学びて思わざれば即ち
二〇〇八年三月七日
「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」と
いうテレビ番組(このタイトルにも句点が付いてます
ね)を時々見ています。先ほどもテリー伊藤さんが「イ
ンターネットの利用は1日1時間までとします」などと
いうマニフェストを提示して議論をしていました。
こんなマニフェストが実現されるわけがないというこ
とくらいは本人たちもわかっていたとは思います。それ
でもあえて議論してみるところが面白いですね。こうい
う考え方を「ありえない」として完全に排除してしまう
ことこそがテリー伊藤さんの言う「妄想力」の欠如につ
ながってくるのだと思います。現実には「ありえない」
かもしれない。でも、そういうことを考えてみることは
大切なことです。
インターネットをしていると、わからないことがあっ
ても検索によってすぐに答えを見つけることができてし
1
まいます。そのため、「妄想力」だとか「想像力」と
いったようなものが失われてしまうのだというのが彼ら
の主張の中にありました。
それも一理あるかもしれません。ただ、今回のマニ
フェストの重要なポイントは、インターネットばかりし
ていないで、もっといろんなことをしたほうがいいだろ
うということだったと思います。そういう観点から「妄
想力」ということについて考えてみると、インターネッ
トのしすぎで「妄想力」という能力が失われるのではな
く、「妄想に費やすための時間が失われる」という表現
の方が適切だと思います。
中国の思想家、孔子の有名な言葉がまさにそれを示し
ています。
子曰わく、
学びて思わざれば則ち罔(くら)く、
思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し。
インターネットで知識ばかりをいくら得ること(学
び)ができても、妄想や想像のためにも時間が費やされ
2
なければ(思わざれば)真に活きた学問とはならないと
いうことです。
そして、その逆もしかり。
テリー伊藤さんの意見に賛成する人たちの中には、実
際にインターネットなどまったく使わないというような
人もいました。実際にインターネットがどういうものな
のか、それをきちんと理解してもいないのに議論しよう
としている人たちは、妄想ばかりしていて学ぶことをお
ろそかにしているということになります。すなわち、
「思いて学ばざれば則ち殆し」な人たちなのです。彼ら
に議論する資格などありません。
反対する人も賛成する人も、まずはインターネットを
実際に体験し、それについてよく理解した上で議論をす
べきなのです。
議論が終わったら、一人になってゆっくりと考える時
間も作りましょう。そして、思惟(妄想)にふける。そ
の妄想をブログなどに書いてみるのもいいでしょう。ブ
ログなどに自分の「思い」を書く時間はとても有意義で
す。1時間などと言わず、いくらでも費やせばいいで
しょう。
3
Recommended