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聖マリアンナ医科大学雑誌 Vol. 44, pp. 195–201, 2017 聖マリアンナ医科大学 麻酔学教室 シミュレーションソフトを用いた静脈内オピオイド投与時の薬物動態の解析 いの うえ そう いち ろう (受付:平成 29 3 3 ) 1はじめに オピオイド性鎮痛薬 (以下オピオイド) の静脈内 投与は麻酔中手術後そして集中治療領域におけ る急性痛の治療に広く用いられがんによる痛みの 治療の一部にも用いられるその鎮痛効果は静脈 内投与直後に血中濃度が上昇しそれに続いて効果 部位である中枢神経組織での濃度 (以下効果部位 濃度) が上昇することによって発揮されるそこで投与後の血中濃度や効果部位濃度の推移を理解して 投与することが重要となるしかし効果部位濃度 を実測することはできないし血中オピオイド濃度 を実測しそれをもとに投与量を調節することも行 われてはいない実際の臨床診療では臨床徴候各種薬剤の投与履歴文献的知識そして自己の 経験などに基づいた判断によって血中濃度や効果部 位濃度を類推してオピオイドを投与しているこの 類推には経験や現場での感覚が関わるものでありそれを教えることや伝えることは容易ではない近年薬物動態の理解の深まりとコンピュータ技 術の進歩によってオピオイドや静脈麻酔薬の血中 濃度や効果部位濃度の推移をシミュレーションする ことが容易になりそのシミュレーションソフトも 入手しやすくなっているシミュレーションはピオイド投与の計画立案や判断の一助になるほか投与履歴の検証や投与方法の理解や考察に役立つ本稿では麻酔中から手術後早期の鎮痛に用いら れることの多いモルヒネとフェンタニルのいくつか の投与方法を紹介し薬物動態の代表的なシミュレー ションソフトである TIVA trainer を用いて考察する とともに投与上の注意点について述べる2オピオイドの鎮痛効果 オピオイドの鎮痛効果は脊髄後角のオピオイド 受容体のサブタイプである μ 受容体に作用し一次 知覚神経からの痛覚伝達物質 (サブスタンス Pソマ トスタチングルタミン酸など) の遊離を抑制する (前膜抑制) とともに脊髄後角ニューロンを直接抑 制する (後膜抑制) こと中脳および延髄領域の μ 容体に作用して脊髄後角へ投射する下行性調節系の セロトニン作動性ノルアドレナリン作動性ニュー ロンなどを活性化することそして視床中継核視床下部大脳知覚領などにおける痛覚伝達を遮断 することによって発揮される 1) オピオイドで鎮痛効果を得る際の注意点はオピ オイド投与量やオピオイドの血中濃度効果部位濃 度と鎮痛効果は直線的な関係にあるのではなく痛効果はある閾値となる血中濃度効果部位濃度 を超えたときに得られることその閾値は個人差が 大きく鎮痛を得るのに必要なオピオイド投与量も 個人差が大きいことそして鎮痛状態でのオピオ イドの最低血中濃度効果部位濃度と痛みを感じ ている状態でのオピオイドの最高血中濃度効果部 位濃度の差は小さく個人差が少ないことである腹部外科手術後にモルヒネを用いた研究では者が痛みを感じてモルヒネを要求した際の血中モル ヒネ濃度は 734 ng/ml (平均 17 ng/ml)1 時間あた りのモルヒネ使用量は 1.34.0 mg とばらつくこと が示されている 2) フェンタニルを用いた術後鎮痛の 研究では患者が痛みを感じてフェンタニルを要求 したときの血中フェンタニル濃度が整形外科手術 後では 0.23 0.99 ng/ml 3) 腹部外科手術後では 0.231.18 ng/ml 4) と約 5 倍の幅がある一方で各患 者の血中フェンタニル濃度は固有なほぼ一定な濃 1 195

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総 説 聖マリアンナ医科大学雑誌Vol. 44, pp. 195–201, 2017

聖マリアンナ医科大学 麻酔学教室

シミュレーションソフトを用いた静脈内オピオイド投与時の薬物動態の解析

井いの

上うえ

莊そう

一いち

郎ろう

(受付:平成 29 年 3 月 3 日)

1.はじめに

オピオイド性鎮痛薬 (以下,オピオイド) の静脈内投与は,麻酔中,手術後そして集中治療領域における急性痛の治療に広く用いられ,がんによる痛みの治療の一部にも用いられる。その鎮痛効果は,静脈内投与直後に血中濃度が上昇し,それに続いて効果部位である中枢神経組織での濃度 (以下,効果部位濃度) が上昇することによって発揮される。そこで,投与後の血中濃度や効果部位濃度の推移を理解して投与することが重要となる。しかし,効果部位濃度を実測することはできないし,血中オピオイド濃度を実測し,それをもとに投与量を調節することも行われてはいない。実際の臨床診療では,臨床徴候,各種薬剤の投与履歴,文献的知識,そして,自己の経験などに基づいた判断によって血中濃度や効果部位濃度を類推してオピオイドを投与している。この類推には経験や現場での感覚が関わるものであり,それを教えることや伝えることは容易ではない。

近年,薬物動態の理解の深まりとコンピュータ技術の進歩によって,オピオイドや静脈麻酔薬の血中濃度や効果部位濃度の推移をシミュレーションすることが容易になり,そのシミュレーションソフトも入手しやすくなっている。シミュレーションは,オピオイド投与の計画立案や判断の一助になるほか,投与履歴の検証や投与方法の理解や考察に役立つ。

本稿では,麻酔中から手術後早期の鎮痛に用いられることの多いモルヒネとフェンタニルのいくつかの投与方法を紹介し,薬物動態の代表的なシミュレーションソフトである TIVA trainerⓇを用いて考察するとともに,投与上の注意点について述べる。

2.オピオイドの鎮痛効果

オピオイドの鎮痛効果は,脊髄後角のオピオイド受容体のサブタイプである μ 受容体に作用し,一次知覚神経からの痛覚伝達物質 (サブスタンス P,ソマトスタチン,グルタミン酸など) の遊離を抑制する(前膜抑制) とともに,脊髄後角ニューロンを直接抑制する (後膜抑制) こと,中脳および延髄領域の μ 受容体に作用して脊髄後角へ投射する下行性調節系のセロトニン作動性,ノルアドレナリン作動性ニューロンなどを活性化すること,そして,視床中継核,視床下部,大脳知覚領などにおける痛覚伝達を遮断することによって発揮される1)。

オピオイドで鎮痛効果を得る際の注意点は,オピオイド投与量やオピオイドの血中濃度,効果部位濃度と鎮痛効果は直線的な関係にあるのではなく,鎮痛効果は,ある閾値となる血中濃度,効果部位濃度を超えたときに得られること,その閾値は個人差が大きく,鎮痛を得るのに必要なオピオイド投与量も個人差が大きいこと,そして,鎮痛状態でのオピオイドの最低血中濃度,効果部位濃度と,痛みを感じている状態でのオピオイドの最高血中濃度,効果部位濃度の差は小さく,個人差が少ないことである。

腹部外科手術後にモルヒネを用いた研究では,患者が痛みを感じてモルヒネを要求した際の血中モルヒネ濃度は 7〜34 ng/ml (平均 17 ng/ml),1 時間あたりのモルヒネ使用量は 1.3〜4.0 mg とばらつくことが示されている2)。フェンタニルを用いた術後鎮痛の研究では,患者が痛みを感じてフェンタニルを要求したときの血中フェンタニル濃度が,整形外科手術後では 0.23〜0.99 ng/ml 3),腹部外科手術後では0.23〜1.18 ng/ml 4) と約 5 倍の幅がある一方で,各患者の血中フェンタニル濃度は,固有なほぼ一定な濃

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図 1 モルヒネによるローディングシミレーションソフト (TivatrainerⓇ ver. 9.1) を用い,65 歳,身長 165 cm,体重 65 kg の男性にモルヒネ 0.15 mg/kg を静脈内ボーラス投与した際の,血中濃度 (a),効果部位濃度 (b) の経時的変化をシミュレーションしたもの。血中濃度が急速に上昇した後に効果部位濃度は徐々に上昇し,投与後約30 分で最高値に達する。効果部位濃度が最高濃度から半減するのは投与後約 4 時間である。

度に維持されていることが示されている3,4)。

3.静脈内オピオイド投与による鎮痛

痛みが強いときの鎮痛の基本は,各患者で痛みがとれるまで効果部位濃度を上昇させ,それを維持することである。この有効な効果部位濃度へ到達するには,薬物動態を理解したうえで最初に一定量を投与し,患者の反応を評価して必要であればさらに投与と評価を繰り返していくことが基本である。そして,鎮痛状態を維持するためにオピオイドの間欠的や持続投与,またはその両者を行う。このように個人差の大きい「鎮痛の得られる血中濃度・効果部位濃度 (閾値)」に対応しなければ,有効な鎮痛効果を得ることは難しい。

最初に有効なオピオイドの効果部位濃度に到達する方法には,比較的多い 1 回投与量を用いるローディングと,患者の状態を観察しながら少量投与を繰り返すタイトレーションがある。以下にこれらを解説する。

4.ローディング

オピオイドをボーラス投与して効果部位濃度を上昇させる方法。全身麻酔中の意識がなく,調節呼吸

管理が行われている状況,すなわち,オピオイドの過量投与による鎮静や呼吸抑制が問題にならない状況では,比較的高用量を投与して効果部位濃度を上昇させることができる。全身麻酔中のローディングは,麻酔中の鎮痛から術後鎮痛への橋渡しをする役割にもなることから,transitional analgesia と呼ぶこともある。覚醒し,自発呼吸がある状態では,効果部位濃度の急速な上昇によって上気道閉塞を起こすような鎮静や呼吸回数の減少が生じることがあるので,投与量と投与後の監視に十分な注意を払う必要がある。ここでは,全身麻酔中のローディングについて述べる。

全身麻酔中のローディングの基本は,効果部位濃度が最高に到達するまでの時間を理解し,これを過ぎてから,すなわち,効果部位濃度が減衰している状態で麻酔からの覚醒を図るようなタイミングで,オピオイドを投与することである。

モルヒネの場合,効果部位濃度が投与約 30 分後にピークに達するため,麻酔を覚醒させる 30 分前頃に 0.1〜0.15 mg/kg をボーラス投与する (図 1)。フェンタニルの場合,手術終了 30〜60 分前に 1.5〜2 μg/kg をボーラス投与することが多い。しかしこの方法では,投与 1 時間後には効果部位濃度が急速

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図 2 フェンタニルによるローディングシミレーションソフト (TivatrainerⓇ ver. 9.1) を用い,65 歳,身長 165 cm,体重 65 kg の男性にフェンタニル 100 μg のボーラス投与を 1 回 (A),45 分間隔で 2 回 (B),3 回 (C),4 回 (D) 投与した際のシミュレーション。(★が投与のタイミング) 1 回の投与では効果部位濃度が約 40 分後には0.5 ng/ml 以下となってしまう (A)。投与回数を重ねるにつれて効果部位濃度の低下は緩やかになり,4 回投与では効果部位濃度が 0.5 ng/ml になるのは,最終投与から 3 時間 30 分後である。

に低下し,術後の痛みが強い手術の場合は,麻酔覚醒直後から患者が強い痛みを感じるようになる (図2A)。このようにフェンタニルの作用持続時間は,単回投与では短いことか特徴であるが,ボーラス投与を繰り返すことによって脂肪や筋肉などの血流の乏しいコンパートメントでの濃度が上昇し,それとともに血中濃度や効果部位濃度の減衰が緩やかになる (図 2B〜D)。これを利用して,術後早期の痛みが強い手術では,全身麻酔からの覚醒に影響しないように注意しながら全身麻酔中にボーラス投与を繰り返し,麻酔覚醒後も長い時間,効果部位濃度が高い状態を維持できるようにするとよい。

5.タイトレーション

意識があり,痛みがあるときに,比較的少量のオピオイドを短い投与間隔で,痛みが緩和され始めるか,オピオイドの副作用である悪心・嘔吐,眠気が出現するまで,すなわちオピオイドの効果が出現するまで反復投与する方法。痛みの程度を少量のオピオイドで滴定 (titration) していく方法。

モルヒネを用いる方法は,Aubrun らが全身麻酔からの覚醒後に行う方法として報告しているものが,

簡便で,効果が十分に検証されていて参考になる5)。方法は,麻酔覚醒後に痛みがある場合,1 回投与量を体重 60 kg 以上の患者ではモルヒネ 3mg,60 kg未満では 2 mg とし,5 分間隔で痛みがとれはじめる(visual analogue scale で 30 mm 以下になる) か悪心や眠気が出現するまで,すなわちモルヒネの薬理効果が出現するまで,無制限に繰り返し投与するというものである5–7)。開腹手術や侵襲の大きい整形外科手術を受けた 4,317 人の患者の調査結果によれば,モ ル ヒ ネ の 必 要 量 は 11.9±6.8 mg (0.173±0.103

mg/kg),女性のほうが男性よりもモルヒネ必要量が11%多いこと(0.183±0.111 vs. 0.165±0.095 mg/kg; P< 0.001),この性差は 75 歳以上ではみられないこと6),329 名を対象とした調査では年齢 70 歳以上とそれ以下で比較して必要量には差がないこと(0.15±0.11 vs. 0.14±0.10 mg/kg)7) が報告されている。実際に施行してみると,同様な手術で 9〜12 mg 程度投与することが多く,少数であるが 15 mg 以上要することもある。そして,このあと必要であればモルヒネを用いた経静脈的自己調節鎮痛 (intravenouspatient-controlled analgesia: IV-PCA) (持続投与量なし,1 回投与量 1 mg,ロックアウト時間 10 分) など

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図 3 モルヒネによるタイトレーションシミレーションソフト (TivatrainerⓇ ver. 9.1) を用い,1 回投与量を 60 kg 以上では 3 mg,60 kg 未満では 1 回 2 mg とし,5 分間隔で 4 回タイトレーションを行ったときの血中濃度 (a) と効果部位濃度 (b) のシミュレーション。A (80 kg),B (60 kg) には 1 回投与量 3 mg,(C) 55 kg と (D) 45 kg には 1 回投与量 2 mg が投与されている。

で有効な効果部位濃度を維持するようにする。この方法をシミュレーションしたものを図 3 に示す。体重の軽い者から重い者までを想定してシミュレーションしてみても,効果部位濃度の推移はある一定の範囲に収まることがわかる。モルヒネは効果部位濃度の上昇が緩徐であるという薬物動態上の特徴があることから,痛みが取れ始めた時点でタイトレーションをやめることがポイントである。また,この特徴から,タイトレーションに最適とはいえないという見解5)にも留意する必要がある。

フェンタニルによるタイトレーションの方法として報告されているものは少ない。がん患者の突出痛時のタイトレーション8)や持続投与を用いないフェンタニルの IV-PCA 9)や日々の診療での経験を参考にすると,成人の 1 回投与量として 25〜50 μg を 3〜5

分間隔でモルヒネと同様のエンドポイントまで繰り返し投与することがひとつの方法としてあげられる。この方法のシミュレーションを図 4 に示す。

前述のようにオピオイドの必要量は予想が難しい。タイトレーションは,少量投与によって急激な効果部位濃度の上昇を防ぎ,徐々に各患者に固有な鎮痛閾値に近づく方法であるため,実施中に呼吸抑制が起こることは非常に少ない。しかし,鎮静は比較的

多くみられることであり,高齢者,小児,肥満患者では他の患者よりもさらなる注意が必要である5)。タイトレーションの必要量には,手術中に使用した麻酔関連薬物の種類や量,タイミングが影響することにも注意が必要である。実施する場合,呼吸状態,とくに呼吸数を監視し,過剰投与による呼吸抑制に対して酸素投与や呼吸補助,ナロキソン投与がいつでもできる状況で行うようにする。

6.ローディングとタイトレーションの比較

それぞれの利点と欠点は異なるので,どちらが良いかは一概にはいえない。ローディングは麻酔覚醒前にオピオイドの効果部位濃度を上昇させられるので,全身麻酔からの覚醒直後に患者が強い痛みを感じることが少ない。これが最大の利点である。しかし,ローディング量で鎮痛効果が得られるかは不確実である。他の麻酔関連薬物との相互作用も関連して,全身麻酔からの覚醒が遅延する可能性もある。タイトレーションでは,全身麻酔からの覚醒遅延の心配はない。しかし,患者が麻酔覚醒直後に強い痛みを感じることや,そのために鎮痛を得るのに時間と手間がかることがある。筆者は,全身麻酔中にローディングを行うことを基本とし,覚醒後に痛みが強

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図 4 フェンタニルによるタイトレーションシミレーションソフト (TivatrainerⓇ ver. 9.1) を用い,65 歳,身長 165 cm,体重 65 kg の男性に,(A)

は 1 回投与量 25 μg を 5 回,(B) は 1 回投与量 40 μg を 3 回繰り返し投与した際の血中濃度 (a),効果部位濃度 (b) の推移のシミュレーション。いずれも効果部位濃度が最高濃度となった後に投与が行われている。この投与法では効果部位濃度低下は早く,最終投与から 40 分足らずで効果部位濃度は 0.5 ng/ml となっている。(C) は 1 回投与量 40 μg を 3 回繰り返し投与後,効果部位濃度が 0.5 ng/ml となったらボーラス投与するという条件でタイトレーションを行ったもの。40 μg のボーラス投与のみで,この効果部位濃度を維持しようとすると,タイトレーション後も 30〜40 分に 1 回のボーラス投与が必要になることがわかる。

ければタイトレーションを行っている。そして,高齢者や全身状態が不良な患者ではローディング量を減らしている。

7.持続静脈内投与

血中濃度,効果部位濃度を一定に維持することを目的として,シリンジポンプや輸液ポンプなどの精密持続注入器を用い一定速度 (ml/h または mg/h) で持続的に静脈内投与する方法。体重を加味して単位時間における投与量を μg/kg/min や mg/kg/h で決定することもある。周術期の鎮痛では,調節性が良いことや循環動態への影響が少ないことからフェンタニルを用いることが多く,モルヒネの持続投与を行う機会は非常に少ない。そこでここでは,フェンタニルの持続静脈内投与についてだけ述べる。

持続投与を計画する場合に最も注意することは,図 5A に示すように,一定速度で持続投与を開始しても,その投与速度に固有な効果部位濃度に到達するには 12 時間以上を要することである。これを解決し,持続投与開始直後から血中濃度を維持する方法には,ローディングを行ったうえでタイトレーションを加える方法 (図 5B),ローディング後に比較的高

用量で持続投与を開始し,段階的に減量する方法などがある (図 5C)。前者で持続投与開始直後に痛みが強い場合は,タイトレーションを加えるとよい。後者を用いる場合,高用量持続投与を全身麻酔中に行えば,効果部位濃度が高いことによる弊害を回避できる。

シミュレーションを見ると,一定の効果部位濃度が維持できれば鎮痛を得ることは容易にみえるが,画一的な持続投与だけでは痛みの個人差への対応は難しく,過大・過少投与のおそれがある。また,時間経過に応じた痛みの変化,体動時痛や処置に伴う痛みなどの突発的な痛みへの対応は難しい。さらに,代謝臓器の機能や併用薬との相互作用の影響も受ける。そこで,患者の状態を観察しながら,痛みが強い場合にはタイトレーションや持続投与量の増加を考慮し,副作用が強い場合や痛みが軽減した場合には,持続投与量の減量を考慮する。フェンタニルの持続投与において,開始時の比較的高用量の持続投与量のままで 5〜7 日間投与を続けてから突然に持続投与をやめると,オピオイドの離脱反応が高い頻度で起きる。予防策は,術後痛の程度が緩和されるにつれて持続投与量を減量することである。

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図 5 フェンタニルの持続静脈内投与シミレーションソフト (TivatrainerⓇ ver. 9.1) を用い,65 歳,身長 165 cm,体重 65 kg の男性にフェンタニルの持続静脈内投与を行った場合のシミュレーション。(A) は,30 μg/h の投与速度で開始した場合。この投与量で得られる最高効果部位濃度に到達するまで約 18 時間必要とする。(B) は,100 μg のボーラス投与後に 30 μg/h で持続投与をする方法。効果部位濃度がわずかに低下するものの目立った低下ではなく,約 14 時間後にこの持続投与量で得られる最高効果部位濃度に到達する。開始初期の痛み(効果部位濃度の低下) には,タイトレーションで対応すればよい。(C) は,100 μg のボーラス投与後に100 μg/h の投与速度で 1 時間,次いで 50 μg/h の投与速度で 1 時間,その後は 30 μg/h で持続投与する方法。効果部位濃度が低下することなく,30 μg/h で得られる最高濃度を維持できる。しかし,投与開始60 分後までは鎮静や呼吸回数低下が起こりうる効果部位濃度 (1 ng/ml) 以上となっている。

8.シミュレーションの限界

シミュレーションは薬物動態モデルに基づいた想定,あくまでも目安であることは常に念頭におかなくてはいけない。実際,シミュレーションと臨床徴候に相違を感じることは少なくない。特に注意する点は,鎮痛が得られる血中濃度,効果部位濃度に個人差があること,代謝臓器の機能の個人差や背景にある病態によっても血中濃度,効果部位濃度は変化しうることである。さらにモルヒネの場合,投与後にグルクロン酸抱合よって薬理活性のある代謝産物へと変化するため,実際に鎮痛効果や副作用を考える場合,この活性代謝産物の影響を考えないといけない。加えて,このグルクロン酸抱合体は腎臓から排泄されるため,腎機能が低下するとモルヒネと活性代謝産物の薬理効果は増強することになる。シミュレーションでは,これら代謝産物のことが考慮されないことに加え,腎機能の影響も反映されないため,これらはシミュレーションと臨床症状の解離の大きな要因となる。

9.まとめ

麻酔中から手術後早期の鎮痛に用いられることの多い,モルヒネとフェンタニルの静脈内投与法を紹介し,その薬物動態をシミュレーションソフトで解析したものを提示した。鎮痛薬の投与量は,最終的には患者の痛みの程度やその他の症状に応じて加減をしなくてはいけないものである。そして,シミュレーションソフトによる解析は,あくまでも薬物動態の目安に過ぎないこと,実際の薬物動態は,この演算には表れない要因の影響もうけていること,鎮痛効果には大きな個人差があることに留意しなくてはいけない。しかし,シミュレーションソフトで代表的な投与法や,報告されている投与法を解析することは,オピオイドの投与法を学ぶことや,投与計画を検討する上では有用である。

引用文献

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