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(1) センターニュース 92 分析機器解説シリーズ(92) 分析機器解説シリーズ(92) ◆表面プラズモン共鳴バイオセンサー …………………………………………………P1 お知らせ ………………………………………………………………………………………………… 工学研究院応用化学部門 宗 伸明・今任 稔彦 トピックス ◆職業性インジウム吸入による肺障害の病態と診断 ………………………P5 医学研究院環境医学分野 田中 昭代、平田 美由紀 P8 表面プラズモン共鳴バイオセンサー 工学研究院応用化学部門  宗 伸明・今任 稔彦 表面プラズモン共鳴(Surface Plasmon Resonance ; SPR)バイオセンサーは表面感応型の化学・生化学 センサーであり、1983年にLiedbergらにより初めて 報告されて以来 1) 、医薬生化学領域を中心に広く利用 されている。SPRバイオセンサーの最大の魅力の一つ は、分子間の相互作用を放射性同位元素や蛍光色素等 の標識なしにリアルタイムでモニターできるというこ とにある。リアルタイム計測であるため、生体分子間 相互作用の速度定数を正確に決定することも可能であ る。これは、従来の平衡後の複合体の量を計測する手 法(例えば、酵素標識固相免疫測定やゲルシフトアッ セイ等)にはない大きな利点であり、生体反応の分子 レベルでの理解に大きく寄与することができる。一方 で、測定の迅速性、簡便性から、SPRバイオセンサー の食品・環境分析等への応用も盛んに行われている。 本稿では、今後も様々な研究領域で効力を発揮するで あろうこのSPRバイオセンサーについて、測定原理、 測定手法を中心に紹介したい。 まず、SPRバイオセンサーの基盤となる表面プラズ モン共鳴現象について説明する。表面プラズモンとは 金属表面を伝播するプラズマ波のことを指す。金属の 内部は自由電子が規則的に整列した陽子の間を満たし た構造をしており、この自由電子は金属中を不規則に 動き回っている。このように、正および負の電荷が不 規則に動いているが全体として中性となっている状態 をプラズマ状態と言い、量子力学的な粒子の概念を付 与する場合にはプラズモンと呼ぶ。表面プラズモン共 鳴は、この表面プラズモンと光波との共鳴によって生 じる物理的な現象である。光により表面プラズモンを 生じさせるには普通に伝播するよりも遅い光が必要で あり、このような条件を満たすのがエバネッセント波 である。エバネッセント波は、光が全反射するときに はじめに 表面プラズモン共鳴現象

Vol.25 No.2,2006 92bunseki.kyushu-u.ac.jp/bunseki/media/092.pdf分析機器解説シリーズ(92) (2) 反射面の反対側に生じる表面波のこと である。SPRバイオセンサーで多用さ

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Page 1: Vol.25 No.2,2006 92bunseki.kyushu-u.ac.jp/bunseki/media/092.pdf分析機器解説シリーズ(92) (2) 反射面の反対側に生じる表面波のこと である。SPRバイオセンサーで多用さ

(1)

センターニュース92

Vol.Vol.25 25 No.2No.2,2006,2006

分析機器解説シリーズ(92)

分析機器解説シリーズ(92)

◆表面プラズモン共鳴バイオセンサー …………………………………………………P1

 お知らせ …………………………………………………………………………………………………

工学研究院応用化学部門 宗 伸明・今任 稔彦トピックス

◆職業性インジウム吸入による肺障害の病態と診断 ………………………P5医学研究院環境医学分野 田中 昭代、平田 美由紀

P8

表面プラズモン共鳴バイオセンサー工学研究院応用化学部門 宗 伸明・今任 稔彦

表面プラズモン共鳴(Surface Plasmon Resonance

; SPR)バイオセンサーは表面感応型の化学・生化学

センサーであり、1983年にLiedbergらにより初めて

報告されて以来1)、医薬生化学領域を中心に広く利用

されている。SPRバイオセンサーの最大の魅力の一つ

は、分子間の相互作用を放射性同位元素や蛍光色素等

の標識なしにリアルタイムでモニターできるというこ

とにある。リアルタイム計測であるため、生体分子間

相互作用の速度定数を正確に決定することも可能であ

る。これは、従来の平衡後の複合体の量を計測する手

法(例えば、酵素標識固相免疫測定やゲルシフトアッ

セイ等)にはない大きな利点であり、生体反応の分子

レベルでの理解に大きく寄与することができる。一方

で、測定の迅速性、簡便性から、SPRバイオセンサー

の食品・環境分析等への応用も盛んに行われている。

本稿では、今後も様々な研究領域で効力を発揮するで

あろうこのSPRバイオセンサーについて、測定原理、

測定手法を中心に紹介したい。

まず、SPRバイオセンサーの基盤となる表面プラズ

モン共鳴現象について説明する。表面プラズモンとは

金属表面を伝播するプラズマ波のことを指す。金属の

内部は自由電子が規則的に整列した陽子の間を満たし

た構造をしており、この自由電子は金属中を不規則に

動き回っている。このように、正および負の電荷が不

規則に動いているが全体として中性となっている状態

をプラズマ状態と言い、量子力学的な粒子の概念を付

与する場合にはプラズモンと呼ぶ。表面プラズモン共

鳴は、この表面プラズモンと光波との共鳴によって生

じる物理的な現象である。光により表面プラズモンを

生じさせるには普通に伝播するよりも遅い光が必要で

あり、このような条件を満たすのがエバネッセント波

である。エバネッセント波は、光が全反射するときに

はじめに

表面プラズモン共鳴現象

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分析機器解説シリーズ(92)

(2)

反射面の反対側に生じる表面波のこと

である。SPRバイオセンサーで多用さ

れるKretschmann配置と呼ばれる光学

系では、金属はプリズム表面に数十nm

の厚さでコーティングされており、光

照射時に金属薄膜を通りぬけてその反

対側にしみ出したエバネッセント波が

金属表面の表面プラズモンを励起する。

表面プラズモン共鳴が起こると光のエ

ネルギーは表面プラズモンに移動する

ため、反射光強度は減衰する。したが

って、光の入射角に対して反射光強度

をプロットした場合、反射光のある特

定の角度(SPR角度)で反射光強度が

減衰する。以上が、表面プラズモン共

鳴現象の原理である。

SPRバイオセンサーは上記の表面プラズモン共鳴

現象を利用したバイオセンサーである。SPRバイオ

センサーは、1990年にスウェーデンのPharmacia

Biosensor社(現Biacore社)により、BIACOREとい

う装置として初めて製品化された。これが、SPRバイ

オセンサーが現在のように広く利用される大きな契機

となった。現在では、Biacore社以外にも様々な会社

がSPRバイオセンサーを市販している。

SPRバイオセンサーによる測定の概念図を図1に示

した。表面プラズモン共鳴におけるSPR角度は、金属

薄膜表面近傍の媒質の屈折率に依存して変動する。従

って、センサーチップ上に計測対象とした分子(アナ

ライト)を認識するための分子(リガンド)を固定化

し、これにアナライトを含む試料を注入した場合、リ

ガンドとアナライトの結合に伴いセンサーチップ表面

の質量が増大するとともにセンサーチップ表面の屈折

率が増大し、その結果としてSPR角度が変化する。こ

の経時変化を図2で示すようなセンサーグラムとして

表示することで、センサーチップ表面における分子間

の相互作用をリアルタイムに計測することができる。

アナライトの注入後、緩衝液を流すことにより、リガ

ンドに結合したアナライトの解離反応が起こる。最後

に、pHあるいは塩濃度等が異なる洗浄用溶液を流す

ことで残存するアナライトをリガンドから溶出し、セ

ンサーチップを再生する。これが1サイクルの実験で

あり、再生されたセンサーチップは次の測定に使用す

ることができる。センサーチップの寿命はリガンドの

安定性や再生条件にも左右されるが、数十回から数百

回程度は使用できる。また、一般に1サイクルの測定

実験には濃度としておよそ10ー9~10ー3Mのアナライ

トが50~100μL程度必要であり、測定の所要時間は

10~20分程度である。

SPRバイオセンサーを測定に使用する際には、まず

アナライトを捕捉するためのリガンドを固定化したセ

ンサーチップを準備する必要がある。Biacore社から

はカルボキシメチルデキストラン薄膜でコーティング

されたセンサーチップ(CM5)が市販されており、

よく利用されている。リガンドの固定化法としては、

N-エチル-N'-(3'-ジメチルアミノプロピル)カ

ルボジイミドヒドロクロリド(EDC)とN-ヒドロキ図1 SPRバイオセンサーにおける測定の概念図

図2 SPRバイオセンサーの典型的なセンサーグラム

装置と測定原理

センサーチップの作製と測定応用

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分析機器解説シリーズ(92)

(3)

シスクシンイミド(NHS)でデキストランのカルボキ

シメチル基を活性化した後、タンパク質中のアミノ基

を介して固定化するアミノカップリング法が最も一般

的な手法である。カップリング反応後は、残存する活

性基を不活性化させるためにメタノールアミン等で処

理する。その他にも様々な固定化法が知られており、

例えばリガンドがタンパク質の場合には、予め固定化

した抗グルタチオン-S-トランスフェラーゼ(GST)

抗体を介してGST融合タンパク質を固定化する手法

や、同様に、予め固定化したニッケルキレート錯体を

介してヒスチジンタグ融合タンパク質を固定化する

手法等がある。これらの手法は、予め固定化された分

子との特異的な相互作用を利用して間接的に目的のリ

ガンドを固定化するため、固定化に伴うリガンドの変

質が抑制できるという利点がある。我々も、金結合性

ポリペプチドとプロテインGを積層した薄膜を介して

リガンド(抗体)を固定化する手法について報告して

いる2)。一方、DNAなどのリガンドを固定化する際に

は、ビオチン修飾リガンドをストレプトアビジン修飾

センサーチップに固定化する手法がよく用いられる。

また、単層の脂質膜を形成可能な疎水性表面を有する

センサーチップも報告されている。一般に、固定化す

るリガンドとしては50~100μg/mL程度の試料が

100μLほどあれば良い。

既に述べたように、SPRバイオセンサーで観測さ

れる角度シフトの大きさは、センサーチップ表面の屈

折率変化、言い換えれば質量変化に依存する。アナラ

イトがタンパク質のような高分子量物質の場合、アナ

ライトの結合に伴い十分なSPR角度シフトが観測さ

れるため、測定に問題は生じない。しかし、アナライ

トが化学物質のような小分子の場合、アナライトがリ

ガンドに結合しても大きなSPR角度シフトは得られ

ない。この問題を解決するために取られる手法が競合

法である。まず、小分子を認識するリガンドを固定化

したセンサーチップを用いる場合2)、計測対象とした

小分子を含む試料に対して一定量のコンジュゲートを

添加することで測定を行う。コンジュゲートとは結合

体の意であり、ここでは計測対象とした小分子を高分

子量のタンパク質等(例えばウシ血清アルブミン)に

結合したものを指す。コンジュゲートは高分子量であ

るため、センサーチップ上のリガンドに結合すると十

分なSPR角度シフトを誘起する。従って、測定におい

ては、試料中に含まれる小分子が少ないほど、より多

くのコンジュゲートがリガンドに結合し、結果、より

大きなSPR角度シフトが観測されることになる(直接

競合法)(図3⒜)。一方で、計測対象とした小分子を

リンカー等を介して固定化したセンサーチップを用い

る手法も知られている3-5)。この場合、小分子を含む

試料に対し、小分子を認識するリガンドを一定量加え

て結合反応を行った後、これをSPRバイオセンサーに

⒜ 直接競合法

⒝ 間接競合法

図3 競合法による測定の概念図  ⒜ 直接競合法  ⒝ 間接競合法

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分析機器解説シリーズ(92)

(4)(4)(4)

導入して測定を行う。添加したリガンドは、試料中の

フリーの小分子だけでなく、センサーチップ上に固定

化した小分子に対しても結合能を有する。リガンドは

通常、高分子量の抗体等であるため、結合に伴い十分

なSPR角度シフトを誘起する。従って、試料中に含ま

れる小分子が少ないほど、より多くのリガンドがセン

サーチップ上に固定化した小分子に結合することにな

り、結果、より大きなSPR角度シフトが観測される

(間接競合法)(図3⒝)。実際に、後者の競合法を内

分泌撹乱作用が疑われているビスフェノールA(BPA)

の測定に応用した時の結果を図4に示す5)。このよう

に、競合法ではアナライト濃度とSPR角度シフトの関

係はsigmoid curveとなる。

以上、SPRバイオセンサーについて、測定原理や測

定手法に関して基本的事項を中心に記述した。SPRバ

イオセンサーの実際の様々な応用例に関しては紙面の

関係上割愛したが、これについては他の文献を参考さ

れたい6-8)。また、SPRバイオセンサーの詳細な原理

や測定手法に関しても、多数の優れた成書・総説があ

る9-13)。SPRバイオセンサーが実に多様な測定に応用

される一方で、SPRバイオセンサーは装置的な面でも

著しく進歩している。例えば、SPRイメージング装置

などはその代表例であり、SPR光学顕微鏡やSPRタン

パクチップなどの応用が期待されている。我々もSPR

バイオセンサーを用いた環境汚染物質のフィールド分

析を目的とし、持ち運びが容易な小型SPRバイオセン

サーの開発を行っている(図5)14,15)。これらの装置面

での進歩も加わり、SPRバイオセンサーは今後更に様々

な研究において有効性を発揮するものと期待できる。

参考文献1)B. Liedberg, C. Nylander, I. Lundstrom, Sens. Actuators, 4,

299-304 (1983).

2)N. Soh, T. Tokuda, T. Watanabe, K. Mishima, T. Imato, T.

Masadome, Y. Asano, S. Okutani, O. Niwa, S. Brown, Ta-

lanta, 60, 733-745 (2003).

3)G. Sakai, S. Nakata, T. Uda, N. Miura, N. Yamazoe, Electro-

chim. Acta, 44 3849-3854 (1999).

4)N. Miura, M. Sasaki, G. Sakai, K. V. Gobi, Chem. Lett.,

342-343 (2002).

5)N. Soh, T. Watanabe, Y. Asano, T. Imato, Sens. Mater., 15,

423-438 (2003).

6)六車仁志, ぶんせき, 1, 38-42 (2003).

7)R. L. Rich, D. G. Myszka, J. Mol. Recognit., 13, 388-407

(2000).

8)R. L. Rich, D. G. Myszka, Curr. Opin. Biotech., 11, 54-61

(2000).

9)永田和宏, 半田宏 共編, 「生体物質相互作用のリアルタイム解析

実験法」, シュプリンガー・フェアラーク東京 (1998).

10)六車仁志, 「バイオセンサー入門」, コロナ社 (2003).

11)橋本せつ子, ぶんせき, 5, 362-368 (1997).

12)栗原一嘉, 鈴木孝治, ぶんせき, 4, 161-167 (2002).

13)笠井献一, 蛋白質 核酸 酵素, 37, 2977-2984 (1992).

14)A. Hemmi, T. Imato, Y. Aoki, M. Sato, N. Soh, Y. Asano,

C. Akasaka, S. Okutani, S. Ohkubo, N. Kaneki, K. Shimada,

T. Eguchi, T. Oinuma, Sens. Actuators B, 108, 893-898

(2005).

15)M. Kobayashi, M. Sato, Y. Li, N. Soh, K. Nakano, K. Toko,

N. Miura, K. Matsumoto, A. Hemmi, Y. Asano, T. Imato, Ta-

lanta, 68, 198-206 (2005).

図4 間接競合法による測定結果の例(BPAの測定) 図5 小型SPRバイオセンサー

おわりに

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トピックス

(5)(5)(5)

トピックス

職業性インジウム吸入による肺障害の病態と診断

医学研究院環境医学分野 田中 昭代、平田 美由紀

インジウム(Indium : In)は、原子番号49、原子

量114.8、比重7.30(20℃)、融点156.6℃、沸点

2,080℃の光沢のある銀白色の金属で、柔らかく、

可鍛性、展延性にすぐれている。インジウムは鉛や

亜鉛精錬の副産物として回収され、インジウムリン

(Indium phosphide : InP)やインジウムヒ素(Indium

arsenide : InAs)などの化合物半導体材料、蛍光体材

料、ボンディング材、電池材料、歯科用合金、低融点

合金として用いられてきた。日本のインジウムの需要

は世界最大であり、最近では、インジウム国内需要の

約90%がインジウム・スズ酸化物(Indium-tin oxide

: ITO)ターゲット材としてノート型パソコン、液晶

テレビやプラズマテレビのフラットディスプレイ、携

帯電話用の液晶ディスプレイの透明導電膜に用いら

れ、ITOターゲット材向けインジウム需要が急拡大し

ている。さらに、鉛フリー化に伴い、低融点合金とし

ての需要も増加している1)。

一方、今までインジウムの毒性情報が極めて少なか

ったことから、インジウム取り扱い作業者の健康影響

については特段の注意は払われず、逆にインジウム

は“安全な金属”として認識されてきた。しかし、

1990年代より、実験動物を用いたインジウム化合物

の毒性実験が行われ、毒性情報の知見が集まりつつあ

り、さらに、ヒトではITO製造に係わる研磨作業者に

おいて肺障害の症例2,3)が報告されるなど、インジウ

ム吸入による健康影響が注目されている。

ここでは、InP、InAs、ITOなどのインジウム化合物

の吸入による肺障害の病態と診断について紹介する。

インジウム化合物の生体影響は、投与経路や粒子

径、溶解性によって非常に異なる。不溶性のInPをラ

ットの気管内に投与した場合の最も顕著な急性影響

は、肺炎や肺胞上皮細胞の扁平化などの肺障害であ

る。極低濃度のInPの投与でも肺障害は引き起こされ、

量-依存性に発現する4-6)。

一方、ハムスターを用いた気管内投与による不溶性

のInP、InAsおよびITOの亞慢性および慢性影響を表1

に示している7-13)。粒子径が微細なInAsおよびInPは

粗大粒子に比べて肺障害性は強く惹起され、生体影響

1. はじめに

インジウム化 合 物

実験動物(観察期間)

肺    病    変 参 考 文 献

InP InAsハムスター(2年間)

肺胞蛋白症様病変、肺胞および細気管支上皮細胞の増生、肺炎、肺気腫、骨異形成

Tanaka et al. (1996)7)

InAsハムスター(8週間)

扁平上皮化生、角化を伴った限局性肺胞および細気管支上皮細胞の増生、肺炎

Tanaka et al. (2000)8)

InP InAsハムスター(2年間)

扁平上皮化生を伴った限局性肺胞および細気管支上皮細胞の増生、肺炎

Yamazaki et al (2000)9)

InPラット、マウス(2年間)

腺腫、腺がん、肺胞上皮細胞の異型増殖、活動性肺炎、間質の線維性増殖、肺胞および細気管支上皮細胞の増生

NTP (2001)12)

Gottschling et al. (2001)13)

ITO InPハムスター(16週間)

扁平上皮化生を伴った限局性肺胞および細気管支上皮細胞の増生、肺炎(InP)、肺炎(ITO)

Tanaka et al.(2002)11)

InAsハムスター(9週間)

扁平嚢腫、扁平上皮化生を伴った限局性肺胞および細気管支上皮細胞の増生、肺炎 

Tanaka et al. (2003)10)

2. 実験動物を用いた吸入および気管内投与によるインジウムの生体影響

表1 InP、InAsおよびITOの吸入および気管内投与による亞慢性および慢性影響実験

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トピックス

(6)

は粒子径に依存すると考えられる7,8)。微細なInAsや

InP粒子のハムスターへの反復気管内投与によって、

著しい体重増加の抑制、重度の肺炎、肺の線維化、蛋

白症様病変、前がん病変と考えられる肺の限局性扁平

上皮の増生、扁平嚢腫が発生し、InAsやInPの発がん

性が強く示唆された8-10)。さらに、InPに比べて肺炎

や線維組織の増殖など肺障害性の程度は軽度ではある

が、インジウム・スズ酸化物(ITO)の気管内投与に

よって肺障害が発現することが明らかになった10)。

また、InAsやInPの気管内投与による血清中インジウ

ムの半減期が約420日と非常に長く9)、肺障害が長期

間にわたって持続するが、このことは肺組織中からの

InAsやInPの排泄が遅く、これらの粒子が長く貯留す

ることによって肺胞上皮細胞や肺胞マクロファージ

に対して持続的な障害を引き起こしていると考えられ

る。

アメリカのNational Toxicology Program12)および

Gottschlingら13)はInPの吸入曝露実験を行い、肺の発

がん性を報告した。雌雄のラットおよびマウスを用い

てInPの0.03mg/㎥の曝露濃度では2年間、0.1 mg

/㎥および0.3mg/㎥の曝露濃度では22週間(ラッ

ト)および21週間(マウス))の吸入曝露を行い、肺

腺腫と腺がんの発生率が最低曝露濃度の0.03mg/㎥

群を含むすべての曝露群で対照群に比べて有意に増加

した。InPの肺での半減期は、マウス(0.1mg/㎥群;

144日、0.3mg/㎥群;163日)およびラット(0.1mg

/㎥群;262日、0.3mg/㎥群;291日)で、非常に

長く、InPが肺内に長期にわたって貯留することによ

って炎症が慢性的に持続し、そのために酸化的ストレ

ス、DNA傷害を引き起こし、肺胞・細気管支上皮の増

生から肺がんへと進展すると推測されている13)。

NTPにおけるInPの吸入曝露実験の結果から、

2003年の国際がん研究機関(International Agency

for Research on Cancer ; IARC)の専門家会議で、

InPの発がん性はGroup 2A(ヒトに対しておそらく発

がん性がある)と評価された。

現在までにインジウム吸入による肺障害の症例報告

は下記の2例が報告されている。2001年にITOの吸入

に起因すると考えられる肺の間質性肺炎による死亡例

が世界で初めて発生した2)。この症例では、1994年

から1997年の約3年間ITOの加工、研磨に従事して

いた。肺の生検による病理組織検査では、間質性肺炎

の病像を示し、微細粒子が多数散在し、肺に沈着した

微粒子のX線解析の結果、インジウムとスズが検出さ

れ、血清中からは290μg/Lのインジウムが検出さ

れた。2001年に両側性の気胸により死亡している。

2002年に別のITO作業者の肺線維症の症例が報告3)された。この症例は、1994年から1998年までの

約4年間ITO作業に従事し、1998年以後ITO作業か

ら離れていた。2002年時の血清中インジウム濃度は

51μg/L、KL‐6値は799U/mL(基準値<500)で

あった。肺組織中に沈着した微粒子からインジウムと

スズが検出され、肺生検の病理組織検査より肺線維症

および肺気腫と診断された。

肺障害がインジウムに起因するのかどうかの鑑別診

断にはICP-MSを用いた血液中のインジウム濃度の測

定と肺の生検による病理組織を用いてのX線分析が有

用である。健常人の血清インジウム濃度は0.1μg/L

以下という報告14)があり、インジウム吸入に起因す

ると考えられる上記2症例の血清インジウム濃度は健

常人の少なくとも500倍~3,000倍の高値を示して

いた。肺病理組織中の粉塵の同定は走査型電子顕微鏡

とエネルギー分散型X線分析装置を用いて行う。イン

ジウム取り扱い工場の作業者は過去にさまざまな金属

を含む粉塵を吸入していた可能性があるので、現在お

よび過去の取り扱い粉塵の聞き取り調査は重要であ

る。図1に肺組織中から検出された金属の分析結果の

3. ヒトに対するインジウムの影響

4. インジウム吸引に起因する 肺障害の鑑別診断

図1  肺組織中に沈着した粒子のEDX-SEMによる元素分析    アルミニウム、シリコン、ジルコニウム、インジウムが検

出された。

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トピックス

(7)

一例を示している。肺胞マクロファージが様々な粉塵

を貪食し、アルミニウム、ジルコニウム、シリコン、

インジウムが検出された。肺組織中に沈着している金

属の定量には、病理組織標本からの測定は困難である

ので、外科的に切除された肺組織を用いて誘導結合プ

ラズマ質量分析装置(ICP-MS)による分析を行うこ

とが望ましい。

現在までに、金属としてのインジウムの生体影響に

関する知見は見当たらず、インジウム化合物の生体影

響についてもまだ十分には解明されていない。しか

し、ヒトにおいて、ITO吸入に起因すると考えられる

2例の間質性肺炎や肺の線維症の症例2,3)が報告され、

さらに、動物実験でInPの発がん性は明らかになり、

InAsの発がん性も強く疑われている。InP、InAs、ITO

のインジウム以外の構成元素の影響も考慮しなければ

ならないが、インジウムが発がんや肺障害発現の主因

であると考えられる。一旦肺に沈着したインジウム化

合物は、肺からの排泄が非常に遅いために長期間にわ

たって肺内に貯留すると考えられる。これらのインジ

ウム化合物粒子あるいはそこから溶解してきた微量の

インジウムが持続的に肺や全身性に障害を発現してい

ると推測され、発がん性を含めた慢性影響について

は、十分に注意を払う必要がある。

今後ITOとしてのインジウム需要の増加に加えて、

鉛フリーはんだとしても需要増加が見込まれ、さらに

インジウムを使用している製品のリサイクル作業での

曝露機会の増大が考えられる。インジウムは“安全な

金属”ではなく、“有害性のある金属”として認識す

る必要があり、インジウム化合物取り扱い職場の環境

改善をはかるとともに生体影響に関する知見の集積が

望まれる。

参考文献1)Arumu Publishing Co. Indium: In Industrial rare metals.

No.120, Tokyo, Arumu Publishing Co., 108 - 109 (2004)

(in Japanese)

2)T. Homma, T.Ueno, K.Sekizawa, A Tanaka, and M. Hirata, J.

Occup. Health, 45,137-139 (2003)

3)S. Homma, A. Miyamoto, S. Sakamoto, K. Kishi, N. Motoi,

and K.Yoshimura, Eur.Respir. J., 24,200-2004 (2005)

4)W. Zheng, S.M. Winter, M.J. Kattnig, D.E. Carter, and I.G.

Sipes, J. Toxicol. Environ. Health, 43, 483-494 (1994)

5)T.Uemura, K. Oda, K. Omae, T. Takebayashi, T. Nomiyama,

C. Ishizuka, K. Hosoda, H. Sakurai, K. Yamazaki and I.

Kabe, J. Occup. Health, 39, 205-210 (1997)

6)K. Oda, Ind. Health, 35, 61-68 (1997)

7)A.Tanaka, A. Hisanaga, M.Hirata, M. Omura, Y. Makita, N.

Inoue, and N. Ishinishi, Fukuoka Acta Medica 87, 108-115

(1996)

8)A. Tanaka, M.Hirata, M. Omura, Z. M.hao, Y. Makita, K.

Yamazaki, N. Inoue, and K. Gotoh, Fukuoka Acta Medica,

91, 21-33 (2000)

9)K.Yamazaki, A. Tanaka, M.Hirata, M.Omura, Y. Makita,

N. Inoue, K. Sugio, and K. Sugimachi,. J. Occup. Health,

42,169-178 (2000)

10)A. Tanaka, M. Hirata, and M. Omura, J. Occup. Health,

45, 405-407 (2003)

11)A. Tanaka, M. Hirata, M. Omura, N. Inoue, T. Ueno, T.

Homma, and K. Sekizawa, J. Occup. Health, 44, 99-102

(2002)

12)National toxicology program:NTP TR 499, U.S. Depart-

ment of health and human services, Public Health Service,

National Institute of Health (2001)

13)B.C. Gottschling, R.R. Maranpot, J.R. Hailey, S. Peddada,

C.R.Moomaw, J.E. Klaunig, and A. Nyska, Toxicol. Sci., 64,

28-40 (2001)

14)M. Chiba, Nippon Rinsho, 54, 179-185 (1996) (in Japa-

nese)

【日本経済新聞 平成18年3月17日(金曜日) より掲載】

5. おわりに

Page 8: Vol.25 No.2,2006 92bunseki.kyushu-u.ac.jp/bunseki/media/092.pdf分析機器解説シリーズ(92) (2) 反射面の反対側に生じる表面波のこと である。SPRバイオセンサーで多用さ

(8)

九州大学中央分析センターニュース第92号 平成18年4月1日発行 九州大学中央分析センター(筑紫地区)〒816-8580 福岡県春日市春日公園6丁目1番地TEL 092-583-7870/FAX 092-593-8421 九州大学中央分析センター伊都分室(伊都地区)〒819-0395 福岡市西区元岡744番地TEL 092-802-2857/FAX 092-802-2858 ホームページアドレスhttp://www.bunseki.cstm.kyushu-u.ac.jp

 先日のWBCの決勝戦でのキューバの追い上げには逆転されるかと手に汗を握る状態でしたが、最後に突き放したのは見事でした。チーム全体の最後まであきらめない姿勢と気迫には感動しました。成田でのヨン様(死語)顔負けのファンの熱烈な歓迎とフラッシュの嵐にある投手がこういう歓迎は初めてとコメントしていたのがプロ野球の一面を垣間見たようで少し意外でした。何事もあきらめないで最後まで力を尽くすということを改めて考えさせられた出来事でした。 (M・W)

編集後記

 中央分析センターでは、全学的な分析機器の共同利用の一層の充実を図るため、随時「登録装置」を募集しています。

登録装置 Q and A●利用料金は?/各研究室で自由に設定できます。全額研究室に移算されます。●利用料金の計算は?/利用料金の計算及び移算手続きは分析センターが代行します。●装置の設置場所は?/現在設置されている場所です。移動する必要はありません。●負担が大きくなるのでは?/負担分を考慮して、利用経費を設定して下さい。●面倒では?/否定はできませんが、全学的視点から装置が効率的に利用でき、学内の相互協力の実現というメリットを

ご考慮いただければ幸いです。

●手続きは?/登録装置システムにご賛同いただけましたら、「装置登録依頼書」(用紙はダウンロードするか、センターに要求して下さい)に必要事項をご記入の上、分析センターへお送りいただくだけです。

登 録 装 置 募 集 中 で す登 録 装 置 募 集 中 で す

お 知 ら せお 知 ら せお 知 ら せ(1)分析センター(筑紫地区)では平成17年3月18日に

NMR(500MHz)のコンピュータや 測定システムを日

本電子社製からバリアン社製に更新しました。この時、

超伝導磁石はそのままで従来使用して来た磁石をその

まま使うようにしました。ところが、2日後の平成17

年3月20日(日)の福岡県西方沖地震により、超伝導

磁石がクエンチし、再起不能となりました。その後、

時間がかかりましたが、平成18年3月中古の超伝導磁

石を導入し、ようやくNMRシステムが稼動するように

なりました。

  つきましては、NMR取り扱い説明会のための参加人数

調査行います(NMR室が狭いため、人数調整が必要)。

参加ご希望の研究室は人数とメールアドレスを下記ま

でご連絡ください。

  開催時期 4月後半

  開催場所 中央分析センター(筑紫地区)

  説明内容 1次元プロトン、カーボン測定操作など(1日目)

       1次元多核測定操作など     (2日目)

       2次元gCOSY, NOESY, gHMQCなど(3日目)

説明会当日、何かご要望がありましたら、メールにて

お知らせください。

〈連絡先メールアドレス〉[email protected] (坂下寛文) 

または

[email protected] (渡辺美登里)

(2)分析センター(伊都地区)では、各方面のご協力によ

り下記の装置のコンピュータのアップグレードが可能

になりました。

●FT/IR-620のコンピュータをWindowsXPへ。

●AFMのコンピュータをWindowsXPへ。これにより

データ保存の制限が解消しました。

  これまで以上に操作性が向上していますので、どうぞ

ご利用下さい。