2 3 国語教室 第 109 号 2019 年 2月 〈対談〉新井紀子×野矢茂樹 生きるための論理 vs. 調調20 特集: 「論理」 とは何か 新井紀子(あらい のりこ) 数学者。国立情報学研究所教授。人工 知能プロジェクトロボットは東大れるか」(東ロボわり中高生読解力診断するリーディングスキルテスト開発。 近著『AI vs. 教科書めないどもたちなど野矢茂樹(のや しげき) 哲学者。立正大学文学部哲学科教授。平明文章による論理学入門書執筆。練習問題きながら論理力「論理トレーニングシリーズは、大きな反響んだ。近著『増 補版 大人のための国語ゼミなど×

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23 国語教室 第109号 2019年2月〈対談〉新井紀子×野矢茂樹 生きるための論理

「教科書が読めない」子供たちの衝撃

◆野矢 

まず、新井さんのご著書『AIvs.

教科書が読めない子どもたち』の話から始

めましょうか。この本の中で、リーディン

グスキルテストという方法で子供たちの読

解力調査をされています。本当のことを言

うと、私は読んだとき、とても信じられな

かったんです。なんでこんな問題ができな

いんだろう、と。

◆新井 

子供たちの読解力に関して、科学

的に検証する方法論が今までなかったと思

うんですよ。システマティックな調査をし

てデータを出してみたら、子供たちが予想

以上に文章を読めていなかったということ

がわかったんです。

◆野矢 

やっぱり、実際目に見える形でデ

ータを集めるっていうのは、すごく貴重な

ことですね。私は机上の空論と言われかね

ないことを、書いたりしゃべったりしてい

るもので(笑)。

◆新井 

いえいえ、そんなことありません

よ(笑)。このリーディングスキルテストの

結果を見ると、「ここは得意だけど、こっち

が苦手なばかりに成績が上がらないんだ

な」とかっていうことがすごくよくわかる

んです。そういう診断書があるわけだから、

もっと一人一人に合った教え方をしてあげ

ればいいんじゃないかと思うんです。

◆野矢 

新井さんは、そうやって子どもた

ちの国語力の人間ドックをやってくれてい

るんですね。そして私が今まで出してきた

論理トレーニングの本や『増補版 

大人の

ための国語ゼミ』はその処方箋に当たるの

かもしれません。

論理をつかめない子供たち

◆新井 

このあいだ小学四年生に国語の授

業をしたんですが、板書を写せない子がク

ラスで20%くらいいました。文字を一文字

ずつ写す子がいるんですね。一文字写した

ら、顔を上げてまた探すんですよ。だから、

どこまで写したのかわからなくなっちゃ

う。これでは意味が頭に入っていないです

よね。

◆野矢 

ノートがとれない子どもは昔から

いたんでしょうけど、それとはまた意味が

違いそうですね。

◆新井 

今は電子黒板で教科書の紙面がス

クリーンに映し出されるんですね。本文に

特集:「論理」とは何か

新井紀子(あらい のりこ) 数学者。国立情報学研究所教授。人工知能プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」(東ロボ)に携わり、中高生の読解力を診断する「リーディングスキルテスト」を開発。近著に『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』など。

二〇二二年から実施される新しい高校学習指導要領では、

論理的思考力の育成が強く打ち出されています。

今なぜ論理が求められているのでしょうか。

どうすれば論理の力が身につくのでしょう。

AI研究をふまえて子供の読解力低下に警鐘を鳴らす

数学者の新井紀子先生と、

長年論理トレーニングの必要性を主張しきた

哲学者の野矢茂樹先生に、

じっくり語り合っていただきました。

野矢茂樹(のや しげき) 哲学者。立正大学文学部哲学科教授。平明な文章による論理学入門書を多く執筆。練習問題を解きながら論理力を磨く「論理トレーニング」シリーズは、大きな反響を呼んだ。近著に『増補版 大人のための国語ゼミ』など。

〈対談〉

新井紀子×野矢茂樹

生きるための論理

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45 国語教室 第109号 2019年2月〈対談〉新井紀子×野矢茂樹 生きるための論理

空欄があって、生徒はそこに入る言葉を穴

埋めすることが多いみたいなんです。それ

で、ノートがとれない子が増えたんじゃな

いかと。それから、小学六年生から中学一

年生になると、「AであることをBといいま

す」というような定義文が、教科書で出て

くる頻度が格段に増えるんですね。でも、

リーディングスキルテストをやってみる

と、そういう定義文が読めていない。

◆野矢 

定義が読めないっていうのはどう

いうことですか。非常にシンプルな定義で

もだめなんですか。

◆新井 

例えば、「2で割り切れる整数を偶

数といいます。」というような文の意味がき

ちんと理解できていないんです。でも、そ

れができないのは子供たちの能力がないか

らではないはずです。定義の読み方をもっ

とシステマティックに教えてあげればいい

と思います。この文から、①整数である、

②2で割り切れる、という二つの要素を抜

き出して、きちんとチェックさせる。そう

いう確認のしかたを、自転車に乗るときの

方法論みたいに、意識して教えるべきだと

思います。

◆野矢 

なるほど。単に定義を一個頭に入

れることができない、という話じゃないん

だな。定義っていうのはいくつもの定義か

らなる体系があるから、その体系が理解で

きないっていうことですね。それはやはり、

論理が把握できていないんでしょう。また

今の子供たちは、分析することも同じく苦

手になっているということかもしれませ

ん。定義文を分解してチェック項目にする

という作業は、まさに分析するっていうこ

とですよね。

◆新井 

はい。定義文が読めていないと、

推論もできない。物事の論理や関係がわか

らないから、伸びしろが小さいんですよ。

実は、こういう能力ってAIもあまり得意

じゃないんです。だから、AIにできない

ことこそ、子供たちもできなかったという

ことになるんです。

◆野矢 

たしかに、推論によって物事の関

係がつかめれば、できることの数が飛躍的

に増えますからね。

◆新井 

学力が指数級数的に上がるんです

よ。例えば、何通りかの物事のパターンが

あったときに、そのすべてを覚えるんじゃ

なくて、推論によって一つの場合から他の

すべての場合にたどり着けるようになる。

でもそれができない子供は、定期試験のた

びに大量に覚え、すぐに忘れて、というの

を繰り返します。そして、学ぶということ

がわからないまま大学生になってしまう…。

◆野矢 

やはり子供たちの力で明らかに落

ちているものがあって、その一つが関係を

つかまえる力ではないかと。ちょっと曖昧

な言い方なんだけれど、言葉がどんどん断

片化しているという感じがするんです。切

り取った言葉がそのまま流通していくよう

な時代になり、言葉がどんどん切れ切れに

なっている。

◆新井 

本当にそのとおりです。

◆野矢 

特にSNSがそれを加速している

と思うんです。この部分とこの部分はどう

つながるのか、この部分は全体の中でどう

いう意味をもっているのか、そういった関

係をつかむのが苦手になってきているんじ

ゃないでしょうか。だからこそ、言葉と言

葉の関係がどうなっているか、つまり、論

理をつかむ力が、ますます重要になってい

ると思います。

「論理の力」をはぐくむには

◆野矢 

私は、国語力をつけるには要約が

最も有効だと信じているんですよ。文章を

木に例えると、いちばん重要な幹=言いた

い中心的な主張があって、それから枝葉=

主張を説明したり、支えたりする部分があ

るはずです。要約の訓練を重ねることによ

って、その幹の部分だけをうまく切り出し

て文章の構造を取り出せるようになるわけ

です。その力がないと、幹も枝葉もなくて

藪みたいになって、文章を読んでも頭に入

らなくなる。先ほどの板書を一文字ずつ写

そうとする子供は、藪どころか、文字ごと

にばらばらに見えている可能性があります

ね。

◆新井 

本当にそうですね。さらに言えば、

私は「見たとおりに書ける」ということも、

とても大事だと思います。例えば、オセロ

のゲームの様子を実況中継するという活動

を小学生にやらせたりしています。それか

ら、料理レシピ。私、お料理が大好きなん

ですけれども、『暮しの手帖』のレシピは、

すごく再現性が高いんです。

◆野矢 

どういうことですか?

◆新井 『暮しの手帖』に書いてあるとおり

にやれば、そのとおりにできるんですよ。

誰が作っても同じ味に仕上がるようなレシ

ピになっているということです。

◆野矢 

ああ、それは「見たとおりに書く」

というだけではなくて、相手が求めている

ことをその相手にわかるように書くという

ことですね。正確に書くことに加えて、「こ

れじゃあ相手はまだよくわからないな」と

チェックできる力。そして相手にあわせて

書ける表現力。

◆新井 

そうそう。だから、オセロの実況

中継も、見ていない人にもわかるように、

正確に言葉で伝える学習をさせています。

まず、「語学としての国語」を

◆野矢 

高校生や大学生がまず身につける

べきなのは、凝った文章、職人芸的な読解

を要求する文章ではなく、一度読めばわか

る文章、それを書いたり、読んだりできる

力ではないかと思うんです。私は「語学と

しての国語」と呼んでいるんです。高校の

国語にはこれまでそういう観点が乏しかっ

たのではないでしょうか。

◆新井 

私もそう思いますね。これから日

特集:「論理」とは何か

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67 国語教室 第109号 2019年2月〈対談〉新井紀子×野矢茂樹 生きるための論理

本は移民を受け入れる方向になっていくと

思うんですが、バックグラウンドが多様な

人々がもっとたくさん学校に入ってくるで

しょう。そのときに、前提なしで日本語を

きちんと読めるような、システマティック

な方法論が必要だと思うんです。そういう

ものが、これまで確立されてこなかったの

ではないでしょうか。

◆野矢 

でも、だいぶ小学校、中学校は変

わってきていると思いますね。高校はまだ

遅れているけれど。

◆新井 

国語っていうのは、文学ではなく、

国語なんですね。だから、日本語で書かれ

ている文章がきちんと読めるようになるこ

と、例えば数学の問題文が正しく読めると

いうのは、数学ではなく、国語の役目だと

思います。

◆野矢 

国語って、全教科のベースになる

ものですからね。もちろん、文学は文学で、

また別にきちんとやるべきだとは思いま

す。でも、優先順位の問題ですよね。

◆新井 

そうですね。

◆野矢 

教師がやるべきことは、誰もがで

きることを、誰もができるようにするとい

うことだと思うんです。例えば、先生方は

何年も同じ文学作品を読んでいるから、読

むときの目の付け所もわかっているわけで

すよね。どんなにすばらしい作品なのかを

生徒に言いたくて、うずうずしている。そ

れを初めて読む生徒に教えてあげると、ワ

ッと目を輝かせてくれる。こういうのも楽

しい授業だとは思うんですが、どちらかと

言うと、文芸評論家のような人がやる、一

種の職人芸なんじゃないかと思います。ま

ずは、誰が読んでもわかるような「普段着

の文章」を教えなくちゃいけない。そう言

うと、「そういう授業はつまらないんじゃな

いですか」って言われることもあるんです。

でも本来の教師の喜びって、職人芸を見せ

つける喜びじゃなくて、できなかった子供

ができるようになるのを見る喜びですから

ね。

変わる入試とこれからの国語

◆野矢 

高校がいちばん変わらない理由

は、大学入試が変わらなかったからでしょ

う。大学入試の国語は、一度読めばわかる

ような文章を使って問題をつくるノウハウ

をこれまでもっていなかったと思うんです

よね。だいたい、二、三回読まないとわか

らない文章を示して、二、三度読ませる時

間を与えずに解かせる問題なんて、ナンセ

ンスなんですよ。

◆新井 

そうですね。私の文章は意味があ

まりにも明らかで、一度読めばわかってし

まうので、センター入試には絶対に使われ

ないと言われます。選択肢の問題にならな

いんですよ。

◆野矢 

ところが、私の文章はよく入試に

出ちゃうんですよ。

不本意なことに(笑)。

「大学入学共通テスト」というのが始まろう

としていますね。その試行調査(二〇一八年

一一月実施)を見ました。私自身は、一度読

んだらわかる文章をちゃんと一度読んでわ

かる力という観点から、この新しい入試の

方向性は全く正しいと思っているんです。

◆新井 

私も、国語のプレテストを拝見し

ました。今回は全体的にいい問題だったな

と感じました。古典の問題を見て感じたん

ですが、「教養として古典に親しむ」という

目標が達成されるのなら、古典の問題に現

代語で注釈や人間関係があらかじめ書いて

あってもいいと思いました。それで古典学

習の負担が減りますよね。そして、野矢先

生がおっしゃるような、「普段着の文章」が、

普通に正確に読めて書けるようにすること

を目指すのが、正しい教育の姿なんじゃな

いかなという気がします。

今なぜ「論理」なのか

◆野矢 「昔と比べると国語力は落ちてる

んですか」ってよく聞かれるんですよ。私

は「昔のほうがよかった」とは言いたくな

いので、「基本的な国語力は変わらないんだ

けれども、今のほうがより論理的な国語力

や、コミュニケーション力が求められるよ

うな状況・時代になっているということじ

ゃないですか」と答えているんです。

◆新井 

おっしゃるとおりだと思います。

先ほど、誰でも同じ味が再現できるレシピ

という話をしましたけれど、それって実は

すごいことなんですよ。特別な人だけでな

く、すべての人に、プロの味にアクセスす

る権利があるということですから。それは

つまり、民主主義ということなんです。民

主主義を真の意味で実現するための国語教

育ということです。再現性の高い料理レシ

ピのような文章を読んだり書いたりできる

ということが、多様性に対する寛容さにつ

ながっていく。わかる人にし

かわからない職人芸というの

は、不寛容ではないでしょうか。

◆野矢 

いや、職人芸も大事

だと思いますけどね。でも、

おっしゃっていることはよく

わかります。「国語は数学と違

って、正解がない」とよく言

われますね。それも、ある真

実を突いているとは思うんで

すよ。だけど、まず正解があ

るところでしっかりとトレー

ニングしておくことが、必要

だと思うんです。それはなにも、「国語には

すべて正解がある」ということが言いたい

のではなくて、その後、正解のない問いか

けへと踏みこんでいくことも必要になって

くる。でも、論理的に考える力を重視して

いこうというときに、正解のある教育と正

解のない教育が混在すると、混乱してしま

うと思うんです。まずは、正解がある、「語

学としての国語」をしっかり身につけるべ

きではないでしょうか。

◆新井 

まずは「普段着の文章」を読んだ

り書いたりできる、ということですね。

◆野矢 

そうです。そして、そのうえで、

正解のない世界に入っていくということも

大事です。そういうときには、我田引水で

すみませんが、ぜひ、哲学やろうよって思

います(笑)。問題を抱えてモヤモヤした状

態で生きていく力をつけるには、哲学ほど

いいものはないと思いますからね。

◆新井 

本当に、野矢先生の文章は「論理

国語」の教材にぜひ加えてほしいですね。

私の立場からは、「数学は言葉である」とい

うことも、素材としてほしいです。

──ありがとうございました。

(二〇一八年一二月三日、国立情報学研究所にて)

特集:「論理」とは何か