14
1 カナダ スウェーデン イタリア イギリス フランス アメリカ合衆国 日本 オーストラリア 韓国 垂直安定板 アメリカ 主翼端 韓国 主翼後縁動翼 オーストラリア 貨物室扉、 アクセス扉 スウェーデン 乗降扉 フランス エンジン アメリカ、イギリス 降着装置 イギリス 翼胴フェアリング、降着装置扉 カナダ 中央胴体 イタリア 水平安定板 イタリア 主翼ボックス 日本 主翼固定後縁 日本 前部胴体後半 日本 主脚収納室 日本 中央翼ボックス 日本 前部胴体前半 アメリカ エンジン・ ナセル アメリカ 主翼固定前縁 アメリカ 後部胴体 アメリカ .ボーイング787 ジェット旅客機の世界最大手メーカーであるア メリカ合衆国のボーイング社は、1978年に開発を 開始したボーイング767以来、海外からも含めて、 リスク分担パートナーを招き入れての国際分業体 制を採って、機体の開発・製造・販売を行ってき ている。その最新鋭機であるボーイング787では、 日本(三菱重工業、川崎重工業、富士重工業が参加) が35%、イタリアのアレニアとアメリカのヴォー トのチームが26%、その他各国企業が5%の作業 シェアを有しており、本来のメーカーであるボー イングの比率は日本と同じ35%となっている(比 率はいずれも機体構造部比率)。 この数字だけを見ると、ボーイングと日本が同 等ということになるが、日本は複数企業の合計で あり、単独企業でのシェアは35%のボーイングが トップである。ボーイングでは、比率が過半数を 割っても最大シェアを保有できていれば、プログ ラム全体をコントロールできるとして、自社の比 率をある程度下げてでも、アメリカ国内外を問わ 航空機にみる国際分業 航空ジャーナリスト 青木謙知 地図にみる現代世界 ずにパートナーを積極的に招き入れている。 国際分業が進んでいる背景を説明する前に、ボ ーイング787で日本の企業各社がどのような部分 を受け持っているかについて、簡単にまとめてお く。まず三菱重工業は主翼ボックスとよばれる、 動翼を除いた主翼全体を担当している。川崎重工 業は前部胴体、主翼格納部、主翼固定後縁を受け 持ち、富士重工業は中央翼の製造とその中央翼部 に川崎重工業が製造した主脚格納部を合体させる という作業を行っている。また各社は、担当して いる部位について、設計作業でも参画している。 さらには国内の他の企業も、これら部位の一部部 品を製造しており、たとえば新明和工業は主翼桁 を製造して三菱重工業に納入している。因みにこ れらの製造部のほとんどは、複合材料製である。 大手3社はいずれも愛知県に787製造用の工場を 新設しており、完成した製品は中部国際空港から 専用輸送機でアメリカに空輸されている。 .航空機の国際分業 もともと航空機は、そのすべてを企業1社で製 図1 ボーイング787の国際分業 (ボーイング社の資料による)

航空機にみる国際分業 - 帝国書院...-3- 可能性はあるので、一見するとライバルを育成し ているように見えるかも知れない。しかし現実に

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-1-

カナダスウェーデン

イタリアイギリス

フランスアメリカ合衆国

日本

オーストラリア

韓国

垂直安定板アメリカ

主翼端韓国

主翼後縁動翼オーストラリア

貨物室扉、アクセス扉スウェーデン

乗降扉フランス

 エンジンアメリカ、イギリス

降着装置イギリス

翼胴フェアリング、降着装置扉カナダ

中央胴体イタリア

水平安定板イタリア

主翼ボックス日本

主翼固定後縁 日本

前部胴体後半日本

主脚収納室日本

中央翼ボックス日本

前部胴体前半アメリカ

エンジン・ナセルアメリカ

主翼固定前縁アメリカ

後部胴体アメリカ

1.ボーイング787

 ジェット旅客機の世界最大手メーカーであるア

メリカ合衆国のボーイング社は、1978年に開発を

開始したボーイング767以来、海外からも含めて、

リスク分担パートナーを招き入れての国際分業体

制を採って、機体の開発・製造・販売を行ってき

ている。その最新鋭機であるボーイング787では、

日本(三菱重工業、川崎重工業、富士重工業が参加)

が35%、イタリアのアレニアとアメリカのヴォー

トのチームが26%、その他各国企業が5%の作業

シェアを有しており、本来のメーカーであるボー

イングの比率は日本と同じ35%となっている(比

率はいずれも機体構造部比率)。

 この数字だけを見ると、ボーイングと日本が同

等ということになるが、日本は複数企業の合計で

あり、単独企業でのシェアは35%のボーイングが

トップである。ボーイングでは、比率が過半数を

割っても最大シェアを保有できていれば、プログ

ラム全体をコントロールできるとして、自社の比

率をある程度下げてでも、アメリカ国内外を問わ

航空機にみる国際分業

航空ジャーナリスト 青木謙知

地図にみる現代世界

ずにパートナーを積極的に招き入れている。

 国際分業が進んでいる背景を説明する前に、ボ

ーイング787で日本の企業各社がどのような部分

を受け持っているかについて、簡単にまとめてお

く。まず三菱重工業は主翼ボックスとよばれる、

動翼を除いた主翼全体を担当している。川崎重工

業は前部胴体、主翼格納部、主翼固定後縁を受け

持ち、富士重工業は中央翼の製造とその中央翼部

に川崎重工業が製造した主脚格納部を合体させる

という作業を行っている。また各社は、担当して

いる部位について、設計作業でも参画している。

さらには国内の他の企業も、これら部位の一部部

品を製造しており、たとえば新明和工業は主翼桁

を製造して三菱重工業に納入している。因みにこ

れらの製造部のほとんどは、複合材料製である。

大手3社はいずれも愛知県に787製造用の工場を

新設しており、完成した製品は中部国際空港から

専用輸送機でアメリカに空輸されている。

2.航空機の国際分業

 もともと航空機は、そのすべてを企業1社で製

図1 ボーイング787の国際分業(ボーイング社の資料による)

Page 2: 航空機にみる国際分業 - 帝国書院...-3- 可能性はあるので、一見するとライバルを育成し ているように見えるかも知れない。しかし現実に

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造できるものではない。たとえばエンジンは、開

発や製造に機体とは全く違った技術や知識などが

必要なので、エンジンの専門メーカーが航空機メ

ーカーの仕様書に基づいて全く別に開発などを行

っている。また近年注目されている炭素繊維強化

プラスチック(CFRP)などの複合材料も、材料

メーカーが素材を作って航空機メーカーに納入し、

航空機メーカーがそれを加工して航空機に仕上げ

ていく。これはもちろん、従来の金属素材につい

ても同様である。このように航空機の製造には、

開発の主体となる航空機メーカーの他に、極めて

多くの企業が参画しているから、共同パートナー

を招き入れることに大きな抵抗はないといえる。

 パートナーには、いくつかのカテゴリーがある。

一つはエンジンや座席、電子機器など、ユニット

自体を開発・製造して供給するパートナーで、も

う一つは素材や細かな部品(窓ガラスやネジなど)

を納入するパートナーだ。これらは通常、納入企

業などとよばれて、航空機メーカーの発注に応じ

て製品を納入するというパートナーである。そし

てこれらよりも1ランク上のパートナーが、リス

ク分担パートナーとよばれるもので、共同開発担

当企業などともいわれる。

リスク分担パートナー

 ボーイング787では、こうした各レベルのパー

トナーの中でも重要な企業により、『国際チーム』

とよぶパートナーシップを組んでいる。その参加

企業数はボーイングを除いて45社にも上り、国別

の内訳は日本が6社、アメリカが20社、イタリア

が2社(この3か国の企業にはリスク分担パート

ナーも含まれている)、カナダが2社(アメリカと

フランスの現地企業なので合計会社数には含めて

いない)、フランスが6社、イギリスが6社、ドイ

ツが2社、スウェーデンが2社、韓国が1社であ

る。

 最も重要なリスク分担パートナーを簡単にいえ

ば、作業シェアに応じて開発費を分担し、一方で

その製品の販売で利益が出れば、その割合に応じ

て利益を受け取ることができるパートナーで、損

失が出ればその損失も被ることになる。加えて航

空機の場合は、担当する部位の詳細設計や開発と

いった、重要な役割も負うことが多い。役割が増

えれば責任も重くなるが、航空機の新しい設計・

製造技術などを習得できるなどのメリットもあり、

とくに日本の航空宇宙産業ではこの点を重視して

いる。ボーイング787プログラムでは、航空機で

最も重要といわれる主翼を受け持っており、これ

は日本の航空宇宙産業の念願でもあった。因みに

ボーイングが主翼を自社で受け持たなかったのは、

この787が初めてである。

 航空機メーカーにとって、リスク分担パートナ

ーを招き入れることは、最終的には自社の利益を

減らすことになる。しかし一方で、プログラムが

失敗したときに損害を分散できるので、リスクは

軽減される。とくに近年では、素材や電子機器な

ど多くの構成要素が高級・高価になっているので、

航空機の開発費は上昇を続けている。これを1社

で負担することは、かなり困難であることは確か

だ。加えて、特定の分野で優れた技術力を持つ企

業を招き入れることで、より良い製品を完成させ

ることも可能となる。こうしたメリットとデメリ

ットを秤にかけて、リスク分担パートナーを採り

入れるか否かを決定していくのである。

3.ボーイングとエアバス

 今、世界の100席以上のジェット旅客機は、ア

メリカのボーイングとヨーロッパのエアバスがマ

ーケットをほぼ二分していて、二大メーカーによ

る寡占状態にある。ただこうした大きなジェット

旅客機は、一朝一夕には開発・製造できない。他

の航空機メーカーが参入しようとしても、技術力

はもちろん、販売力などでも歯が立たないのが現

状である。しかし世界の多くの航空機メーカーは、

いずれ自身で旅客機を開発・製造したいとも考え

ている。そうした企業にとっては、リスク分担パ

ートナーとしてプログラムに加盟することは、技

術や経験の蓄積という点でも利益があるから参画

を希望することになる。

もちろんこうしたパートナー企業が力をつけれ

ば、将来的にはボーイングなどのライバルになる

Page 3: 航空機にみる国際分業 - 帝国書院...-3- 可能性はあるので、一見するとライバルを育成し ているように見えるかも知れない。しかし現実に

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可能性はあるので、一見するとライバルを育成し

ているように見えるかも知れない。しかし現実に

は、技術的な問題以外にも、資金面はもちろん、

販売力や顧客サポート力など、多くのハードルが

待ちかまえているので、今リスク分担パートナー

になったからといって、10年や15年でボーイング

やエアバスの旅客機に匹敵する製品を作り出すこ

とはまず不可能なのである。また、仮にそうした

力を備えた企業が出現するとしても、それはある

程度先のことになるのだから、その時に旅客機の

製造・販売企業の態勢が今のままである保証はな

い。こうしたことから、ボーイングもエアバスも、

現時点で可能な限り効率性(リスクの分担など)

を図りつつ、優れた製品を生み出すことで競争相

手を上回ることを、企業活動の基本に据えている。

 国際分業の付随的なメリットとしては、マーケ

ットの確保が容易になるということもある。実際

にボーイング787は、日本航空と全日本空輸の両

社が多数を購入している。しかし旅客機のビジネ

スはあくまでも民間ビジネスだから、自国の企業

が開発・製造に参加しているからといって、その

国の航空会社が必ずその旅客機を購入するとは限

らない。航空会社にしても、その製品が要望に見

合っていなければ購入することはないので、基本

的には製品第一ということになる。ただ、もし性

能や能力がほぼ同等と評価されれば、自国産業へ

の見返りが意味を持ち始めることにはなる。

エアバス

 ボーイングの話が主体になったが、もう一つの

大手旅客機メーカーであるヨーロッパのエアバス

社は、もともとフランス、ドイツ、イギリス、ス

ペインの国際合弁事業でスタートしている。今

では、ヨーロッパの航空宇宙産業の大統合により

EADS1社が親会社になっているが、寄り合い所

帯でスタートしているので国際的なパートナーを

招き入れる土壌はボーイング以上にある。ただこ

れまでエアバスは、リスク分担パートナーを招く

にしても、エアバスが51%以上のシェアを確保す

ることを前提にしていた。しかしこれも、開発を

開始した新型機A350XWBでは40%前後にまで下

げる用意はあるとして、より積極的にヨーロッパ

内外のリスク分担パートナーを求めていくことに

している。

 2007年に就航を開始した総2階建ての超大型機

A380では、30%弱がリスク分担パートナーによ

る作業になっている。A380については日本の企業

も、三菱重工業や富士重工業をはじめとして21社

が製造に加わっているが、各社ともにリスクは分

担しない納入企業の資格での参加である。

 いずれにしても、リスクの分散、高度技術の共

有といった点を主体に、旅客機の国際分業化は今

後も維持・拡大されていくと考えられている。

図2 『新詳地理資料 CONPLETE 2007』p.136⑥

オランダオランダイギリスイギリス

ベルギーベルギー

フランスフランス

ドイツドイツ

アメリカアメリカ

スペインスペイン

※現在はイギリスでもエンジンを生産している。

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1.はじめに

 地誌を学ぶうえで最も大切なことは何だろうか。

筆者は、取り上げる国や地域の「生きた姿」を生

徒自身が感じること、そこに重点をおき授業を進

めるようにしている。筆者の勤務校では、高等学

校2年生の秋に韓国と沖縄のどちらかの地域へ研

修旅行をする。韓国は「近隣国の理解」が、沖縄

は「平和学習」が目的である。ほとんどの生徒に

とって両地域は初めて訪れる土地であり、その地

域像はテレビや周りの話で見聞きする程度のもの

である。海の向こうにある知らない国や地域への

好奇心が地理を学ぶ心を育てるとすれば、実際に

未知の土地へと足を運ぶ研修旅行という機会にお

いて、事前にその国や地域の知識や姿を伝え、生

徒の興味を喚起することはとても大切なことであ

ると考える。本稿は、『世界を学ぶ高校生の地理A

(最新版)』(以下教科書)の「近隣諸国の生活文

化2韓国」の授業を通じて、研修旅行の事前指

導を試みた実践である。

2.韓国へのイメージ

 地誌の学習をする際、まず初めに生徒に聞くこ

とは、取り上げる国についてのイメージである。

これにより、その国に対して抱いている生徒たち

のステレオタイプを知ることができる。一人ひと

りに聞いてみると、「キムチ」「ハングル」「焼き肉」

「韓流スター」「チマ・チョゴリ」といった具合で

あった。生徒から出された韓国のイメージは、韓

国という国を代表する文化であると考えられる。

文化は、その地域に住む人々の価値観や考え方か

ら生み出されるものであるので、「生きた姿」を伝

えるためには、一つ一つの韓国のイメージに対し

て、なぜその文化が韓国に定着しているのかとい

う視点を中心に説明をしていく必要がある。

3.韓国文化への理解

 まず「キムチ」であるが、これは韓国の気候と

関連づけて解説をする。教科書p.116「③ソウル

と東京の雨温図」の比較から、ソウルでは冬の平

均気温が氷点下になること、夏と冬の気温の年較

差が激しいことを読み取らせる。また、『新詳高等

地図(初訂版)』(以下地図帳)p.10の日本と韓国

との位置関係から、ソウルは日本の東北地方と同

じくらいの緯度に位置しており、浜松よりも寒い

ことが想定されることも説明する。「寒さをしのぐ

浜松開誠館中・高等学校 原田智子

いきいき授業実践 (平成19年度『世界を学ぶ高校生の地理A(最新版)』)(平成19年度『新詳高等地図(初訂版)』)

地域の「姿」が見える地誌を-地理Aにおける韓国研修旅行の事前指導-

『新詳高等地図(初訂版)』p.10

『世界を学ぶ高校生の地理A(最新版)』p.116③

Page 5: 航空機にみる国際分業 - 帝国書院...-3- 可能性はあるので、一見するとライバルを育成し ているように見えるかも知れない。しかし現実に

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ために体を温めるにはどんなものを食べるか?」

と生徒へ問うと、「辛いもの」という言葉がすぐに

返され、韓国でキムチが伝統的食べ物として定着

している理由を知ることができる。また、韓国の

寒い冬の気候に関連づけて、教科書p.116①の図を

見ながらオンドルが多くの家庭で見られるという

話をすると、生徒たちは、日本では見られない韓

国の文化に徐々に興味を持ち始める。

 次に「ハングル」であるが、まず教科書p.117

④のソウル・南大門市場の写真を生徒に見せる。

「たくさんの看板があるが、書かれている文字の

意味が理解できるか?」と問うと、「わからない」

と全員が答える。ハングルは朝鮮民族固有の文字

として15世紀に生み出されたものであり、朝鮮民

族のアイデンティティと深い関わりがあることを

説明する。ここで生徒から、「韓国の人名表記には

漢字が使われている場合があるが、なぜ韓国で漢

字が使われているのか?」という質問が出た。古

くから韓国は中国と陸続きであり、歴史的に中国

文化の影響を強く受けていることを説明し、中国

で生まれた漢字や儒教や仏教といった文化は現在

でも韓国に浸透していることを話す。また、大陸

からの文化は朝鮮半島を経由して日本にもたらさ

れる場合がほとんどであるため、韓国と日本の間

にも類似した文化があることを教科書p.117の⑤

韓国の仏像と京都の広隆寺の仏像の比較写真から

理解する。

 さらに、教科書p.117のコラム「茶わんを持つの

はルール違反」の文章から、韓国と日本とのマナ

ーの違いについて説明する。マナーの違いは、食

事以外にもある。韓国の女性は礼服である「チマ・

チョゴリ」を着るときに右膝を立てて座ることが

正座の姿勢であることを話すと、生徒たちは一様

に驚く。日本では行儀が悪いとされていることが

韓国では礼儀正しいとされていることに対して、

生徒たちは不思議に思うようである。研修旅行の

際に、食事のマナーに気をつけなくては、といっ

た声もあがった。

『世界を学ぶ高校生の地理A(最新版)』p.116①

伝統的なオンドルのしくみ

『世界を学ぶ高校生の地理A(最新版)』p.117④

韓国の仏像 京都の広隆寺の仏像

『世界を学ぶ高校生の地理A(最新版)』p.117⑤

『世界を学ぶ高校生の地理A(最新版)』p.117

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4.日韓交流について

 韓国のイメージを生徒に聞いたとき、いわゆる

「韓流スター」といわれる日本で人気のある韓国

人俳優の名前が数多くあがった。また、知ってい

る韓国映画はあるかと聞くと、ほとんどの生徒が

韓国映画を観たことがあると答えた。日韓の文化

的交流は様々なかたちでさかんになってきている

ことを、教科書p.120①韓流ブームの写真、同じく

ソウルの書店に並べられてある日本の漫画の写真

を見て説明する。日韓の文化的交流がさかんにな

った背景として、1998年に韓国政府が日本文化の

開放を認めたことや、2002年の日韓共同開催で行

われたサッカーワールドカップの影響を説明する。

それに伴い、日本から韓国へ訪れる観光客も年々

増加傾向であることをp.120の「④日本を訪れた

韓国人と、韓国を訪れた日本人の数」のグラフか

ら読み取る。生徒たちにとって、韓国は身近な隣

国という感覚があるが、観光といった民間レベル

での交流がさかんになったのが90年代以降であり、

かつては「近くて遠い国」といわれていたこと、

両国の歴史的な経緯等を説明することによって、

韓国と日本との関係性の変遷への理解を深めてい

きたい。生徒たちは、研修旅行の際に本校と交流

のある高校の生徒たちと交流会を行う。韓国へ研

修旅行に行く生徒たちは、実際に自分自身が「日

韓交流」の場面に直面することを想定しながら授

業を受ける。教科書で学習した事柄を、自分自身

の問題として考えることができる。研修旅行の事

前指導のねらいは、まさにここにある。

5.おわりに

 未知の国や地域に対して持っているステレオタ

イプから脱却し、いかに「生きた姿」を伝えるの

かが地誌学習では重要であると思う。今回取り上

げた韓国は、生徒たちがこれから足を運ぶ地域で

あり、授業において触れられなかった韓国の多様

性や実像を自分自身の目で見て感じることができ

る点において、授業内容の理解の深度を期待する

ことができる。研修旅行という機会だけではなく、

学校のカリキュラムにおける課外活動等において

も地理の果たす役割は大きいと考える。

『世界を学ぶ高校生の地理A(最新版)』p.120①②『世界を学ぶ高校生の地理A(最新版)』p.120④

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1.はじめに

 クリーン開発と気候に関するアジア太平洋パー

トナーシップ(2007年7月19日(木)および20日

(金) 開催地:東京)において、日本が製鉄業と

セメント工業において、省エネルギーや二酸化炭

素排出量削減のための技術移転のために、中国(以

後中華人民共和国を中国と略す)およびインドに

対する省エネ診断のための専門家派遣の検討をす

ることが決定された。

 また、今夏の海水温の異常上昇により、沖縄地

方の珊瑚礁に白化現象がみられるとの報告もある。

 一方、2007年10月現在、依然として続いている

石油価格高騰と、バイオエタノール増産に伴うと

うもろこし等の値上がりは、今後のエネルギー需

給の安定性について、かなりの不安感をもたらし

ている。我々の周囲で起きているさまざまな経済

問題は、その多くが世界規模の環境問題に起因し

ているともいえる。ここでは、生徒の身近な視点

から、環境問題に触れたいと思う。

2.中国の環境問題の特徴-その1 砂漠化-

 まず最初に、『新詳地理資料COMPLETE 2007』

(以下地理資料)p.174-175①「珈環境問題の模式

図」(図1)で、生徒自身が住んでいる地域でみら

れる環境破壊を列挙させる。地域によってはかな

り異なると考えられるが、地球規模の環境問題を、

身近なものととらえさせるきっかけとしたい。お

そらく日本の場合には、図中上部の先進国型の環

境破壊が大半を占めることになろう。

 しかし、現在の日本が被っている環境問題の中

には、外国からもたらされていると考えられるも

のも少なくない。たとえば、最近春先に日本を襲

う黄砂は、中国西部の「砂漠化」のために、近年

頻度を増していると考えられている。この黄砂に

付着する有害物質の研究が進んでいるところであ

る。しかしながら、この中国の砂漠化の進行は、

中国経済の発展に起因しており、この中国製品を

大量に輸入している国は、日本であることを生徒

には強調したい。

愛知県立高校教諭

いきいき授業実践 (平成19年度『新詳地理B(初訂版)』)(平成19年度『新詳高等地図(初訂版)』)

(平成19年度『新詳地理資料 COMPLETE 2007』)

地球的課題の授業実践

 では、実際にどのような状況で砂漠化が進行し

ているかを確認するために、『新詳高等地図(初

訂版)』(以下新詳)p.114②「爬おもな環境問題」

や『地歴高等地図(最新版)』(以下地歴)p.126④「爻

世界のおもな環境問題」、地理資料p.178玳を参照

させたい。

 次に、地理資料p.178①「玳砂漠化の要因」(図3)

を参考にして、中国の場合を検証してみる。

 まず第一に、図2からゴビ砂漠を中心にタクラ

図1 『新詳地理資料COMPLETE 2007』p.174-175①珈

図2 『新詳高等地図(初訂版)』p.114②爬

オゾン層の破壊オゾン層の破壊

温室効果温室効果 温暖化温暖化

酸性雨酸性雨

リゾート開発リゾート開発

廃棄物の移動廃棄物の移動

大気汚染大気汚染

宅地造成宅地造成

タンカー事故タンカー事故

フロンガスの増加フロンガスの増加原子力発電所

の事故原子力発電所

の事故

森林伐採森林伐採

焼 畑焼 畑

鉱山開発鉱山開発

過放牧過放牧砂漠化砂漠化

塩 害塩 害

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マカン砂漠にかけて、砂漠化が進行している地域

になっている。この地域の砂漠化の原因は、図3

から「牛、羊、ヤギの増加」か「草原を掘り返して

畑にする」が原因であろうと推察できる。

 では、「牛、羊、ヤギの増加」や、「草原を掘り返

して畑にする」ことが過度に行われている理由は、

地理資料p.106③『珎経済格差の発生と西部大開

発構想─2003年─』(図4)に戻り、中国の沿岸部

と内陸部、都市部と農村部の経済格差を再認識さ

せると明確にあらわれてくる。少ない収入を少し

でも増やそうと、元々生産性の低い土地を最大限

に利用しようとしていることがうかがわれる。

3.中国の環境問題の特徴-その2 大気汚染-

 次に、黄砂とともに飛来する汚染物質について

学習する。新詳p.114②「爰大気汚染-酸性雨-」

(図5)を参照しながら、図4とどのように重な

っているかを確認させる。中国では、二酸化硫黄

の排出量が多い都市と、降水のpH度が高い地域

が必ずしも一致せず、上空の偏西風の影響で、発

生地よりも東部や南東部でpHが高めになってい

ることが考えられる。この延長上に日本があるこ

とは十分予測される。

 そこで、地理資料p.183「珥海を渡る汚染物質」

(図6)を参考にして、日本へやってくる汚染物

質の経路を確認させたい。春先に西日本を中心に

飛来する黄砂の原因の一端が、中国由来であるこ

とを再確認させたい。

4.中国の環境問題の特徴-その3 地球温暖化-

 今年の夏は、日本各地で観測史上最高気温を記

録したことは、記憶に新しい。その都度「地球温

暖化」ということばを新聞紙上でよく見かけた。

地球温暖化は確実に進みつつあるが、その原因

の一つである二酸化炭素の総排出量に占める中国

の割合は、地理資料p.180②玳から15%以上を占

めているのがわかる。今や中国は「世界の工場」と

しての地位を固めつつあるが、これは今後も二酸

化炭素の排出量が増加することを意味する。新詳

p.113①「爬二酸化炭素(CO2)の排出」(図7)からも

図3 『新詳地理資料COMPLETE 2007』p.178①玳

図4 『新詳地理資料COMPLETE 2007』p.106③珎

図5 『新詳高等地図(初訂版)』p.114②爰

図6 『新詳地理資料COMPLETE 2007』p.183珥

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わかるように、中国は総排出量では世界第2位で

ある。その他、図2からもわかるように、中国沿

岸の水質汚染も目立っていることを確認させる。

5.日本の環境問題の現状

 日本においては気候の関係で砂漠化という問題

は発生しないであろう。また、1970年代に四大公

害裁判をはじめ、さまざまな公害問題を克服して

きた日本は、1997年の気候変動枠組条約第3回締

約国会議(COP3・地球温暖化防止京都会議)を

開催し、「京都議定書」の採択が決議されるなど、

地球規模の環境問題においては、リーダー的な役

割を担うことが期待されていることを理解させる。

 また、2000年に「循環型社会形成促進法」が制定

され、生活様式や経済活動を見直し、資源消費の

抑制や環境への負荷が低減された社会の実現が目

標とされていることも確認させる(図8)。

 しかし、図9でわかるように、豊かな自然と経

済開発の両立問題は、現在でも続いている。生徒

に自然保護か開発かのどちらを選択するかという

発問をするのもよい。

6.おわりに

 最近進んでいるバイオエネルギー生産について、

その代表であるバイオエタノールに含まれる炭素

は、植物の光合成によって固定された大気中の二

酸化炭素に由来する。バイオエタノールの燃焼に

よって二酸化炭素が大気中に放出されても、地表

に存在する炭素の総量は変化しないという論点か

ら、「環境に優しい」エネルギーとして注目を浴び

ている。

 しかし、同じ「環境に優しい」といわれた洗剤原

料のパームオイル増産が、熱帯林破壊の原因の一

つになっている。バイオエネルギー増産が新たな

環境破壊や物価高騰の原因にならないように、今

生徒が持っている地理の知識で、「環境に優しい」

エネルギー資源の開発に取り組める授業にしてい

きたい。図8 『新詳地理資料COMPLETE 2007』p.183

図7 『新詳高等地図(初訂版)」p.113①爬

図9 『新詳地理資料COMPLETE 2007』p.182①珈

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1.コーヒー生産地

 コーヒーの木はアカネ科の常緑樹。白い花を咲かせ

た後、約半年から8か月経つとコーヒーチェリーと呼

ばれる赤い実をつける。現在コーヒーの木は、赤道を

挟む南北緯25度の間に位置する約70か国で栽培されて

いるが、飲用目的で栽培され国際市場で取引されてい

るコーヒーの品種は、アラビカ種とカネフォーラ種(ロ

ブスタ)の2種類だけである。アラビカ種は、モカや

ブルーマウンテンなどの芳しい香りが特徴のコーヒー

で、カネフォーラ種(ロブスタ)は、おもにインスタ

ントコーヒーの原料に用いられる。

2.コーヒーの原産国

 コーヒーの原産国は、国別生産量世界第1位のブラ

ジルと思われがちであるが、実はエチオピアである。

そもそもコーヒーは、原産国のエチオピアでコーヒー

の種子を潰し動物の油脂と混ぜ合わせて食用とされ、

イエメンで焙煎して飲まれるようになったという説が

通説となっている。

 モカコーヒーという名前で飲み親しまれている「モ

カ」とは、かつてイエメンにあったコーヒーの輸出港

の名前である。モカコーヒーは、エチオピアとイエメ

ンの紅海を挟んだ2か国で栽培されている。

世界の今知りたい!文字で味わうコーヒーの世界~コーヒーの歴史~

UCCコーヒー博物館学芸員・珈琲鑑定士 香月麻里

3.「賢者の学校」と呼ばれた世界初のコーヒーハウス

 1554年、コンスタンティノープル(現在のイスタンブ

ール)に世界初とされるコーヒーハウス「カフェ・カー

ネス」が開業した。調度品に凝った装飾、絨毯が敷かれ

た店内。この豪華なコーヒーハウスには、様々な国の商

人や旅人、法官や裁判官を目指す若者、宮廷の役人など

がつどい、社交の場として人気を集めたため、「賢者の

学校」と呼ばれた。禁酒を尊ぶムスリム(イスラム教

徒)の間で飲み広められた非アルコール飲料のコー

ヒーは、嗜好品の域を超えて深く人々の間に浸透し、

オスマン帝国のもとで喫茶文化が構築された。

 その後、ヨーロッパ圏でコーヒーが飲用され始める

のは17世紀以降のことである。

4.コーヒー栽培の伝播

 1669年、ソリモン・アガというオスマン帝国の特

使が、フランスのブルボン朝・ルイ14世に謁見して1

杯のコーヒーを献上した。このオスマン流の喫茶外交

を展開した約2年後、マルセイユにフランス最初のカ

フェが誕生した。

 さらにフランスよりも半世紀も早く、植民地にお

けるコーヒー栽培を展開させたのはオランダだった。

オランダは1658年にセイロン島(現在スリランカ)、

1699年にインドネシアのジャワ島でコーヒー栽培をス

タートさせ、1714年にはオランダ・アムステルダム市

長からルイ14世に1本のコーヒーの苗木が贈られた。

パリの植物園で大切に育てられたこの苗木を足がか

りに、フランスは西インド諸島・カリブ海の島々の植

民地におけるコーヒー栽培に夢を託した。1720年、軍

人ド・クリューは、フランス領マルティニーク島へ移

植を試み失敗するが、しかし、その3年後の再挑戦で

成功させた。こうして1本の苗木からはじまったマル

ティニーク島でのコーヒー栽培は、1740年代になると

1,900万本を数えるまでに成長し、豊かな実りをもた

らした。

 いち早くコーヒー事業に成功を収めたオランダ、続

くフランスもコーヒープランテーション事業を軌道に

のせコーヒーの自給経路を確立した。イギリスは、国

際市場におけるコーヒー事業への立ち遅れを理由に茶〈図1〉国別コーヒー生産量構成比推移

出典:米国農務省 June 2007

8,000,000

7,000,000

6,000,000

5,000,000

4,000,000

3,000,000

2,000,000

1,000,000

0

03/04年 04/05年 05/06年 06/07年 07/08年

(t)

T=6,547,620

T=7,265,640

T=6,694,440

T=7,879,020

T=7,131,660

30.436.0 32.4

35.5 30.5

13.7

12.012.1

14.214.8

10.1

9.510.7

9.310.4

5.5

5.46.0

5.1

5.84.1

3.94.2

3.8

4.04.1

3.23.6

3.2

3.83.4

3.13.2

2.8

3.13.6

4.14.0

4.2

4.02.4

2.1

1.9

1.9

2.12.7

2.2

2.8

2.4

2.8

20.0

18.4

19.1

17.6

18.7

ブラジル

ベトナム

コロンビア

インドネシア

グアテマラエチオピア

メキシコインド

ウガンダホンジュラス

その他

(T:Total/t)(単位:%)

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事業に着手し成功を収めたが、1728年に領地ジャマイ

カでのコーヒー栽培開始。このことは、コーヒー市場

での競争の遅れを取り戻すためにも、重要な意味合い

をもっていた。

 世界のコーヒー栽培の伝播は、ヨーロッパの植民地

政策のなかで、さらに中南米、アフリカへと栽培地域

を拡大させていった。

5.コーヒーの木を守るシェードツリー

 アラビカ種の栽培は、年間平均気温23度が最適と

される。25度以上になると光合成が低下し、30度以上

の気温に長時間さらされると葉焼けをおこして落葉す

る。コーヒーの木は木陰を好む傾向があるため、とく

に中米の産地では、木漏れ日を利用して栽培されるこ

とが多い。強い直射日光からコーヒーの木を守る背の

高い木を“シェードツリー”と呼び、理想的なシェー

ドツリーは、土壌の水分を大量に必要とせず、適度に

日ざしを通す小ぶりの葉をもつ豆科の高木が好ましい。

バナナの木を植えている畑も多いが、これは土壌の水

分や養分を大量に吸収してしまい土壌管理の上では欠

点だが、労働者の食用や換金性のあるバナナは捨てが

たい存在である。シェードツリーを用いない産地では

コーヒーの木々の植え幅を極端に狭くし、互いの葉を

重ね合わせて葉温上昇を抑えるなど様々な工夫が施さ

れている。

6.アジアは重要なコーヒー生産地域

 コーヒー生産国といえば中南米のイメージが強いが、

ベトナムはコーヒー生産量世界第2位で、インドネシ

アは世界第4位の生産国である。ベトナムのコーヒー

栽培の歩みは1887年以降のフランス統治が始まった時

代にまで遡る。1980年代になると国策としてコーヒー

栽培が推奨され、現在カネフォーラ種(ロブスタ)の

生産量では世界第1位を誇る。ロブスタとは“頑丈”

という意味で、アラビカ種と比較するとその名の通り

暑さや病気に強く、気象条件に大きく左右されなけれ

ば毎年安定的に生産することができる利点も生産量を

伸ばした要因のひとつである。

7.日本生まれのコーヒーとは・・・

 日本で最初にコーヒーを口にした人々は、出島に出

入りした役人や遊女とされているが、その味わいは人

気を得ず、苦くて飲めないコーヒー豆を香炉でたいて

香りを楽しんだ遊女の記録がある。

 1823年、医師として出島へ赴任したシーボルトは、

コーヒーを缶もしくは瓶に詰め、飲用方法を記載した

ラベルを貼り付け日本で販売を試みるようオランダ領

インド政府に進言したが、シーボルトが推奨したコー

ヒーは日本人の嗜好には合わず夢の商品となった。日

本の街中で本格的なコーヒーを飲ませる『可否茶館』

が登場したのは、1888年のことである。

 現在日本は、アメリカ、ドイツに次ぐ世界第3位の

コーヒー輸入大国。新しい飲み方も考え出されてきた。

アイスコーヒーは日本独特の飲用スタイルであり、ま

た、インスタントコーヒーは1899年の加藤博士の発明。

1969年に発売されたミルク入りの缶コーヒーは日本生

まれである。

8.コーヒーの香りは世界に漂う

 エチオピアを起源とするコーヒーは、アラブ世界を

経てイスラーム圏で文化として構築され、17世紀以降

にようやくアラビア半島からヨーロッパへコーヒー飲

用が伝わった。ヨーロッパで多くの人々がコーヒーの

飲用を始めるようになると、必然的にコーヒー栽培は

アジア、中南米、アフリカへと広がり、さらなるコー

ヒー飲用の習慣が世界各地へと広がって実に様々な

コーヒー史が築かれていった。

〈図2〉日本のコーヒー生豆輸入量国別構成比推移出典:財務省「通関統計」

ブラジル

ベトナム

コロンビア

インドネシア

グアテマラ

エチオピア

エルサルバドル

タンザニア

コスタリカ

ホンジュラス

その他

4,500,000

4,000,000

3,500,000

3,000,000

2,500,000

2,000,000

1,500,000

1,000,000

500,000

0

(t)

00年

18.4

23.6

18.3

7.0

6.6

7.32.24.4

4.4

9.2

T=382,230

03年

26.3

19.4

15.4

8.5

5.9

7.2

1.91.1

2.32.41.72.3

8.6

T=377,647

04年

24.1

20.1

15.3

9.5

6.4

6.82.11.91.12.1

T=400,977

10.6

05年

27.3

22.8

13.8

7.4

6.8

8.0

2.41.41.31.7

7.1

T=413,264

06年

27.6

20.5

15.0

9.2

7.4

6.5

T=422,696

6.5

2.41.91.61.4

(T:Total/t)(単位:%)

参考資料岩切正介著 「ブルボン王朝下のコーヒーとカフェ」『コーヒー文化研究』No.5、6 日本コーヒー文化学会 1998-99年村田武著 『コーヒーとフェアトレード』 筑波書房ブックレット 2005年ウィリアム・H・ユーカーズ著、UCC上島珈琲監訳 『オール・アバウト・コーヒー』 TBSブリタニカ 1995年

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ロシア・イルクーツクのダーチャ(解説 p.15)

2007年 12月号

地理・地図資料

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 写真は、ロシアのシベリアのイルクーツクで撮

影されたダーチャ群である。手前には、バイカル

湖から流れ出す唯一の川であるアンガラ川も見え

る。

 ダーチャとは、「別荘」を意味するロシア語で、

語源はダーチ(「(分け)与える」という意味)と

いう動詞である。日本では、「別荘は、お金持ちが

山中や海辺の避暑地に建てるもの」という認識が

一般化しているので、驚かれる方も多いかもしれ

ないが、ロシアの場合は一般庶民でも郊外にダー

チャを保有していることが珍しくない。最近の各

種世論調査によると、ロシア全国の都市に暮らす

世帯の40%近くが郊外にダーチャを保有している

といわれている。この数字の背景には、まだソ連

時代だった1960年代以降に、当時のソ連政府が一

般庶民(労働者たち)に、郊外の別荘用地を無料

で「分け与えた」という事情が潜んでいる。

 これまでは、ダーチャといえば、一般庶民がそ

の無料で配給された土地に、廃材などを利用して

手作りで建設した質素な小屋のことを指すのが普

通であった。写真の奥の方に手作り風の掘立小屋

がいくつか写っているが、それが一般庶民のダー

チャである。ところが、最近、経済が好調なロシ

アでは富裕層が急増しており、写真の川辺付近に

見えるような豪華なダーチャも目立つようになっ

ている。川へのアクセスに便利な一等地はお金持

ち専用というところであろうか。ロシアでも個人

間の所得・賃金格差が確実に広がっていることを

実感させる写真である。この他、ロシアでは地域

間の賃金格差も広がっている。公式データによれ

ば(実際の給与水準はもっと高いとの説が有力だ

が)、最も豊かな地域のひとつであるモスクワ市の

平均賃金は2007年春時点で約860ドル(9万9千円

弱)/月であるが、最も貧しい地域のひとつであ

るダゲスタン共和国の平均賃金はその4分の1の

216ドル(2万5千円弱)にすぎない。ちなみに、

イルクーツクの平均賃金はロシアの平均値(511

ドル)をやや上回る520ドル(6万円弱)となって

いる。

 ロシア人がダーチャを利用するのは、原則、春

から夏にかけての暖かい時期である。この時期の

毎週末にダーチャに出かけるというのが、最も一

般的なダーチャの利用方法となっている。このた

め、春から夏にかけての時期、モスクワなどでは、

金曜日の夕方はダーチャに向かう車で郊外方面の

道路が大渋滞になる。逆に、日曜日には都心部方

向の道路が大渋滞となる。

 ダーチャでの時間の過ごしかたは人それぞれで

あるが、ひとつだけ、老若男女の別なく、全員が

ダーチャで共通に行う作業が存在する。それは家

庭菜園での畑仕事だ。ほとんどすべてのダーチャ

には家庭菜園があり、野菜や果物の栽培が行われ

ているのである。家庭菜園といっても、結構本格

的なものであり(写真には、温室も見える)、そ

こで育てられた野菜や果物は、それぞれの家庭で

消費される他、それらを道端で売って小銭を稼ぐ

人もいる。つまり、ダーチャはロシアの一般庶民

にとって、貴重な食料供給源であり副収入源でも

あるのだ。ソ連解体後から約10年近くロシアでは

経済の混乱期が続いたが、食料事情が意外に良好

であったのは、このダーチャの家庭菜園のおかげ

だという説が有力となっている。

(ロシアNIS貿易会 坂口 泉)

表紙写真解説

イルクーツクのダーチャ(写真:ロシア/イルクーツク 帝国書院 2007年8月撮影)

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2007 年9月のミャンマーのデモとその背景

 2007年8月半ばから9月末にかけて、ミャンマー(ビ

ルマ)各地で反政府デモが起こった。当初は、かつて

の学生活動家たちが主導する小規模なものだったが、

9月初旬から次第に僧侶が運動の主体となり、9月26

日には全国各地で10万人以上が参加し、デモの大きさ

はその頂点を迎えた。ところが、翌27日、デモ隊への

発砲を伴った大規模な軍による鎮圧作戦がはじまった。

正確な数字はわかっていないが、国連の推計によれば、

100人を超える人々が一連の弾圧によって亡くなった

とされている。そのなかには、治安部隊の兵士から至

近距離で射殺された日本人ジャーナリストの長井健治

さんも含まれていた。弾圧はその後も続き、発砲の翌

日からは、活動家の自宅はもちろん、各地の僧院にも

軍の部隊が突入し、デモに参加した多くの市民と僧侶

が拘束された。

 今回の騒動の発端は、今年8月15日にガソリン、デ

ィーゼル、天然ガスなどの燃料費が最大4倍に値上げ

されたことにある。燃料費の値上げは原料費や輸送費

の値上げを引き起こし、すべての生活物資の価格上昇

につながる。この10年、ただでさえ年率30%以上のイ

ンフレーションに悩まされてきたミャンマー国民にと

って、今回の燃料費値上げは生活に深刻な影響を与え

るものだった。

 そんなおり、9月初旬に地方都市で起きた僧侶によ

る小規模なデモを、軍の治安部隊が暴力的におさえこ

んだ。ミャンマーでは、仏教徒の男性であれば、必ず

一生に一度は出家し、また、日常的に僧院へ布施を行っ

たり、僧侶に食事をふるまうなど、仏教に対する信仰

があつい。僧侶は社会的に極めて高い尊敬を集める存

在である。その僧侶に対して、軍隊が暴力をふるった

という情報は、インターネットなどを経由して海外に

流れ、それが海外発信の短波ラジオ放送を通じてミャ

ンマー全土に知らされた。その結果、僧侶を主体とし、

多くの市民を巻き込んだデモは一挙に拡大し、1988年

以来最大規模の反政府運動へと発展したのである。

 市民や僧侶が通りを行進することで自らの窮乏を訴

えなければならないのは、それ以外の方法で国民の意

思を政府に伝えることが難しいからである。1962年か

ら軍事政権が続いているミャンマーでは、この45年間

で民主的な選挙は1990年に1度行われただけであり、

しかも、軍政はその選挙結果を無視したまま今も政権

を維持している。木材、宝石、天然ガスなどの豊かな

資源は、政府によって積極的に海外に輸出されている

ものの、その利益が、国民の生活改善のためではなく、

もっぱら軍隊の高級将校の利権となっている。こうし

た長年の軍による独裁が、民主化の実現をはばみ、ま

すますミャンマー社会を困窮させているのである。

 今回のデモで、欧米諸国はあらためてミャンマーの

軍事政権を非難し、制裁措置に踏み切った国も少なく

ない。かつて最大の援助国だった日本も、今後はミャ

ンマーに対して厳しい態度でのぞむものと予想される。

他方で、中国、ロシアなどの経済的に深い関係を持つ

大国が制裁のような強い手段をとることはないだろう。

ミャンマー国内では現在もデモ参加者の拘束や投獄が

続いており、今後の見通しは決して明るくない。僧侶

たちの祈りが通じる日はいつ訪れるのだろうか。

(京都大学東南アジア研究所非常勤研究員 中西嘉宏)

地理資料シリーズ