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5.2 社会的知能を目指して 人狼ゲームのプレイヤには、従来の将棋や囲碁のように,単に決められた問題空間か ら最善手を探すための能力だけを求められているのではない.他のプレイヤとかかわ る中で、協調的・競争的に行動しながら、時には現状から解決すべき問題を他のプレイ ヤと共有するなど、小さいながらも「社会」の中で適切にふるまう能力が求められる。 ここでは、複数のプレイヤ同士で協調・競争しながら対戦する場(社会)を内包する人 狼ゲームのプレイヤに求められる,「社会性」を満たすための知能,すなわち社会的知 能に関して考えてみよう。社会知能とは何であり、それをエージェントプログラムとし ては実現するためには何を評価して何を実装する必要があるのだろうか。 5.2.1 社会的知能とは 集団で活動する生物は、協力相手であり競争相手でもある他の個体と同じ空間で 生活する。このような環境下では、各々の個体が個の利益を追求するだけでは集団 が安定して成立することはない。かといって集団の利益のみを優先してしまうと個 として存在する意義を示すことが難しくなる。このように、個と集団の利得が複雑 に絡み合う環境では、他者よりも優位に立つためには、各個体が他の個体が知って いると思われる情報や知識を推測できるなど、高度な知能を備えていることが求め られる。 例えば、場に残るプレイヤが 3 人で人狼役のプレイヤは残り一人となる状況の時、 人狼役のプレイヤは追放者として投票するプレイヤを適当に選んだのでは,勝つ確 率を低くなるだろう。追放する段階で、プレイヤ A がプレイヤ B を強く怪しいと思 っていることが分かっていれば、人狼もプレイヤ B に投票することで優位な状況を つくれる。このような行動を実現するには、人狼役のプレイヤは他のプレイヤの行 動を観察して、そのプレイヤがどのような情報を持っていて、何を目的に行動して いるのかを、仮説を立てての推論や、プレイヤ間の関係性から把握することが求め られる。そのうえで、他者の行動を自分の活動プランに含めたうえで、ゲームに勝 つための行動を実行するという社会的な活動が最低限必要である。これらは、単純 にコミュニケーションを介して自身の内的な状態()を表現しただけでは実現でき るものではなく、「社会」の存在を前提とした活動となる。 このような社会的な活動に必要とされる知能が「社会的知能」と呼ばれる。社会 的知能とは、逆説的に社会のような集団における関係性の認知のために発達が促さ れた知能(マキャベリ的知能)とも言われる。人狼ゲームには、このような社会的知 性を伴う行動が必要とされる複雑さがある程度内包されていると考える。まず、人 狼ゲームは、複数人数にて行なわれるゲームである。そして、1.2 節にあるように、 村人側と人狼側という2つの陣営が少なくとも存在して、人狼役のプレイヤ同士な ど一部を除いてプレイヤ同士は互いに属する陣営を確定的に知るすべがない。この

「人狼知能」没原稿 社会的知能を目指して

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5.2 社会的知能を目指して 人狼ゲームのプレイヤには、従来の将棋や囲碁のように,単に決められた問題空間か

ら最善手を探すための能力だけを求められているのではない.他のプレイヤとかかわる中で、協調的・競争的に行動しながら、時には現状から解決すべき問題を他のプレイヤと共有するなど、小さいながらも「社会」の中で適切にふるまう能力が求められる。ここでは、複数のプレイヤ同士で協調・競争しながら対戦する場(社会)を内包する人狼ゲームのプレイヤに求められる,「社会性」を満たすための知能,すなわち社会的知能に関して考えてみよう。社会知能とは何であり、それをエージェントプログラムとしては実現するためには何を評価して何を実装する必要があるのだろうか。

5.2.1 社会的知能とは

集団で活動する生物は、協力相手であり競争相手でもある他の個体と同じ空間で生活する。このような環境下では、各々の個体が個の利益を追求するだけでは集団が安定して成立することはない。かといって集団の利益のみを優先してしまうと個として存在する意義を示すことが難しくなる。このように、個と集団の利得が複雑に絡み合う環境では、他者よりも優位に立つためには、各個体が他の個体が知っていると思われる情報や知識を推測できるなど、高度な知能を備えていることが求められる。 例えば、場に残るプレイヤが 3人で人狼役のプレイヤは残り一人となる状況の時、

人狼役のプレイヤは追放者として投票するプレイヤを適当に選んだのでは,勝つ確率を低くなるだろう。追放する段階で、プレイヤ A がプレイヤ B を強く怪しいと思っていることが分かっていれば、人狼もプレイヤ B に投票することで優位な状況をつくれる。このような行動を実現するには、人狼役のプレイヤは他のプレイヤの行動を観察して、そのプレイヤがどのような情報を持っていて、何を目的に行動しているのかを、仮説を立てての推論や、プレイヤ間の関係性から把握することが求められる。そのうえで、他者の行動を自分の活動プランに含めたうえで、ゲームに勝つための行動を実行するという社会的な活動が最低限必要である。これらは、単純にコミュニケーションを介して自身の内的な状態(心)を表現しただけでは実現できるものではなく、「社会」の存在を前提とした活動となる。 このような社会的な活動に必要とされる知能が「社会的知能」と呼ばれる。社会

的知能とは、逆説的に社会のような集団における関係性の認知のために発達が促された知能(マキャベリ的知能)とも言われる。人狼ゲームには、このような社会的知性を伴う行動が必要とされる複雑さがある程度内包されていると考える。まず、人狼ゲームは、複数人数にて行なわれるゲームである。そして、1.2 節にあるように、村人側と人狼側という2つの陣営が少なくとも存在して、人狼役のプレイヤ同士など一部を除いてプレイヤ同士は互いに属する陣営を確定的に知るすべがない。この

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ような状況下では、プレイヤは「仲間」と「敵」の存在を意識したうえで、他のプレイヤの行動意図や関係性に着目して情報を集めて「味方」だと思えるプレイヤを確定させる行動が必要である。そうでなければ、前節でも述べたように、ランダムに追放するプレイヤを決めていては村人側が人狼側に勝つことは難しい。そして、協調的な行動が基本的にできるようになると、次に人狼側のプレイヤは、役職として与えられた能力などを利用した「欺き」や他のプレイヤの「操作」などの行動で対抗する必要がある。それに対して、村人は、相手の操作意図を読むことで「騙された振り」などの行動を行うことで対抗することになる。このように、プレイヤが人狼ゲームに勝ち続けるためには複雑な知性を実現する必要がある構造が内包されている。 なお、本章であつかう社会的知性とは、集団内での競争・協調活動を行いながら

優位に立つために必要な非身体的な能力とする。ただし、社会的知能と一言で言っても、その解釈は多岐にわたる。いわゆるIQと呼ばれる個人の知能を集団にたいして相対的に数値化する試みのなかに SQ (Social Intelligence Quotient)と呼ばれるものがある。この SQと呼ばれる指標も人間関係があることを前提としたうえでの、社会性や社交性、コミュニケーション能力など、社会的生活に欠かせない知性を対象として数値化を試みている点では、本章で対象とする社会的知能と大きな違いはないと考える。これら社会的知性に関して、他者の意図理解、欺き・操作、自己把握と伝達という観点から、人狼ゲームをプレイするのに必要な知性を整理して、それらを実装するための方法論を議論する。

5.2.2 動機・意図の推定

人狼ゲームにおいて、プレイヤが他者の行動意図を正確に把握できることは、ゲームの展開において優位に立つために必要である。他者の行動意図を把握するには、ある状況において選択肢となりうる行動との組み合わせのような一般的な行動パターンをあらかじめ把握しておいたうえで、その行動をしたプレイヤがおかれている状況を推測することになる。 例えば、ゲームの序盤で「占い師が CO をするべきか,潜伏すべきか」を場に問

うプレイヤがいたとしよう.このとき,場の状況として想定されるケースとしては、 1) ゲームの状況的に狩人プレイヤがいるので提案した

2) 自分が占い師でCOするかどうかの判断を村に委ねている 3) 人狼側で占い師の偽 CO を考えている などがある。この占い師 CO に関する発言をしただけでは、発言をしたプレイヤ

に関してなにか情報を確定することはできない。だが、2) もしくは 3) のケースであった場合「その後村の合意として占い師 CO められたときには、その発言をしたプレイヤによる占い師 CO が行われる可能性が高い」という状況を想定して場の流

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れを注視する必要がある。 このように、一つの行動だけみても、その前後の行動とのつながりを含めて思考

することで、他者のおかれている状況と行動意図がある程度透けて見えてくることがある。ある行動からプレイヤの行動意図を推定しようとすることで、人狼ゲームでは直接的に観察することができない村の状況をある程度限定するや、想定される行動など注視すべきことへの準備ができる。だが、このように行動からプレイヤがおかれた状況を推定しようとするだけでは、意図を絞り込むには十分とは言いがたい。例えば、上記の状況において、占い師にしても人狼にしても、役職を持ったプレイヤは、基本的にゲームの早い段階からに目立つ行動は避けたいという心理が働く。そのため、できるなら「役職」を連想させる発言を自らすることは避けたい。だが、COをするには、場にCOしやすい環境があるのが望ましいので、可能であれば(そのプレイヤ視点で)1になる状況となることがCOをするプレイヤにとっては望ましい。COを考えているプレイヤは、そのような状況をつくるために、どのプレイヤが発言してくれそうなのか、そしてそれ以外のプレイヤが同調して流れをつくれそうなのかを思考する、つまり他のプレイヤの心の状態を解釈して行動を決める必要がある。 このようにある主体が、他者の目的や意図、知識、信念などを解釈して自分の行

動を調整することを「心の理論」と呼ぶ。「心の理論」の研究は、霊長類研究者のプレマックとウッドルフの「チンパンジーは心の理論(a theory of mind)を持つか?」(参考文献)から始まり、主に心理学分野にて研究されてきたが、特に認知モデルや人工生命の研究において人工知能との関連も深い(参考文献)。 「心の理論」によれば、我々は、他者が行為をする際に、彼らが何を欲し、何を

考え、そして何かを予測したうえでそう振る舞った、と考えたうえで自らの行動を決めている。つまり、我々は、他者のなかに「心」があるものと見なしており、その心を読んで行動を決めている、と考えられる。例えば、先の占い師 CO の場面では、相手の心の状態を、情報がほしくて占い師COを提案した村人プレイヤととらえるか、それともCOを検討していた役持ちプレイヤととらえるか,で注目すべき行動など全く異なるだろう。対象が「心」を持つ対象の集団において何か行動するには、それぞれの対象の心的状態とその変化も含めて考慮したうえで相手の行動を推測することで、他者より優位に立てる可能性が高くなる。もちろん、「心」を想定しないで、すべてのプレイヤは常に合理的に行動すると仮定してしまえば、プレイヤの行動からすべての場合における妥当性などの状況の評価や、状況の変化の統計的分析より状況が確率的に推移するものとして表現することが可能である。しかしながら、リアルタイムに状況がすすむ対面人狼や、情報が文字のみに制限されるBBS人狼では常に合理的に行動を行うという仮定は成り立たず,「心」を想定した行動決定が必要となる.

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「心の理論」に基づく振る舞いを、人間とコンピュータの相互作用,すなわちヒューマンコンピュータインタラクション(HCI)の文脈で考えると、プログラムが人間の表情や行動の意図を言語情報だけで無く非言語情報(表情や動作)も利用して,他のプレイヤの心的状態を推定して理解してインタラクションの提示をすることになる。さらに、ヒューマンエージェントインタラクション(HAI)の文脈まで拡張すると、エージェントが内面にある(と想定される)感情に基づいて表情をつくる,などを行って他者に情報を伝達することも重要になってくる。その意味では,社会的知能の一つとして、他者の視線の判別や表情の理解などの情報抽出も重要な技能ではある。そのうえ、様々な情報があふれる実空間では、環境から得られる情報すべてを使うことは難しいため,注意すべき情報の選択・不選択や他者の行動の模倣などにより意思決定に必要なコストの削減を図る必要がある。このような処理コストの問題は、一見個人の知能だけの問題であるように思われるが、情報処理能力の向上や処理の最適化は、他者が持つ能力と、取得すべき、もしくは伝達される情報の内容・質と密接な関係にある。(事例をいれるか?) 本来,社会知能の実現の上で社会環境は無視できない。ただし、現在の人狼知能

プロジェクトの取り組みは主にソフトウェアエージェントを対象としたシミュレーションであるために考慮に入れる必要性は大きくない.とはいえ,将来的に実環境での対戦も想定している以上,いずれ社会環境を考慮することも必要となってくるだろう。 なお、対象がいわゆる無生物であれば、その「動き」は物理法則に支配されてお

り、ノイズが入る可能性を除いて対象の次の状態は決定的であると見なせる。よって、我々は、対象が「心」を持つか否かを判断していると思われる。ただし、人狼ゲームでは基本的に人間同士の戦いであるために、その必要はないかもしれない。だが、将来的に人狼エージェントも交えてゲームが行える状況となった場合、相手が本当に「心」を持つのか疑う必要もなくなったとき、人狼知能プロジェクトとしては、一つのゴールを達成できたといえる。

5.2.3 欺きと社会的操作行動

人狼ゲームにおいて人狼となったプレイヤは、当然ながら自分が人狼であることがバレないようにしつつ、人狼側のプレイヤにとって有利となるように行動を選択することになる。人狼であることがばれないようにするためには、黙ってプレイをするだけでなく、村人を追放するときの投票や発言を通して、自分が村人側のプレイヤであると思われるように「欺く」ことが必要である。村人側のプレイヤを欺くことで、一時的かもしれないが、疑いの目から逃れられている間に、自分が人狼であることが確定的にならないように役職をもったプレイヤを場から排除するなどして、有利な状況を作り出すことを画策する。場合によっては、人狼たち以外を疑っ

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ていそうなプレイヤを残すことで、人狼以外のプレイヤが追放されやすい状況とすることもあるが、人狼側にとって都合のよいプレイヤを排除したり残しているだけでは、その選択が誰にとって都合のよい選択であるかという意図を読まれることで、人狼側のプレイヤが見え透けてしまうこともある。そのような「心」の読み方をするプレイヤが場に多くいる時には、人狼側以外のプレイヤにとって都合のよい排除と見えるように行動することで、無関係なプレイヤに疑いを向けられることが期待できる。このような他のプレイヤを欺くことや、利用(操作)することで、自分が優位となる状況を作り出す能力も人狼ゲームにおいてプレイヤに求められる社会的な知性である。 「欺く」という表現は聞こえが悪い。特に、人狼側のプレイヤの場合は、偽の役

職をCOして「嘘」をつかざるを得ないゲームでもある。そのため、『人狼ゲームとは嘘をうまくつくゲーム』である、と言われてしまうことも多々ある。だが、1.2 章で述べているように、我々は、プレイヤが村人側人狼側どちらであるかに関わらず、それぞれのプレイヤが他のプレイヤから如何にして信頼を勝ち得るのか、ということがこのゲームの本質と考えている。例えば、占い師の役になったプレイヤが、ある場面で自分が占い師であることをCOして占い結果を報告したとしても、そのCOのタイミングや占った相手の選択方法によっては信じてもらえず、『本当のことを言ったのに疑われる』という状況は多々ある。なぜ、そのような状況が起きてしまうのだろうか.単に,疑っているプレイヤが人狼陣営に属しており,簡単に本物の占い師が確定しては困るという場合があるだろう.それ以外には、各々のプレイヤが知っている情報のズレがあるために、他のプレイヤが想定していた状況とは異なる回答であったことで信頼を勝ち取れなかった場合なども考えられる. 人狼ゲームにおいて、プレイヤは、他のプレイヤから信頼を得るため、それぞれ

のプレイヤの立場からどのような事実が必要で、どのような理由から自分の行動を説明したら納得できるのかを、プレイヤは(可能な限り)論理的に導出する必要があるゲームといえる。よって、時には、本当ではないことのほうがより真実味を持つこともあるし、本当のことだけを言っていたとしても嘘っぽくとられてしまうことある。 この欺き行為は、「欺く」情報がどこで生じるかによって、機能的欺きと意図的欺

きとの二つに分類される(参考文献)。機能的欺きとは、ある個体の行為が他者の行動を誤りに導く行為であり、ある文脈で一般的に行われる行為を別の文脈で行うことで、その行為が一般的な文脈で行われたと理解させることで欺く行為である。機能的欺きにおいて、その欺く情報は、欺くことを企てる主体から発せられる。具体的には、人狼が行う偽 CO も機能的欺きの一つである。 一方、意図的欺きとは、ある個体の行動が信念や願望に基づいたものでありなが

ら結果的には事実と異なったそれを表明する行為である。つまり、意図的欺きにお

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いて、「欺く」ための情報が、行為者ではなく標的個体の中で生成される。そのため、意図的な欺きを行う主体は、自分自身が何をしたいと思っているのかを知っている必要があると、同時にこれから行う行為によって相手の心的状態にどのような影響を与えるのかを理解している必要がある。例えば、あるプレイヤがゲームの初期段階で「狩人に守ってもらえるといいな」という発言をした場合、そのままの意味で受け取れば自分以外のプレイヤの狩人への期待を込めた発言になる。だが、その発言したプレイヤが実は狩人であった場合には,狩人をゲームの場から排除したいであろう人狼役プレイヤに対して、そのプレイヤは狩人ではないかもしれない、と欺くことに成功する可能性がある。もちろん、「狩人が別にいると思わせる」ことを意図した意図的欺き行為も、ある程度経験を重ねたプレイヤ同士の戦いになると、役職に関わるような発言をするプレイヤはその役職である可能性が高いという文脈でとらえるようになり、欺くつもりが逆に自分の正体を吐露しているだけということもありうる。 以上のような、短期的な目標の達成を目的とした(戦術的)欺きは、Whiten と

Byrne らにより、以下の5つの機能的クラスに分類されている(参考文献)。

・隠蔽 何かしらを標的個体から隠すことを目的とした行為

・はぐらかし 標的個体の注意を、現在それが向けられているところから別のところへと

そらすことを目的とした行為 ・イメージを作る

はぐらかしのように、標的個体の注意に直接的に働きかけるのではなく、標的個体が行為者の行為を誤解するような印象をつくりだすことを目的とした行為

・社会的道具を用いた標的個体の操作 ある個体を道具として利用して、行為者の利益になるように、標的個体に影

響を与えようとする行為 ・標的個体を身代わりのほうにそらす

標的個体の注意を、他の個体にそらすように働きかける行為 「欺き」の多くの場合は、隠蔽かはぐらかしとされている。日常社会における行

為であれば確かにこれらでも十分に目的を果たす可能性は高いが、それらが当たり前な状況である人狼ゲームにおいては、単純な隠蔽やはぐらかしではゲームの展開を左右するほどのことが起きることはすくない。そのため、欺きに関しても、一人プレイヤの行動だけで成立することは期待できず、他者の操作や他者との連携が必

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要である。例えば、3人の人狼役プレイヤが規定されているゲームにおいて、場に占い師の CO が 2 人いる状況で、3 人の霊媒師の CO が行われたとき、役職によって霊媒師の CO をしやすい(と思われる)順番が存在する。例えば、プレイヤが狂人である場合他の役職が誰なのかわからないため最初にCOすることが一番リスクは低い。なぜなら、二人目に CO する場合には一人目の CO が人狼の場合があり、最後に CO するとしても霊媒師COが3人もいたときには、確実にその中に人狼がいることが場の全員に知られてしまうためである。特にすでに占い師 CO が2人いる状況では、人狼側に与えるリスクは高く、3番目のCOは本物の霊媒師であると思われる可能性が高いと判断される可能性が高い。このような順番も、その場にいるプレイヤの経験によって形成されている「常識」により異なる。そもそも、経験が浅く基本的な知識を持たないプレイヤ相手では、CO する順番がもつリスクが認識できず、どの順番で行うかによって伝えようと思った情報が受理されないこともある。そして、ある程度、知識を持った相手には、3番目にCOすることで本物の霊媒師らしく思われることを考えて選択をできることになる。 このような状況は、人狼ゲームのプレイを見せるイベントである『アルティメッ

ト人狼』のあるゲームで実際に発生している.その時には占い師としてすでに人狼が一人COしている状況で、3番目に霊媒師として CO した人狼が仲間の人狼と敵対し,本物の占い師の味方に付くという行動選択をして、最終的に人狼側の勝利となった。もちろん、そのゲームはそれだけで人狼が勝ったわけではないが、人狼ゲームでは、他のプレイヤが持っている信念(情報)や指向を鑑みて振る舞うことで他者を利用して、矛盾のない行動を積み重ねることで、信頼を構築することが重要である。そのため、特に欺き行為をするプレイヤには、少なくとも多次的な「心の理論」の解釈が可能な程度の知性が備わっていることが勝利するのに必要である。

5.2.4 自己理解・自己伝達

他者の意図の理解や欺きを行うためには、「自分」を理解している必要がある。具体的には、「自分」が何を目指して(ゴールとして)いるのか、そしてそのために何をしようとしているのかである。多くの人工知能の課題では、そのゴールは明示的に与えられていることが多い。将棋や囲碁であれば、プレイヤはあらかじめ決められた勝利条件に向かって勝つために行動する。サッカーでは、相手ゴールにボールを入れるという目標が決まっていて、それを実現するために必要な行動を選択する。つまり、どのような状況になればよいのかという目標状態が決まっている。 しかしながら、人狼ゲームでは、その状態が明示的にはなっていない。もちろん、

人狼ゲームにも勝利条件はある。簡単にいえば、村人側プレイヤであれば人狼役のプレイヤを排除すること、そして、人狼側プレイヤであれば人狼と村人とが同数になること、である。では,この勝利条件をもとに、どのような目標状態を想定すれ

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ばよいのだろうか.人狼役のプレイヤのみであれば状況が村人以上に分かっているため,ある程度目標を設定しやすいかもしれない。一方で,村人側のプレイヤは、場にいるプレイヤの敵味方が確定できない状況であるため、例え自分が最後まで生き残ることを仮定したとしても、もう一人誰を残すことで勝利条件を満たせられるのかは確定できない。すなわち勝利条件を満たすための道筋が明らかでは無いため、状況の変化に応じて目標状態を設定し、それに対して自分がどう行動するのかを定めていく必要がある。 このような状況は、サッカーにおいて敵と味方のゴールはわかっていても、誰が

敵で誰が味方かわからない状況でパスを出さなければならない状況に近い。サッカーなど実際の球技では、敵と味方がわからない状況などありえないが、日常生活では、自分がおかれた環境でなにが問題であるのかわかっていないことはよくある場面である。そのような状況に置かれたときには、今自分が「なにをしたいのか」「なにができるのか」「なにをすべきなのか」などと面倒なことは考えないで、ただ決められたことをこなして日々を過ごすほうが集団で生活するうえでは楽なことではある。だが、どんな状況でも、自律的に行動できる個体のほうが社会的な存在として優れているといえるのではないだろうか。 さて,人狼ゲームのプレイ中に、時には自らを犠牲にすることで、他のプレイヤ

に情報を与える場合がある。たとえば、役職をもつプレイヤが場から排除されてしまう危険性があるとき,情報を得る機会が減ることを避けるため、役職のない村人が投票の対象となるというニュアンスを他のプレイヤに伝えて候補に名乗りでることがある。人狼ゲームにおいて、役職を持たない村人をプレイする場合,自分が村人陣営であることをアピールする決定的な方法が無いため,村人陣営のために自己犠牲精神を見せることによって,一人が犠牲になることの影響が大きい人狼側のプレイヤではないよ,という意思表示になる。一方で、同時に、人狼側のプレイヤに役職持ちのプレイヤを絞らせる情報を与えてもいる。人狼側のプレイヤとしては、村人でしかないプレイヤは、役をもっているプレイヤに比べて決定的な情報を得られない都合のよいプレイヤでもあるために、有用な情報を伝えてしまっていることになる。 人狼ゲームにおいて、自分の行動を選択するために自分自身の行動の意図を理解

することが必要であると同時に、その行動によって他のプレイヤにどのように伝わる(理解される)のかを認識することが需要である。また、その伝達する情報に載る意図に一貫性があるかも、他のプレイヤから信頼を得るためには重要である。つまり、人狼ゲームをプレイする個体には「自己」が確立していることが必要である。

5.2.5 社会的知能の実装

社会的な生き物である人間の認知・記憶・思考・行動能力、それぞれの獲得・発

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達には、社会的な要因も深く関係してことは間違いない。たとえば、環境の情報を認知する能力ひとつとっても、我々は五感と呼ばれる視覚・聴覚、触覚、味覚、臭覚という基本的な感覚器を備えているが、これらは環境中のあらゆる情報に関して、必要以上に詳細な粒度かつ範囲で取得しているわけではなく、我々の思考プロセスに適した形で、環境を認識するように発達していることは、間違いないことだと考える。社会的な生き物である人間には、このような物理的刺激の受動的な認知だけでなく、社会的情報、つまり「他者の心」も認知できるためには、よりアクティブな認知能力が必要ではないだろうか。このような心を理解する仕組みとして、サイモン・バロン=コーエンは、以下の四つのシステムを生得的に備えていると提唱している[Simon1995, 子安 2000]。

意図検出器(Intentionally Detector; ID) 視線方向検出器(Eye-Direction Detector; EDD) 注意共有機構(Shared Attention Mechanism; SAM) 心の理論機構(Theory of Mind Mechanism; ToMM) 1 の意図検出器とは、「自分で動くもの」の行動から「意図」や「願望」を推測す

るシステムである。意図検出器が「心を読む仕組み」においてはたしている基本的な役割は、一つは生命の危機から身を守るために他者の「動き」へのリアクティブな行動のトリガーとしての機能であり、もう一つは、その動きに意図があるのか、つまり「自分で動く」ものかを認識して注視させるトリガーとしての機能である。人狼ゲームにおいても、自分を投票対象とする,といった発言をする他のプレイヤーがいた場合に,そのプレイヤーに注意を払うかを判断するために前者の機能が必要である。そして、それが偶然なのかどうかはさておき、「疑われたら疑い返す」という行動をとっていては信頼を築くことは難しいため、相手の動きが意図的なものかを判断するために後者の機能が必要である。この意図検出器の機能を実装するには、単純なルールベースのみであれば、ある状況とプレイヤの行動からとるべき行動という形でリアクティブなシステムは構築が容易であるが、そこから相手の行動が意図的なものなのかそうでないかを判断するには、隠れマルコフモデル(HMM)などをもちいて他者の行動系列から状態を推定するなどの工夫が必要であろう。

2 の視線方向検出器とは、他者の視線がどこを向いているかという対象を推測す

るシステムである。「目は口ほどに物を言う」ということわざがある。このことわざが意味するところは、目つきには言葉で説明するのと同等な気持ちや意思の伝達可能性であるということである.つまり,視線検出が1の意図検出の役割につながるというと捉えて良いだろう.誰がどこを見ているのかという情報は、その主体が何

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に関心を持っているのかを推測するのに重要な手がかりとなるのである。視線から意図を理解しようとする場合、他者の身体の方向から大まかな推測をするのではなく、より詳細に視線がどちらを向いているのかの認識が必要である。この視線方向を検出することは、人狼ゲームでも重要であろう。 ただし、当たり前であるが、非対面環境で行われる BBS 人狼と、対面人狼では、

視線そのものの有無があるために、他者の関心の検出の方法自体が異なる。 まず、視線が存在する対面人狼では、当然ながら通常通りに視線を検出すればよ

い。それに対して、BBS人狼では、文字情報のみでのやり取りであるため、発言や行動が誰に向けられたものであるのかを言語情報から読み取る必要がある。この場合、発言の中に「A さんを疑っている」などと対象者が明示的に含まれる場合もあるが、狩人自身が「狩人に守られたい」と発言することで暗黙的に自分を狩人候補から外そうという「欺く」ことを目的とした言動に対する対処も求められる。そのため、意図検出と切り分けて処理するのは難しい。また、視線が検出できる対面環境でも、人狼ゲームの場合では、誰の発言を聞いているのかなどの聴覚行動も重要な情報であるため、聴覚行動も検出の対象になるだろう。 いずれにせよ、視線方向などが検出対象となるのは、人間は注目しているところ

に視線を向けるものであり,視線と思考や行動は関連を持つ、という前提があるためである。一方で、ロボットなどではこの仮定が成り立たないため、ロボットを含めた対面人狼を行う場合には、どのように視線情報を扱うのか議論が必要であろう。

3 の注意共有機構とは、視線や行動、言動などを通して他者の注意を推定し共有

するシステムのことである。主体は、意図検出器と視線方向検出器の情報を統合して、他者の視線の対象と他者の意図の情報から、主体と他者そして対象という三項の関係性を理解する。人狼ゲームにおいても、どのプレイヤがどのプレイヤに注意を向けているのかを知ることは重要である。対面人狼であれば、それは他のプレイヤの視線であったり、どのプレイヤの話を聞いているのかであったりする。一方、BBS 人狼ではそれらの情報がないため、対話の内容や投票行動などから他者同士の関係を推測する。そして、この関係性を認知できることで、視線や発話で他者の注意の対象を変更させて認識の対象を共有させることなどができるようになり、ひいては「欺き」へとつながる。この注意共有機構では、三者間の関係性の理解のみにとどまらず、四者間の関係性などより複雑な関係性の理解も可能としていることで、フリッツ・ハイダーとメアリー・ジンメルの行った幾何学模様の動きに対する擬人化の実験のように、「プレイヤ A が別のプレイヤ B に行った行為をさらに別の他のプレイヤ Cがどう理解しているのか」や、「プレイヤ A がプレイヤ B に行った行為を自分どう理解しているのかをプレイヤ C がどう理解しているのか」というような多次の心の理解を可能としている。

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4 の心の理論機構とは、3の注意共有機構で処理された情報をもとに、他者が持つ

と推測される信念とその整合性を保持する処理をして、他者の目的や意図(心)の推定するメカニズムである。いわば、主体が思考(行動決定)に必要とする信念を、他者の目的や意図という情報として生成するメカニズムともいえる。

社会的知能に関わる「思考」に必要な要素の多くは、社会を形成する集団の問題

解決に必要な「思考」の要素である。つまり、マルチエージェントに関わる技術と手法が適用できると考える。そのため、人狼ゲームにおける、社会的知能の問題の多くは、マルチエージェントの問題といえる。