8
ほん には、恐 おそ ろしい鬼 おに だけではなく、地 いき に根 ざしたさまざまな鬼 おに がいます。 なかでも、くにさきの鬼 おに は人 ひと びと に幸 しあわ せをもたらす「仏 ほとけ さま 」に近 ちか いものと認 にん しき され、 した われています。 おに が仏 ほとけ になった里 さと 「くにさき」

おに ほとけ さと 鬼 が仏になった里 「くにさき」日 に 本 ほん には、恐 おそ ろしい鬼 おに だけではなく、地 ち 域 いき に根 ね ざしたさまざまな鬼

  • Upload
    others

  • View
    6

  • Download
    0

Embed Size (px)

Citation preview

Page 1: おに ほとけ さと 鬼 が仏になった里 「くにさき」日 に 本 ほん には、恐 おそ ろしい鬼 おに だけではなく、地 ち 域 いき に根 ね ざしたさまざまな鬼

日に

本ほん

には、恐おそ

ろしい鬼おに

だけではなく、地ち

域いき

に根ね

ざしたさまざまな鬼おに

がいます。なかでも、くにさきの鬼

おに

は人ひと

々びと

に幸しあわ

せをもたらす「仏ほとけ

様さま

」に近ちか

いものと認にん

識しき

され、慕した

われています。

鬼おに

が仏ほとけ

になった里さと

「くにさき」

Page 2: おに ほとけ さと 鬼 が仏になった里 「くにさき」日 に 本 ほん には、恐 おそ ろしい鬼 おに だけではなく、地 ち 域 いき に根 ね ざしたさまざまな鬼

26 27

鬼おに

がすむくにさきの岩

いわ

山やま

遠とお

い昔むかし

、「くにさき」は、都みやこ

のかなたにある辺へん

境きょう

の地ち

でした。ノコギリの歯

のように連つら

なる奇き

岩がん

・怪かい

石せき

の向む

こうは、自じ

分ぶん

たちの理り

解かい

を超こ

えた恐おそ

ろしい鬼おに

がすむ「大

だい

魔ま

所しょ

」と考かんが

えられ、たいそう恐おそ

れられていました。とうてい人ひと

が近ちか

づけない切き

り立た

った崖がけ

に空あ

いた岩いわ

穴あな

は、おそろしい力ちから

をもつ鬼おに

のすみかと考かんが

えられていたのです。

約やく

150万まん

年ねん

前まえ

の火か

山ざん

活かつ

動どう

で、国くに

東さき

半はん

島とう

の山やま

々やま

が誕たん

生じょう

しました。その後ご

長なが

い間あいだ

火か

山ざん

活かつ

動どう

がなかったために、山さん

体たい

の侵しん

食しょく

が進すす

み、現げん

在ざい

の姿すがた

になりました。

切き

り立た

った奇き

岩がん

が立た

ち並なら

ぶ「くにさき」。そこには、数

かず

々かず

のふしぎな伝でん

説せつ

や民みん

話わ

が残のこ

り、今いま

でもその場ば

所しょ

を訪おとず

れることができます。

約やく

150万まん

年ねん

前まえ

に火か

山ざん

活かつ

動どう

が起お

こりました。ふき出

した溶よう

岩がん

には強つよ

いねばり気

がありました。

ねばり気け

のある溶よう

岩がん

は遠とお

くへ流なが

れずその場

で冷ひ

えて固かた

まり、さらに火か

山ざん

灰ばい

がその上うえ

に積つ

も って固

かた

まり、ずんぐりと円

まる

い山やま

になりました。

風ふう

雨う

が岩いわ

の弱よわ

い部ぶ

分ぶん

(火か

山ざん

灰ばい

の成せい

分ぶん

が多おお

い場ば

所しょ

)を削けず

り取と

って、ノコギリの歯は

のような地ち

形けい

になりました。

何なに

かの拍ひょう

子し

で溶よう

岩がん

の大おお

岩いわ

が転ころ

げ落お

ちて内

ない

部ぶ

がむき出だ

しになると、風

ふう

雨う

で削けず

れていき、岩いわ

穴あな

ができました。くにさきに伝つ た

わる鬼お に

の伝で ん

説せ つ

鬼おに

が築きず

いた石いし

段だん

紀きの

行ゆき

平ひら

と鬼おに

が城じょう

鬼おに

橋ばし

と鬼おに

の背せ

割わ

り 岩いわ

戸と

寺じ

の荒あら

鬼おに

昔むかし

むかし、田た

染しぶ

の里さと

に人ひと

を食く

らう赤あか

鬼おに

がやってきました。その土と

地ち

にすむ権

ごん

現げん

様さま

*は、夜よ

明あ

けまでに100の 石いし

段だん

を築きず

くことができたら、人ひと

を食た

べることを許ゆる

すと約やく

束そく

します。赤あか

鬼おに

はみるみるうちに99の石いし

段だん

を築きず

いたので、権

ごん

現げん

さまはあわてて「コケコッコー」とニワトリの鳴

き真ま

似ね

をしました。それを聞

いた赤あか

鬼おに

は、最さい

後ご

の石いし

をかついだまま逃に

げたそうです。

鎌かま

倉くら

時じ

代だい

、後ご

鳥と

羽ば

上じょう

皇こう

のもとで刀かたな

鍛か

冶じ

を務つと

めた名めい

刀とう

匠しょう

に紀きの

行ゆき

平ひら

という者もの

がいました。晩ばん

年ねん

、故こ

郷きょう

の夷えびす

に戻もど

った行

ゆき

平ひら

は、岩いわ

屋や

で一ひと

人り

刀とう

作さく

を続つづ

けます。真

っ赤か

な顔かお

で鋼はがね

を打う

つ様よう

子す

は「鬼

神しん

太だ

夫ゆう

」とよばれるほど、荒あら

々あら

しく迫はく

力りょく

がありました。その姿すがた

から、行ゆき

平ひら

が刀とう

作さく

した岩いわ

屋や

を「鬼おに

が城じょう

」とよぶようになりました。国

くに

東さき

市し

鬼き

籠こ

にも似に

た話はなし

が伝つた

わっています。

昔むかし

むかし、両ふ た ご

子寺じ

に千せん

徳とく

坊ぼう

という僧そう

がおりました。千せん

徳とく

坊ぼう

はそれは大たい

変へん

な力ちから

持も

ちで、寺じ

院いん

の敷しき

地ち

を流なが

れる谷たに

川がわ

に大おお

岩いわ

を持も

ってきて橋はし

を渡わた

しました。また、道

みち

をさえぎるようにしてそびえる岩

がん

壁ぺき

を背せ

中なか

で割わ

って、先さき

に進すす

めるようにしました。怪かい

力りき

の千せん

徳とく

坊ぼう

は鬼おに

とよばれ、大おお

岩いわ

の橋はし

は鬼おに

橋ばし

、背せ

で割わ

った岩がん

壁ぺき

は鬼おに

の背せ

割わ

りとよばれるようになりました。

昔むかし

むかし、市いち

ノ坊ぼう

という僧そう

が岩いわ

戸と

寺じ

におりました。ある年とし

、荒あら

鬼おに

になって暴

あば

れだし、鬼おに

止どめ

石いし

(結けっ

界かい

石いし

)を越こ

えて市いち

ヶが

谷や

まで飛と

び出だ

してしまい、そこで死

にました。そのとき、かぶっていた鬼

おに

の面めん

が飛と

んで伊い

美み

の権ごん

現げん

の鼻はな

に食く

いつきました。このときから、岩いわ

戸と

寺じ

には荒あら

鬼おに

の面めん

がなくなり、お修しゅ

正じょう

鬼おに

会え

の晩ばん

には、権ごん

現げん

の鼻はな

に火ひ

が灯とも

ると伝つた

えられています。

1 2 3 4豊ぶん

後ご

高たか

田だ

市し

田た

染しぶ

平ひら

野の

(▶P39- ②) 豊ぶん

後ご

高たか

田だ

市し

夷えびす

(▶ P39- ⑬) 国くに

東さき

市し

両ふ た ご

子寺じ

(▶ P39- ⑳) 国くに

東さき

市し

岩いわ

戸と

寺じ

(▶ P39- ⑯)

豊ぶん

後ご

高たか

田だ

市し

加か

礼れ

川がわ

(▶ P39- ⑦)鬼き

城しろ

 並な め し

石ダムから望のぞ

める奇き

岩がん

秀しゅう

峰ほう

は、「鬼き

城しろ

」とよばれています。

奇き

妙みょう

な岩いわ

山やま

はどうやってできたの?

*権ごん

現げん

様さま

ってなに? 人ひと

びとを救すく

うため、仏ほとけ

様さま

の姿すがた

になって現あらわ

れた日に

本ほん

の神かみ

様さま

のこと。平へい

安あん

時じ

代だい

に発はっ

生せい

した思し

想そう

で、神かみ

の本ほん

来らい

の姿すがた

は仏ほとけ

であるという考かんが

えがもとになっています。

くにさきの

自し

然ぜん

と民み

話わ

Page 3: おに ほとけ さと 鬼 が仏になった里 「くにさき」日 に 本 ほん には、恐 おそ ろしい鬼 おに だけではなく、地 ち 域 いき に根 ね ざしたさまざまな鬼

28 29

峯みね

入い

りでひらかれた鬼

おに

のすみか中ちゅう

世せい

になると、「くにさき」では、鬼おに

の霊れい

力りょく

や獰どう

猛もう

さに圧あっ

倒とう

された僧そう

侶りょ

たちによって、鬼おに

を神かみ

の化け

身しん

と考かんが

えるようになっていました。僧そう

侶りょ

たちは鬼おに

の霊れい

力りょく

を身み

につけるために、鬼おに

がすむ大だい

魔ま

所しょ

に入い

り、修しゅ

行ぎょう

を行おこな

うようになります。これを「峯

みね

入い

り」といいます。こうして、人

ひと

の近ちか

づかない大だい

魔ま

所しょ

であった「くにさき」に多

おお

くのお寺てら

ができ、人ひと

の住す

む里さと

へと次し

第だい

にひらかれていったのです。

大おお

岩いわ

にぽっかり開ひら

いた洞ほら

穴あな

や、切き

り立た

った岩がん

壁ぺき

のえぐられたような場ば

所しょ

を岩いわ

屋や

といい、そこに鬼

おに

がすむと考かんが

えられていました。僧そう

たちは岩いわ

屋や

で夜よる

を過す

ごし、仏ぶつ

像ぞう

を安あん

置ち

して祈いの

りをささげました。

いまからおよそ1300年ねん

前まえ

の奈な

良ら

時じ

代だい

に、仁にん

聞もん

菩ぼ

薩さつ

が修しゅ

行ぎょう

のための寺じ

院いん

を「くにさき」に初

はじ

めて開ひら

いたと伝つた

えられています。その後ご

「くにさき」にはいくつも寺じ

院いん

が建た

てられ、それら全

すべ

ての寺じ

院いん

を「六ろく

郷ごう

満まん

山ざん

」とよぶようになりました。「六

ろく

郷ごう

」とは、かつての「来

縄なわ

・田た

染しぶ

・伊い

美み

・国くに

東さき

・武む

蔵さし

・安あ

岐き

」の6つの地ち

域いき

を指さ

しています。

*仁にん

聞もん

菩ぼ

薩さつ

ってだれ?  宇う

佐さ

神じん

宮ぐう

にまつられる八はち

幡まん

神しん

が、菩ぼ

薩さつ

に変へん

身しん

した姿すがた

と伝つた

えられています。*真しん

言ごん

ってなに?  仏ほとけ

様さま

の真しん

実じつ

の教おし

えがこもった秘ひ

密みつ

の言こと

葉ば

▼岩いわ

屋や

で祈いの

りをささげる僧そう

侶りょ

◀2010年ねん

に行おこな

われた峯みね

入い

りのようす。くにさきの峯

みね

入い

りは現げん

在ざい

も続つづ

けられています。道

どう

中ちゅう

、絶た

えず呪じゅ

文もん

(真しん

言ごん

*)を唱とな

えながら進すす

みます。

▲岩いわ

屋や

にはやがて、山さん

岳がく

寺じ

院いん

が建た

てられるようになりました。岩いわ

屋や

は「奥おく

の院いん

」として、今いま

も受う

けつがれています。

峯みね

入い

りは、最さい

初しょ

にくにさきで修しゅ

行ぎょう

を行おこな

ったと伝つた

わる仁にん

聞もん

菩ぼ

薩さつ

* の修しゅ

行ぎょう

跡あと

をたどるものです。半はん

島とう

をほぼ1周しゅう

する約やく

160㎞を4日か

間かん

で踏とう

破は

します。道どう

中ちゅう

には、大おお

岩いわ

を飛と

び移うつ

ったり、高たか

いところにかけられた橋はし

を渡わた

ったりと、危き

険けん

な場ば

所しょ

がいくつもあります。そうした危き

険けん

な峯みね

道みち

を、鬼おに

の霊れい

力りょく

を自みずか

らのものにするため、僧そう

たちは駆か

けるように進すす

みます。また、一いっ

行こう

を道みち

端ばた

で待ま

ち受う

ける集しゅう

落らく

の人ひと

たちに加か

持じ

をするのも目

もく

的てき

のひとつです。「加か

持じ

」とは、災わざわ

いを取

り除のぞ

くために仏ほとけ

の加か

護ご

を祈いの

ることです。

◀無む

明みょう

橋ばし

 高こう

所しょ

にかかる石いし

橋ばし

。心こころ

に曇くも

りがなければ落お

ちないといわれています。写

しゃ

真しん

は中なか

山やま

仙せん

境きょう

(▶ P.39- ⑪)。

白しろ

装しょう

束ぞく

をまといます。心しん

身しん

ともにけがれのないことを表

あらわ

していますが、死

しに

装しょう

束ぞく

であるともいいます。峯みね

入い

りによって今いま

までの自じ

分ぶん

を捨す

て、新あら

たに再さい

生せい

する姿すがた

を現あらわ

しているとも考

かんが

えられます。

峯みね

入い

りの修しゅ

行ぎょう

ってなにをするの?

六ろく

郷ごう

満まん

山ざん

岩いわ

屋や

ってどんなところ?

行ぎょう

者じ ゃ

のよそおい

ナマ

サマンダ

バサラナン

センダ

マカロシャナ

ソワタヤ

ウンタラタ

カンマン

くにさきの

祈いの

りの文ぶ

化か

峯みね

入い

法ほ

螺ら

貝が い

錫しゃく じょう

杖 大だ い

黒こ く

頭ず

巾き ん

輪わ

袈げ

裟さ

頭ず

陀だ

袋ぶくろ

数じ ゅ ず

手て

甲こ う

山や ま

袴ばかま

脚き ゃ

絆は ん

白しろ

足た

袋び

草わ ら じ

浄じょう

衣え

伊美

来縄

田染

国東

安岐

武蔵

Page 4: おに ほとけ さと 鬼 が仏になった里 「くにさき」日 に 本 ほん には、恐 おそ ろしい鬼 おに だけではなく、地 ち 域 いき に根 ね ざしたさまざまな鬼

30 31

タイレシ(松明入れ衆)修しゅ

正じょう

鬼おに

会え

に奉ほう

仕し

する役やく

のひとつで、集しゅう

落らく

の人ひと

が担にな

います。鬼おに

を講こう

堂どう

に連つ

れ出だ

したり、大お お だ い

松明をかついだり、鬼おに

の付つ

き添そ

いをしたりする役やく

です。

修しゅ

正じょう

鬼おに

会え

は、江え

戸ど

時じ

代だい

には 20 か所しょ

以い

上じょう

の六ろく

郷ごう

満まん

山ざん

の寺じ

院いん

で行おこな

われていましたが、現

げん

在ざい

は、半はん

島とう

西にし

側がわ

の天てん

念ねん

寺じ

と、東ひがし

側がわ

の成じょう

仏ぶつ

寺じ

・岩いわ

戸と

寺じ

の3か所しょ

で行おこな

われています。岩いわ

戸と

寺じ

を例れい

に見み

てみましょう。

修しゅ

正じょう

鬼おに

会え

は、お寺てら

とその地ち

域いき

の人ひと

々びと

が協きょう

力りょく

して行おこな

うお祭

まつ

りです。僧そう

侶りょ

と地ち

域いき

の人ひと

が役やく

を割わ

り振ふ

ります。主お も

な登と う

場じょう

人じ ん

物ぶ つ

鈴す ず

鬼お に

仏ほとけ

の慈じ

悲ひ

を表あらわ

したものといわれ、鬼

おに

を招まね

き出だ

す役やく

です。 男だん

女じょ

の老ろう

人じん

の面めん

をつけた2名めい

の僧そう

侶りょ

が担にな

います。

鬼お に

(災さ い

払はらい

鬼お に

・荒あ ら

鬼お に

・鎮しずめ

鬼お に

)鈴すず

鬼おに

が招まね

き、タイレシが背せ

負お

って連つ

れてきます。災

さい

払はらい

鬼おに

、荒あら

鬼おに

、鎮しずめ

鬼おに

がいますが、寺てら

によって異

こと

なります。

鬼お に

走は し

り 午ご

後ご

10 時じ

半はん

ごろ 2名

めい

の僧そう

侶りょ

が岩いわ

屋や

で災さい

払はらい

鬼おに

と鎮しずめ

鬼おに

になると、タイレシに背

負お

われて講こう

堂どう

に現あらわ

れます。鬼おに

はタイレシと並なら

んで、大おお

声ごえ

で「オーニハヨー、ライショハヨー」と叫

さけ

びながら左さ

右ゆう

前ぜん

後ご

に飛と

び、松たいまつ

明を打う

ちつけます。

◎ 午ご

後ご

3時じ

〜 昼ひる

の勤ごん

行ぎょう

(講こう

堂どう

)  僧

そう

侶りょ

が読ど

経きょう

を行おこな

う◎ 午

後ご

5時じ

〜 お斎とき

(本ほん

堂どう

)  僧

そう

侶りょ

や役やく

付づき

の人ひと

々びと

が食しょく

事じ

をする◎ 午

後ご

6時じ

半はん

〜 垢こう

離り

取と

り  タイレシたちが体

からだ

を清きよ

める◎ 午

後ご

7時じ

〜 盃さかずき

の儀ぎ

(本ほん

堂どう

)  鬼

おに

会え

の成せい

功こう

を祈き

願がん

する◎ 午

後ご

7時じ

半はん

〜 タイアゲ  タイレシがオオダイ(大松明)を献

けん

灯とう

する◎ 午

後ご

8時じ

半はん

〜 夜よる

の勤ごん

行ぎょう

(講こう

堂どう

)  僧

そう

侶りょ

が読ど

経きょう

を行おこな

う◎ 午

後ご

10時じ

〜 立たち

役やく

(講こう

堂どう

)  場

を清きよ

めて結けっ

界かい

を結むす

び、鬼おに

を招まね

く◎ 午

後ご

10時じ

半はん

〜 鬼おに

走はし

り(講こう

堂どう

・地ち

区く

内ない

)  鬼

おに

が登とう

場じょう

、松たいまつ

明で参さん

拝ぱい

客きゃく

をたたく、寺てら

を  出

て家いえ

々いえ

を回まわ

る、講こう

堂どう

に戻もど

り鬼おに

から僧そう

に戻もど

修しゅ

正じょう

鬼おに

会え

の主おも

な流なが

れ(岩いわ

戸と

寺じ

垢こ う

離り

取と

り 午ご

後ご

6時じ

半はん

厳げん

寒かん

のなか、タイレシが境けい

内だい

を流なが

れる小お

川がわ

の淵ふち

に体からだ

を浸ひた

してお清きよ

めをします。岩い わ

戸と

寺じ

・講こ う

堂ど う

修しゅ

正じょう

鬼おに

会え

の主しゅ

要よう

な舞ぶ

台たい

。江え

戸ど

時じ

代だい

の建たて

物もの

です。

タイアゲ 午ご

後ご

7 時じ

半はん

杉すぎ

丸まる

太た

を割わり

竹たけ

で束たば

ねた大お お だ い

松明に火ひ

がつけられ、タイレシがかつぎ上

げて山さん

門もん

前まえ

に献けん

灯とう

します。

香こ う

水ず い

午ご

後ご

10 時じ

ごろ

2名めい

の僧そう

侶りょ

が香こう

水ずい

棒ぼう

とよばれる棒

ぼう

をもち、お経きょう

を読よ

みながら激はげ

しく舞ま

います。場ば

を清きよ

める舞ま

い。

主おも

な行こう

程てい

を抜ぬ

き出だ

して紹しょう

介かい

します。

明あ

け方がた

にようやく終しゅう

了りょう

です。

鬼お に

が家い え

々い え

を回ま わ

る 午ご

前ぜん

0時じ

ごろ

鬼おに

はタイレシと共とも

にお寺てら

を飛と

び出だ

して集しゅう

落らく

に下お

り、家いえ

々いえ

を訪ほう

問もん

します。仏ぶつ

壇だん

にお線せん

香こう

を上あ

げ、お経きょう

を読よ

んだら膳ぜん

に着つ

き、人ひと

々びと

と酒さけ

を酌く

み交か

わします。

講こ う

堂ど う

に戻も ど

る 午ご

前ぜん

3 時じ

ごろ

地ち

区く

を回まわ

った鬼おに

は寺てら

に戻もど

ると最さい

後ご

のひと暴あば

れをしますが、タイレシが押お

さえつけて鬼

おに

鎮しず

めの餅もち

をくわえさせると静しず

まり、僧そう

侶りょ

に戻もど

ります。

*オニサマ 地じ

元もと

では修しゅ

正じょう

鬼おに

会え

の鬼おに

のことをオニサマとよびます。

鈴す ず

鬼お に

午ご

後ご

10 時じ

ごろ

2名めい

の僧そう

侶りょ

が鈴すず

鬼おに

になり、鈴すず

と御ご

幣へい

を持も

って舞ま

い、鬼おに

を招まね

きます。

岩いわ

戸と

寺じ

と成じょう

仏ぶつ

寺じ

のみで行

おこな

われる行こう

程てい

です。

修しゅ

正じょう

鬼おに

会え

鬼おに

と出で

会あ

える年

とし

に一いち

度ど

の夜よる

加か

持じ

祈き

祷と う

午ご

後ご

11 時じ

ごろ

鬼おに

は、持も

っている松たい

明まつ

で参さん

拝ぱい

者しゃ

の肩かた

や背せ

などを軽かる

くたたいて加か

持じ

をします。

修しゅ

正じょう

鬼おに

会え

Page 5: おに ほとけ さと 鬼 が仏になった里 「くにさき」日 に 本 ほん には、恐 おそ ろしい鬼 おに だけではなく、地 ち 域 いき に根 ね ざしたさまざまな鬼

修しゅ

正じょう

鬼おに

会え

に登とう

場じょう

する鬼おに

は、仁にん

聞もん

菩ぼ

薩さつ

や不ふ

動どう

明みょう

王おう

の化け

身しん

などであるとされています。不

動どう

明みょう

王おう

は行ぎょう

者じゃ

を守まも

り修しゅ

行ぎょう

を成じょう

就じゅ

させる仏ほとけ

様さま

で、悪あく

を滅ほろ

ぼし、人ひと

々びと

に幸さち

をもたらす不ふ

思し

議ぎ

な力ちから

をもつと信しん

じられています。修しゅ

正じょう

鬼おに

会え

の鬼おに

の持も

ち物もの

には、不ふ

動どう

明みょう

王おう

の持も

つ剣けん

があります。また、鬼おに

がすむといわれた「くにさき」の岩

いわ

屋や

には、不ふ

動どう

明みょう

王おう

がよくまつられています。一いっ

般ぱん

に、不ふ

動どう

明みょう

王おう

は怒いか

りを表あらわ

した恐おそ

ろしい表ひょう

情じょう

ですが、鬼おに

が親した

しまれたくにさきでは、丸まる

顔がお

で優やさ

しい表ひょう

情じょう

をした像ぞう

が多おお

くあるのも特とく

徴ちょう

です。

修しゅ

正じょう

鬼おに

会え

の鬼おに

は不ふ

動どう

明みょう

王おう

修しゅ

正じょう

鬼おに

会え

の加か

持じ

祈き

祷とう

では、松たいまつ

明を持も

って人ひと

々びと

の背せ

中なか

をたたき、災わざわ

いを取と

りのぞき、福ふく

をもたらします。

春かす

日が

神じん

社じゃ

(▶P39-㉑)に伝つた

わる「大おお

潮しお

汲くみ

絵え

巻まき

」には、雨あま

乞ご

いの行ぎょう

列れつ

を鬼おに

が先せん

導どう

しているようすが描

えが

かれています。

くにさきの鬼おに

は神しん

仏ぶつ

の化け

身しん

として、人ひと

々びと

に霊れい

力りょく

を表あらわ

します。手て

を合あ

わせて待ま

つ人ひと

に、病びょう

気き

の治ち

癒ゆ

や災わざわ

いを取と

りのぞくお祈いの

り「加

持じ

祈き

祷とう

」を行おこな

います。

福ふ く

をもたらす鬼お に

の力ちから

32 33

くにさきの鬼おに

神しん

仏ぶつ

の化け

身しん

として人ひと

々びと

に親した

しまれるようになった「くにさき」の鬼

おに

は、災わざわ

いを取と

り除のぞ

いて人ひと

々びと

に福ふく

をもたらす存そん

在ざい

となりました。新しん

年ねん

の幸こう

福ふく

と厄やく

払ばら

いのお祭まつ

り、「修

しゅ

正じょう

鬼おに

会え

」の鬼おに

を見み

ていきましょう。

修しゅ

正じょう

鬼おに

会え

のときの食た

べ物もの

です。お寺てら

や地ち

域いき

の民みん

家か

で用よう

意い

します。

鬼お に

の御ご

膳ぜ ん

鬼おに

の訪ほう

問もん

を受う

ける家いえ

で用よう

意い

するオニサマ*の御ご

膳ぜん

。こんにゃくや椎しい

茸たけ

の煮に

物もの

、煮に

豆まめ

、吸すい

物もの

、刺さし

身み

、巻まき

寿ず

司し

などと酒さけ

を出だ

します。

鬼お に

の目め

覚ざ

まし竹たけ

串ぐし

に丸まる

餅もち

をさして、コショウ(唐とう

辛がら

子し

)入い

りの味み

噌そ

をつけて焼や

いたもの。修しゅ

正じょう

鬼おに

会え

の最さい

中ちゅう

に、眠ねむ

気け

覚ざ

ましに食た

べます。

かつて六ろく

郷ごう

満まん

山ざん

の多おお

くのお寺てら

で修しゅ

正じょう

鬼おに

会え

が盛さか

んに行おこな

われていたころは、地

区く

ごとに異

こと

なるさまざまなお面めん

が使つか

われていました。

鬼お に

会え

面め ん

鬼お に

のごちそう

まさかり鬼おに

の持も

ち物もの

のひとつで、山やま

の恵めぐ

みの象しょう

徴ちょう

です。

松た い ま つ

明左ひだり

手て

に松たいまつ

明を持も

って暴あば

れまわります。また、火

のついた松

たいまつ

明で人にん

間げん

の体からだ

を軽かる

くたたいて、無

病びょう

息そく

災さい

などを叶かな

えます。

鬼お に

会え

面め ん

髪か み

の毛け

鬼おに

やっしゃとよばれる草くさ

の葉は

を鬼おに

会え

面めん

にしばりつけます。鬼

おに

やっしゃの和わ

名めい

はセキショウ(石せき

菖しょう

)です 。

草わ ら じ

鞋鬼おに

は神しん

聖せい

な存そん

在ざい

で、みだりに土

つち

を踏ふ

んではいけません。

ここがポイント!

つる胴どう

・腕うで

・足あし

のそれぞれを12か所しょ

白しろ

いフジのつるの繊せん

維い

でしばり、背

中なか

に鈴すず

を結むす

びつけます。鬼おに

の力ちから

を弱よわ

めるためにしばると考かんが

えられています。

鬼お に

のすがた

修しゅ

正じょう

鬼おに

会え

に登とう

場じょう

する鬼おに

のすがたには、詳

くわ

しく見み

ていくと、いろいろな特

とく

徴ちょう

が見み

られます。

木き

槌づ ち

鬼おに

の持も

ち物もの

のひとつで、富

とみ

の象しょう

徴ちょう

です。

剣け ん

鬼おに

の持も

ち物もの

のひとつで、知ち

恵え

の象しょう

徴ちょう

です。

*オニサマ 地じ

元もと

では修しゅ

正じょう

鬼おに

会え

の鬼おに

のことをオニサマとよびます。

くにさきの

鬼おに

文ぶん

化か

ホーレンショーヨ、

ソラオンニワヨ。

オーニハヨー、

ライショーハヨー。

真ま

木き

大おお

堂どう

(▶ P39- ③)の木もく

造ぞう

不ふ

動どう

明みょう

王おう

立りゅう

像ぞう

。右みぎ

手て

に剣けん

をもち、炎ほのお

を背せ

負お

っている。

Page 6: おに ほとけ さと 鬼 が仏になった里 「くにさき」日 に 本 ほん には、恐 おそ ろしい鬼 おに だけではなく、地 ち 域 いき に根 ね ざしたさまざまな鬼

鬼おに

に似に

たものは、ヨーロッパを始はじ

めとするキリスト教きょう

の国くに

々ぐに

などにも存

そん

在ざい

しています。キリスト教

きょう

が広ひろ

まる前まえ

のヨーロッパでは、各

かく

地ち

域いき

にその土と

地ち

特とく

有ゆう

の宗しゅう

教きょう

や悪あく

霊りょう

払ばら

いの風ふう

習しゅう

がありました。なかには、日

本ほん

の鬼おに

に似に

た怪かい

物ぶつ

のようなものもいます。

世せ

界かい

にも鬼おに

がいる!

34 35

日に

本ほん

の鬼おに

古こだいちゅうごく

代中国では、鬼おに

は単たん

に死し

者しゃ

の魂たましい

のことを指さ

しました。それがしだいに亡

ぼう

霊れい

や妖よう

怪かい

などへと変へん

化か

し、恐きょう

怖ふ

の対たい

象しょう

となりました。一いっ

方ぽう

、「鬼

おに

」という漢かん

字じ

が中ちゅう

国ごく

から伝つた

わる前まえ

の日に

本ほん

にも「オニ」がいたと考

かんが

えられています。古こ

代だい

の日に

本ほん

人じん

の感かん

性せい

や時じ

代だい

背はい

景けい

、度たび

重かさ

なる自し

然ぜん

災さい

害がい

に疫えき

病びょう

、仏ぶっ

教きょう

との関かか

わりなどが複ふく

雑ざつ

にからみあって生う

まれた、日に

本ほん

各かく

地ち

の鬼おに

を見み

ていきましょう。

日に

本ほん

の鬼おに

には、いくつかの考かんが

え方かた

があります。

日に

本ほん

の鬼おに

とは何なに

だろう?

頭あたま

には角つの

が生は

え、口くち

には牙きば

があり、虎とら

の皮かわ

のふんどしを巻

いて、手て

には棍こん

棒ぼう

をもつ。節せつ

分ぶん

や桃もも

太た

郎ろう

に出で

てくる鬼おに

もこのイメージ。地じ

獄ごく

の鬼おに

(閻えん

魔ま

大だい

王おう

の配はい

下か

)や邪じゃ

鬼き

、夜や

叉しゃ

など。

1 恐おそ

ろしい怪かい

物ぶつ

(仏ぶっ

教きょう

に関かん

連れん

山やま

で世せ

間けん

から離はな

れて暮く

らす、人にん

間げん

ではないもの。天

てん

狗ぐ

、妖よう

怪かい

、鬼き

神しん

、山やま

ノ神かみ

など。

2 神かみ

様さま

や超ちょう

常じょう

現げん

象しょう

人ひと

は死し

んだら集しゅう

落らく

の山やま

に宿やど

り、子し

孫そん

の暮く

らしを見

守まも

り、新しん

年ねん

と盆ぼん

に祝しゅく

福ふく

に訪おとず

れると考かんが

えられていました。姿

すがた

が見み

えないことから「隠(オヌ、オン)」と呼

ばれ、それが変へん

化か

して「オニ」になったとも考

かんが

えられています。

3 ご先せん

祖ぞ

様さま

(祖そ

霊れい

深しん

山ざん

にすむ妖よう

怪かい

。赤あか

ら顔がお

で鼻はな

が高たか

く、翼つばさ

があり、山やま

伏ぶし

の姿すがた

をしていて、金こん

剛ごう

杖づえ

に大おお

太だ

刀ち

、羽はね

団う ち わ

扇をもっています。鬼おに

や人にん

間げん

に姿すがた

を変か

えることができます。写

しゃ

真しん

は鞍くら

馬ま

山やま

(京きょう

都と

)の大だい

天てん

狗ぐ

像ぞう

天てん

狗ぐ

(日に

本ほん

各かく

地ち

地じ

獄ごく

の閻えん

魔ま

大だい

王おう

に仕つか

える鬼おに

。地じ

獄ごく

に落お

ちた人にん

間げん

に苦くる

しみを与あた

える役やく

割わり

をもちます。写しゃ

真しん

は大おお

分いた

県けん

別べっ

府ぷ

温おん

泉せん

の地じ

獄ごく

の鬼おに

像ぞう

地じ

獄ごく

の鬼おに

(日に

本ほん

各かく

地ち

秋あき

田た

県けん

男お

鹿が

半はん

島とう

の小こ

正しょう

月がつ

(1月がつ

半なか

ば)の行ぎょう

事じ

で登とう

場じょう

する鬼おに

。神かみ

の使つか

いとされ、家いえ

々いえ

を回まわ

って悪わる

い子こ

にお仕し

置お

きをするぞと言い

って良よ

い子こ

にさせます。

なまはげ(東とう

北ほく

大おお

分いた

県けん

国くに

東さき

半はん

島とう

のお寺てら

で行おこな

われる、一

いち

年ねん

の災さい

厄やく

をはらうお祭まつ

り。鬼おに

が登とう

場じょう

し、人ひと

々びと

に加か

持じ

祈き

祷とう

を行おこな

います。

修しゅ

正じょう

鬼おに

会え

の鬼おに

(九きゅう

州しゅう

チェゲッテ

日に

本ほ ん

各か く

地ち

の鬼お に

各かく

地ち

に残のこ

る鬼おに

の言い

い伝つた

えやお祭まつ

りを紹しょう

介かい

します。

*オニがつく名な

前まえ

 オニイトマキエイ(世せ

界かい

最さい

大だい

のエイ)、オニアザミ(トゲがあるアザミ)、オニユリ(赤あか

鬼おに

に似に

たユリ)

平へい

安あん

時じ

代だい

に多おお

くの鬼おに

を部ぶ

下か

に持も

ち、平へい

安あん

京きょう

で財ざい

宝ほう

や美び

女じょ

をさらったとされる伝でん

説せつ

上じょう

の 鬼おに

の 親おや

分ぶん

で す。 源みなもとの

頼よりみつ

光らに退たい

治じ

されるおとぎ話ばなし

が有ゆう

名めい

。そのとき戦たたか

った頼よりみつ

光の家け

来らい

の一ひと

人り

、坂さか

田たの

金きん

時とき

は、昔むかし

話ばなし

「金きん

太た

郎ろう

」のモデルといわれています。

酒しゅ

呑てん

童どう

子じ

(近きん

畿き

ツーリズムおおいた提てい

供きょう

パーントゥと呼よ

ばれる鬼おに

が悪あく

霊りょう

を払はら

う宮みや

古こ

島じま

のお祭まつ

り。面めん

をつけて、泥どろ

を塗ぬ

った体からだ

に植しょく

物ぶつ

のつるを巻ま

き、人ひと

々びと

に泥どろ

を塗ぬ

りつけ災さい

厄やく

をはらいます。

パーントゥ(沖おき

縄なわ

沖おき

縄なわ

観かん

光こう

コンベンションビューロー提

てい

供きょう

一いっ

般ぱん

社しゃ

団だん

法ほう

人じん

秋あき

田た

県けん

観かん

光こう

連れん

盟めい

提てい

供きょう

立りつ

命めい

館かん

大だい

学がく

アート・リサーチセンター所しょ

蔵ぞう

mai01k43

平へい

安あん

時じ

代だい

の武ぶ

将しょう

、 平たいらの

将まさ

門かど

の娘むすめ

とされる女じょ

性せい

。霊れい

術じゅつ

を使つか

うという伝でん

説せつ

が残のこ

され、歌か

舞ぶ

伎き

などで脚きゃく

色しょく

されて描えが

かれます。

滝たき

夜や

叉しゃ

姫ひめ

(関かん

東とう

四し

国こく

地ち

方ほう

に多おお

く伝でん

承しょう

が残のこ

る妖よう

怪かい

で、牛うし

の体からだ

に鬼おに

の顔かお

をもつ。主おも

に海かい

岸がん

に現あらわ

れ、浜はま

辺べ

を歩ある

く人ひと

を襲おそ

うとされています。写しゃ

真しん

は、宇う

和わ

島じま

市し

の牛うし

鬼おに

祭まつ

り。

牛うし

鬼おに

(四し

国こく

南なん

予よ

地ち

方ほう

局きょく

提てい

供きょう

奥おく

三み

河かわ

で700年ねん

以い

上じょう

続つづ

くお祭まつ

りに登とう

場じょう

する鬼おに

。鬼おに

が焚た

き火び

の山やま

を大おお

きくはね上あ

げて、悪あく

霊りょう

をはらいます。

花はな

祭まつり

の鬼おに

(中ちゅう

部ぶ

東とう

栄えい

町ちょう

中なか

設したら

楽花はな

祭まつり

榊さかき

鬼おに

猿さる

田た

彦ひこの

命みこと

(奥おく

三み

河かわ

観かん

光こう

協きょう

議ぎ

会かい

提てい

供きょう

中ちゅう

国ごく

地ち

方ほう

に多おお

く伝つた

わるおとぎ話ばなし

で、桃もも

太た

郎ろう

に退たい

治じ

される鬼おに

。吉き

備び

地ち

方ほう

に伝つた

わる温う

羅ら

伝でん

説せつ

が元もと

になったともいわれています。

桃もも

太た

郎ろう

の鬼おに

(中ちゅう

国ごく

早わ

稲せ

田だ

大だい

学がく

演えん

劇げき

博はく

物ぶつ

館かん

所しょ

蔵ぞう

日に

本ほん

の鬼お

日に

本ほん

人じん

の心こころ

の中なか

には、古こ

代だい

のころから鬼おに

が息いき

づいています。時じ

代だい

が変か

わったいまも、とりわけ理

由ゆう

がなくとも、それを信しん

じる心こころ

が脈みゃく

々みゃく

と受う

けつがれています。

「鬼お に

」は、こんなときにも使つ か

うよ!

● 大おお

形がた

であるようす(オニヤンマ、オニヒトデ)

● 勇ゆう

猛もう

であるようす(鬼おに

将しょう

軍ぐん

● 非ひ

情じょう

であるようす(鬼おに

検けん

事じ

● 集しゅう

中ちゅう

して頑がん

張ば

るようす(仕し

事ごと

の鬼おに

ス イ ス 南なん

部ぶ

レ ッチェン谷

だに

に伝つた

わるお 祭

まつ

り に 登とう

場じょう

する、恐

おそ

ろしい形ぎょう

相そう

の面めん

とヤギや羊ひつじ

の毛け

皮がわ

をかぶった怪かい

物ぶつ

。家いえ

々いえ

を回まわ

って悪あく

霊りょう

を は ら う など、日

本ほん

にいる鬼おに

にも似に

ています。

Page 7: おに ほとけ さと 鬼 が仏になった里 「くにさき」日 に 本 ほん には、恐 おそ ろしい鬼 おに だけではなく、地 ち 域 いき に根 ね ざしたさまざまな鬼

36 37

くにさきの宝たから

峯みね

入い

りの修しゅ

行ぎょう

も、くにさきの鬼おに

を生う

み出だ

した心こころ

も、修しゅ

正じょう

鬼おに

会え

を連れん

綿めん

とつづける思おも

いも、すべて、くにさきの人

ひと

々びと

が生い

きてきた跡あと

で、その積つ

み重かさ

ねが今いま

を形かたち

作づく

っています。くにさきの魅み

力りょく

は、寺てら

や仏ほとけ

だけにあるのではなく、そのまわりに広ひろ

がる山やま

や田でん

園えん

風ふう

景けい

のなかにもあります。そして、人ひと

々びと

の営いとな

みもその一いち

部ぶ

に組く

みこまれているのです。

古こ

代だい

の人ひと

々びと

がつくった水すい

田でん

の区く

画かく

をそのまま現げん

代だい

に引ひ

き継つ

ぎ、今いま

もなお残のこ

っている貴き

重ちょう

な風ふう

景けい

です。水すい

路ろ

やあぜ道みち

にも歴れき

史し

が積つ

み重かさ

ねられ、守まも

られています(▶P39- ④)。

巨きょ

大だい

なケヤキやスダジイ、カシ、スギなどが大たい

変へん

美うつく

しい景けい

観かん

をつくりだし、国くに

の名めい

勝しょう

に指し

定てい

されています(▶P39- ⑰)。

田た

染し ぶ

組ぐ み

小お

崎さ き

村む ら

絵え

図ず

元げん

禄ろく

2年ねん

(1689年ねん

)の様よう

子す

を描えが

いたとされる絵

図ず

。田た

染しぶの

荘しょう

小お

崎さき

では、地ち

形けい

に合あ

わせて作

つく

られた大だい

小しょう

形かたち

もさまざまな水すい

田でん

が現げん

在ざい

でも見み

られます。数すう

百ひゃく

年ねん

前まえ

の村そん

落らく

の様よう

子す

を色いろ

濃こ

く残のこ

す場ば

所しょ

として、国くに

の重じゅう

要よう

文ぶん

化か

的てき

景けい

観かん

に選せん

定てい

されています。

熊く ま

野の

磨ま

崖が い

仏ぶ つ

(▶ P39- ②)

胎たい

蔵ぞう

寺じ

から熊くま

野の

神じん

社じゃ

へいたる参さん

道どう

脇わき

にある大おお

分いた

県けん

最さい

古こ

・国こく

内ない

最さい

大だい

級きゅう

の磨ま

崖がい

仏ぶつ

。向む

かって右みぎ

に大だい

日にち

如にょ

来らい

、左ひだり

に不ふ

動どう

明みょう

王おう

が岩いわ

肌はだ

に浮う

き彫ぼ

りにされています。不ふ

動どう

明みょう

王おう

は8mを超こ

える大おお

きさです。

田た

染しぶの

荘しょう

小お

崎さき

地ち

区く

の農のう

村そん

風ふう

景けい

文もん

殊じゅ

耶や

馬ば

の自

然ぜん

林りん

未み

来らい

につなげたい

岩がん

壁ぺき

などに直ちょく

接せつ

彫ほ

られた仏ぶつ

像ぞう

。インドのアジャンター石

せっくつ

窟が有ゆう

名めい

です。日に

本ほん

では平へい

安あん

時じ

代だい

からつくられ始はじ

め、大おお

分いた

・くにさきは磨ま

崖がい

仏ぶつ

の宝ほう

庫こ

として知し

られています。

磨ま

崖がい

仏ぶつ

全ぜん

国こく

的てき

にも石せき

造ぞう

物ぶつ

が豊ほう

富ふ

な国くに

東さき

半はん

島とう

に数かず

多おお

く分ぶん

布ぷ

する仏ぶっ

塔とう

で、経きょう

典てん

を納おさ

めたり墓ぼ

標ひょう

などの目もく

的てき

で造つく

られました。岩いわ

戸と

寺じ

のものは、国くに

の重じゅう

要よう

文ぶん

化か

財ざい

に指し

定てい

されています。国くに

東さき

塔とう

日に

本ほん

神しん

話わ

の神かみ

様さま

に捧ささ

げる歌うた

や踊おど

り。豊ほう

作さく

や豊ほう

漁りょう

を願ねが

い、病びょう

気き

をはらう神しん

事じ

として、土

地ち

の守まも

り神がみ

に捧ささ

げられます。

江え

戸ど

時じ

代だい

から変か

わらずつづく

神かぐら

岩い わ

戸と

寺じ

(▶P39- ⑯)

夷えびす

里さ と

神か ぐ ら

くにさきの

文ぶん

化か

財ざい

Page 8: おに ほとけ さと 鬼 が仏になった里 「くにさき」日 に 本 ほん には、恐 おそ ろしい鬼 おに だけではなく、地 ち 域 いき に根 ね ざしたさまざまな鬼

38 39

国くに

東さき

半はん

島とう

文ぶん

化か

財ざい

MAP国くに

東さき

半はん

島とう

には、古こ

代だい

や中ちゅう

世せい

の世せ

界かい

を今いま

に伝つた

える魅み

力りょく

的てき

な文ぶん

化か

財ざい

が数かず

多おお

く残のこ

っていて、その歴れき

史し

の重おも

みを感かん

じることができます。風ふう

化か

しにくい石せき

造ぞう

物ぶつ

が多おお

く、その姿すがた

を昔むかし

と同おな

じように見み

ることができるのです。

全ぜん

国こく

の八はち

幡まん

宮ぐう

の総そう

本ほん

社しゃ

。宇う

佐さ

神じん

宮ぐう

子こ

供ども

の姿すがた

をした像ぞう

ですが、不ふ

動どう

明みょう

王おう

の化け

身しん

とされ、峯

みね

入い

りの修しゅ

行ぎょう

僧そう

を見み

守まも

ってくれる存

そん

在ざい

です。

長ちょう

安あん

寺じ

・太た

郎ろう

天てん

像ぞう

平へい

安あん

時じ

代だい

に建た

てられた、現げん

存そん

する九きゅう

州しゅう

最さい

古こ

の木もく

造ぞう

建けん

築ちく

です。日に

本ほん

三さん

阿あ

弥み

陀だ

堂どう

のひとつ。

富ふ

貴き

寺じ

大おお

堂どう

六ろく

郷ごう

満まん

山ざん

寺じ

院いん

のひとつ。長なが

岩いわ

屋や

川かわ

沿ぞ

いの巨きょ

岩がん

を彫ほ

って造つく

られました。

天てん

念ねん

寺じ

高たか

さ50mの岩がん

壁ぺき

が立た

ち並なら

ぶ独どく

特とく

な景けい

観かん

をしています。

中なか

山やま

仙せん

境きょう

(夷えびす

谷だに

)⓫

6柱はしら

*の神かみ

様さま

をまつる神じん

社じゃ

。御お

旅たび

所しょ

の楽がく

庭にわ

神じん

社じゃ

では夷えびす

里さとかぐら

神楽が奉ほう

納のう

されます。

六ろく

所しょ

神じん

社じゃ

⓬子こ

供ども

による修しゅ

正じょう

鬼おに

会え

「子こ

供ども

鬼おに

会え

」が開ひら

かれます。

丸まる

小お

野の

寺じ

国くに

の重じゅう

要よう

無む

形けい

民みん

俗ぞく

文ぶん

化か

財ざい

に指し

定てい

されている修しゅ

正じょう

鬼おに

会え

が行おこな

われる神じん

社じゃ

成じょう

仏ぶつ

寺じ

峯みね

入い

りの修しゅ

行ぎょう

の道みち

にあり、奇き

岩がん

が立た

ち並なら

ぶ圧あっ

巻かん

の景け

色しき

を眺なが

めることができます。

大おお

不ふ

動どう

岩いわ

屋や

仁にん

聞もん

菩ぼ

薩さつ

が修しゅ

行ぎょう

をした、不ふ

動どう

明みょう

王おう

をまつる岩いわ

屋や

です。

五いつ

辻つじ

不ふ

動どう

尊そん

国くに

東さき

半はん

島とう

中ちゅう

央おう

の両ふた

子ご

山やま

の中ちゅう

腹ふく

にある六ろく

郷ごう

満まん

山ざん

寺じ

院いん

のひとつ。

両ふた

子ご

寺じ

鬼き

城しろ

鬼おに

が城じょう

無む

動どう

寺じ

邪や

馬ば

岩いわ

戸と

寺じ

・国くに

東さき

塔とう

⓰鬼おに

が築きず

いた石いし

段だん

・❷

熊くま

野の

磨ま

崖がい

仏ぶつ

田た

染しぶの

荘しょう

真ま

木き

大おお

堂どう

❸日に

本ほん

最さい

大だい

級きゅう

の木もく

造ぞう

不ふ

動どう

明みょう

王おう

立りゅう

像ぞう

をはじめ、阿あ

弥み

陀だ

如にょ

来らい

坐ざ

像ぞう

、大だい

威い

徳とく

明みょう

王おう

像ぞう

など9体たい

の仏ぶつ

像ぞう

が安あん

置ち

されています。

天てん

念ねん

寺じ

耶や

馬ば

・無む

明みょう

橋ばし

春かす

日が

神じん

社じゃ

・大おお

潮しお

汲くみ

絵え

巻まき

文もん

殊じゅ

仙せん

寺じ

・文もん

殊じゅ

耶や

馬ば

と自し

然ぜん

林りん

*柱はしら

 神かみ

様さま

を数かぞ

えるときは、1柱はしら

、2柱はしら

と   「柱

はしら

」を使つか

います。

❾❿

⓯ ⓰

❶宇佐神宮

❷鬼が築いた石段・熊野磨崖仏

真木大堂

❺富貴寺大堂

田染荘

❻長安寺・太郎天像

❼鬼城

天念寺耶馬・無明橋⓴両子寺❽天念寺

無動寺耶馬

春日神社・大潮汲絵巻

⓫中山仙境(夷谷) ⓭鬼が城

⓮大不動岩屋

⓬六所神社

五辻不動尊

岩戸寺・国東塔

⓱文殊仙寺・文殊耶馬と自然林

⓲成仏寺

⓳丸小野寺

国東半島

豊後高田市国東市

杵き

築つき

市し

日ひ

出じ

町まち

宇う

佐さ

市し

周す

防おう

灘なだ

守もり

江え

湾わん

大分空港

JR日にっ

豊ぽう

本線 大分空港道路

日ひ

出じ

バイパス

大分県

宮崎県

熊本県

鹿児島県

佐賀県

長崎県

福岡県

くにさきの

文ぶん

化か

財ざい

MAP