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「地域活性化」という取組み
1980年~:大分県の一村一品運動
1980年代前半の大分県は人口増加。
都市部では企業誘致政策。中山間地の生残り策として実施。
2000年頃~:まちづくり・B級グルメ
シャッター通り商店街。中心市街地の活性化。
1.地方の経済力を高めるには
→ 余裕のある時代の取組み 1
Copyright 2014 Fujitsu Research Institute
あやふやな「地域活性化」という概念
「地方が元気になる」という言葉での自己満足
交流の活性化と経済の活性化を区別せずに失敗
これからは、地方が「生残れるかどうか」
人口減少・自治体消滅の危機に立ち向かう
国の財政に依存できない
地方の第二次産業への依存も期待できない
•地方の第二次産業はグローバル競争のなかへ
•企業誘致もままならず
経済の活性化という目標を明確に
経済効果をもたらすイノベーションを起こす 2
Copyright 2014 Fujitsu Research Institute
【地域経済活性化5段階モデル】 ※経済的価値を測定して分析
※成功モデルにおけるIT活用分析
第1段階 第2段階 第3段階 第4段階 第5段階
アイデア
ビジネスモデル
の確立
イノベーション
の実現
時間軸
経済的価値
イノベーション前夜
イノベーションのきっかけ
イノベーションの普及
ビジネスモデルの確立
イノベーションの実現
2.地域イノベーションの具体的方策
①アイデアを作る
事業が黒字になるライン
【売上が黒字ラインの3倍以上】
②事業を黒字にする努力
③事業を増幅
3 Copyright 2014 Fujitsu Research Institute
(1)徳島県上勝町:つまもの
1979年
①1986年
②1986-90年
③1998年
横石氏着任、代替作物の開発、地域の支持を得る
つまもの販売を思いつく
賛同者は少なく、市場からも受け入れられずに失敗
料亭通いでマーケティング、生産者の啓蒙活動
パソコンとイントラネットを導入、生産農家・品揃えの拡大
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(2)愛媛県内子町:
フレッシュパークからり(農産物直売所)
1986年
①1992年
②1993-96年
知的農村塾を開講
フルーツパーク構想(農業の総合産業化)
農家の主人は反対。主婦・高齢者を中心に直売実験(特別栽培認証制度)。そのノウハウをもとに、フレッシュパークからり開設。
売上情報システム、トレーサビリティシステムの導入で事業拡大。現在では食品加工まで。
③2003-04年
5 Copyright 2014 Fujitsu Research Institute
(3)高知県馬路村:ゆず
①1965年 ゆず栽培研究開始
②1979年 ゆず加工品開発
1980年 ゆず加工品の全国行脚
1989年 ゆず事業黒字化
③1989年 伝票処理システム導入
2000年 コールセンター開設、30数億の売上へ。 6
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(1)徳島県 上勝町
(2)愛媛県 内子町
(3)高知県 馬路村
つまもの (葉っぱ)
少量多品種 農産物
ゆず ①アイデア
を作る
料亭通いで マーケティング
と啓蒙
農村部の 座談会
全国行脚 ②事業を
黒字にする 努力
パソコンや イントラネット
を導入
トレーサ ビリティ システム
オフコン導入 コールセンター
開設
③事業を 増幅
一番苦しいのは②の段階。ITの導入は③の段階で。
7 Copyright 2014 Fujitsu Research Institute
ITが持つ2つの力
現状のプロセスを増幅する力
事務の合理化、効率化
まったく新しいプロセスを創りだす力
これまでにないビジネス:amazon, google, iPod/iPhone/iPad
• 地方が活用できるITの力は前者の力
• 後者の力を活用する前提として、技術力、高度な人材、資金などが必要
• 高齢者でも経済的な動機付けがあれば、ITくらい使う
ITの導入は、なぜ③の段階なのか
8 Copyright 2014 Fujitsu Research Institute
なぜ上勝町は、つまもの販売を失敗したにも関わらず、
4年という短期間でビジネスモデルを確立できたのか。
なぜ内子町は、フルーツパーク構想が反対にあったにも
関わらず、4年という短期間で農産物直売所のビジネスを
実現できたのか。
なぜ馬路村は、栽培研究から24年間(商品開発から
10年間)もゆず事業の赤字を支えることができたのか。 リーダー(よそもの、わかもの、ばかもの)だけの問題ではない
これらの地域には、エクイティ文化が醸成されていたからではないか
イノベーションを実現するには、
苦しい②の段階を乗り切ることが鍵
9 Copyright 2014 Fujitsu Research Institute
エクイティ文化とは
equity: 公正、公平、無私無欲、株式、出資部分など
地域のために、自らリスクを取り、自ら関与していく文化
シリコンバレーの研究から見出された概念
【1980年代後半:壊滅状態からの復活】
自らプロジェクトに関与、自ら投資
投資への見返りは、地域の若者が育つこと
地域への恩返し(give back)
ソーシャル・キャピタルとは異なる
「周囲の人を信用できるか」という感覚ではない
地方においては、ソーシャル・キャピタルの悪い面(ボンディング、
派閥・しがらみ)が出ることがある
3.地域イノベーションの鍵を握る エクイティ文化
10 Copyright 2014 Fujitsu Research Institute
各地域の苦しい時期を支えたエクイティ文化
上勝町
つまもの販売に失敗 → 料亭通いでマーケティングと啓蒙
過去7年間に及ぶ代替作物開発における農家との対話
内子町
農家主人の反対 → 主婦・高齢者が主体に
町役場と農家の過去6年間に及ぶ知的農村塾での対話
馬路村
研究から商品開発(15年)、全国行脚による販路開拓(9年)と、黒字化するまで24年間
森林組合(魚梁瀬杉)による投資
11 Copyright 2014 Fujitsu Research Institute
第1段階 第2段階 第3段階 第4段階 第5段階
アイデア
ビジネスモデル
の確立
イノベーション
の実現
時間軸
経済的価値
ビジネスモデルの確立
エクイティ
文化
IT
①地域資源を使ってアイデアを作る
②苦しい時期をエクイティ文化で支える
③事業を増幅するために、ITを活用する
地域資源
地域経済活性化のポイント
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木の花ガルテン(直売所) オーガニック農園(レストラン)
エクイティ文化→経済的自立、イノベーションの継続
①大分県大山町(現、日田市):大山町農協 ・1961年 第1次NPC※運動:所得追求 ※New Plum and Chestnut
「ウメ、クリ植えてハワイへ行こう」 ・1965年 第2次NPC運動:人づくり 後継者を海外へ派遣 ・1969年 第3次NPC運動:環境づくり 若者をイスラエルのキブツに派遣、共同体意識の醸成 基幹作物をより付加価値の高いものへと次々と転換
4.エクイティ文化がもたらすものと その醸成方法
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みなべ町のイノベーション ・江戸時代初期 梅のブランド化「紀伊田辺産」 ・1951年~1965年 南高梅の開発 ・1975年 味付け梅(カツオウメ) ・現在 紀州うめどり、紀州うめたまご
②和歌山県みなべ町:梅ビジネス
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エクイティ文化を醸成するには
→ 地域における対話と行動
現状を把握する
•データに基づく危機感の共有:客観的に見る
•対話(ダイアローグ):相互に現実を理解する
→ 実際にはあまり対話がない。既存の組織やグループ
の枠組みを脱していない。
行動を起こす
•仲間を集める、ネットワーク化
(既存の組織に縛られず、誰でも参加)
•ビジョンを共有し、身近なところから行動を起こす
→ 地道な努力、時間がかかる(最低10年)ことを肝に銘じる
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