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平成 25 年 10 月 14 日 国立大学法人群馬大学 炎症性腸疾患の発症メカニズムに迫る 2種類の生体防御機能を実験的に阻害したマウスでは重度な腸炎症を発症する 本研究成果のポイント 腸上皮を構成する細胞の一種であるパネート細胞の新たな機能を発見 マウス遺伝子工学を用いて腸炎症にかかわる遺伝子やタンパク質を特定 炎症性腸疾患の治療や予防へ向けて一歩前進 国立大学法人群馬大学(高田邦昭学長)は米国のハーバード大学(Drew Faust 学長) および英国のケンブリッジ大学(Lord Sainsbury 総長)に協力することで炎症性腸疾 患の発症に関する分子メカニズムの一端を解明することができました。これは群馬大 学先端科学研究指導者育成ユニット先端医学・生命科学研究チーム(和泉孝志チーム 統括)の岩脇隆夫講師による研究成果です。 炎症性腸疾患は消化管に炎症をおこす慢性の難治疾患であり、主に潰瘍性大腸炎と クローン病の二疾患からなっています。この疾患には 20~40 歳代を中心に国内では 10 万人を越える(米国では 100 万人を越える)人が罹っています。さらに近年ではよ り広い年齢層にも患者数が増えつつある状況です。一般に疾患の根本治療法を開発す るためには発症原因の究明が急務ですが、この炎症性腸疾患の発症原因はまだは解明 されていません。 これまでの炎症性腸疾患に関する研究からは次のこと「健常者とクローン病患者と の間でゲノム DNA 配列を比較するとオートファジー 注1 に必須な遺伝子に違いが見出さ れること」、「小胞体ストレス応答 注2 により活性化される転写因子 XBP1 を欠損したマウ スでは通常のマウスより腸炎を発症しやすくなること」が分かっていました。 そこで本研究グループはオートファジー必須遺伝子および XBP1 遺伝子を腸上皮細 胞またはパネート細胞 注3 のみで限定的に欠損させたマウスを作製して、オートファジ ーと小胞体ストレス応答、そして腸炎発症との相互関係を調査しました。一般にオー トファジーおよび小胞体ストレス応答は細胞の健康状態を保つために機能することが 知られていて、オートファジー必須遺伝子および XBP1遺伝子をそれぞれ単独で欠損さ せると、通常のマウスより腸炎を発症しやすくなりました。ただ双方の遺伝子はそれ ぞれ独立に機能しているのではなく、一方の遺伝子の欠損は他方の遺伝子の活性化を 代償的に促し、腸上皮細胞やパネート細胞において両遺伝子は巧妙な連携プレーで腸 炎が発症しないように働いていることも分かりました。ゆえに両遺伝子を欠損させた マウスでは、片方のみの欠損に比べ、腸炎は重症化することが予想できますが、その 予想通りの結果が確認できました。これら遺伝子欠損によりマウスで発症させた腸炎 には NF-κB(炎症性疾患で悪玉因子と考えられている)の活性化が伴われることも確 認できました。加えて NF-κB の活性化は IRE1α(小胞体ストレスセンサーのひとつ) とよばれるタンパク質の機能に依存的であることも示すことができました。非常に興 味深いことに IRE1α遺伝子を欠損させたマウスでは腸炎を発症しにくくなりました。 今後、これらの研究成果をもとに XBP1、IRE1α、NF-κB、およびオートファジー必 須遺伝子の機能を制御できる薬が開発されれば、炎症性腸疾患の治療や予防に役立つ 可能性が期待できます。本研究成果は英国の科学雑誌『Nature』電子版に 10 月 2 日 18 時(日本時間 10 月 3 日 2 時)掲載されました。

炎症性腸疾患の発症メカニズムに迫る...2013/10/15  · 1. 背景 炎症性腸疾患は消化管に炎症をおこす慢性の難治疾患であり、主に潰瘍性大腸炎と

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Page 1: 炎症性腸疾患の発症メカニズムに迫る...2013/10/15  · 1. 背景 炎症性腸疾患は消化管に炎症をおこす慢性の難治疾患であり、主に潰瘍性大腸炎と

平成 25 年 10 月 14 日

国立大学法人群馬大学

炎症性腸疾患の発症メカニズムに迫る ̶2種類の生体防御機能を実験的に阻害したマウスでは重度な腸炎症を発症する̶ 本研究成果のポイント ○ 腸上皮を構成する細胞の一種であるパネート細胞の新たな機能を発見 ○ マウス遺伝子工学を用いて腸炎症にかかわる遺伝子やタンパク質を特定 ○ 炎症性腸疾患の治療や予防へ向けて一歩前進 国立大学法人群馬大学(高田邦昭学長)は米国のハーバード大学(Drew Faust 学長)

および英国のケンブリッジ大学(Lord Sainsbury 総長)に協力することで炎症性腸疾

患の発症に関する分子メカニズムの一端を解明することができました。これは群馬大

学先端科学研究指導者育成ユニット先端医学・生命科学研究チーム(和泉孝志チーム

統括)の岩脇隆夫講師による研究成果です。

炎症性腸疾患は消化管に炎症をおこす慢性の難治疾患であり、主に潰瘍性大腸炎と

クローン病の二疾患からなっています。この疾患には 20~40 歳代を中心に国内では

10 万人を越える(米国では 100 万人を越える)人が罹っています。さらに近年ではよ

り広い年齢層にも患者数が増えつつある状況です。一般に疾患の根本治療法を開発す

るためには発症原因の究明が急務ですが、この炎症性腸疾患の発症原因はまだは解明

されていません。

これまでの炎症性腸疾患に関する研究からは次のこと「健常者とクローン病患者と

の間でゲノム DNA 配列を比較するとオートファジー注1に必須な遺伝子に違いが見出さ

れること」、「小胞体ストレス応答注2により活性化される転写因子 XBP1 を欠損したマウ

スでは通常のマウスより腸炎を発症しやすくなること」が分かっていました。

そこで本研究グループはオートファジー必須遺伝子および XBP1 遺伝子を腸上皮細

胞またはパネート細胞注3のみで限定的に欠損させたマウスを作製して、オートファジ

ーと小胞体ストレス応答、そして腸炎発症との相互関係を調査しました。一般にオー

トファジーおよび小胞体ストレス応答は細胞の健康状態を保つために機能することが

知られていて、オートファジー必須遺伝子および XBP1 遺伝子をそれぞれ単独で欠損さ

せると、通常のマウスより腸炎を発症しやすくなりました。ただ双方の遺伝子はそれ

ぞれ独立に機能しているのではなく、一方の遺伝子の欠損は他方の遺伝子の活性化を

代償的に促し、腸上皮細胞やパネート細胞において両遺伝子は巧妙な連携プレーで腸

炎が発症しないように働いていることも分かりました。ゆえに両遺伝子を欠損させた

マウスでは、片方のみの欠損に比べ、腸炎は重症化することが予想できますが、その

予想通りの結果が確認できました。これら遺伝子欠損によりマウスで発症させた腸炎

には NF-κB(炎症性疾患で悪玉因子と考えられている)の活性化が伴われることも確

認できました。加えて NF-κB の活性化は IRE1α(小胞体ストレスセンサーのひとつ)

とよばれるタンパク質の機能に依存的であることも示すことができました。非常に興

味深いことに IRE1α遺伝子を欠損させたマウスでは腸炎を発症しにくくなりました。

今後、これらの研究成果をもとに XBP1、IRE1α、NF-κB、およびオートファジー必

須遺伝子の機能を制御できる薬が開発されれば、炎症性腸疾患の治療や予防に役立つ

可能性が期待できます。本研究成果は英国の科学雑誌『Nature』電子版に 10 月 2 日

18 時(日本時間 10 月 3 日 2 時)掲載されました。

Page 2: 炎症性腸疾患の発症メカニズムに迫る...2013/10/15  · 1. 背景 炎症性腸疾患は消化管に炎症をおこす慢性の難治疾患であり、主に潰瘍性大腸炎と

1. 背景

炎症性腸疾患は消化管に炎症をおこす慢性の難治疾患であり、主に潰瘍性大腸炎と

クローン病の二疾患からなっています。それぞれについて述べますと、潰瘍性大腸炎

は大腸粘膜に潰瘍やびらんができる非特異性炎症性疾患で、厚生労働省より特定疾患

に指定されています。その罹患者数は2010年の報告によると米国でおよそ100万人、

日本では 11 万人にのぼり、年々増加傾向にあるとされています。発症年齢ついては

男性で 20~24 歳、女性で 25~29 歳が最も多く、最近は中高年でも目立つようになっ

てきています。主な症状としては血便・下痢が挙げられますが、重症化すると発熱・

体重減少・腹痛・貧血を伴うとされています。今のところ、完治に導く内科的治療法

はなく、炎症を抑える目的でサリチル酸製剤やステロイド薬がよく用いられています。

一方、クローン病は口腔から肛門までの全消化管において非連続性の慢性肉芽腫性炎

症を生じる疾患で、同じく厚生労働省より特定疾患に指定されています。その罹患者

数は日本では 2万人(男女比は 2:1で男性の方が多い)ほど、欧米ではその約 10 倍

とされており、やはり増加傾向にあります。発症年齢ついては男性で 20~24 歳、女

性で 15~19 歳が最も多いとされています。主な症状としては腹痛・下痢が挙げられ

ますが、その他には発熱・体重減少が見られることがあります。こちらも根本的な治

療法はないのが現状で、炎症を抑える目的でサリチル酸製剤やステロイド薬がよく用

いられています。どちらの疾患も診断には血液検査や内視鏡検査、X 線造影検査など

を利用しますが、発症の原因については十分な理解がなされていません。

2. 研究手法と成果 本研究は炎症性腸疾患の発症に関する分子メカニズムを解明するために行われま

した。これまでの炎症性腸疾患に関する研究からは次のこと「健常者とクローン病患

者との間でゲノムDNA配列を比較するとオートファジーに必須な遺伝子に違いが見出

されること」、加えて「小胞体ストレス応答により活性化される転写因子 XBP1 を欠損

したマウスでは通常のマウスより腸炎を発症しやすくなること」が解ってきました。

そこで本研究グループはオートファジー必須遺伝子(具体的には ATG16L1 や ATG7)お

よび XBP1 遺伝子を腸上皮細胞で限定的に欠損させたマウスを作製して、オートファ

ジーと小胞体ストレス応答、そして腸炎発症との相互関係を調査しました。一般にオ

ートファジーおよび小胞体ストレス応答は細胞の健康状態を保つために機能するこ

とが知られていて、オートファジー必須遺伝子および XBP1 遺伝子をそれぞれ単独で

欠損させると、通常のマウスより腸炎を発症しやすくなりました(図 1a)。ただ双方

の遺伝子はそれぞれ独立に機能しているのではなく、一方の遺伝子の欠損は他方の遺

伝子の活性化を代償的に促し、腸上皮細胞において両遺伝子は巧妙な連携プレーで腸

炎が発症しないように働いていることが解りました。例えば、XBP1 遺伝子の欠損によ

って十分な小胞体ストレス応答ができなくなると、小胞体ストレス応答により活性化

される他の転写因子 ATF4 が強く活性化されます。この ATF4 にはオートファジー必須

遺伝子を活性化する機能が備わっているので、結果的に細胞のオートファジー機能を

高めます。また ATG16L1 遺伝子の欠損によって十分なオートファジー機能を発揮でき

なくなると小胞体ストレスの原因が細胞内に蓄積し、XBP1 遺伝子を活性化させること

で、小胞体ストレス応答能を高めます。

オートファジー必須遺伝子および XBP1 遺伝子を両方とも欠損させたマウスでは、

片方のみの欠損に比べ、腸炎は重症化することが予想できますが、その予想通りの結

果が確認できました(図 1a)。これら遺伝子欠損によりマウスで発症させた腸炎には

Page 3: 炎症性腸疾患の発症メカニズムに迫る...2013/10/15  · 1. 背景 炎症性腸疾患は消化管に炎症をおこす慢性の難治疾患であり、主に潰瘍性大腸炎と

NF-κBとよばれるタンパク質の強い活性化が伴われることも確認できました(図2)。

実際にヒトのクローン病をはじめ、他の炎症性疾患でも NF-κB が活性化することが

報告されており、NF-κB は炎症性疾患において悪玉タンパク質と考えられています。

加えて、先のマウス腸炎での NF-κB の活性化は IRE1αとよばれるタンパク質の機能

に依存的であることも示すことができました。NF-κB を活性化させるタンパク質は

IRE1α以外に幾つも存在しますが、このケースで IRE1αが NF-κB の制御因子だと特

定できたことは非常に大きな成果です。この重要性を裏付けるように IRE1α遺伝子を

欠損させたマウスでは腸炎を発症しにくくなりました(図 1b)。特にこの IRE1α遺伝

子欠損マウスの解析では岩脇講師が大きな貢献を果たしています。またはオートファ

ジー必須遺伝子および XBP1 遺伝子を、腸上皮細胞から更に絞り込み、パネート細胞

のみで限定的に欠損させたマウスを用いて解析を行っても、先と同様な結果が得られ

ました(図 1c)。パネート細胞は抗病原微生物機能を持つ細胞として知られています

が、今回の研究で新たにパネート細胞が腸炎症の起点としても機能することが判明し

ました。

3. 今後の展望 この研究を通じて、マウスという実験動物モデルではありますが、炎症性腸疾患の

発症に関する分子メカニズムに迫ることができました。具体的にはパネート細胞でオ

ートファジー必須遺伝子と XBP1 遺伝子が機能を失うだけで腸内に炎症が生じ、クロ

ーン病によく似た症状を確認することができました。これらの発見は将来的に炎症性

腸疾患の治療方法や予防方法を考える際に役立つ可能性があります。つまり、パネー

ト細胞におけるオートファジー機能および小胞体ストレス応答能を調節できるよう

な薬ができれば、炎症性腸疾患を克服できるようになるかもしれません。

<1> オートファジー 細胞に備わっているタンパク質分解機能のひとつです。異常な構造をとったタンパク

質の凝集体や機能不全となりつつある細胞小器官、細胞内に侵入してきた病原微生物

などを脂質二重膜で被い、それらを排除することで細胞の健康維持に関与しています。

<2> 小胞体ストレス応答 細胞小器官のひとつである小胞体に異常な構造をとったタンパク質が蓄積した際、細

胞を守るために引き起こされる細胞の生体反応です。一般的には細胞またはタンパク

質保護機能を持った特定の遺伝子の活性化を促します。XBP1 にはそのような遺伝子活

性化機能が備わっています。

<3> パネート細胞 腸上皮は効率良く栄養分や水分を吸収できるようにひだ状になっていますが、その窪

みの部分(陰窩)に存在する細胞です。腸管内に抗菌物質を分泌して病原微生物など

から腸内環境を守る役割を担っています。

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図 1 示された遺伝子を欠損させたマウスにおける腸炎発症レベル

a)ATG7 および XBP1 遺伝子を腸上皮細胞限定的に欠損したマウス間での比較

b)IRE1αおよび XBP1 遺伝子を腸上皮細胞限定的に欠損したマウス間での比較

c)ATG7 および XBP1 遺伝子をパネート細胞限定的に欠損したマウス間での比較

図 2 示された遺伝子を欠損させたマウスの腸上皮における NF-κB の活性化レベル

本件に関するお問い合わせ先

(研究について)

国立大学法人群馬大学 先端科学研究指導者育成ユニット

講師 岩脇 隆夫(いわわき たかお)

電話:027-220-7956

FAX:027-220-7959

E-mail:[email protected]

(取材対応窓口)

国立大学法人群馬大学 昭和地区事務部総務課

広報係長 秋山 和慶(あきやま かずのり)

電話:027-220-7895

FAX:027-220-7720

E-mail:[email protected]