Ernst Hans Gombrich, Art and Illusion : Princeton … Hans Gombrich, Art and Illusion : a study in...

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わけですが、問題はそれらの様式が複雑な現実社会を抽象化してしまい、一人歩きを始めたことです。しかもそのような様式の展開はもうすぐ終わるというのです。別の異議申し立てが日常生活の観点を欠いた美術史へと向けられました。 「危機」や「終焉」の正体とはこうしたものでした。現在、これらを回避するため様 な々試みがなされています。しかしそもそも、一方で美術史には美術を言葉で表わすという使命があるにもかかわらず、他方で美術は言葉による翻訳を永遠に拒み続けるわけですから、この学問は成立の当初から解決不能な「危機」を背負い込んでいたことになります。私はほかならぬこのパラドックスの中にこそ美術史再生の鍵が潜んでいると信じています。

 私が15年間勤めた美術館学芸員に別れを告げ、本学教員に着任した1980年代後半、巷では「美術史の危機」あるいは「美術史の終焉」などという聞き捨てならぬ言葉がささやかれていました。それまで展覧会企画やカタログ制作、作家との交渉といった苛酷な肉体労働に連日明け暮れていた私にとって、この言葉はまさに青天の霹靂。危機ってなに? 美術史が終わる? 美術史とは、文字通り美術の歴史、あるいはそれを研究対象とする学問分野です。意外に思われるかも知れませんが、美術史という学問が誕生したのは19世紀後半のこと。20世紀前半には、形の違いに着目しそこに時代や地域の特徴を見て取る様式論と、そのような形の中に込められた特別な意味や作者の意図を探る図像学によって、美術史という知的最前線はわが世の春を謳歌していた観があります。映画や広告といった折からの文化産業の興隆もこれを後押ししました。 ところが1970年代に入るとこの状況に地殻変動が生じます。これまで美術史家たちは「美しい」というような主観的な言葉を使わず、作品を中立的で客観的な立場から論ずることに誇りを感じていました。しかし解釈者がそのような無垢の立場に立つことは実際には不可能で、見かけの中立には、すでに支配的な価値観がこっそりと忍び込んでいるというわけです。事実に基づくと信じていた美術史に異議申し立てがなされました。 また芸術は芸術以外の何ものにも奉仕しないという思想が19世紀にありました。この考えは、形そのものが宗教的儀式などから切り離され、自律的に変化するとして様式論の確立に寄与した

“A Seed of K nowledge”

【 教 授 の 研 究 紹 介 】

九州大学工学部卒業。機械工学士。その後文学部哲学科美学美術史研究生。研究テーマは、ジョルジュ・ルオー研究、イタリア未来派研究。主な著書に、Georges Rouault(Pinacothèque de Paris 2008、共著)、訳書に、E.H. ゴンブリッチ『芸術と進歩』(中央公論美術出版1991、共訳)、論文に、「ルオーの道化師における『聖なるもの』」(『サーカス 道化師』青幻舎2012)など。

国際文化学部国際文化学科 後ご と う

藤 新し ん じ

治 教授

「人は知るもののみを見る」。私が美術史や表象文化史の講義初日に紹介するこの言葉の「たね」は本書。見える世界は持てる知識(言葉)の範囲内であると。だとすれば「画家は見ているものを写せない」というのも納得できます。美術館学芸員時代、同僚と約2年かけて本書

(英語)を輪読した経験が今でも役に立っています。

Ernst Hans Gombrich,Art and Illusion :a study in the psychology of pictorial representation,Princeton University, 1972 [1960].

『芸術と幻影 絵画的表現の心理学的研究』 E.H.ゴンブリッチ著瀬戸慶久訳 岩崎美術社 1979年

「危機」回避の一つとして社 会 史 的な方 法があります。つまり美術を、様 式 論と図像学からではなく、日常生活や教育、経済や政治といった、芸術の生産と消費を取り巻く環境の中で考え、説明するやり方です。