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聖マリアンナ医科大学雑誌 Vol. 44, pp. 103–108, 2016 1 人口ピラミッドの変化 聖マリアンナ医科大学 内科学 (腎臓・高血圧内科) 超高齢社会における診療を再考する しば がき ゆう (受付:平成 28 6 30 ) 私たちが迎えようとしている時代とは超高齢者診療のゴールを考えるに際しまずは私 たちが今どのような社会状況の中にいるのかの認 識は必須である総務省や国立社会保障・人口問題 研究所の推計によれば2010 年現在の総人口 1 2800 万人のうち65 歳以上の高齢者は 23%20– 64 歳の現役生産人口は 59%であり1 人の高齢者を 2.6 人の現役世代が支える社会構造であるしか 話題の 2025 年には 1 人の高齢者を約 1.8 人の現役世代が支えさらに 2060 年には 1 人の高 齢者を支える現役世代はたった 1.2 人となっておりよく騎馬戦の状態から肩車の状態になると例えら れている (1)つまり問題は単に高齢化だけで なく高齢者を支える人口が減少する少子化がより 大きな問題であるさらによく見てみると2060 において高齢人口が 3500 万人前後でほとんど減 少しないのに現役世代の人口は 7000 万人から 1 103

超高齢社会における診療を再考する - St. Marianna …igakukai.marianna-u.ac.jp/idaishi/www/443/44-3-01Yugo...総説 聖マリアンナ医科大学雑誌 Vol. 44, pp

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総 説 聖マリアンナ医科大学雑誌Vol. 44, pp. 103–108, 2016

図 1 人口ピラミッドの変化

聖マリアンナ医科大学 内科学 (腎臓・高血圧内科)

超高齢社会における診療を再考する

柴しば

垣がき

有ゆう

吾ご

(受付:平成 28 年 6 月 30 日)

今,私たちが迎えようとしている時代とは?

超高齢者診療のゴールを考えるに際し,まずは私たちが今,どのような社会状況の中にいるのかの認識は必須である。総務省や国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば,2010 年現在の総人口 1 億2800 万人のうち,65 歳以上の高齢者は 23%,20–

64 歳の現役生産人口は 59%であり,1 人の高齢者を約 2.6 人の現役世代が支える社会構造である。しか

し,今,話題の 2025 年には 1 人の高齢者を約 1.8

人の現役世代が支え,さらに 2060 年には 1 人の高齢者を支える現役世代はたった 1.2 人となっており,よく騎馬戦の状態から,肩車の状態になると例えられている (図 1)。つまり,問題は単に高齢化だけでなく,高齢者を支える人口が減少する少子化がより大きな問題である。さらによく見てみると,2060 年において,高齢人口が 3500 万人前後でほとんど減少しないのに,現役世代の人口は 7000 万人から

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4000 万人に激減し,日本は税収が半減し,経済的にも自立できるのかという状況となる。実際,現在でもすでに日本の子どもや高齢者の貧困率は OECD 諸国でワースト 1 位とされ,生活保護者が人口 100 人に 2 名弱まで増加している中で,医療費を自分で賄える人が少なくなっていることを知っておくべきで,お金のかかる新薬や新規デバイスはそれがどんなに有効であったとしても,国民全体が恩恵を受けることの出来る余裕は政府にも国民にも無い。

国レベルから地域・家庭レベルに目を移すと,さらに問題は深刻である。国土交通省の資料によれば,1980 年に全世帯に占める独居世帯,夫婦のみの世帯はそれぞれ 20%,12.5%であったが,2015 年には33%,20%,2050 年には 42.5%,18.5%に増加することが示され,独居や老々 (病病) 介護が多くなっている現状がある。小津安二郎監督の昭和映画「東京物語」には,旧き良き時代の大家族や隣組の姿が描かれている。つまり,現役世代が働いている間,高齢者や近所が子供を見守り,子供や近所が高齢者を見守る仕組みがあった。ハーバード大学のカワチ・イチロー教授の名著「命の格差は止められるか」にあるように,日本はこのような世界に誇るべきソーシャル・キャピタルを失いつつある。日本は総中流意識と言われ,皆がほぼ平等と思っていた節があるが,現実は深刻な格差社会が存在しているのである。実際,急性期病院では医療の進歩した現在,大きな病気になっても,それで直ぐに人が死ぬことは少なくなっているが,入院中に身体機能や認知機能が低下し,独居あるいは老老介護の環境では自宅退院が叶わなくなり,不本意にも施設で余生を送らざるを得なくなる例が多発している。このような状況においても,急性期病院の態度としては,「もううちで出来ることはありませんので,転院して下さい」と言うセリフが横行する。確かにそれはそうかも知れないが,本人や家族にとっては途方にくれる話でもある。医師は “病気” は直しているかも知れないが,“病人” を幸せにしているとは言えないとも言えるのではないだろうか。

現在の医療モデルは限界を露呈している

このような社会状況の変化があるにも関わらず,現在の医療は依然として旧き良き時代の医療モデルから全く脱却していない現実がある。つまり,より優れた薬剤やデバイスを開発し,さらに医療の均て

ん化を図るために診療ガイドラインを出して,国民全体がより長生きすることを目指すものである。診療ガイドラインも各専門学会が整備に余念が無く,腎・透析領域だけでも 10 以上の診療ガイドラインが学会から発行されている。

このモデルは確かに成功した部分はある。実際,国民は明らかに長寿になっている。つまり,戦後直後には約 50 歳だった平均寿命は現在 80 歳を超え,30 歳以上も寿命が延びている。しかし,私たちはこれを額面通りに受けとってはいけない。介護を必要としない状態である健康寿命は約 10 年低い 70 歳程度であること,この 20 年で平均寿命は 5 年程度延びたが,健康寿命はほとんど延びていないか,やや短縮している。つまり,この 20 年に医療費を 27 兆円から 40 兆円に増やしているにも関わらず,不健康寿命を 5 年延ばし,健康寿命は一切延ばしていないという現実を振り返るべきである (図 2)。私の専門である腎領域でも問題は大きい。透析医療は不治の病であった腎不全患者を救う素晴らしい医療である。腎不全患者の寿命も透析療法によって各段に向上した。最近では透析関連学会ではさらに溶質除去能力の高い新たな透析療法を開発し,医療技術は各段に進歩し,透析患者数と相まって,透析医療日はこの 20 年で倍増しているが,日本透析医学会の統計調査データを見ると患者生存率はこの 20 年ほどはほとんど伸びていないという現実がある。

前述したように,今後,日本は経済的に非常に危機的な状況となることは確実であり,医療費をこれ以上伸ばすことは難しい。もっと言えば,医療費をこれだけ掛けても,要介護高齢者を増やしているだけとも捉えかねられない状況を,どれだけの医師が認識し,対策を講じてようとしているのであろうか?日本よりも考え方が非常にドライな欧米諸国では高齢者への透析の制限がまじめに議論され始めたと聞いている。医療経済的アプローチには YPLL (years

of potential life lost)という考えがあるが,これはyears of productive life lost とも言われ,死亡によって失われる生産人口の生産可能年数 (通常 65 歳まで) を計算し,YPLL が高い疾患,つまり若くして死亡する (いわゆる Premature death) ような病気・状況 (感染症,自殺,事故等) に医療・対策資源をより集中させるという考え方である。つまり高齢者になって発症し,死亡するような疾患 (今や腎不全や心不全がこれにあたる) のプライオリティは低く捉

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図 2 平均寿命・健康寿命・国民医療費の推移(国立社会保障・人口問題研究所・厚労省等のデータ)

えられることとなる。幸か不幸か日本でこのような議論がすぐに進むとは思えないが,近い将来,日本でもこのようなことを議論せざるを得ない日が来る可能性がある。

超高齢社会における現在の医療モデルは何が問題なのか:Multimorbidity と Frailty

何故,現在の医療モデルがもたらした医療の進歩が必ずしも患者の利益に繋がっていない,あるいは非常に効率の低いものとなっているのであろうか?

その回答のキーワードとなるのが Multimorbidity

(多併存疾患) と Frailty (フレイル:虚弱,弱者) である。高齢者の多くは,罹患している疾患や病態が単一であることは稀であり,高血圧や骨粗鬆症のような疾患だけでなく,脳卒中既往や腰椎圧迫骨折,さらにはサルコペニアによる身体機能障害,高齢や脳血管障害に伴う認知機能障害など多併存疾患状態(Multimorbid) が通常である。このような状況にある高齢者は,“フレイル (虚弱・弱者)”と呼ばれる。実はフレイルという言葉には,このような身体的問題だけでなく,前述したような独居や老老介護,貧困の状況において,ソーシャル・キャピタルを失ったことによる精神心理的フレイル・社会的フレイルの概念も包括するものとして,現代の高齢者の置かれた状況を非常に的確に表す言葉となっている。

しかるに,現代医療は患者に対して極めて単純な単疾患的アプローチしかしていない。例えば,高血圧や慢性腎臓病 (CKD) に対しては心血管疾患発症や腎不全進展予防のためにその原因である高血圧に

対する降圧治療を行っているが,高齢者はこのような単純系では語れない。高齢者 CKD では心血管障害や脳血管障害などの動脈硬化による全身性疾患,骨粗鬆症や変形性骨関節症などの運動器疾患など多疾患構造であり,さらには,身体機能や認知機能の低下,精神心理的・社会的フレイルといった高齢者特有の老年症候群が混在しており,全て考慮すると高齢者の病態は図 3 で示すような極めて複雑系を呈している。従って,単純系を前提とする disease-

based approach には限界があると言える (表 3) 。ガイドラインが採用するエビデンスは実地臨床の

高齢者に適応できることが少ないということをまず認識すべきである。実際,多くのランダム化比較試験 (RCT) は非常に内的妥当性の高い,つまり科学的に最も信頼性の高い薬効証明法であることに間違いは無い。しかし,問題は外的妥当性が極めて低い可能性が高いことである。つまり,多くの Multimor‐

bidity がもたらす問題の 1 つとして,1 病態への介入は他病態に悪影響を及ぼす可能性があることが挙げられる。要するに,心臓を守ろうとした場合,血圧は lower the better とされるが,血圧の力を利用して尿を生成する腎の観点からは腎機能低下のリスクを孕む行為となる。高齢者は血圧の日内変動が強いため,ガイドライン通りの目標血圧に下げようとすると 1 日の中で過剰降圧となる時間帯が生まれ,そのために脳血流低下による転倒や認知機能障害が生じる可能性も指摘されている。転倒すれば,高齢者では骨粗鬆症のために,骨折に至り,長期臥床による廃用症候群となる状況も容易に想像される。

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図 3 ガイドラインが採用する単純系と実際の高齢者における複雑系の病態(Uhlig K, et al. Am J Kidney Dis 2011; 58: 162-5.)

表 3 Disease-Based Approach の限界と Patient-Based Approach

(Boyd et al. JAMA 2005; 294: 716-24.)

Multimorbidity に対して各ガイドラインを適応すると高齢者は各疾患に数剤の薬の服用が求められ,いわゆる polypharmacy の問題が生じることも専門医が気付くことの少ない由々しき問題である。Pol‐

ypharmacy は服用方法や量の間違い,薬剤相互作用等による薬剤性有害事象の問題にとどまらず,あまりに薬が多いことアドヒアランス低下による疾患コントロール状態の悪化,薬が多いことや服用されず捨てられることによる医療経済的問題,服用により

食欲が低下する QOL の低下など問題は深淵である。さらに,問題を複雑にするのは,高齢者はそもそ

も生命予後が短く,重要視するアウトカムが単純では無いということである。ガイドラインが採用するエビデンスはその殆どが死亡や心血管イベント抑制をアウトカムとした研究であるが,80 歳・90 歳の高齢者に取って,より切実である思いは延命よりも生きている間は他人に迷惑を掛けず身の回りのことは自分で出来る尊厳のある人生を送りたい (いわゆ

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るピンピンコロリ) ということなのではないだろうか?

超高齢社会におけるこの問題に解決法はあるのか?超高齢者診療のゴールは何か?

このような状況に解決法はあるのだろうか?個人的に重要と思われるいくつかのポイントをここに挙げたい。(1) 患者志向アウトカムの重視(2) 臨床研究・臨床試験のリテラシーの獲得(3) 薬やデバイスだけに頼らず,患者の潜在力を引き出す治療を多職種で行う

(1) 患者志向アウトカムの重視多くの臨床研究や臨床試験はそのアウトカムを死

亡や臓器障害としている。それは医学的にも妥当ではあるが,必ずしも直接的な患者の切実なアウトカムでは無い。患者の多くは命が短くても尊厳ある生き方をしたいと言う。このようなことは実際にはうまくいかないことが多いのも事実だが,我々医師はもう少しこの要望に耳を傾け,可能な限り,これを実現できる協力をすべきである。具体的には,これを実現するためには身体・認知機能の維持が重要である。しかし,治療は食事制限や生活指導,Poly‐

pharmacy や副作用などのリスクのある薬物治療によって,この身体・認知機能を貶める側面も持っている。常に我々はそのバランスを考え,患者や介護者の意見や嗜好を共有しながら治療決定をする必要がある (shared decision making)。

また,高齢者における臨床研究や臨床試験を立案する場合には,死亡や臓器障害だけでなく,ADL やQOL の維持,治療の有害事象評価など,患者にとって切実なアウトカムも設定することが重要である。ガイドライン作成においても,このような患者志向アウトカムに関するクリニカル・クエスチョンを採用したり,患者団体の意見を聴取するような取り組みが重要になると思われる。又,QOL や幸せなどはなかなか定量化が難しいことが,この領域の臨床研究の妨げになっていることは否めない。QOL や患者幸福感などを定量化して,科学的な研究が出来るようにすることも医師の努めであると思われる。筆者も現在,文部科学省の科学研究費を獲得し,慢性疾患における「希望尺度」の開発を行っている。

又,血気盛んで,最新の治療技術の獲得に関心の

高い若い医師の教育の現場においてはこのようなことを理解してもらうことが難しいことも多い。個人的には,若い医師には「患者が自分の家族だったら,どのような治療が最も患者を幸せにすると思うのか?」「患者が退院後にどのような思いで生活するのか思いを巡らせてみて」と話すようにしている。

(2) 臨床研究・臨床試験へのリテラシー獲得高齢患者への治療にもいわゆるエビデンスが求め

られるのは当然の事である。しかし,実際には高齢者を対象とした臨床試験は少ない。よって,当然のことながら高齢者を対象とした臨床試験 (ランダム化比較試験) を行う努力が必要だが,高齢者においては倫理的側面や経済的側面,実行可能性などから臨床試験を行うハードルが高いのが実情である。よって,高齢者以外も含めた臨床試験の結果を外挿することになるが,その外的妥当性の評価は実地臨床での観察研究から得られることが多い。よって,観察研究を如何に科学的に正しく評価するかについてのリテラシーが医師には求められる。

又,臨床試験のアウトカムは薬物の効果を相対リスクの低下などで評価されていることが多い。例えば,「ACE 阻害薬によって末期腎不全の進行が 30%

抑制された」などの表現である。しかし,可能な限り,リスク低減は絶対値で評価することが望ましい。つまり,プラセボでの発症率が 5 年で 50%であるのを ACE 阻害薬が 30%に減らしたという場合と,5

年で 5%であるのを 3%に減らしたという場合では相対リスクはどちらも 40%の低下であるが,絶対リスクでは 20%と 2%で 10 倍も違い,1 人の末期腎不全進行抑制に前者では 5 名の治療が必要なのに対し(これを number needed to treat; NNT という),後者では 50 名も治療する必要がある。NNT が高い場合にはその薬の効果はその副作用とのバランスで考える必要がある。

図 4 は末期腎不全の抑制をアウトカムとした場合のレニン・アンギオテンシン系抑制薬の NNT を示したものであるが,ベースライン eGFR が 30–44 と低く,蛋白尿が 1+のハイリスク患者においても NNT

は 50 を超えていることを示している。実はレニン・アンギオテンシン系抑制薬の投与による急性腎障害や高カリウム血症は 50 名の投与で約 1 名程度発症するとされており (つまり,number needed to harm;

NNH = 50),50 名治療すると 1 名の腎不全が抑制さ

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図 4 O’Hare AM et al. JAMA Intern Med. 2014; 174(3): 391–397.

れるが,1 名に入院の必要な有害事象を起こすことを天秤にかける必要があるのである。高齢者にとって,入院は身体・認知機能を高度に低下させるリスクがあり,このような不要なリスクを避けることも重要であることを考える必要がある。

このようなことは臨床研究のリテラシーを獲得することで理解することが初めて可能である。

(3) 薬やデバイスだけに頼らず,患者の潜在力を引き出す治療を多職種で行う

前述したように,日本は今後経済的にはかなり厳しい時代を迎える。今以上に医療費の抑制がなされることは不可避と思われる。そのような中で,抗体製剤やデバイス治療,再生医療など医学の進歩はお金のかかる方向にのみ進んでいる気がする。そのような医療の進歩は必要であることは当然かもしれないが,全ての国民 (特に高齢者) が享受できるようになれるとは考えにくい。そのような医療の方向性以外に,お金がかからないけれども患者の尊厳を守る

ことに寄与する医療もあると個人的には考えている。それこそ,身体・認知機能の維持である。人間は社会的な活動を行うことで認知機能が維持されるが,これには身体機能の維持が必須である。一方,運動指導のみでは患者は必ずしも運動を日常的にしてくれることはなく,何らかのインセンティブが必要である。筆者の研究の中心は正にここにある。現在は,慢性腎臓病ではその早期から身体機能が低下し始めること,患者における認知機能が身体機能と密接に関連していること,万歩計などによる達成したことの視覚的フィードバックが行動変容を生むことなどを見出し,認知行動科学の知識も動員して,患者の身体・認知機能維持を図る試みを行っている。この試みは医師の力のみでは到底できない。理学療法士,栄養士,薬剤師,看護師,臨床心理士 (認知行動療法士),ソーシャルワーカーなどの共同作業が極めて重要かつ有効であり,今後の医療 (+介護) は多職種アプローチが欠かせないことを実感している。

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