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廃校になった小学校の活用と共同体の変容・再生について─京都の事例研究に基づいて -148- 廃校になった小学校の活用と共同体の変容・再生について ──京都の事例研究に基づいて── ウスビ・サコ 1.序論 1.1 研究の背景と意義 近年、全国的に小学校の数が減少傾向にあり、京都市においても例外ではない。明治2(1869) 年より建設された京都の64の番組小学校(注:2.2(1)にて詳述)について、京都市は平成4(1992) 年から平成9(1997)年にかけて、25校を対象に統廃合することを決定した。25校のうち7校が 近隣の学校に統合され、残る18校が廃校・跡地活用対象校となった。跡地には、多機能で、バ ラエティに富んだ施設が出来上がり、実際に利用されている。 地域社会の核である学校の廃校が地域住民にとって重い話であることをいうまでもない。ま た小学校が廃校となった後の跡地がどのような施設に生まれ変わるのか、地域住民が共有財産 として考えてきた小学校を、それが新たな施設に生まれ変わっても使い続けることができるか どうかは今後の地域の在り方に深く関わってくると考えられる。明治初期に住民の手でつくり あげられた番組小学校はまさに住民の共有財産であり、精神的支柱であり、文化的拠点であっ た。学校がなくなっても、その跡地の利用の仕方によっては、地域の核となるような機能をも った施設ができるのではないだろうか。 私自身、京都のコミュニティに関心を持ち始めたのは、今から18年前にさかのぼる。当時、 所属大学院の研究室が主催した町家型集合住宅研究会に、ワーキンググループのメンバーとし て参加した 。この研究会が始まった当時の京都市は、地価が上昇し、都心部では町家に代わ りマンションが建設され、建設紛争が至るところで生じていた。 当時、京都市中心部の容積 率が400%も可能であったことから、既存の町家とマンションは不調和であった。 また、90年代の終わりに京都在住外国人の支援団体 を設立した際、小学校の跡地を国際交 流の拠点として使えないかと考え、交渉に奔走した。その活動の中で、地域住民の小学校に対 する深い愛情を感じさせられた。 後に、大学教員になり、学生を町家の見学によく連れて行った。その中で、2002年に、学生

廃校になった小学校の活用と共同体の変容・再生に …...-150-廃校になった小学校の活用と共同体の変容・再生について 京都の事例研究に基づいて

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廃校になった小学校の活用と共同体の変容・再生について─京都の事例研究に基づいて-148-

廃校になった小学校の活用と共同体の変容・再生について──京都の事例研究に基づいて──

ウスビ・サコ

1.序論

1.1 研究の背景と意義

 近年、全国的に小学校の数が減少傾向にあり、京都市においても例外ではない。明治2(1869)

年より建設された京都の64の番組小学校(注:2.2(1)にて詳述)について、京都市は平成4(1992)

年から平成9(1997)年にかけて、25校を対象に統廃合することを決定した。25校のうち7校が

近隣の学校に統合され、残る18校が廃校・跡地活用対象校となった。跡地には、多機能で、バ

ラエティに富んだ施設が出来上がり、実際に利用されている。

 地域社会の核である学校の廃校が地域住民にとって重い話であることをいうまでもない。ま

た小学校が廃校となった後の跡地がどのような施設に生まれ変わるのか、地域住民が共有財産

として考えてきた小学校を、それが新たな施設に生まれ変わっても使い続けることができるか

どうかは今後の地域の在り方に深く関わってくると考えられる。明治初期に住民の手でつくり

あげられた番組小学校はまさに住民の共有財産であり、精神的支柱であり、文化的拠点であっ

た。学校がなくなっても、その跡地の利用の仕方によっては、地域の核となるような機能をも

った施設ができるのではないだろうか。

 私自身、京都のコミュニティに関心を持ち始めたのは、今から18年前にさかのぼる。当時、

所属大学院の研究室が主催した町家型集合住宅研究会に、ワーキンググループのメンバーとし

て参加した1。この研究会が始まった当時の京都市は、地価が上昇し、都心部では町家に代わ

りマンションが建設され、建設紛争が至るところで生じていた。 当時、京都市中心部の容積

率が400%も可能であったことから、既存の町家とマンションは不調和であった。

 また、90年代の終わりに京都在住外国人の支援団体2 を設立した際、小学校の跡地を国際交

流の拠点として使えないかと考え、交渉に奔走した。その活動の中で、地域住民の小学校に対

する深い愛情を感じさせられた。

 後に、大学教員になり、学生を町家の見学によく連れて行った。その中で、2002年に、学生

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達と、町家とマンションが共存する京都市北区紫竹西南町を見学し、そこにお住まいの二人の

男性から、近年の町内活動について話を伺った。建設当時、高さのあるマンションから家の中

がのぞかれるのではないかと懸念した住民が、マンションの建設反対という立場をとったらし

い。話し合いの末にマンション建設の条件として、マンション住民は西南町の町内会に参加す

ること、地蔵盆の際にマンション横の倉庫スペースを提供することなどで双方が合意した。

 西南町は高齢化が進み、子どもの数も少なくなっていた。そこにマンションが建ち、若い世

帯が増え、地蔵盆も一気に昔の賑わいを取り戻した。それまでは地蔵盆や運動会などの存続す

ら難しい状況であったことを考えれば、現在はマンションがあるからこそ町内行事が存続して

いるといえる。

 さらに、京都市内にある自宅が今年度(2010)から輪番制の隣組組長の役を担当することに

なり、町内会行事に係ることによって、地域の構造とその歴史に対しさらに関心が深まったと

いえる。

1.2 研究の目的

 本研究は、元番組小学校の跡地の活用と地域との関わりの実態を把握するものである。本研

究では、まず、京都の地域住民の構造とその変化を把握し、地域活動の拠点であったと考えら

れる小学校の統廃合によって跡地がどのように使われているのか、さらにそれに対して地域住

民がどのような思いを抱いているのかを把握する。また、元番組小学校の跡地利用と、新しく

入った施設と地域コミュニティとの関わりを把握することを目的としている。そのために、京

都市の番組小学校が生まれた背景や、それらの小学校が位置する地域の歴史と構造を把握する

必要もある。

1.3 調査の方法

 本研究では、上述の目的を達成するために、まず文献などを通して京都の町衆の歴史とその

変容、また番組小学校の歴史的背景を把握した。文献は主に、先行研究、京都市の学校博物館

の資料を中心にまとめた。地域住民の構造的変容において、2002年にサコ研究室で行った調査

結果3 を参考に、新旧住民の町内会での活動に対する参加の違いや、地域に対する思いの違い

を整理した。元番組小学校の跡地利用と、それに対する住民の評価と満足度について、2010年

4月に行った調査を中心にまとめる。

 2002年の調査では、京都の街の基本コミュニティ単位である「町」を中心として、文献・ア

ンケートとヒアリングに併せて、コミュニティの変容の実態を把握した。具体的には、103世

帯を対象に、近隣同士の付き合い、町内会への参加頻度などを中心に、アンケート調査を行っ

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た。調査対象地域の選定は、京都市中心部に位置し、昔からの町割りや街並みが比較的よく残

っている地域を重視した。対象地域は、魚屋町と竹屋町通りに面する大炊町と舟屋町の一部(A

地区)、大炊町の一部(B地区)、笹屋町の西側(C地区)、笹屋町の東側(D地区)である。

 2010年の調査に関して、調査対象地として、番組小学校跡地が様々な施設に変容した小学校

を5校選定し(元成逸小学校(第2番組)、元明倫小学校(第3番組)、元立誠小学校(第6番組)、

元開知小学校(第11番組)、元龍池小学校(第25番組))、その中で、住民の規模、跡地利用の

内容とプロセス、さらにプレ調査に基づいて3つの学校の跡地に絞った。それは、元明倫小学校、

元龍池小学校、元立誠小学校である。調査は、施設の管理者や職員に対するインタビューと周

辺住民に対するアンケート調査である。施設の管理者、職員に対しては、指示的面接というイ

ンタビューの方法を用いて、施設がどのように使われているのかを聞いた。併せて、それぞれ

の施設の観察調査も行った。アンケート調査方法は、留置時期法(直接訪問配標、直接訪問回収)

を用いた。また、調査期間中に回収ができなかった場合、後日郵送していただく方法をとった。

2.京都の共同体における小学校の位置づけ

2.1 京都の共同体と歴史的変容

(1)京都の共同体の歴史的変容

 碁盤の目に例えられる京都の街路の根本は、延暦13(794)年に桓武天皇によって建設され

た平安京である4。平安京は唐の長安を模倣して、風水の思想に基づいて建設された、南北約

5.2km、東西約4.7kmに及ぶ都である。平安京内の北部には政治的機能を司る大内裏があり、大

内裏の南にはメインストリート・朱雀大路が都の中心をまっすぐ南へ伸びていた。この朱雀大

路を境として平安京は左京と右京に分かれており、それぞれ条坊制によってブロック状に区画

されていた。基本街区である約120m四方の「町」が四つ集まって「保」となり、四つの「保」

で「坊」が形成されていた。この「坊」を取り囲む形で大路が配置されていた。「坊」は16の「町」

で構成されているのだが、この「町」を区画しているのが小路であり、今日にまでその区画は

生き続けている。

(2)町の歴史

 前項で述べた「町」はその後、時代と共に変化を続けていく5・6・7・8。中世には小路に沿っ

て町家が並び、その町家で囲まれた町の内部空間は井戸や畑、便所などの共同広場として使わ

れていた。近世には町人たちの経済力が高まり、町家は中庭まで進出する。「町」の中心に縦

の道ができ、その新しい道に沿って更に町家や蔵などが建てられた。「町」から両側町への変

化である。それまで庭を媒介としていた近所づきあいは、街路を挟む家々を中心として発展す

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るようになった。また、天正18(1590)年、豊臣秀吉は市街地の土地利用密度を高めるため、「京

極以西、高倉以東、堀川以西、押小路以南」の従来の街割りの地域に南北の街路を一本ずつ加え、

二つに縦割りにした。豊臣秀吉はこの天正の街割りの他にも聚楽第やお土居の築造、寺院の強

制移転など数々の洛中再開発を行った。このように、政治的背景や町人の経済力の変化によっ

て、条坊制の区画整理道路は生活空間へ、単に区画の最小単位であった「町」は現在の両側町へ、

平安京という古代都市は経済都市へと発展してきたのである。

 ここまでは町の形の変化を述べたが、それに伴う町の機能はどのように変化したのであろう

か。町人の歴史を辿る上で不可欠なのが祇園御霊会の山鉾町の歴史である。祇園御霊会は貞観

図1 平安京と周辺地形 図2 平安京の部分図出典:住環境の計画編集委員会編『住環境の計画3 ─集住体を設計する─』彰国社1995年10月Pp.12

図3 平安京から「京」へ:「町」の変遷出典:住環境の計画編集委員会編『住環境の計画3 ─集住体を設計する─』彰国社1995年10月Pp.13

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11(869)年、流行した疫病を鎮めるために始まったのが起源とされている。祇園御霊会で用

いられる山鉾は元々肩に担ぐ程度のものであったが、町人の経済力増大と共に大型化したと言

われている。14世紀には鉾の転倒事故で死者が出たという記述があるというから、この頃既に

かなりの大型化が進んでいたことが分かる。鉾の大型化は町人個人の力だけでは不可能であ

り、つまりこの頃には鉾町には町人たちの共同組織が形成されていたのであろう。「町人」、「町

組」という言葉や自治的活動についての記述が見られるようになったのは15世紀から16世紀に

かけてのことである。この頃の町人たちに与えられていた権限については詳しくは不明である

が、1467年に始まる応仁の乱以降、町の境に木戸や釘貴を打ち付けて町を自衛する記述が多く

見られるという。その後、洛中で起きる一揆や犯罪などの度に町組は徐々に組織され、街区の

発達とともにその数も増加した。寛永15(1638)年までには上京に15組、寛文8(1668)年ま

でには下京に8組の町組が成立していたらしい。近代では戦前戦後、病気や災害時に町人たち

の連携が必要であり、重要であった。戦時中、町内会と隣組は思想統制に利用されたことから、

戦後に一旦解散させられる。だが、1952年に法令により全国的に町内会が復活し、現在のよう

な形になったとされている。

(3)町組織

 町内会はその町に居住している全世帯によって構成されている9・10。ひとつの町内会には約

20から50世帯が加入しているのが一般的である。その町内会に加入している世帯をさらにグル

ープに分けたものが隣組であり、一つの隣組は5~ 10世帯程度の規模になっている。町内会で

の役職は町ごとに呼び名が多少異なるが、一般的には、町内会長、副会長、会計、会計監査、

隣組長などがある。これらの役職の任期は1,2年で、その選考は年に一度、開かれる町内総

会の席で、話し合いによって決められる。町内会の運営は昔から土地と家を持つ世帯が中心と

なってきた。隣組長は各組の中で順番に回ってくるが、町内会長、副会長等の役職は現在も持

ち家の世帯が務めるのが一般的である。町費は一律で何百円~何千円かの額が一般的であるが、

町費の額が家や商売の規模によって何段階かに分かれているという古い体質の町もあるようで

ある。町内の行事は春と秋のリクリエーション、そして最も大きな行事は、毎年8月末の土日

に行われる地蔵盆である。地蔵盆は町内にある地蔵菩薩を供養するもので、子供たちが主役と

なる行事である。地蔵盆当日は、町内の集会所や個人宅等を中心に福引やゲーム、おやつなど

が用意され、町内は一日中賑わいを見せる。町内のその他の機能としては、健康診断やごみの日、

寄付金などの各世帯への連絡事務である。これは町内会長が各隣組長を経て回される回覧板に

よって伝達される。

 ここまで、基礎的な町内の仕組みについて述べたが、近年、少子化が進み、地蔵盆やリクリ

エーションの規模縮小の動きがあちこちで見られるようになった。また、町内総会を開けるよ

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うな大きい家が少なくなり、学区内の集会所などを利用して集会を行う町が増加している。居

住形態も多様化し、店舗やマンションが増加したことも大きな変化であるとも考えられる。近

年はどの町でもマンションの建設が避けられない状況であり、町内会への加入もまちまちである。

2.2 京都における小学校の歴史と位置づけ

(1)番組小学校の設立と町との関わり

 明治2年(1869)年1月30日に第一代知事である長谷川信篤は人心安定のための京都の新しい

町づくりとして、町組改正案を行い、上京大組一番組~三三番組、下京大組一番組~三二番組

に区分した。その年の12月に下京大組四番組から新たに三三番組が誕生した11・12。この番組に

よってつくられた小学校を番組小学校という。設立や運営にあたっての費用は寄付金やかまど

(つまり世帯)別出金などにより賄われた。費用の負担に子供の有無は関係なかった。町によ

っては府からの下付金を受けずに住民の力だけで小学校を建てたところもあったという。この

番組小学校は単なる教育機関としてだけではなく、警察署ないしは交番所、消防署、保健所な

どの役割をも担う総合庁舎であった。必要な備品は地区住民の負担であり、負担が大きいこと

が逆に、小学校が「町組のもの」、「学区のもの」という意識を育て、地区住民の小学校への愛

着を強めた。こうして小学校を中心とした市民社会が形成され、小学校は地区の自治単位とし

ての機能も果たしたのである。

図4 京都番組区画図(明治2年)出典:京都市学校博物館編集『京の学校・歴史探訪』京都市生涯学習振興財団2006年3月Pp. 208(図4)出典:京都市学校博物館編集『常設展示解説図録』京都市生涯学習振興財団2009年3月Pp.16(図5)

図5 京都町組図略

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 しかし、京都では大・中学校区は学制に従って編成されたが、小学校については、これまで

の行政単位としての町組即小学校区という方針を継続し、第何区小学校とした。さらに、区は

明治12(1879)年、同25(1892)年には学区と改称された。明治16(1883)年に国民学校令に

より、廃止されるまで、学区は単なる通学区域ではなく、独自の財源をもち、教育経費を負担

する自治団体だった。明治23(1890)年の「改正小学校令」によって小学校の管理権は市に移

管されたが、教員の給与は大正6(1917)年まで地区住民の負担であった。13

(2)生まれ変わる小学校跡地

 小学校の統廃合により、都心部に跡地が

誕生した。跡地活用にあたって市は、平成

6年8月に、市民代表や学識経験者などで構

成される「京都市都心部小学校跡地活用審

議会」を設置し、活用の基本原則や個別の

活用計画の策定手順を定めた「都心部にお

ける小学校跡地の活用についての基本方針」

を策定した14。そして跡地活用対象校となっ

た19校を「広域用地」、「身近用地」、「将来

用地」の3用途に分類した15。3用途の基本的

な考え方としては、第5回審議会摘録による

と、広域用地については、「最寄りの鉄道駅

からの距離や隣接する道路の幅など、広域

的な視点からの交通の利便がよいこと、所

在地が分かりやすいこと、大規模な集客へ

の対応という観点から敷地面積が比較的大きいこと」を選定基準としている。身近用地につい

ては、「その行政区内のいろいろな地域からの交通の利便がよいこと、地域住民が利用する機

会の多い区役所・保険所・福祉事務所など行政区を管轄する施設が周辺にあること、近隣商店

街など地域コミュニティの核となるような施設に近接していること」を選定基準としている。

将来用地については、「周辺環境が今後大きく変化することが予想される場合、または現時点

ですぐに施設用地として活用するよりも、今後の社会的・経済的条件の好転を待って周辺を含

めた総合的な活用という観点から跡地についての活用を考えていったほうがよい場合など」を

基準として選定している(京都市総合企画局プロジェクト推進室)。現在、小学校跡地はどの

ように利用されているのかをみるために、跡地活用の進捗状況を京都市総合企画局プロジェク

ト推進室のホームページを参考にした。将来用地については、校舎はそのまま残されており、

図6 学校統合の状況

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中学が統合される際の仮校舎として利用したり、近くの警察署が建て替え期間中に一次利用し

たり、何らかの暫定的な利用があるようだが、どのような施設にするかは今なお検討中である。

また、市と地元住民らの思惑が食い違うケースもあり、現在もなお話し合いが行われ、なかな

表1 施設が完成している跡地

京都市立みつば幼稚園

小川特別養護老人ホーム、小川老人デイサービスセンター、小川在宅介護支援セ

ンター

成逸老人デイサービスセンター、成逸在宅介護支援センター

京都市北総合支援学校

京都市子育て支援総合センター こどもみらい館 (次代を担う子どもたちの健やか

な成長を願う市民の皆様が、安心して、楽しく子育てができるよう、あらゆる相談に

応じきめ細やかな情報を発信する「子育て支援の中核施設」)

京都市立中京もえぎ幼稚園、竹間公園

京都芸術センター(京都における芸術を総合的に振興するための拠点施設)

京都第二赤十字病院・救命救急センター

京都市子ども保健医療相談・事故防止センター 京あんしんこども館(育児上の不

安や悩みに関する保健医療相談や子どもの事故防止の普及啓発等により、次代を

担う子どもたちの心身ともに健やかな成長を保健医療の面からサポートする施設)

梅屋広場

本能特別養護老人ホーム、本能老人デイサービスセンター、本能在宅介護支援セ

ンター、京都市立堀川高等学校本能学舎

京都国際マンガミュージアム「21世紀に対応する情報機能を備えた新中央図書館

(市民の生涯学習推進のためのシンボル的施設)」とした活用の考え方(案)に基

づく活用計画については、引き続き取組を進めている。

京都市学校歴史博物館(明治の番組小学校を中心に、京都の教育と学校の歴史

を、教科書などの教具・教材や歴史資料、学校文化財(美術工芸品)等の展示に

より明らかにする施設)

修徳特別養護老人ホーム、修徳老人デイサービスセンター、修徳在宅介護支援セ

ンター、修徳児童館、下京図書館

修徳公園

ひと・まち交流館 京都〔市民活動総合センター、福祉ボランティアセンター、長寿す

こやかセンター、景観・まちづくりセンター〕(福祉やまちづくりを始めとする様々な分

野のボランティア活動やNPO活動など社会に対して貢献する市民の皆様の自発

的な活動を推進・支援する拠点施設)

小川

成逸

竹間

明倫

梅屋

本能

龍池

開智

修徳

菊浜

平成13月12月

平成14月1月

平成16年2月

平成16年4月

平成11月12月

平成12年4月

平成12年4月

平成16年7月

平成16年8月

平成17年4月

平成17年9月

平成18月11月

平成10月11月

平成13年7月

平成13年8月

平成15年6月

 京

 区

   京

   区

    京

    区

区 跡地 活  用  内  容 開設時期

出典:京都市教育委員会ホームページ

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廃校になった小学校の活用と共同体の変容・再生について─京都の事例研究に基づいて-156-

か計画が進まない跡地もある。跡地区分の3用途と、実際にできあがった施設とを照らし合せ

てみると、身近用地となったところにはデイサービスなど高齢者のための施設や子供のための

施設が入っている場合が多いが、厳密な区分ではなく、あくまでも目安であることがうかがえる。

3.共同体の変容と町内会活動に関するレビュー

 本章では2002年にサコ研究室で行った居住者調査結果の分析を参考に住民構成の変化を確認

するためのレビューを行いたい。

3.1 住民構成変化

 調査地区では殆どの世帯が持ち家であり、また過半数の世帯が現在の住所に最も長く・何世

代にもわたって住んでいることが分かった。そして居住環境は交通・買い物・自然環境・公共

施設など、生活に全く不便することはないよい環境である。居住者の年齢は中高年が大半を占

めており、この先20 ~ 30年で間違いなく超高齢化を迎える。

3.2 町内行事への参加

 町内活動への参加実態を調べるにあたって、主な行事を五つ設定した。そして行事の有無、

参加不参加とその理由を複数回答で選択してもらうようにした。

 町内行事への参加理由の大半は付き合いのためで、それに付随して楽しみや、地域奉仕の思

いがある、という結果が出た。また、ほとんどの世帯が町内行事に都合がつく限り参加する、

表2 京都市都心部小学校跡地活用審議会の概要

出典:京都市教育委員会ホームページ

審議会等名 京都市都心部小学校跡地活用審議会

設置根拠法令等 京都市都心部小学校跡地活用審議会設置要綱

設置年月日 平成5年12月24日(金曜日)

担当する事項 都心部における小学校跡地の活用に関する事項の調査、審議

委員数 15名

任期 2年

委員構成 公募、市民代表,学識,関係団体,本市

公開・非公開の別 公開

担当課(室) 総合企画局・市民協働政策推進室・プロジェクト推進担当

京都市都心部小学校跡地活用審議会

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または行事の内容によって参加すると回答していることから、絶対参加でも、自由参加でもな

く、できる限り参加しなければならないという町内行事への義務感に近い認識が読み取れる。

住人がこの思いに掻き立てられるのは、やはり町内でのつきあいを考慮するためで、町内で長

期間波風を立てずに生活していくには何らかの役職を務めざるを得ない状況が伺える。

3.3 これからの居住意識について

 住人に現在居住している町に住み続けたいかどうかを尋ねた。これはかなり踏み込んだ質問

であり、ここでは調査対象地区の住人が現在の住環境に満足しているかどうかが分かる。住環

境、つまり近所づきあいも含めた質問である。選択肢は「住み続けたい」、「住み続けたくない」、

「分からない」の三つを用意した。また合せて、その理由も自由記入方式で伺った。

 結果は全体の80%以上の世帯が住み続けたいという結果が出た。居住歴の長い世帯ほど現在

の居住地区を離れたくないことが見受けられる。

 次に自由記入していただいた理由をまとめると、「住み続けたい」理由は大きく四つに大別

できる。一つ目は“環境が良い”という意見である。この意見は理由の中でも圧倒的に多数を

占めた。その中でも多かったのが、“交通の便が良い”、“御所や鴨川などの公共緑地が近隣に

ある”、“学校などの文化施設が近い”、“静寂さがある”などである。二つ目の理由は“生まれ

育った場所であるから”、“長年住んでいるから”という意見がある。三つ目は“近所づきあい

は良い、近所の人たちと顔なじみである”、“良い人ばかり”という意見である。二つ目の長年

慣れ親しんだためという意見数と三つ目の意見である近所づきあいの良さの意見数はほぼ同数

である。四つ目は“持ち家であるから”、“住宅を気に入っているから”、“家を改装したばかり

だから”といった住宅関連の理由が見られる。

 最後に住人たちの現在居住する町への愛着はどの程度だろうかをたずねた。「非常に愛着を

感じる」、「少し愛着を感じる」、「何とも思わない」の三つの選択肢に分け、あてはまる回答し

てもらった。また、その理由を自由に記入してもらえるようにした。「非常に愛着を感じる」

の割合は地区ごとにばらつきが見られた。A地区が一番低く約30%、B・D地区が約50%~ 60%、

C地区と布袋屋町が約70%~ 80%である。しかし、どの地区も「非常に愛着を感じる」と「少

し愛着を感じる」を加えると、80%~ 100%という高い割合になった。ここでも多くの人が程

度は違うものの現在居住している町に愛着を感じているという結果が表れた。

3.4 まとめ

 京都の町内は、長年にわたる人々の経験の積み重ねにより、既に高度に発達したコミュニテ

ィである。コミュニティは少しずつ人が入れ替わり新陳代謝をしながら維持されるものである

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廃校になった小学校の活用と共同体の変容・再生について─京都の事例研究に基づいて-158-

が、伝統産業の凋落・町家の減少・都心部でのマンション建設の時期が重なり、近年は急速に

コミュニティを構成する人々が変化した。また、その急激な変化から、コミュニティ自体の形

も変わりつつある。人々はその変容に違和感を覚えつつも、変わりゆく社会に何とか対応しよ

うとしている。

 マンションが既存のコミュニティの中に建設されることで、新しい住民が急速に増え、顔も

覚えられないまま月日がたっている。その点では町内交流の希薄化を招いていると言わざるを

得ない。ただし、マンションに若い世帯が居住することによって、地蔵盆や運動会などの行

事では一時の賑わいが戻っているのも事実である。旧住民と新住民の間に生まれる相互利益は、

コミュニティが共同社会から利益社会へと変化している証であろう。近年、建設されたマンシ

ョンの住人たちは「参加している」立場にあり、自らが中心となって自治組織を運営するには

まだ多少の時間がかかると思われる。今の賑わいをどの程度普段の生活に浸透させられるかが

今後、街の中で大きな割合を占めるマンション住人に求められる課題だと言える。私はマンシ

ョンと既存コミュニティの共存は可能であると考える。亀裂が生じる原因は、入居前後の交流

不足によるものであると感じる。これからは住人の顔が分かる街づくりが大切であり、マンシ

ョン建設でもこの流れを主流にしてほしいと思う。それが実現すれば町人が長年に渡り自ら町

内を組織してきたように、京都のまちは京都の住人の力によって、そのまとまりを取り戻すだ

ろう。

4.小学校の跡地活用:施設の側から

4.1 調査の目的と方法

  京都には様々な文化施設が存在するが、廃校となった小学校の跡地活用として芸術に関わ

る施設に生まれ変わった学校建築がいくつかある。明倫の芸術文化センター、立誠の文化のま

ちづくりプロジェクト委員会による校舎のギャラリー活用、龍池の京都国際マンガミュージア

ムがその一部である。これらの施設に対し、運営内容及び地域住民との交流や施設が元学区に

与えた影響について聞きとりを行い、回答を比較する中で各施設の立地条件と地域住民との関

係性を考察したい。

 ここでいう地域住民とはそれぞれの元番組小学校の元学区の住民を指す。以下では、調査に

当たったセンター、委員会運営の事務所、ミュージアムを総称して「施設」と表記する。

4.2 調査方法

 各施設の職員方との会話形式の聞き取りにより調査をおこなった。質問は事前にメールで提

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京都精華大学紀要 第三十八号 -159-

示し、回答の流れの中で新たな質疑応答を繰り返す方法をとった。

4.3 施設と地域住民の関係性

 施設管理者・職員に、「このあたりの地域住民の方に、施設の開館の前後で与えた影響はい

かほどですか」と質問を投げかけたところ、「それは、この施設の立地をお考えいただければ

解るでしょう。」との回答であった。なるほど各施設の現在の立地状況を考えてみると、住民

への悪影響はあまり感じられない。例えば立誠に関しては五花街のひとつとして名高い先斗町

に面しており、周りは商売を中心とした環境となっている。つまり、人が訪れることは好都合

な立地なのである。龍池は周りがオフィス街と言うこともあり、人々の通り道となっていて民

家が少ない。加えてどの施設も、地域住民へ施設の利用を開放しているスペースがあり、広報

は回覧板や地域の会報で回しているとのことから、極めて地域住民と施設は密着しており、分

断されていると考えるよりもコミュニティとして溶け込んでいると考える方が正しい。つまり

は施設・近隣住民という構図よりも、その地域(元学区)の中の一部として各施設は認識され

ているのである。

 設立当初の状況としては、校舎を残すことに関して地域住民は寄付や維持に関わる運動をし

ており、その結果として施設ができあがったとのことである。市民は「京都人は、政治の中心

は東京かもしれないが、文化の中心は京都にあると意識している。」という。さらに、「後世に

残すのは『教育』だということで、地元の支援で学校が作られた。首都が東京に移った際、京

都に残せるものはなんだろうかと考え、せめて文化や教育を担う意味での『首都』として誇り

を持ちたい」との意識に答えるものとして、地域が守った元・小学校が芸術施設として生まれ

変わったのである。(立誠より)

 龍池に関しては、マンガを取り扱うという内容のため立案の際には反対の声も上がったよう

だ。しかし現在では月1のペースで地域と委員会を持つなどの話し合いをし、これからの施設

表3 インタビュー調査の項目

・施設の設立の経緯

・設立・発足 及び 運営に当たって懸念していたこと

・設立に際して近隣住民からどのような声があがったか(反対、賛成)

・小学校の建築をそのまま残した理由(資金、近隣住民の希望、デザイン性、など)

・小学校の建築をそのまま使っていることのメリットとデメリット。

・現在の近隣住民との関係性(トラブルや協力体制の有無)

・活動を開始した後の近隣住民の反応(馴染んでいるか、来館の様子、交流の有無等)

メールで送付した質問内容

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廃校になった小学校の活用と共同体の変容・再生について─京都の事例研究に基づいて-160-

利用や要望について協働で思案しているという。近年小学校などの教育機関がセキュリティ面

を重視し外部者を受け付けないことから、コミュニティが集まる空間というものが減りつつあ

る中、こうした元・小学校施設のグランドや講堂が開放スペースとして季節の行事や総会だけ

でなく日々のサークル活動や集会の場としても地域に活用されていることは地域の活力をも向

上させている。立地条件としては、地域住民の暮らしに悪影響を与えることのない距離感を持

ちながらも、回覧板や地域の広報という元学区を利用したコミュニティを意識させるものの利

用のため地域住民が来館しやすい効果を生んでいる。

 芸術の拠点としての活用に関しては、京都=古き良きものという伝統の形に固執しているの

ではなく、新しいものや外部との関わり合いが生まれることも望ましいとの意見があった。地

域のフォークダンスサークルがアメリカからのコンテンポラリーダンサーとのワークショップ

で交流を深めたとの事例や、ボランティア活動が挙げられる。(明倫)

 現在の運営費は自治体が負担しているが、設立に関しては地域住民の愛着によって校舎は形

を守ったのである。小学校跡地の活用は結果として、団結のシンボルとして地域住民の誇りを

高めているように見受けられる。

5.元番組小学校跡地利用に対する周辺住民の意識

5.1 調査と調査校の概要

(1)調査の概要

 本章では、調査対象元番組小学校3校16・17・18 の周辺住民に、跡地の再利用や、新しい施設と

の関わり、利用目的、また利用する際の満足度などを、アンケート調査を用いて把握した。調

査方法は、施設の元学区の範囲の中で最も近い地域住民(図参照)を訪問して、アンケート調

査を直接配票、回収し、調査期間中に都合のつかない方に、後日郵送をして頂く形をとった。(表

4参照)。

表4 アンケート調査配票・回収状況

調査エリア 配票数 回収 備考

元龍池小学校 50 48 内5票郵便回収

元明倫小学校 50 47 内4郵便回収

元立誠小学校 50 45 内6郵便回収

合計 150 137 15

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京都精華大学紀要 第三十八号 -161-

(2)調査対象校の概要

図7 調査対象地区の学校区範囲出典:各学校閉校記念誌(参考文献参)

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廃校になった小学校の活用と共同体の変容・再生について─京都の事例研究に基づいて-162-

元・龍池小学校(現・京都国際マンガミュージアム)

閉校までの変遷

明治2年(1869年)11月1日

上京第二十五番組小学校開校

平成7年(1995年)3月25日

梅屋・竹間・富有・春日の4つの小学校と共に統合にされ御所南小学校が開校。

龍池小学校は閉校。

京都国際マンガミュージアム開設の背景

平成15年(2003年)4月

京都精華大学から京都市にマンガミュージアム構想の提案

平成17年(2005年)10月

都心部小学校跡地活用審議会が龍池小学校跡地の活用計画書を承認

平成18年(2006年)11月

京都国際マンガミュージアム開館

明治9年当時(新築)の建築物 現状の建築物(2010年現在 1F/谷川竜一作図)

地域住民とのかかわり

消防団の活動、選挙投票の会場、地域住民のサロンとして開放。

同窓会も受け入れており、職員が施設の案内を行っている。

夏祭りや運動会などイベント開催時には臨時休館し、それらの会場として利用されてい

る。体育館やグランドは地域住民のスポーツ活動の場として活用されている。

用 途    マンガ資料の体系的収集・整備

      展示、ギャラリー、ワークショップなど

備 考

喫 茶

グ ラ ウ ン ド

デッキテラス

多目的スペース

AV ホール大会議室

中会議室

マンガ図書館

中庭 地域集会室

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元・明倫小学校(現・京都芸術センター)

閉校までの変遷

明治2年(1869年)

下京第三番組小学校開校

平成5年(1993年)3月

本能小学校と統合し高倉西小学校が開校。明倫小学校は閉校。

京都芸術センター開設の背景

平成7年(1995年)5月

元・明倫小学校を『芸術祭典・京』の芸術共感部門の会場として利用(平成10年まで)

平成8年(1996年)6月

京都市芸術文化振興計画策定(芸術センターを京都の芸能文化振興の拠点として位置づけ)

平成12年(2000年)4月

京都芸術センター開設

明治41年当時の建築物 現状の建築物

地域住民とのかかわり

祇園祭の山鉾の展示や、地域が主催する文化祭「まちなかを歩く日」など様々な催しを

開催。運動場は地域住民のレクレーションやスポーツ活動に開放(普段は立ち入り禁止)。

講堂では総会を開くこともある。

用 途    制作活動/展示・公演(小規模の舞台公演・展示会・シンポジウム・

      ワークショップ)

備 考

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廃校になった小学校の活用と共同体の変容・再生について─京都の事例研究に基づいて-164-

元・立誠小学校

閉校までの変遷

明治2年(1869年) 下京第六番組小学校開校平成5年(1993年)日彰・生祥小学校と統合し高倉東小学校が開校立誠小学校は閉校

開設の背景

芸術で地域を活性化させる街づくりモデルとして京都市が注目。立誠・文化のまちプロジェクト運営委員会が、平成19年(2007年)から21年の3年間を実験期間とし、立誠小学校を中心に様々なイベントを実施。地域住民から、学舎が残ることを希望する声があがったので修繕の形をとった。

開設当初のコミュニティの活動の内容と地域住民の関わり

高度経済成長以降の地域の過疎化による不安や不満に対処すべく、地元住民による「まちづくりプラン」が発足。そこで資金源として立誠の自治体と市の職員が手を組んだ。立誠は先斗町に面し、近隣住民は商売を持っていることから、立誠小学校の存在によって外部から人が来る事に肯定的である。委員会と地域住民が共同で行う会議により、地域主導のまちづくりを進めている。

明治39年当時の建築物 現状の建築物

地域住民とのかかわり

夏祭りや桜祭りなど地域に根付いた行事のイベント会場として利用

地域住民がボランティアとして運営に関わる。

用 途    イベント会場やギャラリーとして活用

備 考   元・立誠小学校の正式な活用計画については、都心部小学校跡地活用審議

      会によって協議・調整中。

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京都精華大学紀要 第三十八号 -165-

5.2 元龍池小学校の周辺住民の跡地利用に対する意識

(1)調査対象者の構成

 元龍池小学校周辺の回答者には持ち家が最も多く、回答者48人中38人である。年代のばらつ

きもあり、幅広い世代に意見をうかがうことができたといえる。また、居住年数を見ると、50

年以上居住している回答者が17人で全体の36%、比較的長く居住している回答者が多いことが

分かる。また、居住年数や持ち家との関係から、元番組小学校との関わりが何世代もわたって

あったことが分かる。

(2)施設使用に対する意識

 調査対象者には、施設の利用頻度、また利用する際の満足度を尋ねた。回答者47人中、施設

を利用したことがあると回答したのは38人で、周辺住民に比較的よく利用されていることが分

かる。また、利用の際の満足度を聞いたところ、ほとんどの人が満足していると考えられるが、

それを年代別で見ると、利用頻度の比較的高い20代、50代の満足度が低くなっていることが分

かる。また、満足度と居住年数の関係で見ると、居住年数50年以上の満足度がやや高くなって

いる。しかし、全体的に見ると、利用率の高い人ほど満足度が低くなっていることが見受けら

れる。それは、利用に伴い、施設に対する期待や要求が次第に高くなっていることが想像できる。

今後、これらの満足度の詳細な調査と分析が必要である。

(3)施設の利用目的

 施設の利用目的を、「町内行事」・「展覧会などの鑑賞」・「情報入手」・「主催者として」・「ボ

ランティア」と「その他」の指示的複数回答で尋ねた。半分以上の回答者が「町内会行事」で

利用していると答え、元小学校が別の施設に生まれ変わっても、地域コミュニティの拠点であ

ることが考えられる。また、25%弱の回答者が施設内で行われている展覧会などの鑑賞目的で

利用し、さらに、約10%(7人)が施設内でボランティア活動などを行っており、周辺住民の

新生施設に対する関心の高さをものがたっている。この利用目的を年代別で見たところ、特に

40代以上は「町内行事」へは参加していることが分かる。また、比較的年配の方の施設でのボ

ランティア活動が多く見受けられる。

(4)町内行事への参加頻度

 施設利用では、比較的回答が多かった「町内行事」への参加頻度を詳細に尋ねたところ、「必

ず参加」、「都合がつく限り参加」との回答が最も多く、また、「行事によって参加」と回答し

た人を合せて、回答全体の7割以上である。町内行事にほとんど参加しないのは6名のみである

が、それが特定の年代に集中していない。この結果から、周辺住民は元小学校を地域拠点とし

て考えていることが言える。

(5)施設の利用理由

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廃校になった小学校の活用と共同体の変容・再生について─京都の事例研究に基づいて-166-

 上述の設問で、施設の利用目的を尋ねたが、それと異なる意味で、それぞれの回答者がど

のような理由で施設を利用しているかを、「建築が好き」・「催しものに関心」・「地域住民とし

て」・「他に施設がない」・「愛着があるから」・「地域交流のため」・「町内行事のため」と「その

他」の指示的複数回答で尋ねた。もっとも多い回答は「地域住民として」、「地域交流のため」、

「町内会行事のため」である。また、「催しものに関心」、「愛着があるから」の回答も少なくは

なかった。これらからも、周辺住民の施設への関心の高さと、また、地域拠点としての認識が

うかがえる。また施設で行われる催しものの情報をどのように入手しているかを尋ねたところ、

回覧板や地域新聞などであることが分かる。元小学校の跡地に開設された施設は地域の施設と

しての位置づけ、また地域住民の拠点であることがこれらの情報の伝達手段からも考えられる。

 一方で、施設を利用したことがない8名にその理由を尋ねたところ、「機会がなかった」がほ

とんどで、その他、80歳以上の方で、「関心がない」または「必要がない」との回答があった。

施設への関心がないとの回答が利用していない人の中に少ないことは、今後も機会があれば、

利用するのではないかと考えられる。

 さらに、施設全体の満足度を聞いたところ、「大いに満足」、「満足」との回答が8割弱で、施

設の存在または元小学校の跡地の利用は、悪く思われていないことが分かる。

施設に対するその他の意見(自由記入)

1.マンガは立派な文化です。2.マンガミュージアムとして、ご発展されることを期待しています。一方その成り立ち(小学校跡地、

多くの卒業生が生活している)ことをお忘れにならないよう、地域との交流(たとえば一日地域の日のようなこと)も考えていただければ幸いです。秋には学区体育祭があるので春にでも……。同窓会の呼び水になるかも……と思います。

3.私はボランティア及び、一部営業でオカリナを12年間行っており、マンガに合せた音楽を数多く、演奏も、行っています。まだ、町内~はしていませんが、チャンスがあればお聞きになって下さい。

4.地下鉄の出入り口にもっとくわしく案内板を書いてほしいです。御池で店をしているので、毎日というほど道を聞かれます。

図8-1 調査対象周辺の構成

図8-2 施設利用と満足度

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図8-3 周辺住民の施設利用の実態と満足度

Pict1 :マンガミュージアムの様子(筆者撮影:2010)

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廃校になった小学校の活用と共同体の変容・再生について─京都の事例研究に基づいて-168-

5.3 元明倫小学校の周辺住民の跡地利用に対する意識

(1)調査対象者の構成

 元明倫小学校周辺の回答者の構成を見ると、47人中、持ち家が33名で、50代以上の方が7割

以上いることが分かる。また、居住年数では、50年以上住んでいる人が3分の1で、残りには年

代のばらつきがみられる。

(2)施設使用に対する意識

 調査対象者には、施設の利用頻度、また利用する際の満足度を尋ねた。回答者47人中、施設

を利用したことがあると回答したのは38人で、周辺住民に比較的よく利用されていることが分

かる。施設を利用する際の満足度を尋ねたところ、やや低くなっているところが目立っている。

その満足度を居住年数、また利用の頻度の視点で分析した。地域での居住年数の浅い20代の回

答者には不満の回答が見られ、その他50代~ 60代の回答者の利用頻度が高いのにも関わらず、

施設利用に対する不満があることが見受けられる。その他、施設は、居住年数とは関係なく利

用されているが、施設利用と満足度に年代によって、やや差異が見られ、利用頻度の高い人の

満足が低くなっている場合もある。

(3)施設の利用目的

 施設の利用目的を、「町内行事」・「展覧会などの鑑賞」・「情報入手」・「主催者として」・「ボ

ランティア」と「その他」の指示的複数回答で尋ねた。元明倫小学校の場合、「町内会行事」

は18名で、やや低くなっている。また、「展覧会など鑑賞」や「情報入手」が半数弱で、地域

に密着している施設というよりむしろ、文化施設としての利用があげられる。また、利用目的

を年代別で見たところ、「町内会行事」の目的で施設を利用しているのは、40代以上の人がほ

とんである。また、同じく、展覧会の鑑賞で利用している人の年代別構成を見てみると、先述

の「町内会行事」と同じく、40代以上で、ほとんど重なっている。施設への関わりは同じ人た

ちになっていることが分かる。

(4)町内行事への参加頻度

 「町内会行事」への参加頻度を尋ねたところ、「必ず参加」、「都合がつく限り参加」が全体回

答の約4割しかなく、「行事の内容によって参加」、「ほとんど参加しない」との回答が5割以上

いることが見受けられる。元明倫小学校を文化施設として使用することが多く、地域の拠点と

して利用する場合でも、よく考えてから利用していることが分かる。また、町内会行事を年代

別で見ると、「必ず参加」との回答が特定の年齢に見受けられないこと、さらに、幅広い年齢

層が「都合がつく限り参加」と答えていることで、町内の拠点としての維持あるいはこだわり

が薄くなりつつあると言える。

(5)施設の利用理由

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京都精華大学紀要 第三十八号 -169-

 それぞれの回答者がどのような理由で施設を利用しているかを、「建築が好き」・「催しもの

に関心」・「地域住民として」・「他に施設がない」・「愛着があるから」・「地域交流のため」・「町

内行事のため」と「その他」の指示的複数回答で尋ねた。「建物が好き」、「地域住民として」、「愛

着があるから」、「地域交流」が全体の回答の6割以上を占めている。特に、「愛着があるから」

との回答が「地域住民として」に次ぎ、もっとも多く、施設への関心度やこだわりの深さを意

味する。しかし、この利用理由の年代別の差異が見られない。

 また、施設の催しものの情報の入手方法を尋ねたところ、半分以上の回答が回覧板と新聞に

なっているが、チラシやポスターでの情報入手も多いことが分かる。

 さらに、施設を利用しない理由を9名の回答者に尋ねたところ、「機会がない」との回答が最

も多くなっている。それは、自ら施設を積極的に利用しようとする意識が低く、催しものに対

する関心から利用につながっていることが分かる。

 施設全体の満足度に関しては、「大いに満足」、「満足」と回答した人が約6割である。約3分

の一がどちらでもないと回答し、関心の低さを示している。

施設に対するその他の意見(自由記入)

1.どんな利用方法があるのか、チラシやポスターなどでお知らせ・提案して頂きたいです。2.歴史ある京都の中でこうした取り組みは良い事だと思います。また、若い方や大きな可能性を持

つ方の勉強する場、力を付ける場、夢を実現する場として、これからも活用していただけたらいいと思います。ただ室町通りの自転車・バイクの放置は景観上、安全上良くないと思うのでご指導いただけたら幸いです。

3.明倫の灯台のような存在であって欲しいと願って居ります。4.私は嫁に来たのですが、夫も子ども達も、明倫小学校を卒業しています。学校は無くなりましたが、

建物が残り、地域の運動会等も、同じ運動場でできます。こういう形で、小学校が残っている事に感謝しています。

5.正直、入りにくいイメージがある。敷居が高いとは思わないが、施設で何をされているのかもわからないので、「お堅い」場所に思える。良い展覧会などがあれば行きたいと思う。

6.展覧会などが楽しめる場所があるのは嬉しいですが、子どもが小さい頃は運動場も開放しており自由に走り回れたのですが、なぜ立ち入り禁止になったのでしょう。車の往来の激しい明倫学区において、小さな子ども達が、安全な場所として遊べると良いように思います。

7.町内独自の行事としては、センターを利用する事はなく、自治連合会の行事(運動会・文化祭等)に参加しています。明倫学区内のほとんどの町内会は独自では利用していないと思います。

8.ますます地元住民とつながりの深い施設になっていけばと思います。私も旧明倫校の卒業生ですので。

9.子供が明倫小学校を卒業したので芸術センターとして残ったことはとても良かった。これからもいろいろ活用してください。

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廃校になった小学校の活用と共同体の変容・再生について─京都の事例研究に基づいて-170-

図9-3 周辺住民の施設利用の実態と満足度

図9-1 調査対象周辺住民の構成

図9-2 施設利用と満足度

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京都精華大学紀要 第三十八号 -171-

5.4 元立誠小学校の周辺住民の跡地利用に対する意識

(1)調査対象者の構成

 回答者全体を見ると、6割以上が持ち家であり、7割が30年以上居住していることが分かる。

回答者を年代別に見ると、約半分が50代以上で、その中でも、三分の1が60年代・70年代であ

ることが分かる。また、20代が2名のみ、30代が6名で、この地域の高齢化、または若者不在を

ものがたっている。

(2)施設使用に対する意識

 調査対象者には、施設の利用頻度、また利用する際の満足度を尋ねた。利用率に関して、年

代による差異がなく、利用しない人もいるが、ほとんどの居住者が利用していることが分かる。

ただし、居住年数の浅い、つまり、5年から10年の利用率が目立つことが分かる。施設への満

足度は居住年数と比例しないが、全体的にはそれほど高くないことが分かる。

(3)施設の利用目的

 施設の利用目的を、「町内行事」・「展覧会などの鑑賞」・「情報入手」・「主催者として」・「ボ

ランティア」と「その他」の指示的複数回答で尋ねた。「町内行事」で利用していることが全

Pict2:京都芸術センターの様子(調査協力者/伊藤綾撮影)

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廃校になった小学校の活用と共同体の変容・再生について─京都の事例研究に基づいて-172-

体の回答の4割弱だが、それ以外の利用は特に目立った回答はない。町内行事の次に多いのは、

「展覧会など鑑賞」である。年代別の利用目的を見たところ、ほとんどの年齢で「町内行事」

に参加していることが分かる。

(4)町内会行事への参加頻度

 町内会行事への参加頻度を尋ねたところ、「都合がつけば参加」するのが最も多いが、ほと

んどの回答者が「どちらでもないか」か「参加しない」と回答している。地域の特性もあり、

仕事の時間帯で行事などに参加しづらいことが想像できるが、それが年齢とはほとんど関連な

いことが、地域として施設を利用することへの関心の少なさを示している。

(5)施設を利用する理由

 それぞれの回答者がどのような理由で施設を利用しているかを、「建築が好き」・「催しもの

に関心」・「地域住民として」・「他に施設がない」・「愛着があるから」・「地域交流のため」・「町

内行事のため」と「その他」の指示的複数回答で尋ねた。その結果、「地域住民として」、また

は「町内行事のため」、「地域交流のため」の順に多いが、それ以外の理由は特に目立っていない。

施設への「愛着があるから」ということが施設の利用につながらないことが分かる。また、年

代別の理由を見たところ、特に年代による違いがない。情報の入手方法も、回覧板か地域新聞

となっているが、それ以外、チラシやポスターまたは、知人の紹介が多いようである。施設を

利用しない理由に対して、単純に機会がないとの回答がほとんどである。施設全体への満足度

に対して、「大いに満足」、「満足」との回答が半分強になっているが、どちらでもないとの回

答が目立っている。これは施設への関心の低さをものがたっていることが分かる。

図10-1 調査対象周辺住民の構成

図10-2 施設利用と満足度

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京都精華大学紀要 第三十八号 -173-

施設に対するその他の意見(自由記入)

1.テニス利用について、一部の方のみが利用しているのではないかという疑問。2.桜まつりは良かったと思います。 3.夜になると鍵をかける等、近隣住民もたくさん税金を払っているのに、施設側が自分のもののよ

うにしていることが不満である、というのが本音です。4.元立誠校出身者として、小学校については大いに興味があります。芸術振興の拠点として、利用

されていることについては、賛成ですが、せっかくこんな便利なところにあるのだから、もう少し、一般の方が利用する頻度が上がればいいなぁと思います。芸術振興の拠点という点からはずれるかもしれませんが、図書館などあれば地域の人も利用できるし、京都観光関係の本などもあれば、観光客の方も立ちよっていただけると思うのですが……

5.もっと木屋町地区の商売上でも発展できる。6.公の事務所が、きれいなオフィシャルな形で作られ、役所のような窓口を作るべきである。現状

は受付が雑々としていて、公なイメージがうすれている。文化財としての価値を大切にして、学校を見る活動が少ない。京都の町民文化のひとつのシンボルとしての様子を残すので、それ自体が京都のひとつの魅力であるということを、主張することも大切だ。

7.立誠小学校のいろいろな行事はすばらしく、町にとっても活気あるいい事と思います。いろいろ大人の意見は今の木屋町はだれもが昔のような地や町がなつかしい。ずいぶん変わってしまったなど聞きます。夜のキャッチが多いことなど町のいやな事一番です。12年間いつも思っています。営業12年になりますので。桜のライトアップなどしてほしい。つつじを植えられた事は良かったです。無料案内も多すぎる。立誠小学校の建物、まわりの川が流れ桜、柳みんなレトロでいい感じなのに残念です。以前のような町がよみがえれば、私だけの願いでしょうか。ちょっとひと言でした。京都だなぁという町づくりをめざしてほしい。私たちもなにかできる事があれば……

図10-3 周辺住民の施設利用の実態と満足度

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廃校になった小学校の活用と共同体の変容・再生について─京都の事例研究に基づいて-174-

5.5 元番組小学校周辺住民の意識調査のまとめ

 本調査で、元番組小学校跡地利用の代表事例3校の周辺住民に調査を行った結果、小学校の

跡地の再利用に関心がないわけではなく、むしろその発展を望む住民が多く見られた。ほとん

どの地域では、長く住んでおられる方が多く、2、3世代にわたって同じ小学校に通ってきた

家庭もあり、学校施設に対して深い思い入れがあるようである。少子高齢化の影響で、小学校

を廃校にせざるを得ない一方で、これからの施設の再利用には、高齢者では限界があることか

ら、外部団体や組織が行ってしまっていることが事実である。その際、住民のコミュニティ活

動の場が維持されることが前提条件になると考える。新たに入ってきた施設に対して、完全に

満足しているわけではないが、施設でどのような活動が行われているかについて関心が高いよ

うに思われる。また、地域の誇る施設にするための支援や活動へのボランティア行為にも意欲

Pict3 : 旧立誠小学校の様子(筆者撮影:2010)

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京都精華大学紀要 第三十八号 -175-

が見られ、新たな形の地域コミュニティの拠点として再出発しているように感じた。

6.結論と今後の課題

 本研究では、京都の地域コミュニティの変遷とまたコミュニティの成り立ち条件でもあるコ

ミュニティ活動の場の変容を把握するために、様々な角度からインタビュー、アンケート調査、

観察調査などを行ってきた。京都の様々な場所でコミュニティの内容が、町家の減少、マンシ

ョンなどの集合住宅の増加によって、変化してきている。新たにコミュニティに加わってきて

いるメンバーは、コミュニティ活動に対して、全く関心を持てないわけではないが、参加の仕

方や関わりについて戸惑っている。一方で、これまで頑なに地域の在り方を守ってきた地域社

会には、少子高齢化の影響で、コミュニティの活動の場や活動の内容に変更がもたらされてい

る。その活動の場の一つ、またはアイデンティティとも言える元番組小学校が統廃合の対象と

なってしまっていることである。旧地域住民は小学校が統廃合されても跡地の利用には関心を

示し、また、地域施設としての役割を求めているのに対し、新しい住民は、つまり居住年数の

浅い住民は、施設の催しものに対して関心は高いが、地域活動の拠点としての関心がそれほど

ないように思われる。京都市は、跡地の使われ方について審議委員会を設置して、跡地利用を

管理しようとしているが、今後の地域住民の高齢化に伴って、跡地利用に、住民の関わりが薄

くなっていくことが懸念される。また、それぞれの小学校の立地条件の良さから、外部の開発

企業には強い魅力があるのではないかと推測される。

 現段階では、小学校ごとの跡地利用が別々に審議され、認可されているが、今後は、利用方

針や利用目的が、京都の全体計画として総体的に検討される必要がある。今後の研究として、

これらの都市全体の中での小学校の跡地利用をネットワークとして考え、京都の様々な形のコ

ミュニティを受け入れる施設として考えていく必要があろうかと思われる。そのため、本研究

では、現段階の利用の詳細な満足度と期待を調べ、京都市全体での施設のニーズを整理し、都

市計画の視点で小学校の跡地利用を探っていきたいと考えている。

   謝辞:本研究では、2002年に行った「町内・地域における住民の活動の実態調査」の実施、

資料作成に協力してくださった浅井美由紀(2003年3月京都精華大学人文学部卒)、また

2010年の現地調査の実施、一部資料収集に協力してくださった伊藤綾(2009年度に京都精

華大学人文学部地域研究方法論(サコ担当)を受講)、染川央(共に2010年3月京都精華大

学人文学部卒)に、感謝したい。彼らの協力なしでは、現地調査の実施が不可能に近かった。

最後に、インタビュー調査に応じてくださった各施設の担当者と住民の皆様に感謝の意を

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廃校になった小学校の活用と共同体の変容・再生について─京都の事例研究に基づいて-176-

表したい。

1 巽和夫・町家型集合住宅研究会編『町家型集合住宅─成熟社会の都心居住へ』学芸出版社、1999年

2 飛魚インターナショナル(1998年設立・代表:ウスビ・サコ)

3 町内・地域における住民活動の実態調査 (サコ研究室2002年11月)

4 住環境の計画編集委員会編『住環境の計画3─集住体を設計する』彰国社、1995年10月

5 巽和夫・町家型集合住宅研究会編『町家型集合住宅─成熟社会の都心居住へ』学芸出版社、1999年

6 川嶋將生『記録・都市生活史3─町衆のまち京』柳原書店、1976年

7 秋山國三・中村研『京都「町」の研究』法政大学出版局、1981年

8 上田篤編『町家‐コミュニティ研究』鹿島出版会、1976年6月

9 小山大介『京都市における町内会を中心とした自治活動』資本と地域第5号、2009年

10 住環境の計画編集委員会編『住環境の計画3─集住体を設計する』彰国社、1995年

11 京都市学校博物館編集『京の学校・歴史探訪』京都市生涯学習振興財団、2006年

12 京都市学校博物館編集『常設展示解説図録』京都市生涯学習振興財団、2009年

13 京都市学校歴史博物館編『都市史26-町組改正と小学校』京都市ホームページ2010年現在

14  能勢 温『京都市における廃校小学校跡地利用計画策定プロセスに関する研究』日本建築学会計画論

文集第73巻第626号、2008年

15  大田 歩『公共施設と主導権─京都市における廃校になった番組小学校の跡地利用について』同志社

大学卒業論文

16 京都市教育委員会『立誠─輝ける124年のあゆみ』閉校記念誌編集委員会、1997年3月

17 京都市教育委員会『龍池─輝ける126年のあゆみ』閉校記念誌編集委員会、1997年3月

18 京都市教育委員会『明倫─輝ける124年のあゆみ』閉校記念誌編集委員会、1997年3月

参考・引用文献

1 巽和夫・町家型集合住宅研究会編『町家型集合住宅─成熟社会の都心居住へ』学芸出版、1999年

2 住環境の計画編集委員会編『住環境の計画3─集住体を設計する』彰国社、1995年

3 川嶋將生『記録・都市生活史3─町衆のまち京』柳原書店、1976年

4 秋山國三・中村研『京都「町」の研究』法政大学出版局、1981年

5 上田篤編『町家‐コミュニティ研究』鹿島出版会、1976年

6 小山大介『京都市における町内会を中心とした自治活動』資本と地域第5号、2009年

7 京都市学校博物館編集『京の学校・歴史探訪』京都市生涯学習振興財団、2006年

8 京都市学校博物館編集『常設展示解説図録』京都市生涯学習振興財団、2009年

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京都精華大学紀要 第三十八号 -177-

9 京都市学校歴史博物館編『都市史26-町組改正と小学校』京都市ホームページ2010年現在

10  能勢 温『京都市における廃校小学校跡地利用計画策定プロセスに関する研究』日本建築学会計画論

文集第73巻第626号、2008年

11  大田 歩『公共施設と主導権‐京都市における廃校になった番組小学校の跡地利用について』同志社

大学文学部社会学科卒業論文、2003年度(指導:藤本昌代)

12 京都市教育委員会『立誠─輝ける124年のあゆみ』閉校記念誌編集委員会、1997年

13 京都市教育委員会『龍池─輝ける126年のあゆみ』閉校記念誌編集委員会、1997年

14 京都市教育委員会『明倫─輝ける124年のあゆみ』閉校記念誌編集委員会、1997年

15  戸所泰子『京都における町家と町家風建築物からみた「地域の色」の継承と創造』立命館地理学第6号、

2004年

16  河野 学・吉村英祐・横田隆司・飯田 匡『建築関連法規が廃校後の公立小学校の用途変更に及ぼす

影響について─京都市・大阪市・神戸市の場合』日本建築学会計画系論文集第609号、2006年

17  小林丈広『公同組合の意義と町組の歴史─京都の地域住民組織へ』ヘスティアとクリオ(1)コミュニ

ティ・自治・歴史研究会、2005年

18 高木 鉦作著 東京市政調査会編『町内会廃止と 「新生活協同体の結成」』東京大学出版会、2005年

19  浅井美由紀『共同社会と利益社会─変化する京都の町』京都精華大学人文学部卒業論文、2002年度(指

導:ウスビ・サコ)

20  石橋香菜子『京都市「元学区」の地域コミュニティについて─地域共同体の行方─』京都精華大学人

文学部調査演習報告書、2005年度(指導:ウスビ・サコ)

21 京都精華大学マンガ学部編『マンガ 龍池小学校史』京都国際マンガミュージアム、2006年

22 二宮哲雄・中藤康俊・橋本和幸『混住化社会とコミュニティ』御茶の水書房、1989年

23 五島邦治編『読む・知る・愉しむ 京都の歴史がわかる事典』日本実業出版社、2005年

参考ホームページ(2010年9月現在)

1.京都教育委員会

  http://www.city.kyoto.lg.jp/kyoiku/index.html

2.京都市学校歴史博物館

  http://kyo-gakurehaku.jp/topics/index.html

3.京都国際マンガミュージアム

  http://www.kyotomm.jp/

4.総合企画局 プロジェクト推進室 学校跡地担当

  http://www.city.kyoto.lg.jp/sogo/page/0000025959.html