこととなるので、ある意味ポジティブを与えてくれる宇宙。

 わからないことだらけの宇宙だが、それでも、最近になって、いくつかの謎は解明された。そんな10の宇宙の神秘を見ていくことにしよう。

(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%AE%99%E3%81%AE%E5%A4%A7%E8%A6%8F%E6%A8%A1%E6%A7%8B%E9%80%A0)

THE EARLY 20TH CENTURY DISCOVERY OF MODERN SCIENCE ABOUT THE BEGINNING OF UNIVERSE CREATION THROUGH A BIG BANG THAT STARTED SEPARATING EARTH AND HEAVENS FROM A SINGLE MASS PARTICLE WAS INFORMED TO HUMANITY BY THE GREAT CREATOR, ALLAH, IN THE HOLY QURAN 1500 YEARS AGO

宇宙の創造は、一つのものからビッグバンとしていきなりの爆発のかたちで始まって、大地といろいろな惑星と星がわかれるようになった、という現代科学の20世紀初めの発見が、その唯一の創造主、アッラー、は、1500年前から正クルアーンに人類に知らせている

. また聖クルアーンの第21章の第30節で、今からやく1,500年前に、宇宙の創造に対して、最近発見されいるビッグバン理論のこともそういうふうに書いてある:

Have not the people, who have disbelieved (the Message), ever considered this: the heavens and the earth were at first one mass; then We parted them,28 and created every living thing from water?(Al-Anbia 21~30)

「無心者 (むしんじゃ)等 (ら)はこの事実 (じじつ)を観察 (かんさつ)していないのか?大地 (だいち)と宇宙 (うちゅう)にあるすべての星 (ほし)全部 (ぜんぶ)が一緒 (いっしょ)にくついていて一つ (ひとつ)のかたまり (のかたま)になっていた。われがそれを割って (わって)別々 (べつべつ)のものにした。それでも彼ら (かれら)は信じない (しんじない)のか?」(第21章の第30節)(マウヅヂ先生のタフヒムル・クルアーンから)

 また聖クルアーンに上記の第21章の第30節で、大地と宇宙の創造にたいしてアッラーのやったことが、現代のビッグバンと同じ理論のことを述べている。

ビッグバン

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· 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2011年3月)

· 出典は脚注などを用いて記述と関連付けてください。(2011年3月)

ビッグバン(英: Big Bang)とは、

· ビッグバン理論(ビッグバン仮説)、つまり「この宇宙には始まりがあって、爆発のように膨張して現在のようになった」とする説

· 同説において想定されている、宇宙の最初期の超高温度・超高密度の状態のことである。

· この理論に「ビッグバン (Big Bang)」という名をつけることになったのは、皮肉にも、「宇宙に始まりがあった」という考えを非常に嫌悪していたフレッド・ホイルであり、あるラジオ番組において、ジョルジュ・ルメートルのモデルを 「this 'big bang' idea(この大ボラ)」 と愚弄するように呼んだのが始まりである[2][3]とされている。科学記者ジョン・ホーガンの取材によるとホイルは卑下する意味は微塵も無く、何か咄嗟に生き生きとした表現は無いものかと思いついたのが「ビッグ・バン」だったと気まずく述べており「命名者としてパテントを取得しておくべきだったよ」と悔やんでいる旨を明かしている。その名の通り爆発的に用語が一般認知、定着するが、それ以前の天文学者らの間ではフリードマン宇宙論として語られていた[4]。

· 12.4 研究論文

· 20世紀前半でも、天文学者も含めて人々は宇宙は不変で定常的だと考えていた。ハッブルの観測によって得られたデータが登場しても科学者たちも真剣にそれを扱おうともせず、ごくわずかな人数のアウトサイダー的な天文学者・科学者がビッグバン仮説を発展させたものの、無視されたり軽視されたりしてなかなか受け入れられなかった。 ビッグバン理論から導かれる帰結の1つとして、今日の宇宙の状態は過去あるいは未来の宇宙とは異なる、というものがある。このモデルに基づいて、1948年にジョージ・ガモフは宇宙マイクロ波背景放射 (CMB) が存在することを主張、その温度を5Kと推定した。CMB は1960年代になって発見され、この事実が、当時最も重要な対立仮説(対立理論)であった定常宇宙論ではなくビッグバン理論を支持する証拠と受け止められ、支持する人が増え多数派になり、「標準理論」を構成するようになった。この説が生まれてから数十年の時を経て、ようやくそうなったのである。(→#歴史)

· JUST ONE ORDER OF GOD BROUGHT UNIVERSE FROM NOTHNG INTO EXISTENCE.

· THIS WAS INFORMED TO HUMANITY BY THE GREAT CREATOR, ALLAH, IN THE HOLY QURAN 1500 YEARS AGO

· MODERN SCIENCE SAYS THIS ORDER WAS GIVEN 138 BILION YEARS AGO WHICH BROUGHT UNIVERSE INTO EXISTENCE.

·  また聖クルアーンの第41章の第11節で宇宙の創造のことが神の命令一つで無からの存在になったということが書いてある。その神のいきなり命令のことが現代科学でビッグバンと言っている。

· 現代科学によるとその命令が神様(アッラー)は、138億年前に下さったものらしい。

· という現代科学の20世紀初めの発見が、その唯一の創造者、アッラー、は、1500年前から正クルアーンに人類に知らせている

·

·

· Then He turned to the heaven, which was only smoke at that time.14 He said to the heaven and the earth "Come into being, whether you like it or not." They both said, "We do come in submission.” (41-11) {from Tafheemul Quran by Maulana Maududi}

·  {それからその御方 (おかた)は宇宙 (うちゅう)と大地 (だいち)の方 (ほう)へ向いた (むいた)。その時 (とき)は空 (そら)がただ煙 (けむり)だった。(主 (しゅ)が)命令 (めいれい)をくださった:「両方 (りょうほう)とも嫌 (いや)でも、無理矢理 (むりやり)でも、無 (む)から存在 (そんざい)になれ」。「われわれは(主 (しゅ)の)命令 (めいれい)を従います (したがいます)」、両方 (りょうほう)とも答えた (こたえた)。}(第41章の第11節)(マウヅヂ先生のタフヒムル・クルアーンから)

· ビッグバン理論(ビッグバン仮説)に基づいたビッグバン・モデルでは、宇宙は時間と空間の区別がつかない一種の「無」の状態から忽然と誕生し[要出典]、爆発的に膨張してきた、とされる。近年の観測値を根拠にした推定により、ビッグバンは約138億年前に起きたと推定されるようになった。(ウィキペヂア から)

EXPANDING UNIVERSE CONCEPT IN HOLY QURAN

THIS 20TH CENTURY DISCOVERY WAS INFORMED TO HUMANITY BY THE GREAT CREATOR, ALLAH, IN THE HOLY QURAN 1500 YEARS AGO

宇宙はずっと膨張し続けている、

という現代科学の20世紀初めの発見が、その唯一の創造者、アッラー、は、1500年前から正クルアーンに人類に知らせている

[51~47] We43 have built the heaven with Our own might and We possess the power for it.44

“According to the second meaning, it would mean: "This huge universe that We have created, is not a finished work, but We are expanding it continuously, and new and ever new manifestations of Our creation are appearing in it every moment. “(from Tafheemul Quran by Maulana Maududi)

「われは自分 (じぶん)の力 (ちから)で宇宙 (うちゅう)を創った (つくった)、また我が (われが)そういう全能 (ぜんのう)の力 (ちから)の持ち主 (もちぬし)であられる。」

この節の二番目の意味によるとこういうことになります:「われが創った (つくった)この大規模 (だいきぼ)な宇宙 (うちゅう)が完成 (かんせい)されたわけではありません。われは、これをずっと膨張 (ぼうちょう)し続けて (しつづけて)いるし、またその膨張 (ぼうちょう)の共 (の)にいつもわれの想像力 (そうぞうりょく)の新しい (あたらしい)と初回 (しょかい)の兆候 (ちょうこう)が次 (つぎ)から次 (つぎ)各瞬間 (かくしゅんかん)に表れて (あらわれて)いる。」(マウヅヂ先生のタフヒムル・クルアーンから)

44The word must' (pl. musi'un) may mean the one who possesses power and means, and also the one who can extend and expand something. According to the first meaning, the verse would mean: "We have built this heaven by Our own might and not with somebody else's help, and its erection was in no way beyond Us. Then how can you ever conceive that We shall not be able to recreate it ?" According to the second meaning, it would mean: "This huge universe that We have created, is not a finished work, but We are expanding it continuously, and new and ever new manifestations of Our creation are appearing in it every moment. How do you then think that such a marvelous Creator would not be able to repeat His creation. (from Tafheemul Quran by Maulana Maududi)

概要

ビッグバン理論では、宇宙は極端な高温高密度の状態で生まれた、とし(下)、その後に空間自体が時間の経過とともに膨張し、銀河はそれに乗って互いに離れていった、としている(中、上)。

「ビッグバン」という語は、狭義では宇宙の(ハッブルの法則に従う)膨張が始まった時点を指す。その時刻は今から138億年[1](1.38 × 1010年)前と計算されている。より一般的な意味では、宇宙の起源や宇宙の膨張を説明し、またジョージ・ガモフの「α-β-γ理論」から予測される宇宙初期の元素合成によって現在の宇宙の物質組成が生まれたとする、現代的な宇宙論的パラダイムも指しうる。

ビッグバン理論(ビッグバン仮説)に基づいたビッグバン・モデルでは、宇宙は時間と空間の区別がつかない一種の「無」の状態から忽然と誕生し[要出典]、爆発的に膨張してきた、とされる。近年の観測値を根拠にした推定により、ビッグバンは約138億年前に起きたと推定されるようになった。

遠方の銀河がハッブルの法則に従って遠ざかっているという観測事実を、一般相対性理論を適用して解釈すれば、宇宙が膨張しているという結論が得られる。宇宙膨張を過去へと外挿すれば、宇宙の初期には全ての物質とエネルギーが一カ所に集まる高温度・高密度状態にあったことになる。この初期状態、またはこの状態からの爆発的膨張をビッグバンという。

この高温・高密度の状態よりさらに以前については、一般相対性理論によれば重力的特異点になるが、物理学者たちの間でこの時点の宇宙に何が起きたかについては広く合意されているモデルはない。

OTHER SCIENTIFIC FACTS IN HOLY QURAN

THESE SCIENTIFIC TRUTHS WERE REVEALED TO HUMANITY BY THE GREAT CREATOR, ALLAH, IN THE HOLY QURAN 1500 YEARS AGO

現代科学で証明された正クルアーンでのべられたほかの事実もいっぱいある。ここで簡単に二つだけ指摘します。

そういう現代科学の20世紀初めの発見が、その唯一の創造者、アッラー、は、1500年前から正クルアーンに人類に知らせている

 ビッグバン以外に他のいろいろなことも聖クルアーンで1,500年まえに書いてあったことの真実性が、今の科学的な研究で証明されている。例えば、上記の聖クルアーンの節で空がけむりのようなものであると述べている。これも現代科学の研究と一致している。

 また、上記の聖クルアーンの別の節ですべての生き物を水で創ったと書いている。現代科学で宇宙の中で大地以外にどんな星にも水が存在してないから生命のある生き物も存在してないと言っている。

そういう大規模の宇宙の創造を出来た全能の神(アッラー)は、人間の創造と彼の復活のことを出来ないのか?

「主 (しゅ)には、)あなたがたを創る (つくる)こと(と復活させること)がうち建てられた空と宇宙(の創造 (そうぞう))より難しい (むずかしい)と思う (おもう)のか?」(79章~27節)

 そのあと27節から33節までアッラーは、大地で人間が生きていて、毎日の生活ができる為に、必要なものすべてを揃うようにしてある、ということを指摘されている。

「かれは空 (そら)の跳躍 (ちょうやく)の高さ (たかさ)を上げて (あげて)、それにバランス (ばらんす)を与えました (あたえました)。夜 (よる)を暗く (くらく)なされ,また,光明 (こうみょう)を現わされる (あらわされる)。その後 (そのご),大地 (だいち)を延べ広げられた。そこから水 (みず)と牧場 (ぼくじょう)を現われさせ (あらわれさせ),また山々 (やまやま)をそれにしっかりと据えられ (すえられ),(これは)あなたがたとあなたがたの家畜 (かちく)の暮らし (くらし)の手段 (しゅだん)とし用意 (ようい)しているのです。」

そういうふうにアッラーは、この大地が人間のために暮らしいやすくしてある。そこで人間が神の導きを無視して、すき勝手な人に迷惑をかけるような生活をしたり、人を騙したり、殺したりような悪い生活をしたり、社会で混乱を起こしたりしていれば、神から罰せられべきです。

 こういうふうな説明しないで、次の第34から第41節でいきなり来世の罰のことを指摘している。

 「[34-41]:  それで大きい (おおきい)災厄 (さいやく)が来る (くる)と,その日 (ひ),人々 (ひとびと)は(現世 (げんせい)で自分 (じぶん)たちが)何 (なん)のため一生 (いっしょう)頑張って (がんばって)きたのかのことを思い出し (おもいだし),また獄 (ごく)火 (ひ)は,誰 (だれ)にでも見える (みえる)(程 (ほど)に近く (ちかく)なり、ありありと)現わされる (あらわされる)。その時 (とき),酷く反抗的 (はんこうてき)であった者 (もの),またこの世 (よ)の生活 (せいかつ)を重んじて (おもんじて)いた者 (もの)は, 誠 (まこと)に火獄 (ひごく)がその者 (もの)の永久 (えいきゅう)の住まい (すまい)になるのであろう。だが主 (しゅ)の御前 (ごぜん)に立つ (たつ)ことを恐れた (おそれた)者 (もの),また低劣 (ていれつ)な欲望 (よくぼう)に対し (たいし)自分 (じぶん)自身 (じしん)を抑制 (よくせい)した者 (もの)は,誠 (まこと)に楽園 (らくえん)がその方の永久 (えいきゅう)の住まい (すまい)になるのであろう。」

 最後の第42から第46の節で、メッカ市の無信者等のある質問の答えを述べている。彼らは冗談しながら、馬鹿にするつもりで、何回も尋ねていたのがいったい何時その審判の日が本当にくるのか?その答えを聖クルアーンで最後の節で下記のとおりです。

 「42-46]: かれらはその時 (とき)に就いて (ついて),あなたに問う (とう)。「それが到来 (とうらい)するのは,何時 (いつ)(の日 (ひ))ですか。」そういう時期 (じき)のことを教える (おしえる)のがあなたの仕事 (しごと)ではありません。その終末 (しゅうまつ)(の知識 (ちしき))は,あなたの主 (しゅ)にあるだけ。あなたは,それを恐れる (おそれる)者 (もの)への,一人 (ひとり)の警告者 (けいこくしゃ)に過ぎない (すぎない)。かれらがそれを見る (みる)日 (ひ),(墓 (はか)の中 (なか)に)滞留 (たいりゅう)していたのは,一夕か一朝 (いっちょう)に過ぎなかった (すぎなかった)ように思う (おもう)であろう。」

79. Surah Naziat (Those Who Tear Out)

79. 引き離す (ひきはなす)もの (アン・ナーズィアート) 

(翻訳: Translation)

“慈悲 (じひ)深い (ぶかい),何回 (なんかい)も何回 (なんかい)も無限 (むげん)に慈悲 (じひ)を下さる (くださる)アッラー (あっらー)の御名 (みな)において(始めます (はじめます))。“

[1-5]: 荒々しく (あらあらしく)(体 (からだ)に)深く (ふかく)入って (はいって)強い (つよい)力 (ちから)で引っ張って (ひっぱって)(罪深い (つみぶかい)者 (もの)の魂 (たましい)を)引き離す (ひきはなす)(天使 (てんし)たち)において(誓う (ちかう)),また優しく (やさしく)(信仰 (しんこう)深い (ふかい)者 (しゃ)の魂 (たましい)を)引き出す (ひきだす)もの(天使 (てんし)たち)において、(神 (かみ)の使い (つかい)として)世の中 (よのなか)に,泳でいる(天使 (てんし)たち)において、(自分 (じぶん)に与えられた (あたえられた)義務 (ぎむ)を一所懸命 (いっしょけんめい)に果たす (はたす)為 (ため)に)先 (さき)を争って (あらそって)前進 (ぜんしん)するもの(天使 (てんし)たち)において,また(主 (しゅ)の命令 (めいれい)道理 (どうり)にすべての)事 (こと)を処理 (しょり)するもの(天使 (てんし)たち)において(誓う (ちかう))。

[6-14]:その日 (ひ)(第一のラッパ (らっぱ)で),震動 (しんどう)が猛烈 (もうれつ)な衝撃 (しょうげき)を与え (あたえ),またそれに続けて (つづけて)次 (つぎ)のラッパ (らっぱ)も吹かれる (ふかれる)、その日 (ひ)には若干 (じゃっかん)の心 (こころ)が大変 (たいへん)に怖くて (こわくて)震える (ふるえる)し、また目 (め)が畏怖 (いふ)の念 (ねん)を起こす (おこす)であろう。

かれらは言う (いう)、「わたしたちは初め (はじめ)(生前 (せいぜん))の状態 (じょうたい)に,本当 (ほんとう)に戻される (もどされる)のでしょうか。何 (なん)と,わたしたちは中身 (なかみ)のない、腐った (くさった)骨 (ほね)になっていても?」。「その場合 (ばあい)(復活 (ふっかつ)のことが自分 (じぶん)たちに対して (たいして)大変 (たいへん)な),喪失感 (そうしつかん)で悲嘆 (ひたん)に暮れる (くれる)ことになるでしょう。(またよみがえることは),只一声 (ただひとこえ)の叫び (さけび)である。見よ (みよ),かれらは急 (きゅう)に目覚めて (めざめて)(地上 (ちじょう)に)現われる (あらわれる)でしょう。

[15-26]:  ムーサー (むーさー)(預言者 (よげんしゃ))の物語 (ものがたり)が,あなたに届いた (とどいた)のか。主 (しゅ)がトワー (とわー)の神聖 (しんせい)な谷 (たに)で彼 (かれ)に大声 (おおごえ)をあげた時 (とき)を思い起せ (おもいおこせ)。あなたはフィルアウン (ふぃるあうん)(王)の許 (もと)に行け (いけ)、きっとかれは反抗的 (はんこうてき)になっている。そしてかれに言って (いって)やれ『あなたは(罪 (つみ)から)清められたい (きよめられたい)のか。わたしはあなたを,主 (しゅ)の御許 (みもと)に導く (みちびく)。それであなたは(主 (しゅ)のことを)畏れる (おそれる)ようになるだろう。』ムーサー (むーさー)は偉大 (いだい)な印 (いん)をかれに示した (しめした)。だがかれ(フィルアウン (ふぃるあうん)王)はそれを拒否 (きょひ)して、その話 (はなし)に従わなかった (したがわなかった)。背 (せ)を向けて (むけて)いろいろな悪い (わるい)策略 (さくりゃく)をたくらんで去った (さった)。かれ(フィルアウン (ふぃるあうん))は,(自分 (じぶん)の国 (くに)の民族 (みんぞく)を)集め (あつめ)宣言 (せんげん)した、「わたしはあなたがたの主 (しゅ), 至 (し)高者 (こうしゃ)である。」それでアッラー (あっらー)は彼 (かれ)を,来世 (らいせ)と現世 (げんせい)で懲罰 (ちょうばつ)を加える (くわえる)ために捕まえた (つかまえた)。誠 (まこと)にこの中 (なか)には(主 (しゅ)を)畏れる (おそれる)者 (もの)への一つ (ひとつ)の教訓 (きょうくん)がある。

[27-33]: (主 (しゅ)には、)あなたがたを創る (つくる)こと(と復活させること)がうち建てられた空(の創造 (そうぞう))より難しい (むずかしい)と思う (おもう)のか?かれは空 (そら)の跳躍 (ちょうやく)高さ (たかさ)を上げて (あげて)、それにバランス (ばらんす)を与えました (あたえました)。夜 (よる)を暗く (くらく)なされ,また,光明 (こうみょう)を現わされる (あらわされる)。その後 (そのご),大地 (だいち)を延べ広げられた。そこから水 (みず)と牧場 (ぼくじょう)を現われさせ (あらわれさせ),また山々 (やまやま)をそれにしっかりと据えられ (すえられ),(これは)あなたがたとあなたがたの家畜 (かちく)の暮らし (くらし)の手段 (しゅだん)とし用意 (ようい)しているのです。

[34-41]:  それで大きい (おおきい)災厄 (さいやく)が来る (くる)と,その日 (ひ),人々 (ひとびと)は(現世 (げんせい)で自分 (じぶん)たちが)何 (なん)のため一生 (いっしょう)頑張って (がんばって)きたのかのことを思い出し (おもいだし),また獄 (ごく)火 (ひ)は,誰 (だれ)にでも見える (みえる)(程 (ほど)に近く (ちかく)なり、ありありと)現わされる (あらわされる)。その時 (とき),酷く反抗的 (はんこうてき)であった者 (もの),またこの世 (よ)の生活 (せいかつ)を重んじて (おもんじて)いた者 (もの)は, 誠 (まこと)に火獄 (ひごく)がその者 (もの)の永久 (えいきゅう)の住まい (すまい)になるのであろう。だが主 (しゅ)の御前 (ごぜん)に立つ (たつ)ことを恐れた (おそれた)者 (もの),また低劣 (ていれつ)な欲望 (よくぼう)に対し (たいし)自分 (じぶん)自身 (じしん)を抑制 (よくせい)した者 (もの)は,誠 (まこと)に楽園 (らくえん)がその方 (ほう)の永久 (えいきゅう)の住まい (すまい)になるのであろう。

[42-46]: かれらはその時 (とき)に就いて (ついて),あなたに問う (とう)。「それが到来 (とうらい)するのは,何時 (いつ)(の日 (ひ))ですか。」そういう時期 (じき)のことを教える (おしえる)のがあなたの仕事 (しごと)ではありません。その終末 (しゅうまつ)(の知識 (ちしき))は,あなたの主 (しゅ)にあるだけ。あなたは,それを恐れる (おそれる)者 (もの)への,一人 (ひとり)の警告者 (けいこくしゃ)に過ぎない (すぎない)。かれらがそれを見る (みる)日 (ひ),(墓 (はか)の中 (なか)に)滞留 (たいりゅう)していたのは,一夕か一朝 (いっちょう)に過ぎなかった (すぎなかった)ように思う (おもう)であろう。

80. Surah Abasa (He Frowned)

80. 眉 (まゆ)をひそめて (アバサ) 

(解説)

名前:この章の一番初めに言葉がこれの名前にしてある。

啓示された時期:この章がメッカに一番初めの時期で啓示された。

内容とテーマ: この章の初めの16節のテーマはイスラームのダーワーや呼びかけの時どういう相手が優先的に扱うべきかのことをおしえている。社会で優良な偉い方々を大事にするべきですが、それよりももし誰かが社会的に上位ではなく、地位の低い人でも自分で探し求めて来た方がいれば、その方の方がもっと大事に扱うべきだ、ということを教えている。

 また17節から終わりまでは、預言者モハッマド(PBUH)のダーワーを拒否していた無心者がアッラーの怒りの対象になっている。彼らは自分の創造者や主や生まれた時から死ぬまで面倒をみてくれている御方に対して彼らのいやな態度のことを非難されている。最後にこの生き方の最終結末のことを警告されている。

80. Surah Abasa (He Frowned)

80. 眉 (まゆ)をひそめて (アバサ) 

(翻訳: Translation)

“慈悲 (じひ)深い (ぶかい),何回 (なんかい)も何回 (なんかい)も無限 (むげん)に慈悲 (じひ)を下さる (くださる)アッラー (あっらー)の御名 (みな)において(始めます (はじめます))。“

[1-16]:  ムハッマドは)眉 (まゆ)をひそめ,顔 (かお)を背けた (そむけた)。 一人 (ひとり)の盲人 (もうじん)がやって来て (きて)(話 (はなし)が中断 (ちゅうだん)された)ためである。あなたにどうして分ろう (わかろう)か,かれは清められる (きよめられる)かも知れない (しれない)ことが、または訓戒 (くんかい)を受け入れて (うけいれて),その教え (おしえ)はかれに役 (やく)に立つ (たつ)かもしれないことが。だが(信仰 (しんこう)に)興味 (きょうみ)をも持たない (もたない)者 (もの)(偉い (えらい)人 (ひと)たち)には,(あなたが)関心 (かんしん)をもって)応待 (おうたい)する。しかもかれが自ら (みずから)清めなくて (きよめなくて)も,あなたに責任 (せきにん)はない。だが熱心 (ねっしん)に(信仰 (しんこう)を)求めて (もとめて)あなたの許 (もと)に来た (きた)者 (もの)、また(アッラー (あっらー)の)畏れ (おそれ)をもっている者 (もの)には、あなたは軽視 (けいし)している。断じて (だんじて)そうであるべきではない。誠 (まこと)にこれ(クルアーン (くるあーん))は訓戒 (くんかい)である。だから誰 (だれ)でも望む (のぞむ)者 (もの)がいれば、それ(訓戒 (くんかい)が受け入れて (うけいれて)も良い (いい)。それは(アッラー (あっらー)の御許 (みもと)にある)帳簿 (ちょうぼ)に記されて (しるされて)いるもの。至高 (しこう)にして清純 (せいじゅん)なもの。書記 (しょき)たち(天使 (てんし))の手 (て)で(記録 (きろく)されたもの)。気高く (けだかく)敬虔 (けいけん)な(書記 (しょき)たち)。

[16-32]: 人間 (にんげん)、(不信心者 (ふしんじんしゃ))に災い (わざわい)あれ、どんなに酷く (ひどく)真実 (しんじつ)を拒む (こばむ)のか。かれはどんなものから創られた (つくられた)のか、一 (ひと)滴 (しずく)の精液 (せいえき)からである。アッラー (あっらー)が,かれを創り (つくり),またかれの運命 (うんめい)を定めた (さだめた)。かれの現世 (げんせい)の暮らし (くらし)の道 (みち)も容易 (ようい)にして暮れた (くれた)。 やがてかれを死なせて (しなせて)墓場 (はかば)に埋めた (うめた)。それから御望み (おのぞみ)の時 (とき)に,かれを甦らせる (よみがえらせる)。断じて (だんじて),かれがアッラー (あっらー)からに命令 (めいれい)された義 (ぎ)も果たさなかった (はたさなかった)。

 かれに,自分 (じぶん)の食物 (しょくもつ)に就いて (ついて)考えさせて (かんがえさせて)みるがよい。誠 (まこと)にわれは,水 (みず)(雨 (あめ))を豊か (ゆたか)に注ぎ (そそぎ),次いで (ついで)に大地 (だいち)を裂いて (さいて)切れ切れ (きれぎれ)にし,そこに生長 (せいちょう)させるものには,穀物 (こくもつ),またブドー (ぶどー)や青草 (あおくさ),オリーブ (おりーぶ)やナツメヤシ (なつめやし),繁茂 (はんも)した庭園 (ていえん),果物 (くだもの)や牧草 (ぼくそう)(がある)。(これは)あなたがたとあなたがたの家畜 (かちく)の暮らし (くらし)の手段 (しゅだん)とし用意 (ようい)しているのです。

[32-40]: やがて,(終末 (しゅうまつ)に)耳 (みみ)がずっと永久 (えいきゅう)に聞こえない (きこえない)ほど物凄く (ものすごく)高い (たかい)一声 (ひとこえ)が鳴り (なり),その日 (ひ)には、人 (ひと)が自分 (じぶん)の兄弟 (きょうだい)から,自分 (じぶん)の母 (はは)や父 (ちち)や,また自分 (じぶん)の妻 (つま)や子女 (しじょ)から逃る (にげる)。その日 (ひ)にはこの人 (ひと)たちの誰 (だれ)もかれも考えられない (かんがえられない)ほど物凄い (ものすごい)酷い (ひどい)目 (め)にあうので、自分 (じぶん)以外 (いがい)に誰 (だれ)のことも気 (き)にする余裕 (よゆう)がなくなるのです。その日 (ひ)、或る (ある)者 (もの)たちの顔 (かお)は, 輝 (かが)やって、笑って (わらって),また喜んで (よろこんで)いるのです。だが(或る (ある)者 (もの)たちの)顔 (かお)は,その日 (ひ)ちりに塗れ (まみれ),暗黒 (あんこく)が彼ら (かれら)の顔 (かお)を覆う (おおう)のです。これらの者 (もの)たちこそ,不信心 (ふしんじん)で,悪い (わるい)行い (おこない)をいっぱい重ねて (かさねて)いた方々 (かたがた)であるのです。

81. Surah At Takwir (The Folding Up)

81. 包み隠す (つつみかくす) (アッ・タクウィール) 

(解説)

名前:この章の名前は初めの節である言葉から取られている。その言葉の意味は「畳む」である。というのはこれが「畳む」という言葉が使われている章である。

啓示された時期:これの内容とテーマから見たら、これがメッカの初期に啓示された章と思われている。

内容とテーマ:これのテーマは来世と預言者制度の話です。

 初めの六節で審判の日の第一段階のことをのべられている。そのときは、太陽 (たいよう)がたたまれる。諸星 (もろほし)が散乱 (さんらん)される。山々 (やまやま)が散る (ちる)。孕んで (はらんで)10 (10)ケ月の雌 (めす)駱駝 (らくだ)が(大事 (だいじ)にされないで)ほっておかれる。様々 (さまざま)な野獣 (やじゅう)が(恐怖 (きょうふ)の余り (あまり)で)群 (むれ)をなして集まる (あつまる)。大洋 (たいよう)が燃 (も)えあげられる。

 また次の七つの節で、審判の日の第二の状況のこと述べられている。その第二の段階では、それぞれの魂 (たましい)が(肉体 (にくたい)と)組み合わされる。生き埋められて (いきうめられて)いた(女児 (じょじ)が)どんな罪 (つみ)で殺された (ころされた)かと問われる (とわれる)。(人々 (ひとびと)の行い (おこない)の)帳簿 (ちょうぼ)が開かれる (ひらかれる)。晴天 (せいてん)のベールが除却される。獄 (ごく)火 (ひ)が炎 (ほのお)を上げられる。天国 (てんごく)が近く (ちかく)から見える (みえる)。(その時 (とき))各人間 (かくにんげん)が自分 (じぶん)はなに(善悪 (ぜんあく)の所業 (しょぎょう))を持って (もって)来た (きた)かのことが分かる (わかる)でしょう。

 そのあとに預言者のことが述べられている。「(人びと (ひとびと)よ)あなたがたの仲間 (なかま)(モハッマド (もはっまど))は,気 (き)違い (ちがい)ではない。かれは,明るい (あかるい)地平 (ちへい)線上 (せんじょう)にはっきりとかれ(ジブリール (じぶりーる))を見た (みた)。(モハッマド (もはっまど)は)目 (め)に見えない (みえない)世界 (せかい)に対していろいろな知識を(人類 (じんるい)に)伝える (つたえる)にはケチケチしない方 (かた)であるのです。それ(聖クルアーン (くるあーん))は,呪われた (のろわれた)悪魔 (あくま)の言葉 (ことば)でもない。それなのにあなたがたは(それらのことを信用 (しんよう)せず)何処 (どこ)へ行く (いく)のか。これ(聖クルアーン (くるあーん))こそは,全人類 (ぜんじんるい)の万人への教訓 (きょうくん)に外 (ほか)ならない。それはあなたがたの中 (なか),誰 (だれ)でも正しい (ただしい)道 (みち)を歩みたい (あゆみたい)と望む (のぞむ)者 (もの)のためである。だが万有 (ばんゆう)の主 (しゅ),アッラー (あっらー)の御望み (みのぞみ)がない限り (かぎり),あなたがたの望み (のぞみ)だけでは何 (なん)の出来事 (できごと)も可能 (かのう)になる訳 (わけ)がないのです。」

81. Surah At Takwir (The Folding Up)

81. 包み隠す (つつみかくす) (アッ・タクウィール) 

(翻訳: Translation)

慈悲 (じひ)深い (ぶかい),何回 (なんかい)も何回 (なんかい)も無限 (むげん)に慈悲 (じひ)を下さる (くださる)アッラー (あっらー)の御名 (みな)において(始めます (はじめます))。

[1-14]: 太陽 (たいよう)がたたまれる時 (とき),諸星 (もろほし)が散乱 (さんらん)される時 (とき),山々 (やまやま)が散る (ちる)時 (とき),孕んで (はらんで)10 (10)ケ月の雌 (めす)駱駝 (らくだ)が(大事 (だいじ)にされないで)ほっておかれる時 (とき),様々 (さまざま)な野獣 (やじゅう)が(恐怖 (きょうふ)の余り (あまり)で)群 (むれ)をなし集まる (あつまる)時 (とき),大洋 (たいよう)が燃 (も)えあげられる時 (とき),それぞれの魂 (たましい)が(肉体 (にくたい)と)組み合わされる (くみあわされる)時 (とき),生き埋められて (いきうめられて)いた(女児 (じょじ)が)どんな罪 (つみ)で殺された (ころされた)かと問われる (とわれる)時 (とき),(人々 (ひとびと)の行い (おこない)の)帳簿 (ちょうぼ)が開かれる (ひらかれる)時 (とき),晴天 (せいてん)のベールが除却 (じょきゃく)される時 (とき)、獄 (ごく)火 (ひ)が炎 (ほのお)を上げさせられる (あげさせられる)時 (とき)、天国 (てんごく)が近く (ちかく)から見える (みえる)時 (とき),(その時 (とき))各人間 (かくにんげん)が自分 (じぶん)はなに(善悪 (ぜんあく)の所業 (しょぎょう))を持って (もって)来た (きた)かのことを分かる (わかる)でしょう。

[15-29]:が、そうでもない(預言者 (よげんしゃ)のメッセージが嘘ではない)、わたしは沈み (しずみ)ゆく諸星 (もろほし)において誓う (ちかう)。(朝 (あさ)ごろに)隠れる (かくれる)諸星 (もろほし)において、 暗闇 (くらやみ)から離れた (はなれた)夜 (よる)において,夜明け (よあけ)を迎える (むかえる)朝 (あさ)において(誓う (ちかう))。誠 (まこと)にこれ(聖クルアーン)は,高貴 (こうき)な使徒 (しと)(ジブリール (じぶりーる))により(アッラー (あっらー)から伝えられた)言葉 (ことば)であるのです。(ジビリールと言う (いう)使徒 (しと)は)玉座 (ぎょくざ)の主 (しゅ)の御前 (ごぜん)で(尊厳 (そんげん)される地位 (ちい)の)座 (ざ)につく,凄い (すごい)エネルギー (えねるぎー)とパワー (ぱわー)をもっている,(天使 (てんし)たちに)従われ (したがわれ)て,信頼 (しんらい)される(使徒 (しと)である)。(人びと (ひとびと)よ)あなたかたの仲間 (なかま)(モハッマド (もはっまど))は,気 (き)違い (ちがい)ではない。かれは,明るい (あかるい)地平 (ちへい)線上 (せんじょう)にはっきりとかれ(ジブリール (じぶりーる))を見た (みた)。(モハッマド (もはっまど)は)目 (め)に見えない (みえない)世界 (せかい)に対していろいろな知識を(人類 (じんるい)に)伝える (つたえる)にはケチケチしない方 (かた)であるのです。それ(聖クルアーン (くるあーん))は,呪われた (のろわれた)悪魔 (あくま)の言葉 (ことば)でもない。それなのにあなたがたは(それらのことを信用 (しんよう)せず)何処 (どこ)へ行く (いく)のか。これ(聖クルアーン (くるあーん))こそは,全人類 (ぜんじんるい)の万人 (ばんにん)への教訓 (きょうくん)に外 (ほか)ならない。それはあなたがたの中 (なか),誰 (だれ)でも正しい (ただしい)道 (みち)を歩みたい (あゆみたい)と望む (のぞむ)者 (もの)のためである。だが万有 (ばんゆう)の主 (しゅ),アッラー (あっらー)の御望み (みのぞみ)がない限り (かぎり),あなたがたの望み (のぞみ)だけでは何 (なん)の出来事 (できごと)も可能 (かのう)になる訳 (わけ)がないのです。

82. Surah Al Infitar (The Cleaving)

82. 裂ける (さける) (アル・インフィタール) 

(解説)

名前:この章の名前は初めの節の言葉から付けられている。この章には空が裂けるという話があるということです。

啓示された時期:これとこの前の章の内容がお互いに大分似ている。だから両方とも同じ時期に啓示されていると思われている。

内容とテーマ: この章のテーマは来世です。あるハヂースによると、預言者(PBUH)はこういうことを」言ったといわれている。もし誰かが審判の日のことが自分の目で見たような感じで分かりたいのであれば、この章とこの前と後の章(第八十一番から第八十参番)を読みなさい、と。

この章で一番初めに審判の日の状況が述べられている。そのとき主に人間の全ての行いが提供されます。

 それからアッラーは、人間に無から創造して、人間という形の体を与えて、それを整えてくれた。それはどんな生き物よりも一番優れているじゃないですか?アッラーのこの慈悲深い恩恵を分かっていても、人間がどうしてアッラーは正義を行わないだろうと思うのか?神の慈悲と一緒に正義もあるということに対してどういうことがかれを騙しているのか?

 人間がそういう誤解をしないように警告されている。彼の全ての行いのことが天使たちは書いている。「誠 (まこと)にあなたがたの上 (うえ)には看守 (かんしゅ)(天使 (てんし))がいて、かれらは気高い (けだかい)記録者 (きろくしゃ)で,あなたがたのすべての所業 (しょぎょう)を知って (しって)いる。」(本章の10~12節)

 また最後に審判の日が必ず起こるということを強調されている。その日に善い行いの人たちが天国で永久に楽な生活が出来るし、また悪い行いの記録されている者は永久に地獄で焼かれる。その時は,だれも人助け出来ないし、すべてのことの決定権がアッラーのみに属している。

82. Surah Al Infitar (The Cleaving)

82. 裂ける (さける) (アル・インフィタール) 

(翻訳: Translation)

慈悲 (じひ)深い (ぶかい),何回 (なんかい)も何回 (なんかい)も無限 (むげん)に慈悲 (じひ)を下さる (くださる)アッラー (あっらー)の御名 (みな)において(始めます (はじめます))。

[1-5]:青空 (あおぞら)が,ばらばらに裂ける (さける)時 (とき),諸星 (もろほし)が散らされる (ちらされる)時 (とき),諸大洋 (しょたいよう)が引きちぎられるる時 (とき),墓場 (はかば)があばかれ(て人間 (にんげん)が蘇えられる (よみがえられる))る時 (とき),それぞれの人間 (にんげん)は,前もって既 (すで)にやったことと,後 (あと)に残した (のこした)ことを知る (しる)。

[6-12]:人間 (にんげん)よ,何 (なに)があなたを恵み (めぐみ)深い (ふかい)主 (あるじ)から惑わせ (まどわせ)(背かせ (そむかせ))たのか。かれはあなたを創造 (そうぞう)し,形 (かたち)を与え (あたえ),(均整 (きんせい)のとれた体 (からだ)に)整え (ととのえ),またその御方 (おかた)が自分 (じぶん)の思い (おもい)道理 (どうり)にあなたの顔 (かお)や体 (からだ)の形 (かたち)を創った (つくった)。が断じて (だんじて)、あなたがたは審判 (しんぱん)の日 (び)(を否定 (ひてい)してそれ)を嘘 (うそ)であると言う (いう)。誠 (まこと)にあなたがたの上 (うえ)には看守 (かんしゅ)(天使 (てんし))がいて、かれらは気高い (けだかい)記録者 (きろくしゃ)で,あなたがたのすべての所業 (しょぎょう)を知って (しって)いる。

[12-19]: 信心 (しんじん)深い (ぶかい)者 (もの)は,必ず (かならず)至福 (しふく)の中 (なか)にいる。罪深い (つみぶかい)者 (もの)は,きっと業火 (ごうか)の中 (なか)にいるのです。審判 (しんぱん)の日 (ひ)に,かれらはその中 (なか)に入れられ (いれられ)(からです)。そこから,(何処 (どこ)かへ逃げて (にげて))消えられることがあり得ないのです。審判 (しんぱん)の日 (ひ)が何 (なに)であるかを,あなたはそれのことが何 (なに)を分かる (わかる)のですか。(またいうけど) ( )一体 (いったい)審判 (しんぱん)の日 (ひ)が何 (なに)であるのかを,あなたはそれのことが何 (なに)を分かる (わかる)のですか。その日 (ひ),どんな者 (もの)も外 (ほか)の者 (もの)のために(助け合うような)何 (なん)のカ (か)も持たない (もたない)のです。命令 (めいれい)は,(その日 (ひ)すべての件 (けん)に対して (たいして)決定権 (けっていけん)が)アッラー (あっらー)のみに属する (ぞくする)のです。

83. Surah Al Mutaffifin (Those Who Deal in Fraud)

83. 量 (りょう)を減らせる (へらせる)者 (もの) (アル。ムタッフィフィン)

(解説)

名前:この章の一番初めの節である言葉からこの名前を付けられている。

啓示された時期:この章もメッカ初めの時期で啓示されたものです。まだ暴力や虐待が始まらないで、町や集会やどこでも信者等が見えたら、皆から馬鹿にされていた時期だった。

内容とテーマ: この章のテーマは来世です。

 初めの六節で、メッカ社会であった一つの悪い慣習のことを非難されている。それは人に渡すとき少なめに、もらうときお目に計量