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108 JULY 2015 「放送ウーマン」が見てきた戦中・戦後 武井照子関係資料 メディア研究部 廣谷鏡子 はじめに 2015年3月にNHK総合テレビで放送され た,『放送90年ドラマ「紅白が生まれた日」』に, 終戦後,男性アナウンサーが復員してくるとい う理由で自主的に退職させられそうになる女子 アナウンサーが登場する。ドラマでは,彼女 はその後『紅白歌合戦 』の前身となる番組のス タッフになるのだが,この女子アナウンサーの モデルの一人が,武井(当時小島)照子さんで ある。1981年の連続テレビ小説『本日も晴天 なり』のヒロインも,武井さんら当時のアナウン サーがモデルになっている。今回は,2015 年 1 月,武井さんからNHK 放送博物館に寄贈され た,戦中・戦後の貴重な資料を紹介する。 武井照子さんは,1925 年生まれ,44 年,NHK に第 16 期アナウンサーとして入局,53 年からは 教育課に移り,幼児番組のディレクターとして 数多くの子ども向け番組を手がけた。定年退職 後も地元・埼玉で,朗読グループの指導や,コ ンサートなどの企画・制作に力を注いでいる。 寄贈資料は表1 のとおりである。 戦前の『幼児の時間』 なかでも貴重と思われるのは,戦前の放送 台本であり,『幼児の時間』はその一つである。 NHKの全国向けの学校放送は,1935年4月 に始まったが(大阪中央放送局では 33 年より 放送),『幼児の時間』は毎週火曜の午前 10 時 ~ 10 時 20 分に編成されていた。ラジオの機 能を生かして音楽,唱歌,童話などを中心に, 幼児をただ楽しませるためだけでなく,基本的 生活習慣を確立させるためのいわゆる「しつけ」 をねらった番組でもあった。 台本執筆者の一人が,水の分量を変えたガ ラスコップを木琴のように叩く「コップの音楽」 の第一人者として活躍した徳山壽子である(夫 は,国民歌謡「隣組」で親しまれ,若くして 亡くなった歌手,徳山璉 たまき )。 徳山は,『幼児 の時間』をはじめ放送台本を数多く執筆したほ か,戦後は,音遊びの番組出演者としても, 武井さんと昵 じっこん 懇の間柄であった。今回,寄贈 された台本の多くは,生前の彼女から譲り受 けたものという。「慰問袋のお人形」といった, タイトルからして戦時下らしい回もあれば,43 年 3 月 9 日の「お家の近 所」は, 光という子ど もが,近所に回覧板を持って回るという話で, 回覧板はこんな内容だ。 三丁目の本屋の小僧さん 明日は目出度く御入営 お旗の日の丸ヒラヒラと 皆でお送りいたしましょう (写真提供:武井照子氏)

「放送ウーマン」が見てきた戦中・戦後 - NHK · 2018-07-31 · 108 2015 「放送ウーマン」が見てきた戦中・戦後 ―武井照子関係資料 メディア研究部

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Page 1: 「放送ウーマン」が見てきた戦中・戦後 - NHK · 2018-07-31 · 108 2015 「放送ウーマン」が見てきた戦中・戦後 ―武井照子関係資料 メディア研究部

108  JULY 2015

「放送ウーマン」が見てきた戦中・戦後―武井照子関係資料

  メディア研究部 廣谷鏡子

はじめに2015年3月にNHK総合テレビで放送され

た,『放送90年ドラマ「紅白が生まれた日」』に,終戦後,男性アナウンサーが復員してくるという理由で自主的に退職させられそうになる女子アナウンサーが登場する。ドラマでは,彼女はその後『紅白歌合戦』の前身となる番組のスタッフになるのだが,この女子アナウンサーのモデルの一人が,武井(当時小島)照子さんである。1981年の連続テレビ小説『本日も晴天なり』のヒロインも,武井さんら当時のアナウンサーがモデルになっている。今回は,2015年1月,武井さんからNHK放送博物館に寄贈された,戦中・戦後の貴重な資料を紹介する。

武井照子さんは,1925年生まれ,44年,NHKに第16期アナウンサーとして入局,53年からは教育課に移り,幼児番組のディレクターとして数多くの子ども向け番組を手がけた。定年退職後も地元・埼玉で,朗読グループの指導や,コンサートなどの企画・制作に力を注いでいる。

寄贈資料は表1のとおりである。

戦前の『幼児の時間』なかでも貴重と思われるのは,戦前の放送

台本であり,『幼児の時間』はその一つである。NHKの全国向けの学校放送は,1935年4月に始まったが(大阪中央放送局では33年より放送),『幼児の時間』は毎週火曜の午前10時

~ 10時20 分に編成されていた。ラジオの機能を生かして音楽,唱歌,童話などを中心に,幼児をただ楽しませるためだけでなく,基本的生活習慣を確立させるためのいわゆる「しつけ」をねらった番組でもあった。

台本執筆者の一人が,水の分量を変えたガラスコップを木琴のように叩く「コップの音楽」の第一人者として活躍した徳山壽子である(夫は,国民歌謡「隣組」で親しまれ,若くして亡くなった歌手,徳山璉

たまき

)。徳山は,『幼児の時間』をはじめ放送台本を数多く執筆したほか,戦後は,音遊びの番組出演者としても,武井さんと昵

じっこん

懇の間柄であった。今回,寄贈された台本の多くは,生前の彼女から譲り受けたものという。「慰問袋のお人形」といった,タイトルからして戦時下らしい回もあれば,43年3月9日の「お家の近所」は,光という子どもが,近所に回覧板を持って回るという話で,回覧板はこんな内容だ。

三丁目の本屋の小僧さん明日は目出度く御入営お旗の日の丸ヒラヒラと皆でお送りいたしましょう

(写真提供:武井照子氏)

Page 2: 「放送ウーマン」が見てきた戦中・戦後 - NHK · 2018-07-31 · 108 2015 「放送ウーマン」が見てきた戦中・戦後 ―武井照子関係資料 メディア研究部

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戦局が悪化してくると幼稚園の一部閉鎖が増え,これに代わって戦時託児所(戦時保育所)が全国的に設けられるようになる。『幼児の時間』の対象は保育所向けとなり,番組名称も43年11月からは『戦時保育所の時間』と改められた。

44年4月4日放送の「桃太郎鬼征伐」(写真

1)は,勇ましいタイトルだが,内容はさらに勇ましい。

其の頃,鬼ヶ島に赤鬼や青鬼がいて,悪い事ばかりして大ぜいの人達をこまらせていました。丁度,今,日本と戦争をしている米国や英国のように憎らしい憎らしい鬼共でした。

雉 ケンケンケン。桃太郎さん桃太郎さん,私は強い航空兵です。飛行機のように空を飛んで急降下爆撃で,ウンと鬼共をやっつけてやります。

M 進軍ラッパ戦争行進曲 ヒューッ 雉の飛行機は気

(ママ)

降下爆撃で赤鬼の目をねらい撃ち。

桃太郎万歳日本万歳

これは昔 ,々桃太郎鬼征伐のお話です。今,強い日本の兵隊さんは,赤鬼や青鬼のような米英をやっつけるために一生懸命戦っていて下さるのです。

台本の表紙には「こんなの書いて戦犯ですね!」と書き込みがしてある。戦後,徳山自身が書き込んだものだろう。

台本(49 点)*生原稿含む

『幼児の時間』(1935 年 4 月~ 43 年 10 月,45 年 10 月~ 64 年 *1) 15 点『戦時保育所の時間』(1943 年 11 月~ 45 年 3 月)  4 点『婦人の時間』(1935 年 9 月~ 41 年 2 月,45 年 10 月~ 63 年 3 月) 1 点『スプーン君』(1951 年 1 月~ 52 年 1 月) 28 点『鬼だまし』(東京放送童話研究会脚本 原作:巖谷小波,脚色:関屋五十二*2) 1 点* 1 『幼児の時間』というタイトルは 65 年度より番組表から消えるが,個別の番組(一部)は継続。* 2 関屋五十二は,『子供の新聞』(1925 年 7 月~ 45 年 8 月)を制作,出演し,「関屋のおじさん」として  親しまれた日本放送協会職員であり童話作家。

番組テキスト(19 点)「幼児の時間」 3 点「お話でてこい」 1 点                    「ラジオえほん」 15 点

雑誌(5 点)

『放送』(日本放送出版協会) 2 点『放送』増刊号『ラジオグラフィック』(日本放送出版協会) 1 点*表紙イラストは亀倉雄策

『家庭よみうり』(読売新聞社出版局) 1 点     『放送文化』(日本放送出版協会) 1 点

スクラップ帳(1 点) 写真・収録風景・雑誌記事など

写真 1

表 1 武井照子寄贈資料一覧

JULY 2015

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45年1月6日放送「アナタ ハ イクツ」は,徳山の生原稿である。新年に子どもが,「今年からおねしょしません」と良い子になる約束をして「よごれた綿は火薬にならないでしょう」と言うと,大人が「そう,おねしょで綿をよごさないようにするのね。綺麗な綿を沢山献納して,どんどん火薬を作って日本が勝ちますように…今年から一つずつ大きくなった皆さんも何かよいお約束しましょうね。ハイ,げんまん」と言って終わる。

占領下の『婦人の時間』戦局はますます悪化の一途をたどり,つい

に45年3月で番組は休止,そして敗戦。10月に『幼児の時間』はいち早く復活したが,GHQでメディア政策を担当したCIE(民間情報教育局)の検閲なしに放送はできなかった。寄贈資料には,「POSTCENSOR」(事後検閲)印が押された『幼児の時間』「ラジオ絵本 マンドリン猫」(48年2月12日放送・複製)や,花子という女の子と,花子のポケットに入っている

「スプーン君」が,お話やお遊戯をする15分番組『スプーン君』の台本も,51年1月10日の初回からの1年分がほぼ揃っている。

武井さんは,敗戦とともに退職を勧告されいったん退職したが,復帰の呼び出しがかかり,戦争で中断していた『婦人の時間』(1935年9月~ 41年2月,45年10月~ 63年3月)のオーディションを受けた。CIEは低くて聴きやすい「ディープボイス」をラジオにふさわしい声と評価し,彼女はこの番組のアナウンサーになる。プロデューサーは,以前,本欄(2014年9月号)で紹介した,女性放送ジャーナリストの先駆者,江上フジである。『婦人の時間』は,聴取者との接触を図り,

意見を番組に反映させるため,46年5月31日に「スタジオ見学」(公開放送)を実施,その後も定期的に行った。同年9月27日に行われた「スタジオ見学」の台本が寄贈資料にあった。「同居は何故揉

めるか」というテーマで医学博士が講演し,この放送のあとに討論会を行うと台本にはある。そしてその様子は,録音で翌週放送する旨予告している。その後,バイオリンの演奏,徳山壽子による音遊び「ママさんは朗らか」,聴取者のリクエストによるイタリア民謡の独唱,「家事手帳」のコーナーと続き,1時間の番組が終了する。

「戦後初の総選挙」選挙メモ46年4月10日,戦後初の衆議院議員総選挙

が行われた。投票を呼びかける「選挙メモ」を武井さんは番組内で読んだ。原稿を書いたのは,同じ年にNHKに入り,放送台本の担当だった守谷(当時山本)ルミだ。放送70年の95年,

『特集・放送ウーマンの70年』というNHK番組に二人は出演した。守谷は当時の原稿内容を記憶しており,すらすらとその場で書いたそうだ。それを武井さんがアナブースで読み,当時を再現した(写真2)。その原稿(複写)も寄贈資料にある。女性が初めて参政権を得た選挙でもあり,文言にはその喜びがあふれている。

四月十日の投票日が近づいてまいりました。私共日本の婦人は これまで喜びも悲しみも自分のめぐり合わせとしてひとり生きてまいりました。

しかしこのたびの総選挙で長い念願であった選挙権が婦人にも与えられました。選ばれた議員によって制定される民法は,家庭,結婚,離婚すべてに影響を与えます。

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どのような候補者を選ぶかによってそうした今後の私達の生活は大きく左右されるのでございます。

候補者はお決まりになりましたでしょうか。…「甘いお汁粉をご馳走するからね」と言って「その代わりに誰誰さんに入れてください」と頼まれたりすることや,また反対に「お汁粉をおごるからこの人に入れてください」と頼むのはいけないことです。相談することはあっても,必ずご自分の判断で候補者を選ぶことにしたいものでございます。

古い台本が語るものおよそ10年のアナウンサー時代を経て制作

者となった武井さんは,俳優・佐野浅夫を語り手に起用して注目を集めた,今も続く『お話でてこい』(1954 ~)や,『幼児の時間』から生まれた歌を,声楽家の安西愛子,松田トシが歌って人気を博した『うたのおばさん』(1949 ~64)など,子どもたちに愛される幼児番組を多数制作した。当時の番組テキストや収録写真,公開放送のプログラム,雑誌などがメモ付きで大切に保管されていた。「放送ウーマン」の先駆者とも言える彼女は,

子どもを持つ母親でもあった。『スプーン君』第1回の台本の裏表紙に,こんな鉛筆書きのメモを見つけた。

陽どのこたつの火に灰をかぶせ,やかんに水を半分入れてのせてから 寝て下さい

ママ

武井さんに尋ねたところ,この台本もまた,徳山壽子から譲り受けたもので,メモは,子息

にあてて書かれたものであろうということだった(「陽どの」とは,戦後,ジャズピアニストとなった徳山陽氏のことだろう)。どんな状況かは想像するしかないが,戦中,戦後と,仕事を持ち,子どもを育ててきた女性の生活の一コマを,古い台本は刻んでいた。おそらく武井さんにも,こんな風景があったのではないかと思う。

今後,武井さんへの聞き取りを行い,戦中・戦後放送史の空白と,放送ウーマンの生きてきた道程をたどる予定である。(本稿中,漢字,カナの表記は新字体で統一した。)

(ひろたに きょうこ)

参考文献:・飯森彬彦(1990)「『婦人の時間』の復活―占領下

における女性対象番組の系譜・1 ―」,「『婦人課』の誕生―占領下における女性対象番組の系譜・2―」『放送研究と調査』11 月号,12 月号

・菊池信彦(1967)「幼児番組の教育的機能に関する研究―その利用,研究領域,方法について―」

『NHK 放送文化研究所年報』VOL12・武井照子・来栖琴子(1981)『三十七年目のクラ

ス会 ドキュメント「本日も晴天なり」』主婦の友社

・日本女性放送者懇談会編(1994)『放送ウーマンの 70年』講談社

写真 2 「 選挙メモ」を読む武井さん(『特集・放送ウーマンの 70 年─“時代”を伝える女性たち─』

NHKBS1 1995.3.11 放送)より

JULY 2015