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有機多結晶TFTにおけるキャリア移動度の制限要因 千葉大学工学研究科 中村雅一 1.はじめに 有機低分子を用いた薄膜トランジスタ(TFT) らしきものが動作することが実証されたのは 1980 年代前半であった [1, 2]が、長らくは有機半導体材料の物性を評価する一手段としてマイ ナーな役割を果たしてきただけであった。ところが、2000 年前後に実用的な性能が得られるこ とが分かってくるにつれ、有機 TFT に関する研究が急激な勢いで盛んになってきた。このよう に盛り上がっている理由として、まずは、先行する有機エレクトロルミネッセンス(EL)素子 の研究が製品開発フェーズに移り、「有機半導体も使い物になるのだ」という認識が広まってき たこと、その次に、実際に有機 TFT を作ってみると実感できるのであるが、半導体デバイスの 常識からすると極めて簡単かつ安価な設備でとりあえずトランジスタらしきものが動作すると いう敷居の低さが挙げられるだろう。ソースおよびドレイン電極とゲート電極とのオーバーラッ プを無視した実用性の薄い「デバイスもどき」でよければ、いくつかのマスクと安価な真空蒸着 装置を用意することで、学生実験レベルの作業で動作解析に足るトランジスタを作製することが できる。 このように簡単に半導体デバイスとして動作するのは、なにより閉殻構造の分子を電子帯構造 の基本単位としていることによる。そのため、無機半導体と比較して、 (a)基本的にダングリング ボンドが存在せず、多数キャリアならほとんど有効に蓄積・伝搬される、 (b)金属/半導体界面お よび誘電体/半導体界面にもそれほど界面準位が発生せず、教科書的な特性が得られやすい、 (c) 原料の純度やプロセス中に取り込まれる不純物による影響が比較的小さい、などのメリットがあ る。これらのメリットに加えて、室温での蒸着や溶液からのウェットプロセス[3]でも TFT が作 製可能なため、印刷的なプロセスでポリマーフィルムなどに roll-to-roll でトランジスタ回路を作 製でき、従来の半導体技術よりもはるかに安いコスト/面積で大面積回路が作製できると期待さ れている。これによって、従来エレクトロニクスが入りこんでいなかった衣食住の領域に、大面 積・フレキシブル・低コストを切り口にした「フレキシブルエレクトロニクス」が広がってゆく 可能性が期待されているのである。 図1に、結晶シリコンやアモルファスシリコンと比較して、有機 TFT に期待されるアプリケ ーション領域の概念図を示す。シリコン系の TFT などよりも面積あたりのコストを格段に安く できるのであれば、特に高性能でなくとも新たなアプリケーションが開けるのではないかという 主張が込められている。その場合、大量生産・大量消費に加えて大量に廃棄されることも考慮し なければならず、資源的な視点も重要である。幸い、シリコンが地殻にありふれた元素であるの

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Page 1: 有機多結晶TFTにおけるキャリア移動度の制限要因 …...有機多結晶TFTにおけるキャリア移動度の制限要因 千葉大学工学研究科 中村雅一

有機多結晶TFTにおけるキャリア移動度の制限要因

千葉大学工学研究科

中村雅一

1.はじめに

有機低分子を用いた薄膜トランジスタ(TFT)らしきものが動作することが実証されたのは1980 年代前半であった [1, 2]が、長らくは有機半導体材料の物性を評価する一手段としてマイナーな役割を果たしてきただけであった。ところが、2000 年前後に実用的な性能が得られることが分かってくるにつれ、有機 TFT に関する研究が急激な勢いで盛んになってきた。このように盛り上がっている理由として、まずは、先行する有機エレクトロルミネッセンス(EL)素子の研究が製品開発フェーズに移り、「有機半導体も使い物になるのだ」という認識が広まってき

たこと、その次に、実際に有機 TFT を作ってみると実感できるのであるが、半導体デバイスの常識からすると極めて簡単かつ安価な設備でとりあえずトランジスタらしきものが動作すると

いう敷居の低さが挙げられるだろう。ソースおよびドレイン電極とゲート電極とのオーバーラッ

プを無視した実用性の薄い「デバイスもどき」でよければ、いくつかのマスクと安価な真空蒸着

装置を用意することで、学生実験レベルの作業で動作解析に足るトランジスタを作製することが

できる。 このように簡単に半導体デバイスとして動作するのは、なにより閉殻構造の分子を電子帯構造

の基本単位としていることによる。そのため、無機半導体と比較して、(a)基本的にダングリングボンドが存在せず、多数キャリアならほとんど有効に蓄積・伝搬される、(b)金属/半導体界面および誘電体/半導体界面にもそれほど界面準位が発生せず、教科書的な特性が得られやすい、(c)原料の純度やプロセス中に取り込まれる不純物による影響が比較的小さい、などのメリットがあ

る。これらのメリットに加えて、室温での蒸着や溶液からのウェットプロセス[3]でも TFTが作製可能なため、印刷的なプロセスでポリマーフィルムなどに roll-to-rollでトランジスタ回路を作製でき、従来の半導体技術よりもはるかに安いコスト/面積で大面積回路が作製できると期待さ

れている。これによって、従来エレクトロニクスが入りこんでいなかった衣食住の領域に、大面

積・フレキシブル・低コストを切り口にした「フレキシブルエレクトロニクス」が広がってゆく

可能性が期待されているのである。 図1に、結晶シリコンやアモルファスシリコンと比較して、有機 TFT に期待されるアプリケーション領域の概念図を示す。シリコン系の TFT などよりも面積あたりのコストを格段に安くできるのであれば、特に高性能でなくとも新たなアプリケーションが開けるのではないかという

主張が込められている。その場合、大量生産・大量消費に加えて大量に廃棄されることも考慮し

なければならず、資源的な視点も重要である。幸い、シリコンが地殻にありふれた元素であるの

Page 2: 有機多結晶TFTにおけるキャリア移動度の制限要因 …...有機多結晶TFTにおけるキャリア移動度の制限要因 千葉大学工学研究科 中村雅一

と同様、有機物を構成する元素もたいてい地表付近の生物圏にありふれた元素であるので、この

点においても有機半導体を用いるメリットがあるのではないかと思われる。

図1 有機トランジスタに期待される領域

2.有機 TFT における技術的課題としてのキャリア移動度

有機 TFTの技術的課題としては、(a)電界効果キャリア移動度の向上、(b)電極からのキャリア注入障壁の低減、(c)ゲートしきい電圧の低減、(d)しきい電圧シフトの低減、(e)大気不安定性の低減、(f)温度依存性の低減、(g)ドーピング制御、などが挙げられる。すべてについて語るスペースはないので、本報告ではキャリア移動度に話を絞る。 有機半導体材料におけるキャリア輸送は、専らホッピング伝導であると書かれている教科書が

多いが、こと TFT に使われるような「高移動度」材料では、バンド伝導と考えたほうが良い場合が多い。ただし、分子性結晶における分子間の結合は極めて弱く、電気伝導に寄与するπ軌道

の分子間オーバーラップは小さい。そのため、無機半導体では伝導バンドの幅が 10eV程度あるのに対して、有機半導体ではせいぜい 0.5eV前後である。従って、そもそも無機半導体のような高移動度は期待できないことから、図1に示すようなアプリケーション領域を目指すのである。

にもかかわらず電界効果移動度の向上が必要とされているのはなぜであろう? 有機 TFT においても、半導体の教科書に書かれているとおり、飽和領域のドレイン電流は次式で表される。

!

IDS

sat =µWC

i

2LVG"V

T( )2 (1)

ここで、

!

µはキャリア移動度、

!

Wはチャネル幅、

!

Lはチャネル長、

!

Ciはゲート絶縁膜の単位面積

あたりの静電容量、

!

VG

はゲート電圧、

!

VTはゲートしきい電圧である。低移動度ながらもそれな

りに使える動作周波数でトランジスタ回路を動かそうとするなら、出力電流が大きい(すなわち

出力抵抗が小さい)ことが要求される。従って、

!

µや

!

W /Lや

!

Ciを大きくする必要がある。しか

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し、

!

W /Lを大きくするには電極パターン形成の精密化が必要であり、フレキシブル基板上での

低コスト作製という要請に合致しなくなる。

!

Ciを大きくするには、ゲート絶縁膜の誘電率を大き

く、膜厚を小さくする必要があるが、これについても大面積プロセスでピンホールなどの欠陥を

生じないという制約から、大きく増加させることは困難である。従って、有機半導体材料および

TFT作製法に工夫を凝らして、

!

µを少しでも大きくすることが最も安全かつ確実なアプローチな

のである。 TFT 用のp型有機半導体材料として定番となっているペンタセンの電界効果キャリア移動度の論文報告値の推移を図2に示す。1990 年代後半から急激に報告される移動度が大きくなってきたことが、現在の有機 TFT 研究の活発化につながっている。丸印は多結晶薄膜によるものであるが、これはだいたい 1 cm2/Vs前後で飽和しているようである。しかし、四角印の単結晶による値については、作製技術の向上に伴って近年になって報告値が延びており、最高で 40 cm2/Vsの値が報告されるに至っている[4]。このことからもわかるように、TFT から算出される「みかけの」電界効果移動度は、同じ材料でも、たとえ単結晶を使っていても TFT の作製方法によって何桁にもわたって変化する。このことから、みかけの電界効果移動度は、材料固有の物性値で

はなく様々な因子が入った性能指標にほかならないことがわかる。従って、安定して高いみかけ

の移動度を発揮させるためには、移動度の制限要因を調べることが重要となってくる。

図2 ペンタセンの電界効果移動度報告値の推移

3.ペンタセン TFT における電界効果キャリア移動度の制限要因

我々のグループでは、典型的な高移動度有機半導体材料である前述のペンタセンを用いた TFTを作成し、独自開発した評価手法を用いてキャリア移動度の制限要因を調べてきた。用いた独自

手法は、TFT の動作時電位分布を 10 nm の空間分解能と 100μV の電位分解能で測定できる

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AFMポテンショメトリ[5, 6]、および、電極の影響を排除して有機半導体/ゲート絶縁膜界面構造のみで決まる真の電界効果移動度を評価することができる四探針電界効果測定[6, 7]である。 まずは、作成法に大きく依存する外的制限要因について調べた結果[6, 8]を概説する。(図3)まず、室温程度の低めの温度で成長した膜にしばしば見られる分子面が基板面に平行となる異配

向結晶粒[9]では、周囲の結晶粒との間がほぼ絶縁状態となる。これは、粒界においてπ軌道の連続性が途絶えるためと考えられる。このような異配向結晶粒が増えるとみかけの移動度は 1/10~1/100程度になってしまう。さらに、ソース・ドレイン電極に関わる要因も大きい。有機 TFTでは、一般に有機半導体層の上から金属電極を蒸着してソース・ドレインを作成する「トップコ

ンタクト型」のほうが、電極の上に有機膜を成膜する「ボトムコンタクト型」よりもみかけの移

動度が高いことが多い。ボトムコンタクト型では、電極端部で結晶性が悪くなりやすいことに加

え、金属に有機半導体をソフトに接触させるとあからさまにショットキ接触となりやすく、大き

なキャリア注入障壁が生じるからである。これは、ドーピング制御技術が未確立であるため、オ

ーミック性の接触を金属/有機界面の性質に頼っているためでもある。一方、トップコンタクト

型においても、電極形成に伴うみかけの移動度低下が起こっていることが判った。ソース・ドレ

イン電極として金をマスク蒸着する際に、数十 nm~1μm 程度の範囲でサブモノレイヤーレベルの金原子がチャネル部にも入射する。この範囲でペンタセンが低移動度化するのである。これ

は主に粒界部が高抵抗化することによって起こり、低移動度領域では移動度が本来の 1/10 程度になってしまう[8]。これらの外的制限要因が、同じ素子構成であるにもかかわらず装置や作成者によってみかけの移動度が大きくばらつく要因である。

図3 ペンタセン TFT における電界効果移動度の外的制限要因 次に、より本質的に材料に依存した内的制限要因について概説する。図4に、AFM ポテンシ

ョメトリによって観察した TFTチャネル部(ボトムゲートの絶縁膜は SiO2)の電位像を微分し

て得られた電位勾配像を表面形状像に重ね合わせたものを示す。乱れたやや明るい線が網目状に

なっているところが電位勾配の大きいところ、すなわち、キャリア輸送障壁が存在する場所であ

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る。ペンタセン多結晶膜では、この像にみられるような四つ葉あるいはピラミッド状の結晶粒が

成長するが、その粒内のかならずしも形態的に明瞭な境界のないところにもキャリア輸送障壁が

存在していることがわかる。ここには、結晶のドメイン境界が存在するものと思われる。統計的

に見ると表面形状から判別される結晶粒をおよそ四等分するように障壁が存在していることか

ら、ペンタセンの多結晶膜における結晶ドメインのサイズはみかけの結晶粒径の半分と考えれば

よい。

図4 ペンタセン TFT チャネル部の表面形状に電位勾配像を重ねたもの(10μm 角)

これを受けて、成長温度を変えて 300~900 nmにわたる様々なドメインサイズを有するペンタセン薄膜を SiO2/Si基板上に成長させ、四探針電界効果測定によって真の電界効果移動度を調べた[10]。図5(a)に、電界効果移動度のドメインサイズ依存性を示す。2種類の測定温度の結果をプロットしてあるが、どちらも原点を通る直線に乗る傾向が見られる。低分子多結晶膜を用い

た TFTにこのような傾向が現れることは、Horowitzらによってオリゴチオフェンを用いた試料において報告されており、多結晶シリコンなどで提唱された「多結晶モデル」で説明されている

[11]。Horowitz らの報告における多結晶モデルでは、結晶粒内において熱運動しているキャリアが、粒界部に集中するトラップのために生じたポテンシャル障壁を熱電子放出によって超える

頻度によって移動度が制限されていると考えられていた。しかし、彼らの実験結果も我々の結果

も、そのモデルを適用するとキャリアの平均熱速度が極めて小さい値にしかならず、熱電子放出

理論の適用に問題があると考えられた。そこで、改めて障壁を拡散理論に従って越えるという前

提でモデルを考え直した。

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(a) (b)

(c) (d)

図5 四探針電界効果測定により求めた、(a)電界効果移動度の結晶ドメインサイズ依存性、(b)典型的な移動度の温度依存性、 (c)障壁高さおよび(d)ドメイン内キャリア移動度のドメインサイ

ズ依存性 拡散理論による多結晶モデルにおいても、移動度は障壁間距離

!

lに比例し、

!

µ =ql

2kBTµh

qNA"b2# s

exp $q"bkBT

%

& '

(

) * (2)

と表される。ここで、

!

µhは結晶粒内におけるホールの移動度、

!

NAはアクセプタ密度、

!

"bは障壁

高さ(電位の次元で単位 V)、

!

"sは半導体の誘電率である。これに従うと仮定して移動度の温度依

存性を

!

ln 2kBTµ q( )対

!

1000 Tという形でプロットしたものを図5(b)に示す。通常のアレニウスプロットよりこちらのほうがより直線的になった。さらに、このようなプロットの傾きから求めた

障壁高さのドメインサイズ依存性は、図5(c)に示すようにドメインサイズによらず一定となった。これらの事実から、多結晶ペンタセン薄膜におけるキャリア輸送は、拡散理論による多結晶モデ

ルで矛盾無く説明できるものと考えられる。 実験結果がこのモデルによく一致することから、式(2)により結晶ドメイン内のホール移動度を求めると、これもドメインサイズによらず約 1.0 cm2/Vsとなった{図5(d)}。ところが、図2に示した単結晶における電界効果移動度の最高値(40 cm2/Vs)[4]は、この値よりはるかに大きい。

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また、単結晶のバンド計算で予測される最も小さい有効質量{(1.3±0.4)

!

m0}[12]や、単分子結

晶膜の光電子分光から求められた値(1.26

!

m0)[13]からもより大きな移動度(> 10 cm2/Vs)が

期待されている。従って、TFT研究において定番とも言うべき SiO2基板上のペンタセン薄膜で

は、結晶ドメイン内においても実効的にホールが単結晶より重い状態となっていることが疑われ

る。 そこで、結晶ドメイン内の TFT動作時電位分布に注目して、AFMポテンショメトリによる同様の試料における電位像を詳しく解析したところ、結晶ドメイン内にもほぼ例外なく電位ゆらぎ

が観察されていることを見いだした[14]。この電位ゆらぎのうち膜表面形状の影響を受けていないと思われる箇所の結果について、いくつかの仮定のもとに HOMOバンド(無機半導体における価電子帯)上端のゆらぎに換算したものを図6に示す。ピーク toバレイで約 30 meV、ゆらぎ半値全幅としては約 12 meVのバンド端ゆらぎが存在していると推定される。(この値はアモルファスシリコンにおけるゆらぎよりやや小さい。)ドメイン境界のバリアと比べれば小さいもの

の、このようなゆらぎによってホールの輸送が弱いながらもパーコレーション的になるか、ある

いは捕獲-脱捕獲プロセスの影響を受けることによって、単結晶中よりも移動度が小さくなって

いることが推測される。なお、このゆらぎの起源はまだ明らかになっていないが、チャネルを構

成するゲート絶縁膜界面近傍の分子がおかれた環境が揺らいでいることに起因する可能性が高

いものと思われる。

図6 AFM ポテンショメトリにより測定されたチャネルポテンシャル分布から算出した

HOMO バンド端ゆらぎ

一方、AFM ポテンショメトリによる境界部電位ドロップのゲート電圧依存性から、図5で見

積もられた結晶ドメイン内の移動度を見かけ上小さくしている要因がさらに存在することも明

らかになった。図7(b)は電位ドロップのゲート電圧依存性の典型例であるが、ゲート電圧を負側に大きく、すなわちチャネルにより多くのホールを蓄積させてゆくと、電位ドロップが減少して

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ゆき、0でない値に収束する傾向が見られる。ホール蓄積による電位ドロップの減少は、前出の多結晶モデルで考えたように境界部のトラップによる障壁を考えれば説明できるが、0でない一定値が残ることは、図7(a)に概念的に示すようにドメイン境界を越える際の移動度

!

µbがドメイ

ン中の移動度

!

µcよりも小さいことを想定しないと説明ができない。そこで、異なる場所にある

様々な境界部の電位ドロップについて、そのゲート電圧依存性を、境界のトラップ密度と比移動

度(

!

µr

= µb

µc)をパラメータとしてフィッティングさせたところ、いずれにおいても図7(b)

のように実験結果をきれいに再現することができた。このときに得られたトラップ密度の値は、

(1–4)×1011 cm-2、比移動度は 0.001–0.02 の範囲であった。従って、ドメイン境界をまたぐ際のホールの移動速度はドメイン内の 1/100程度しかないと考えるべきであることが判る。ソースからドレインに至るまでの経路の総分子数に対してドメイン境界の数は何桁も小さいことから、こ

の比移動度そのものがマクロなみかけの移動度に与える影響はそれほど大きくないが、図5(d)において求めたドメイン内の移動度は、数十 nm程度の幅しか持たない障壁空乏層を仮定して求められていることから、それなりの影響を与えていると考えられる。大まかに見積もって、図5

(d)で求められた移動度は見かけ上 1/5程度に見えていると考えている。前出のドメイン内バンドゆらぎと合わせると、本来の結晶ドメイン内ホールの移動度は確かに 10~20 cm2/Vs程度は期待しても良いことになる。

(a) (b)

図7 (a)ドメイン境界における移動度の概念と(b)それを仮定して境界における電位ドロップのゲート電圧依存性実測値(□)をデバイスシミュレーションによってフィッティングさせた結果

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図8 ペンタセン多結晶膜におけるキャリア輸送過程の概念図

4.まとめ

無機半導体と比較して、有機半導体は本質的に低キャリア移動度である。しかし、TFT アプリケーションにおいては、低いながらもなるべく移動度を高める努力が必要とされている。典型

的なp型の低分子半導体材料であるペンタセンの多結晶 TFT において、移動度を制限する要因を調べ、作製法に大きく依存するいくつかの外的制限要因を見いだした。また、それらを排除し

た後に問題となる内的制限要因についても評価を行い、図8に概念的に示されるようなキャリア

輸送過程を経ていることを定量的に明らかにした。現状では、ソースからホールを注入する際に

注入障壁(本稿では説明できなかったが、定番となっている金によるトップコンタクトでも、0.23 eV の注入障壁が確認されている[15]。)を超える必要があり、結晶ドメイン境界の 150 meV 程度のエネルギー障壁も超えなければならない。さらに、ドメイン境界では、局所的な移動度が結

晶ドメイン中の 1/100程度にまで小さくなっている。一方、結晶ドメイン内においても、バンドゆらぎのために理想的な単結晶よりも実質の移動度が小さくなっている。従って、注入障壁およ

びドメイン境界の障壁を低下させることに加えて、バンドゆらぎを低減することで、実用的な多

結晶 TFT においても現状より一桁近くみかけの電界効果移動度を上げることができるであろう。 参考文献

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(2003).

[6] M. Nakamura, H. Ohguri, H. Yanagisawa, N. Goto, N. Ohashi and K. Kudo: Proc. Int. Symp. on

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[7] http://www.shi-am.co.jp/optel/product//FPM-101.htm

[8] M. Nakamura, N. Goto, N. Ohashi, M. Sakai, and K. Kudo: Appl. Phys. Lett. 86, 122112 (2005).

[9] H. Yanagisawa, T. Tamaki, M. Nakamura and K. Kudo: Thin Solid Films, 464-465, 398 (2004).

[10] 松原亮介、中村雅一、工藤一浩:電子情報通信学会技術報告,EID2006-90,OME2006-133, 7-11 (2007).

(論文投稿中)

[11] G. Horowitz, M.E. Hajlaoui: Adv. Mater. 12, 1046 (2000).

[12] K. Hummer and C. Ambrosch-Draxl: Phys. Rev. B, 72, 205205 (2005).

[13] H. Kakuta, T. Hirahara, I. Matsuda, T. Nagao, S. Hasegawa, N. Ueno, and K. Sakamoto: Phys.

Rev. Lett. 98, 247601 (2007).

[14] 大橋昇、冨井弘、松原亮介、中村雅一、酒井正俊、工藤一浩:電子情報通信学会技術報告,OME2007-10,

5-9 (2007.). (論文投稿中)

[15] 澤部智明:2006年度千葉大学大学院自然科学研究科修士論文